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シングル21
日期:2018-06-28 21:17  点击:271
 21 質 問
 
 カーテンが閉まった。
 
「始まったな」
 
 と、二人の男の内、兄貴分の方が言った。
 
「声が洩《も》れねえですか?」
 
 もう一人が心配そうに言う。心配性で気の小さい男なのである。
 
「大丈夫さ」
 
 と、鼻で笑って、「竜の兄貴が、そんなへまをするわけはねえよ」
 
 この二人、竜の弟分である。もちろん、竜に言いつけられて、「一人で」温泉へわざわざ出かけているのとは別口。
 
 竜からは、
 
「一人でやるから、手を出すな」
 
 と言いつけられているが、この二人、やはり「万が一」を考えて、黙ってくっついて来た。
 
 しかし、まあ心配することもなかったようだ。
 
「——どうする、帰るか?」
 
 と、一人が欠伸《あくび》をした。
 
「そうですね。竜の兄貴に見付かると、ぶん殴られそうだし」
 
 と、やはり心配性なのである。
 
「——失礼」
 
 突然、すぐ後ろで声がして、二人は飛び上がらんばかりにびっくりした。
 
 言い忘れたが、二人は、山崎聡子のアパートを見上げる路上に立っていたのである。
 
 しかし、それにしても二人とも背後に近付いてくる足音や気配にまるで気付かなかったのだ。そこを、もう少し深く考えておけば良かったのだが……。
 
「何だ、てめえは」
 
 つまらないことに仰天した自分にも腹を立てつつ、兄貴分の方が言った。
 
「いや、何を見てるんだろう、と思いましてね」
 
 どこといって、特徴もないパッとしない男である。
 
「つまらねえことに口を出すな」
 
 と、言い返して、「とっとと消えな」
 
 と、顎《あご》でしゃくる。
 
「いい眺めが見られるんなら、教えていただきたいもんですな」
 
 と、その男はおっとりと言った。
 
「何の話だ」
 
「女の着替えでも見えるのかと」
 
 フフ、と笑って、「それとも、山崎聡子の部屋で何かありますか」
 
「てめえ……。何だってんだ」
 
 二人は、その男を左右から挟んだ。
 
「おい。——誰だ、てめえは?」
 
 と、兄貴分の方が言った。「あの女の味方か?」
 
 男は薄笑いを浮かべているだけ。
 
「おい」
 
 と、心配性な方が、その男の胸ぐらをぐいとつかむ。「兄貴が訊いたことに答えな」
 
 男は少しもあわてる様子はなく、
 
「手をはなしな」
 
「何だと?」
 
「耳が遠いのかい」
 
「おい——」
 
 と言いかけて……ツツッ、と後ずさり、しゃがみ込む。
 
「どうした?」
 
「兄貴……。いてえよ……」
 
 か細い声が洩れる。——街灯の弱い光の下でも、腹を押えてうずくまる、心配性の男の足下に、滴り落ちるものが目に入った。
 
「この野郎——」
 
 拳《こぶし》を振り上げかけて、まるでビデオを〈静止〉モードにしたみたいに、ピタリと止まってしまう。
 
 息さえも止める。いつの間にか、喉《のど》に鋭い刃物が押し当てられているのだ。
 
「動くなよ」
 
 と、その男は静かに言った。「少しでも動くと動脈が切れる。威勢良く、花火みたいに血がふき出すぜ」
 
 兄貴分の額に、玉の汗がじわっと浮かんでくる。
 
「よく切れるんだ、このナイフはな」
 
 と、男が楽しげに、「下手に動きゃ、自殺と同じだぜ」
 
「やめて……くれ……」
 
 声が震える。
 
「答えろ。山崎聡子の部屋を見張ってたのか?」
 
「そう……」
 
「今、『竜』と言ってたな」
 
「竜の兄貴が……中に……」
 
 体が震えている。その細かい動きのせいか、喉がかすかに切れてスッと赤い線が浮かんだ。
 
「そうか。——殺しに行ったわけじゃないんだな」
 
「ああ……。でも……和代の行先……分ったら、きっと殺すよ……」
 
「馬鹿野郎め。——殺しは、ちゃんとした理屈があってやるもんだ」
 
 と、男は言った。「だから、お前らも殺さない。しかしな、もし下手に逆らおうとしたら、立派に『殺す理由』になる。分ったか?」
 
「分っ……た」
 
「じゃ、このヒイヒイ泣いてるのを連れて帰りな。二度と来るんじゃねえぞ」
 
「来ない……よ。本当だ」
 
 顔から血の気がひいている。
 
「いいだろう。行きな」
 
 ナイフが静かに離れて行くと、兄貴分の方はヘナヘナと座り込んでしまった。
 
「兄貴……。立てねえよ」
 
 と、涙声が聞こえる。「助けてくれ……。死んじまうよ」
 
「待ってろ! そんなに簡単に死ぬもんか」
 
 よろよろと立ち上がると、「ほれ、つかまれ!——病院へ連れてくからな」
 
 二人が、やっとの思いで山崎聡子のアパートを後にする。
 
 ——〈サメ〉は、ナイフの刃をていねいに拭《ぬぐ》った。
 
「少しやり過ぎたか」
 
 と、独り言。「まあいい」
 
 こっちには関係のないことだ。〈サメ〉は、静かに階段を上って行った。
 
 
 
 もうじき死ぬんだ……。
 
 聡子は、激しくむせ返りながら思った。
 
 いっそ、気絶してしまえば楽なのだろうが、相手は、ちゃんとどこまでやれば気を失うか、これ以上やれば命にかかわる、というところを、心得ているのだ。
 
「——どうだ?」
 
 男は、水から聡子の頭を持ち上げた。
 
 浴室のタイルに膝《ひざ》をついて、聡子は、浴槽に張った水へ、頭をつけられ、肩まで押し込まれていた。水を飲み、苦しさに身《み》悶《もだ》えする。
 
 すると、男は聡子を引張り上げる。
 
 それを、もう何度もくり返している。——手首を固く縛られて、逆らうこともできないし、もうとてもそんな気力がない。
 
 しかし、聡子はまだしゃべっていなかった。
 
 殴られ、けられ、服を引き裂かれた。それでも、じっと堪えた。
 
 少なくとも二つの思いが、聡子を支えていた。もししゃべれば、もう自分は用ずみとなり、殺されるに違いないということ。もう一つは、和代と辻山が自分のせいで死ぬようなことになったら、一生悔むに違いない、という気持。
 
 しかし、その思いが自分を支えてくれるのも、いつまでのことか……。
 
 聡子は自信を失いつつあった。
 
「夜は長いぜ」
 
 と、男は笑って言った。「のんびり付合ってもらおう」
 
 濡《ぬ》れたタイルの上に半裸のなりで転《ころが》されて、聡子は咳《せき》込《こ》んだ。泣いているのか、水で濡れているだけか、自分でも分らない。
 
 髪が口に入って、まとわりついて来る。
 
「——お前も、なかなかいい根性だぜ」
 
 と、男はタバコをくわえて、火を点《つ》けた。「そうして頑張ってくれると嬉《うれ》しいんだ。こっちもやりがいがある」
 
 この男は、楽しんでいる。泣いて訴えたところで、ますます楽しむだけだろう。
 
「しゃべる気になったか?」
 
 と、聡子の方へかがみ込んで、煙をはきかける。
 
 聡子は咳込むばかりで、言葉など出て来ないのである。
 
「——そうして、我慢してるんだな。こっちはいくらでも、しゃべらせる手を持ってる」
 
 火の点いたタバコを、指にはさんで、ゆっくりと聡子の鼻先へ持って行く。——顔に押しつけられる! 聡子は思わず目を閉じた。
 
 と——ジュッ、と音がして、目を開けると目の前の水たまりに、タバコは押し潰《つぶ》されて白い煙を上げて消えていた。
 
「さあ、次はどうするかな」
 
 と、男はポケットに手を入れた。「いいヘロインがあるぜ。やってみるか? やったことがないんだろう」
 
 聡子は、呼吸する度、胸が焼けるように痛んだ。
 
「やめて……。もう……」
 
 と、かすれた声が震える。
 
「言うか。小田切和代はどこにいる」
 
「知り……ません……」
 
 男は立ち上がって、
 
「じゃ、これからはもっと厳しくやるぜ」
 
 と、言って聡子を見下ろした。「こんなに甘いもんじゃない」
 
 男の大きな手が、聡子の髪をわしづかみにする。——悲鳴を上げたつもりだったが、かすかに喉《のど》の奥で笛のようなかすれた音がしただけだった。
 
 すると——男が手を放した。
 
「何だ、貴様は」
 
 と、男が言った。「どこから入って来やがった!」
 
 低い笑い声が、聡子の耳に届く。
 
「——妙なことを」
 
 別の男の声だ。誰だろう?
 
「あんただって、入ったんでしょう」
 
 と、その声は言った。
 
「邪魔しやがると——」
 
「そっちが邪魔してるんですよ、私の仕事をね」
 
「何だと?」
 
「手を引きなさい。そんな女をいじめたってしかたない」
 
「余計な世話だ」
 
 男が相手につめ寄るようにして、「誰に頼まれたか知らねえが——」
 
 沈黙が、唐突にやって来た。
 
 聡子は、やっとの思いで、声のした方へ顔を向け、目をしばたたいた。
 
 あの男は——倒れていた。
 
 何があったのだろう? 新しくやって来た男は、聡子の方へ近付いて来ると、しゃがみ込んで、
 
「ひどい目に遭いましたな」
 
 と、言った。「さ、立って」
 
 いつの間にか、手首を縛っていた縄はとけていた。手品のようだ。
 
 しかし、血が通っていなかった両手は、しばらくしびれて感覚がない。
 
「さ、起きて」
 
 その男は、聡子の体を起してやる。
 
 チクッと、何かを刺したような痛みを、聡子は感じた。
 
 しかし、そんなことより、今は救われた、という気持の方が大きい。
 
「ありがとう……ございました」
 
 と、やっと言うと、
 
「礼は言わないことだ」
 
 と、その男は淡々と言った。「私もね、あんたに同じことを訊《き》きたいのでね」
 
「同じこと?」
 
「小田切和代」
 
 と、男は言って、「しかし、私はね、こんな野蛮な奴とは違う。あなたがごく自然にしゃべってくれるのを待ちます」
 
「知らないものは……ものは……」
 
 頭がクラッとした。
 
 聡子は、畳に手をついて、頭が垂れた。
 
 あの男が、うつぶせになって、そのまま動かない。
 
「もう、あんたをいじめやしない」
 
 と、もう一人が言った。「死んでいるからね、もう」
 
 死んで!——聡子はゾッとした。
 
 頭に徐々にもやがかかってくる。どうしたんだろう?
 
「よく聞いて」
 
 男の声が遠ざかってしまう。「——あんたは、小田切和代を知ってるね」
 
「和代……。友だちです……」
 
 誰か、知らない人間がしゃべっている。誰か聞いたことのある声……。
 
「今、和代はどこにいる?」
 
 和代……。そう、待っててくれる。
 
「和代——」
 
「そう、和代だ。どこにいる?」
 
「辻……山さん」
 
「辻山?」
 
「二人で……待ってるわ……。夕ご飯を食べましょうって……」
 
「なるほど、どこで会うんだ?」
 
「〈ホテル……F〉」
 
「〈ホテルF〉か。——立派な所だ」
 
「そう……。そこで待ってる。私を。夕食にご招待してくれるの——」
 
 何をしゃべってるの? どこで? 誰としゃべっているの?
 
 男は、聡子の頭を軽くなでた。
 
「いい子だ」
 
 そして、男は立ち上がった。   
 

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