神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)こと神武天皇は、兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)とともに高千穂の宮(宮崎県高千穂町)において、相談事をしました。
「どこの地域に住めば、平和に天下を治められると思う? やっぱり東の地方へ移ろうと思っているのですが」
そうおっしゃると、神武天皇と彦五瀬命はすぐさま日向(宮崎県)を出立して筑紫(福岡県)へ向かいました。
豊国の宇沙(大分県宇佐市)に着いた際には、地元民が神武天皇のために御殿を建ててご馳走を献上してくれました。
その後筑紫へ移り、その地で一年ほど過ごします。そして安芸(広島県)まで進み、その地で七年暮らしました。さらに吉備(岡山県)で八年滞在しました。