飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)で日本を統治した第40代?天武天皇(てんむてんのう)の御世に至って、彼は皇太子として皇位に立つべく徳を持っていましたが、好機を窺って吉野山に身を隠していました。
やがて機は熟し、援軍を得て進軍。わずか十二日にもならぬ短期間で敵を征して都に凱旋したのです。
即位した天武天皇は中国の皇帝をしのぐ善政を行い、同時に昔のことを明らかにする研究にも心を砕いていました。
天武天皇はおっしゃいました。
「諸氏族に伝わる『帝紀』と『旧辞』は、虚偽の記述を加筆したものが多い。今のうちに改め、偽りを削除し、正しい物を後世に残したい」
ちょうどいいことに、稗田阿礼(ひえだのあれ)という二十八歳の青年が仕えていました。彼は大変賢く、一度見た言葉を暗記してそらんじることができたので、天皇は彼に「帝紀」と「旧辞」の暗記を命じました。
ところが天皇が崩御し、この事業はうやむやになってしまったのです。