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シングル03
日期:2018-06-28 21:03  点击:311
 3 電話の問題
 
 辻山は、聡子と刑事の話をいつまでも聞いているのも、何だか悪いような気がして、席に戻った。
 
 ちょうど、一時の始業のチャイムが鳴る。
 
 資料の整理を続けようと、ファイルを開けたとき、電話が鳴った。
 
 いつもなら、聡子がパッと手を伸ばして取るのだが、今は席にいない。辻山は受話器を取った。
 
「はい。もしもし」
 
 少し間があった。
 
「あの——K事務機ですか」
 
 少しかすれた女性の声。
 
「そうです」
 
「あの……山崎聡子さんは、いらっしゃいますか」
 
「山崎ですか。今ちょっと来客中でして」
 
 辻山の返事にも、何となく向うはホッとした様子で、
 
「じゃ、まだいるんですね、そちらに」
 
 と言った。
 
「いや、今、席にはいませんが——」
 
「いいんです。すぐ戻られます?」
 
「ええ、すぐ戻ると——思いますけど」
 
「じゃ、またかけ直します」
 
「あの、どちらさま——。もしもし?」
 
 もう切れていた。
 
 やれやれ。せっかちだな。辻山は、机の上を見回して、
 
「ここじゃ狭いな」
 
 と、呟《つぶや》いた。「——あ、山崎君」
 
 聡子が席に戻って来た。
 
「遅れてごめんなさい」
 
「いや——今、電話があったよ」
 
「電話? 誰から?」
 
「さあ、女の人だけど、名前は言わなかったよ。またかけるって」
 
「そう……」
 
 と、聡子が肯《うなず》いた。
 
「あのね、このファイル、会議室で整理しよう。ここじゃ、どうしても並べ切れないよ」
 
「そうね。じゃ、手伝うわ」
 
 と、聡子は微《ほほ》笑《え》んだ。
 
「でも、いいの? 仕事あるだろ?」
 
「今は、何か機械的にやれることをしたいの」
 
 辻山にも、聡子の言葉が理解できた。
 
「じゃ、行こう。どこか会議室が空いてるだろ」
 
「ファイル、運ぶわ」
 
「じゃ、半分頼むよ」
 
 ——三十近いファイルに、資料を順番通りとじ込まなくてはならないのだ。
 
 比較的大きな会議室が空いていたので、そこの机の上にズラッと資料を並べ、ファイルにとじて行くことにした。
 
 聡子は、
 
「ちょっと待って」
 
 と出て行き、すぐ戻って来た。
 
「受付の子に頼んどいたわ。電話がかかったら、こっちへ回してくれって」
 
「ああ、そうだね」
 
 聡子は、そういう点、実によく気が付くのである。
 
 二人が資料を並べていると、会議室の中の電話が鳴り出した。
 
「きっと君だよ」
 
「出るわ」
 
 聡子が急いで駆け寄る。「——もしもし。——あ、ちょっとお待ちください」
 
 聡子が送話口を手で押えて、
 
「辻山さん。辻山さんから」
 
「え?」
 
「お父様だそうよ」
 
「親父から? 珍しいな」
 
 辻山は、受話器を受け取った。「——もしもし」
 
「房夫か! 元気でやっとるのか?」
 
 辻山勇《ゆう》吉《きち》の声が大きいのは、山の中に住んでいて、大声をいつも出し慣れているからかもしれなかった。
 
「父さん。どうしたんだい?」
 
 と、辻山は言った。
 
「いや、このあいだ町へ出たとき、真田の伸《のぶ》子《こ》に会ってな」
 
「ああ、あのおばさん? 元気なのかな」
 
「三〇そこそこのいい女に見えるぞ」
 
 と、辻山勇吉は笑って言った。「そのとき、話をしているうちにな、向うも大学生の邦也が、どんな所に住んどるか知らんと言うんだ。こっちも、お前の家や嫁さんも見たことがない。それで二人して、意見が一致してな」
 
「意見って?」
 
「一緒に東京へ出かけて行くことにしたんだ!」
 
 辻山の顔から、血の気がひいた。
 
「そっちへ出てくんだ。構わんだろ?」
 
「まあ、そりゃ……。でも、突然で……」
 
「そう何か月も居候しようってんじゃない。ほんの二、三日おられりゃいいんだ。何も気をつかわんでいいぞ。二人ともいい年《と》齢《し》の大人だ。勝手に切符を買うから」
 
「父さん……。だけど——」
 
「一応な、あっちの都合もあって、この次の週末に行こうと決めた。みやげは何がいい?」
 
「みやげなんて、そんな——」
 
「じゃ、嫁さんの顔を見るのを楽しみにしとるぞ。仕事中に、悪かったな」
 
「いや、そんなことは……」
 
「じゃあな! 会うのが楽しみだぞ!」
 
 相当遠くからかけているはずなのに、父親の声は、ビリビリと辻山の耳を打った。
 
 そして——辻山がそれ以上何を言う間もなく、電話は切れてしまっていたのである。
 
「——辻山さん」
 
 と、聡子が言った。「どうかした?」
 
 辻山はハッと我に返って、
 
「え?——あ、いや、何でもない」
 
 あわてて受話器を置く。
 
「お父様、何かご用だったの?」
 
「うん……。こっちに遊びに来るって」
 
「まあ、すてきじゃないの。もうずいぶん会ってないんでしょ?」
 
「そう……。何年もね」
 
「楽しみね」
 
「そうだね……」
 
 辻山は、机の前に戻って、資料を拾い上げながら、「大変だ……」
 
 と、呟《つぶや》いた。
 
 今の父からの電話で頭が一杯になっていた辻山は、また電話が鳴って、聡子がそれに出たことにも気付かなかった。
 
「——もしもし。——あ、私……。——ええ。聞いたわ。——ええ」
 
 聡子は、しっかりと受話器を握りしめて、話していた。
 
 
 
「今夜は何にしようかな……」
 
 と、冷蔵庫を開けて、中を覗《のぞ》き込みながら、水野涼子は独り言を言った。
 
 涼子は、一人住まいが長いので、自分で料理するのはちっとも苦にならない。特別、どこかで習ったというのではないが、そうメニューに苦労することもなかった。
 
 それに、真田邦也の方も自分で多少料理ができて、よく二人は一緒に台所に立つ。
 
「——よし、今日はシチューだ」
 
 と、涼子は決めて、体を起した。
 
 いくつか買って来なくてはならないものがあるが、どうせスーパーへ行くつもりだったのだし……。
 
 そろそろ邦也が帰って来るだろう。そしたら二人で出かけよう。二人の方が何といっても沢山買物ができる。
 
「そうそう。貯金の方、見とかないと」
 
 自動引き落しの電気代やその他、つい念入りにチェックしてしまうのは、一人暮しのころからのくせである。
 
「——ええと、今月は、何の支払いが残ってたっけ」
 
 と、台所のメモをめくる。
 
 電話が鳴り出した。——邦也からだろう。少し遅くなるのかしら? だったら、一人でスーパーへ行かないと、閉まってしまう。
 
「——はい、もしもし」
 
 と、気楽に出ると、
 
「もしもし」
 
 と、けげんそうな女性の声がした。「あなた、誰?」
 
「え?」
 
 一瞬、涼子はカチンと来た。「そっちこそどなた?」
 
 と、訊《き》き返してやる。
 
「真田邦也の母ですよ」
 
 涼子は息をのんだ。言葉が出て来ない。
 
「——もしもし? そこは真田邦也の部屋でしょ?」
 
 と、向うが重ねて訊く。
 
 どうしよう? どう返事をしたらいいんだろう?
 
 涼子は切ってしまおうかと思った。でも、まさか——。
 
 と、玄関で音がして、
 
「ただいま」
 
 と邦也の声。
 
「良かった!」
 
 と、送話口を押えて、「ねえ、電話よ!」
 
「僕に? 誰から?」
 
 と、邦也が入って来る。
 
「お母様よ」
 
「お袋?」
 
 邦也が目を見開いて、「君——何て言った?」
 
「何も! あっちが、『誰なんだ』って訊いてるの。どうしよう」
 
「ちょっと……。じゃ、出るよ」
 
 と、邦也は咳《せき》払《ばら》いして、「——あ、もしもし、お母さんか」
 
「邦也なの?」
 
 真田伸子の声は、不機嫌そうだった。「今出た女の人は誰? 礼儀知らずな子ね」
 
「え? ああ! 今のはね、このマンションの子だよ。回覧板持って来ててね」
 
「奥さん?」
 
「いや——。まだ若いんだ」
 
「独り者? あんたを狙《ねら》ってるんじゃないの?」
 
「そんな……」
 
 と、邦也は笑って、「あの子、まだ中学生だよ。そんなわけないさ」
 
「ふーん。でもね、今どきは中学生でも結構……。ま、いいよ。むだ話しててもしょうがない」
 
「何か用だったの?」
 
「次の週末にね——」
 
 電話で話している邦也を眺めながら、涼子は少々むくれていた。
 
「——分った。——じゃあ」
 
 と、邦也が電話を切ると、
 
「誰が中学生ですって?」
 
 と、涼子は文句を言った。「セーラー服でも着る?」
 
「それどころじゃない……」
 
 と、邦也は青くなっている。
 
「——どうしたの?」
 
「お袋が出て来る!——そんなことするわけないと思ってたのに!」
 
「お母様が? いつ?」
 
「次の週末だって……。何てことだ。——どうしよう!」
 
 邦也は、ダイニングの椅《い》子《す》に、ペタンと座り込んだ。
 
「そう……」
 
 涼子は邦也の肩に手をかけて、「でも……仕方ないじゃない。正直に話すしかないわよ。もう結婚してるんだって」
 
「いや——そう言って、スンナリ納得するお袋じゃないよ」
 
 邦也は頭を抱えた。「どうしよう。——参ったな!」
 
 涼子は少し複雑な表情で邦也を見ていた。
 
「そうか。辻山さんとこの親父さんと出てくる、って言ってたな。電話してみよう」
 
 邦也は手帳を取り出して、必死にめくり始めた……。
 
 
 
 山崎聡子は、化粧室の入口まで来てチラッと左右へ目をやると、急いで階段を駆け下りた。
 
 エレベーターでは、同じ会社の人間と会うかもしれないからだ。
 
 ビルを出ると、聡子は急いで通りを渡って、少し先の牛丼の店に入った。
 
 立ち食いのテーブルがいくつかあって、今は半端な時間なので空《す》いていた。
 
「牛丼二つ」
 
 と、注文して代金を払う。
 
 すぐにできて来た器を両手にして、隅のテーブルへ持って行くと、客が一人、店へ入って来て、聡子と一緒になった。
 
「カウンターへ背を向けて」
 
 と、聡子は低い声で言った。「——二つとも食べて」
 
「ありがとう」
 
 と、コートをはおり、えりを立てた女は言った。
 
「もっと普通に。かえって目立つわ。大丈夫よ、誰も気付かない」
 
「そうね……」
 
 と、女はホッと息をついた。
 
 もちろん、小田切和代である。
 
「悪いわね」
 
「さ、食べて。お茶、もらって来る」
 
 聡子がお茶を二つ、紙パックで持って来ると、和代は一つの牛丼をほとんど食べ終わっていた。
 
「凄《すご》い食欲ね」
 
 と、聡子は微《ほほ》笑《え》んで、「少し安心したわ」
 
 和代はお茶をガブ飲みして、
 
「——迷惑かけないように、すぐ消えるから」
 
 と言った。
 
「何言ってるの」
 
 聡子は、和代の手に自分の手を重ねると、「力になるわ。信じて」
 
 と、力強く言ったのだった。
 

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