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シングル20
日期:2018-06-28 21:16  点击:324
 20 銃 口
 
「結婚なんてね、下らないもの、絶対にするんじゃないよ」
 
 母親の口から突然この言葉が出て来て、真田邦也は面食らってしまった。
 
 もちろん、ドキッとしたのも事実。もしや、母が息子と涼子のことを知っていたのか、と……。しかし、そうではなかったらしい。
 
「母さん……。何のこと?」
 
「言った通りさ」
 
 と、真田伸子は紅茶を飲みながら言った。「私が言うんだから間違いないよ。結婚ぐらい下らないもんはない」
 
 ——デパートの中を、散々伸子に引張り回され、邦也はヘトヘト。
 
「一休みしようか」
 
 という伸子の提案に即座に賛成して、デパートの中の喫茶店で一息ついたところである。
 
 母さん、どうかしてる。——邦也は、買物について歩きながら、そう思った。
 
 ほとんどやけになって買いまくってでもいるようだ。もちろん、伸子は世間の水準からいえば「金持ち」であって、宝石だの着物だの、相当にいいものを持っている。仕事上、そう安物を身につけられないということもある。
 
 しかし、今日の買い方は……。高いものばかりじゃない。
 
「これ、可《か》愛《わい》いじゃない」
 
 と言って、中学生くらいの女の子が持って歩くようなバッグを買うかと思うと、
 
「ちょっと、それちょうだい」
 
 と、百万円近くもする腕時計を、ろくに見もしないで買って、女店員をあわてさせる。しかも現金払い!
 
 何かあったんだな、と邦也ならずとも思って当然であろう。そこへ「結婚」発言である。
 
「突然何だよ」
 
 と、邦也は何とか笑顔を作って、「母さんだって、昔は結婚してたんじゃないか」
 
「そう。まだ何も分んなかったからね、あのころは。今はね、世の中も人生も、いやになるくらいよく見えるの。だから、あんたを不幸にしちゃいけない、と思ったんだよ」
 
「だけど……」
 
 邦也はおずおずと言った。「相手によるんじゃない? 現に幸福な夫婦だっているわけだし……」
 
「外見をとりつくろってるだけさ」
 
 と、一刀両断。「それとも、まだ現実に目覚めてないか。いずれにしろ、やがては不幸になるんだよ。いいかい? あんたは一生独身でいるの。それが人生、幸福になれる唯一の道だよ」
 
 邦也としては、これ以上こだわるのはまずいと思った。何があったのか知らないが、もし母が、「邦也は結婚している」という事実を知ったら、どうなるか。
 
 想像するだけでも、恐ろしかった。
 
「邦也」
 
 と、伸子が鋭い目で見る。「お前——まさか結婚したい、なんて女の子がいるんじゃないでしょうね」
 
 その視線の厳しさに、邦也が、
 
「そんな——そんなわけないだろ」
 
 と、つい言ってしまったとしても、責めるわけにはいかなかっただろう——。
 
「それならいいんだよ」
 
 と、伸子はホッとした様子で、「お前はまだ子供だものね。結婚だの何だの、考えるわけがないね」
 
 邦也は母の笑いを受けて、一緒に引きつったような顔で笑ったのだった……。
 
 
 
「——〈ホテルF〉?」
 
 と、山崎聡子は目を丸くして言った。「凄《すご》いじゃないの。高いんでしょ、あそこ」
 
「親父がね、泊ってるんだ」
 
 と、辻山房夫は言った。
 
 辻山から電話がかかって来たのは、そろそろ五時になろうかと、机の上を片付け始めたところ。
 
「大したもんね。——え?——だめよ、そんなの」
 
 と、聡子は言った。
 
「いや、君にいてもらった方が、話も楽だしさ。彼女もそう言ってるんだ」
 
 と、辻山は言った。「親父には、僕らの結婚のとき、ずいぶん世話になった人なんだと言ってある。親父も、それならぜひ、と言ってるんだよ」
 
「でも……。私なんかいたら、邪魔よ」
 
「食事のときだけさ。それに、邪魔なんて、とんでもないよ」
 
 辻山の気持はありがたい。しかし——聡子は、ためらわずにはいられなかった。
 
 一つには、幸せそうな辻山と和代の姿をこの目で見るのが辛《つら》い、ということもあったのである。
 
「ね、いいだろう」
 
 と、辻山が熱心に言った。「彼女も——そう言ってるんだ」
 
「そう……」
 
 聡子は、ふと思い直した。
 
 辻山と和代の「幸せ」? しかし、それはほんの束の間のものでしかない。それを羨《うらや》んだりしては、和代が可《か》哀《わい》そうというものだ。
 
「——分ったわ」
 
 と、聡子は言った。「じゃあ、夕食代を節約しようっと」
 
「そうしてくれ。親父の懐だ。思い切り食べて構わないからね」
 
 聡子は辻山の言い方にちょっと笑って、電話を切った。
 
〈ホテルF〉での夕食。——辻山たちにとっては、「結婚祝」になるかもしれない。それを祝福しに行くのだと思えば……。
 
 そう。少しも悪いことじゃないだろう。聡子は、自分へそう言い聞かせた。
 
 五時のチャイムが鳴る。——何を着て行こうかしら?
 
 聡子の頭は、〈ホテルF〉へ着て行けるようなスーツ、あったかしら、という心配で一杯になってしまったが……。
 
 もちろん他の心配も忘れていたわけじゃない。——この先、和代をどこへ逃がすか。そして、自分のアパートの近くに来ていたヤクザたちのこと。
 
 でも今夜は大丈夫だろう。今夜ぐらいはまだ……。
 
 聡子は手早く帰り仕度をして、ビルを出た。
 
 足早に駅へと急ぐ聡子を、ピタリと尾行している男がいた。
 
 
 
 あの人だわ。
 
 涼子は、ホテルのロビーへ入ってくる辻山勇吉を見付けた。
 
 確かに、ゆうべ間違って涼子の部屋のドアを叩《たた》いた人である。
 
 フロントでキーを受け取ると、辻山勇吉はエレベーターの方へと歩いて行った。涼子は、ソファから立ち上がって、その後を追う。
 
 辻山勇吉がエレベーターに乗って、扉が閉まりかけるところへ、
 
「あ、待って!」
 
 と、声をかけて、飛び込む。「ごめんなさい!」
 
「いやいや」
 
 と、辻山勇吉は笑って、「何階かな?」
 
「あ、一六階です。すみません」
 
 と、涼子は言って、「——あれ、ゆうべの……」
 
「え?」
 
 と、勇吉が涼子を見て、「どこかで会ったかい?」
 
「私の部屋に来たでしょ、おじさん」
 
 涼子は、わざと少しはしゃいだしゃべり方をした。「『伸子さん! 伸子さん!』とか言って」
 
「あ……」
 
 勇吉も、やっと思い出したらしい。真赤になって——禿《は》げた頭の方まで赤くなっている。
 
「ハハ、可《か》愛《わい》い」
 
 と、涼子は笑った。
 
「おい、からかわんでくれよ」
 
 と、勇吉は汗をかいている。「——着いたよ、一六階だ」
 
「ありがと。——ね、おじさん」
 
「うん?」
 
「私、今一人なの。ちょっと部屋に来ない?」
 
「え?」
 
 面食らっている勇吉を、
 
「ほら、ちょっとおしゃべりでもしましょうよ! ね?」
 
 と、半ば強引に引張って行く。
 
「あ、あのね——」
 
「何もしないから! ね、怖がらなくていいから」
 
 どっちのセリフなんだか……。
 
 ともかく、涼子は自分の部屋に辻山勇吉を連れ込んでしまったのである。
 
「——ほう、立派な部屋だな」
 
 勇吉も、中へ入ると、珍しげに見て回る。
 
「おじさんの部屋は?」
 
「こんなに広くないよ」
 
 と、勇吉は言って、「高いんだろうな、さぞかし」
 
「お隣の部屋も同じタイプでしょ。中、見なかったの?」
 
 勇吉はちょっと詰まって、
 
「うん? ああ……。何といっても、女性一人でいるんでね。中へ入るのは失礼——。といっても、ここも一人か」
 
「私は恋人と二人」
 
「そうか。そう聞いて安心した」
 
 と、勇吉はホッと息をつく。
 
「出かけてるの、彼が。退屈だからね、来てもらったのよ。ね、何か飲む?」
 
「いや、もう……。アルコールはこりた」
 
「ウーロン茶とか?」
 
 勇吉はちょっと笑って、
 
「いいね」
 
 と、肯《うなず》いた。
 
 冷蔵庫のウーロン茶を出して、グラスへ入れる。
 
「——はい、どうぞ。ね、伸子さんって誰なの?」
 
 涼子は、大きなソファに横になって、言った。少々大胆なポーズである。
 
「ああ……。昔なじみでな。もちろん、もう四〇……いくつだったかな」
 
「年齢も忘れちゃったの? それじゃ怒られても仕方ないわ」
 
「そうか? いちいち訊《き》くのも変だろ」
 
「そりゃそうよ。——何か失礼なことしたんでしょ、その『伸子さん』に」
 
「いや……。勘弁してくれ」
 
 と、勇吉は頭をかいた。「何しろ、この年齢になって失恋するとは思わなかったよ」
 
「その伸子って人のこと、好きなんだ」
 
「——まあね」
 
 と、勇吉は言って、照れ隠しに、ウーロン茶をガブ飲みした。
 
 
 
 山崎聡子は、アパートの階段を上った。
 
 ——ここへ着くまでの間、スーツはどれにしようかしら、このスーツのとき、靴はあれ、これならバッグはこれ、と頭の中でコーディネートは終わっていた。
 
 もともと、そう沢山持っているわけではないのだし。
 
「——太ったから、入らないのもあるかもね」
 
 と呟《つぶや》いて、一人で笑いながら、玄関の鍵《かぎ》を開ける。
 
 中へ入って、きちんとロックし、チェーンもかけて、さて——。
 
「待ってたぜ」
 
 思わず声を上げるところだった。
 
 目の前、一メートル足らずの所に、銃口があった。その銃身を貫く空洞が不気味に聡子を見つめている。
 
「上がれ」
 
 と、男は言った。
 
 聡子は、まだ恐怖が実感されないままに、上がって、バッグを落した。
 
「——座れ。おとなしくな」
 
 と、男は言った。
 
「お金ならあげるわ」
 
「金が目当てじゃないってことぐらい、分ってるだろ」
 
「何の話?」
 
「とぼけてりゃいい」
 
 と、男の唇が、ちょっと歪《ゆが》んだ。「山崎聡子か。和代とは、高校の同級生だった、ってな」
 
 知っているのだ。——やっと、聡子は青ざめ、膝《ひざ》が震えてくるのを感じた。
 
「いいか、ここに和代がいたことは、もう分ってる。余計な手間は省こう」
 
 と、男は言った。「質問は一つだけだ。和代はどこにいる? 答えるか、死ぬか、どっちかだぞ」
 
 男は、落ちついていて、同時にこの場面を楽しんでいる様子だった。
 
 聡子は必死で自分を励ました。
 
 ここへ訊《き》きに来ているということは、連中が和代の居場所をつかんでいないということだ。
 
 殺さないだろう。それを訊き出さない内は。
 
 むしろ、しゃべったら殺されてしまうに違いない。
 
 聡子は、ゴクリとツバをのみ込んで、
 
「どこへ行ったかは……知りません」
 
 と、やっと言った。
 
 声が震える。それは止めようがなかった。
 
「そうか」
 
 男は、銃口をぐっと近付けて、聡子の額にピタリと当てた。「——じゃ、あばよ」
 
 引金を引く。カチッ、と音がして、聡子は激しく息を吸い込んだ。
 
「次は空じゃないぜ」
 
 と言うなり、男が拳《けん》銃《じゆう》で聡子の頭を殴りつける。
 
 聡子は横倒しに倒れて、気を失っていた……。
 

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