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シングル22
日期:2018-06-28 21:18  点击:278
 22 思 惑
 
「こ、これでいいのかね……」
 
 と、辻山勇吉は口ごもりながら言った。
 
「そう! すてきよ」
 
 と、涼子は励ますように言った。「凄《すご》く若く見える。私だって誘惑しちゃいたいくらい」
 
「おい、おどかさんでくれ」
 
 と、勇吉は情ない声を出した。「本当に、伸子さんに笑われんかな」
 
 その辺は、涼子にも自信はない。何せ、真田伸子のことをよく知っているわけじゃないのだし、特に、その「美意識」となると、さっぱりである。
 
 しかし、どんな意味であれ、辻山勇吉の今のスタイルが、パッと目立って人目をひくものであることは確かだった。
 
 ——ここは〈ホテルF〉の地階、ショッピングモール。
 
 一流ブランドの店がズラッと並んでいるのだが、そうそう客はいない。涼子は、勇吉をここへ引張って来て、
 
「この人をダンディに仕上げて下さい」
 
 と、店の女性に頼んだのである。
 
 何しろ向うもヒマだ。他の店の女性も出て来て、
 
「ネクタイはこれ!」
 
「シャツの色は——」
 
「靴はね……」
 
 と、やり出した。
 
 勇吉は照れまくる間もなく、ほとんど「着せかえ人形」扱いで、一時間かかって、今のなりにさせられたのだった。
 
 まあ、涼子の目にも、絹のネッカチーフだの、紫のシャツだのは少しやりすぎかな、と思えたが、
 
「——ね、おじさん。大切なのは自信を持つこと。分る? 自分は魅力的だって信じるの。そうすれば、少しくらい派手な格好してたって、ちっともおかしくないわ」
 
「うん……。そうかね」
 
 辻山勇吉はため息をつくと、涼子を見て、ちょっと笑った。「ま、いい。あんたがこんなに親切にしてくれたんだ。恥をかいても後悔はせんよ」
 
 その言葉の暖かさに、涼子は打たれた。
 
 いい人だわ、この人。——邦也の母と、一緒にさせてあげたい。涼子は心からそう思った。
 
「——あ、もう部屋へ戻らないと」
 
 と、腕時計を見る。「伸子さん、きっとこのホテルのレストランを予約してるわ。電話して時間を確かめるのよ」
 
「そうだな。そうするか。いや、色々とありがとう。支払いをして行くから、あんた、急ぐならいいよ」
 
「ええ。じゃ、またね」
 
 涼子は、地階からロビーへと、大理石の階段を上った。
 
 すると——ちょうどロビーに入ってくる邦也と母の伸子が見えた。邦也は、両手にデパートの紙袋を一杯さげている。
 
 邦也が涼子に気付く。涼子はしっと唇に指を当てて見せ、ちょっとロビーの奥のラウンジを指さして見せた。邦也が小さく肯《うなず》く。
 
 涼子が五分も待つと、邦也がラウンジへ入って来た。
 
「——やあ。部屋は?」
 
 と、邦也が座りながら言った。
 
「もう一晩。あの人が借りてくれたの」
 
「あの人って……」
 
「安東さんよ」
 
 プールへ安東がやって来たことを話すと、
 
「どうするんだ? もし夜も一緒に、って言われたら」
 
 と、邦也が青くなる。
 
「私に任せて。それより、今夜はここのレストランね?」
 
「うん。君たちも?」
 
「そうなると思う。あと……四十分くらいで、安東さんが部屋へ迎えに来るはずよ」
 
「心配だな」
 
「辻山さんたちも来るのよ」
 
「辻山さんたち?」
 
「辻山勇吉さんから聞いたわ。息子さんが奥さんを連れてくるって」
 
「奥さんを?」
 
 と、邦也は目を丸くした。「じゃ、辻山さん——」
 
「何とか見付けたようね」
 
 と、涼子は肯いた。「ともかく、何とかしてあなたのお母さんと辻山勇吉さんを近付けるのよ。きっと、うまく行くわ」
 
「そうかな……」
 
 邦也は、母の「結婚無用論」を思い出して、いささか悲観的にならざるを得なかった。
 
「ともかく、もう部屋へ戻って仕度するわ」
 
 と、涼子は立ち上がった。「じゃ、後で部屋へ電話くれる?」
 
「隣へかい?」
 
「そう。近くて遠い仲ね」
 
 と、涼子は笑って、足早にラウンジを出て行く。
 
 邦也は一人、コーヒーを頼んで、肩をもんだ。荷物持ちも楽じゃないのである……。
 
 
 
 ミキは、その女がラウンジを出て行くのを、ずっと目の端で追っていた。
 
 あれが?——安東が熱を上げている女?
 
「馬鹿らしい!」
 
 と、呟《つぶや》く。
 
 あんなの子供じゃないの。どこがいいの? 胸だってペチャンコで、お尻《しり》だって出ちゃいない。まだ幼稚園の制服か何かが似合いそうだわ。
 
 と、ケチをつけてみたものの……。
 
 確かに、その娘に初々しい魅力と、ミキにない若々しさがあることは否定できない。
 
 ミキは、その娘と少し離れて座っていたので、話の中身までは聞きとれなかったが、どうやら、一人で残っている男の子は、あの娘の彼氏らしい。
 
 安東は、娘に彼氏がいるのを知っているのだろうか?
 
 しかし、ふざけた女だ! 安東に甘えて、何か高い物でもせしめようってつもりだろうか……。
 
「そうはいかないわよ」
 
 と、ミキは、そっとバッグを開け、中を覗《のぞ》いた。
 
 しっかりとふたをした硫酸のびん。——これを、たっぷりあの娘の顔へかけてやるんだ。きっとお肌にいいからね。
 
 ミキは一人で小さく笑った。
 
 
 
「——俺だ」
 
 と、安東は言った。「どうした?」
 
〈ホテルF〉の中の、会員制クラブ。
 
 夕食に、涼子を迎えに行くまで、安東はそこで一服していたのである。
 
 傍に置いた電話が鳴り出したのは、そろそろ涼子を迎えに行こうかと思ったところだった。
 
「あ、親分」
 
 と、子分の声が、少し上ずっている。
 
「どうした」
 
「あの……けが人が二人出たんです」
 
 安東は、ちょっと眉《まゆ》をひそめた。
 
「どういうことだ?——誰と誰だ?」
 
 名前を聞いて、いやな予感がした。二人とも竜の可《か》愛《わい》がっている弟分だ。
 
「——やったのは誰だ」
 
「それが分らねえんです。相手は一人だったってんですが」
 
「一人か。——おい、竜は見かけねえか」
 
「竜の兄貴は温泉に——」
 
「知ってる。確かに行ってるかどうか、確かめろ」
 
「へい」
 
「分ったら連絡しろ。いいか」
 
「分りました」
 
 ——気に入らねえ、と安東は思った。
 
 何かある。何か、勝手にことが運んでいる。
 
 安東は気に入らなかった。
 
 また電話が鳴り出した。
 
「——俺だ。——どこだって?」
 
「すんません。竜の兄貴がどうしても親分へかけろってもんですから——」
 
「竜はそこにいるのか」
 
「へえ、今ここに」
 
「かわれ」
 
「それが——電話させといて、そのまんま酔い潰《つぶ》れて眠っちまったんですよ。全く……。兄貴! 起きて下せえよ!——どうしてもだめです」
 
「そうか」
 
 と、安東は肯《うなず》いた。「分った。無理に起すことはない」
 
「じゃ、明日でも、目を覚ましたら、またお電話しますんで」
 
「ああ。のんびりしろと言ってやれ」
 
「へえ」
 
 ——安東は電話を切った。
 
 竜の奴……。ゆっくりと首を振る。
 
 もちろん、今のは芝居だ。ということは、竜はこっちに残っている。つまり、何か「やること」があったのだ。
 
 ——和代を見付けたか。
 
 騙《だま》されたふりをしておく。そうしなくては竜が動くまい。
 
 しかし、安東はもう竜が「動けなく」なっていることを、知らなかった……。
 
 
 
「——タクシーが来た」
 
 と、辻山房夫は言った。
 
「ちょっと待って」
 
 和代は、鏡の前にもう一度立った。「ねえ、おかしくない?」
 
「すてきだよ」
 
 と、辻山は心から言った。
 
「ちょっと。——口紅つけたばっかりよ」
 
 和代は、短く辻山にキスした。「さあ、遅れるといけないわ。出かけましょう」
 
「うん」
 
 ——〈ホテルF〉で夕食である。
 
 一応、辻山も一番上等の(大して持っていないが)スーツ。和代は、急いでスーツを買って来たのである。
 
 二人は、アパートを出た。
 
「あら、辻山さん」
 
 と、すれ違いかけて足を止めたのは、隣の主婦。
 
「やあ、今晩は」
 
「お出かけ?」
 
 と、辻山へ訊《き》きながら、その主婦の目は和代を見ている。
 
「ええ。ちょっと食事にね」
 
 と、辻山は言って、「ああ、ご紹介しますよ。家内の洋子です」
 
「初めまして」
 
 と、和代が頭を下げる。
 
「さ、タクシーが待ってる」
 
「ええ。じゃ、失礼します」
 
「はあ……」
 
 自分がいつも「洋子」の役をやっていた隣の主婦は、呆《あつ》気《け》にとられて、二人がタクシーに乗り込むのを見ていたのだった……。
 
 ——タクシーの中で、辻山から事情を聞くと、
 
「それで、あんなに面食らってたのね」
 
 と、和代が笑いながら、「幻の妻が現われたわけですものね」
 
「ふき出すのをこらえるのが大変だったよ」
 
 と、辻山も笑いながら言った。
 
「でも——あなたの妻ですって、挨《あい》拶《さつ》できるの、幸せだわ」
 
 と、和代は言った。「ほんの何日かの間でもね」
 
 辻山は、少し間を置いて、小声で言った。
 
「和代……」
 
「え?」
 
「二人で——どこかへ行かないか。二人だけで暮すんだ。何とかやっていけるさ」
 
「あなた……」
 
「辛《つら》いこともあるだろうが、君と離れている辛さに比べりゃ」
 
「ありがとう」
 
 和代は、辻山の手に、自分の手を重ねた。「でも、いけないわ」
 
「どうして?」
 
「あなたは一人ぼっちじゃない。あんなすてきなお父様もいらっしゃるのよ」
 
「親父は親父さ。僕はもう大人だ」
 
「嬉《うれ》しいわ。あなたの気持……。でも——」
 
 と、言いかけて、息をつくと、「湿っぽくなるのはよしましょう。これからごちそうを食べるっていうのに」
 
「そうだな」
 
 と、辻山は肯くと、深呼吸して、「食うぞ!」
 
 和代がそれを聞いてふき出した。
 
 
 
「——山崎さん。——山崎さん」
 
 トントン、とドアを叩《たた》く音。
 
 誰かしら? 山崎って……どこかで聞いた名前ね。
 
 聡子は、部屋の中に倒れて、半ば眠り込んでいた。頭がボーッとして、かすみがかかっているよう。
 
「山崎さん。——いるんですか」
 
 山崎。——山崎聡子って、私の名前じゃなかったっけ?
 
「室井です。警察の室井です。——山崎さん?」
 
 少し静かになったと思うと、ガン、と何か叩きつける音がして、室井刑事がドアをこじ開け、入って来た。
 
「何てことだ! 山崎さん!」
 
 室井刑事が聡子へ駆け寄る。
 
 同時に、室井の目は、倒れたきり動かない男の方へも、向けられていた。
 
 ——竜だ。死んでいる。
 
 室井は、部屋の電話線が切られているのを見て、急いで隣の部屋へと駆け出して行った。
 

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