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殺意はさりげなく14
日期:2018-09-10 11:08  点击:328
 13 眠れぬ夜
 
 
 法子は、寝つけなかった。
 いや、眠らなかったわけではない。少し遅目ではあったけれど、眠りに入り、一時間ほどして、目を覚ました。それからまた三十分ほどウトウトして、ふっと目を開いてしまう。
 こんなことは、珍しかった。法子に限らない。十六歳の少女は、一度寝入ったら、そう簡単に目を覚ますものではないのである。
「だめだ……」
 と、呟いて、法子は起き上った。
 眠れないことで苛《いら》々《いら》していると、ますます眠れなくなる。そういう悪循環に陥ってしまうと、もう焦るだけ逆効果だ。
 こんな時は、却って、少し起きてしまった方がいい、というのが、法子の考えだった。
 ——何となく、落ちつかないのだ。
 なぜなのか、よく分らなかった。
 もちろん、今日は大変だったのだ。小百合のおじいさんは入院するし、小百合と、あのボーイフレンドを家に招《よ》んで……。
 法子は、自分が、小百合のことで心配して眠れないのだ、と自分に信じさせようとした。しかし、それはむだな努力だった。
 ごまかしてもだめだ。——確かに、小百合のおじいさんのことも、原因の一《ヽ》つ《ヽ》ではある。他《ほか》にも、マチ子さんの様子が、何だか朝からおかしかったり、絹《きぬ》代《よ》さんが明日は休む、と突然言って帰ったり、ということもあった。今日は——いや、もう正確には、「昨日」なのだろうが——妙な日だった。
「関谷征人、か……」
 と、法子は呟いた。
 関谷征人。——実際のところ、法子の眠りを妨げている一番大きな理由が、関谷征人のことだというのを、法子は自覚していた。
 でも——いけない! あの人は、小百合の恋人なんだ。
 小百合が、どんなに関谷征人に夢中になっているか。法子は、タクシーを降りて駆けて行った小百合の姿を見て、充分に分っている。
 正直なところ、法子はびっくりしたのだ。小百合が、あんなにも熱中するタイプだとは、思ってもいなかったのだから。
 そう。——邪魔しちゃいけない。小百合の恋なのだ。
 自分は、小百合の親《ヽ》友《ヽ》なのだから。
 でも——と、法子の中では、低い声が囁《ささや》いていた。小百合は好きでも、征人の方は、果してそんなに小百合のことが好きかしら?
 もしかしたら、小百合より、私の方を、好きなのかもしれない、と……。
 少し、寝汗をかいていた。——夜、寝る時には暖房をゆるくするのだが、今夜の法子はそれも忘れてしまっていた。
 シャワーを浴びようか、と思った。
 すっかり目が覚めてしまうかもしれないけど、肌がべとつく感覚が、法子は大嫌いなのだ。
 バスルームは、この二階にある。祖父の寝室には専用のバスルームが付いていて、法子もたまに入ることがあった。いつも法子が使っている方よりも広いので、何となくゆったりできるからだ。
 法子は、ちょっと迷った。——夜中だし、祖父はどうせ寝ている。バスルームを使っても、別に怒ったりしないことは、法子もよく分っていた。
 ——法子は、着替えとタオルを持って、寝室を出た。
 廊下は、もちろん静かなものだ。
 祖父の寝室の前まで来て、法子はちょっと戸惑った。ドアが細く開いていたからだ。中も明りが点《つ》いている。
「——おじいさん」
 と、法子は言って、ドアを開けた。
 祖父のベッドは空っぽだった。——寝ていた跡はあるのだが、姿が見えない。
 どこに行ったんだろう?——下で、仕事かな?
 海外との連絡などは、深夜になることもよくある。たぶん、今夜もそうなのだろう。
 バスルームのドアを開け、明りを点ける。
 シャワーだけ。手っ取り早くね。
 法子は、タオルと着替えを置いて、パジャマを手早く脱ぎ捨てた。
 
「——旦《だん》那《な》様」
 と、マチ子が言った。
「部屋へ戻る」
 松《まつ》永《なが》は、ガウンをはおって、立ち上った。
 マチ子は、毛布を引き寄せて、裸身を覆った。——松永は、
「狭いベッド、ってのも、なかなかいいもんだ」
 と、笑って言った。「どうだ? ゆうべより、良かったか」
 マチ子は、何も言わなかった。松永は続けて、
「明日は日曜日だ。少しのんびり寝てろ」
 と、言った。「俺もゆっくり寝る」
 松永が、部屋を出て行こうとすると、
「旦那様」
 と、マチ子が言った。
「——何だ?」
「神《かみ》山《やま》さん、何かあったんですか」
「知らん。どうしてだ?」
「何か——様子がおかしかったんで」
「気分が悪かったんだろう。もう若くない」
 と、松永は肩をすくめた。「お前が気にすることはない」
「でも……明日、お休みとか」
「ああ、そう言ってたな。今までだって、休みは取っていたさ」
「ええ……」
 と、マチ子はためらっている。
「何が気になるんだ?」
 マチ子は、ちょっと頭を振って、
「何でもありません」
 と、言った。「おやすみなさい」
「ああ」
 松永は、マチ子の部屋を出た。
 ——神山絹代は、ここを辞めるかもしれないな、と松永は思った。まあ、無理もない。
 自分でも、どうしてあんなことをしたのか、よく分らない。
 ともかく、絹代がマチ子のことでうるさいことを言ったので、松永は放《ほう》っておけなかったのだ。それに——もう年齢《とし》はいっているが、夫も子もある女を抱くのも、面白いものだった。
 マチ子の場合は、まだ怯《おび》えているばかりで、松永が楽しむところまで行っていない。
 神山絹代が辞めたら、後をどうするか。——その点では、松永も頭が痛かった。
 あれだけの女はなかなかいない。代りを見付けるといっても、容易ではなかった。
 しかし、やってしまったことは、もう取り消せないのだ。
 松永は、ゆっくりと階段を上った。
 美人でもなく、体つきも決して魅力があるとは言えないが、マチ子を抱くのは、松永の中に活力のようなものを、呼びさました。「若さ」の力は大きい。
 松永は欠伸《あくび》をした。——たっぷり眠れそうだ。
 少し汗ばんでいた。シャワーでも浴びてから寝るか。
 寝室に入った松永は、また欠伸しながら、真直《まつす》ぐバスルームのドアへと歩いて行き、ドアを開けた。
 ノブに手をかけた時、中の明りが点いていることに気付いていたが、手は止まらなかった。
 シャワーを浴びて、バスタオルで体を拭いている法子が、びっくりして顔を向けた。
 ——ほんの一、二秒だったろう。松永は、法子の体を見つめていた。
「いやだ! おじいさん!」
 と、法子が、叫ぶように言った。「ドア閉めて!」
「や、すまん。——いや、ごめん」
 松永は、あわてて、ドアを閉めた。
 そして……。松永は自分のベッドの方へと歩いて行き、腰をかけた。
 心臓が高鳴っていた。あの時のように、見知らぬ少女を、植込みのかげで待ち受けた時の、あの緊張感である。
 これは何だ?——俺は何を考えているんだ?
 松永は、半ば呆《ぼう》然《ぜん》として、法子がバスルームから出て来るのを、待っていた……。
 
 こりゃ、大事件だな。
 歩きながら、君原はほとんど無意識に、パトカーの数を、サイレンから勘定していた。
 歩いて来る途中も、二、三台のパトカーが、君原を追い越して行った。
 これだけの人数を動員するというのは、非常線を張るということだろう。凶悪な事件なのだ。——一体何が起ったのか?
 君原は、そのまま通りを歩いて行ったが……。
「待て」
 と、声がした。
 君原は、急に、強い光を浴びせられて、目がくらんだ。
「——おい、何だ。まぶしいよ」
 と、君原は言った。
「こんな所で、何してるんだ?」
 やって来たのは、巡査である。ずいぶん若い。
「何かあったのか」
 と、君原は訊いた。
「こっちが質問してるんだ!」
 と、巡査は苛立っている様子で、怒鳴った。
「歩いてるだけだよ」
 と、君原は言ってやった。「何があったんだね?」
「事件だよ」
「分ってる。どんな事件か、訊いてるんだ」
「お前に関係ない。それとも、あの女の子を殺したのか」
「女の子だって!」
 君原は一瞬、目を見開いた。「殺されたのか。いくつの子だ?」
「どうしてそんなことを訊くんだ?」
 巡査が、けげんな表情で、君原を見る。
「おい、どうした」
 と、他の巡査たちも何人か集まって来る。
「俺は君原耕治。君たちと同じ商売だった人間だ」
「警官?」
「もと、ね。——水口って刑事を知ってるかい?」
「水口さんなら、ここの指揮を取ってるよ」
 あの刑事が? それじゃとても捕まるまい、と言いたいのを、君原は何とか抑えた。
「会わせてくれないか」
 と、君原は言った。
「誰だ、あんたは?」
「君原。——元の刑事の勘で、事件のことを水口さんに話したんだ。憶《おぼ》えてるよ、向うも」
 君原の淀《よど》みない口調に、巡査たちは少し迷って、それから一人が駆けて行った。
「——殺された女の子は?」
「高校生らしい」
 と、巡査が、やっと返事をした。
「高校生か……」
 同一犯人かどうか、君原も、少し首をかしげた。
「何か用か」
 水口が、昼間と全く同じ、横柄な口調で言った。
「憶えてるかね。昼間、話をしに行った君原だ」
「昼間?」
 水口は、頭を振って、「何の用で……。ああ!」
 思い出して、水口は肯《うなず》いた。
「憶えてますよ。四年に一度がどうとか言ってた人だね」
「そうだ。サイレンが聞こえたんで、来てみた。——殺されたのは、高校生ぐらい?」
「たぶんね。ひどいもんですよ」
 と、水口は首を振った。
「まだ青い顔をしてる」
 と、君原は、苦笑した。「ひどいのかね。死体は」
「ひどいなんてもんじゃないよ」
 と、水口はうんざりしている様子。
「同じ犯人かどうか、まだはっきりはしないね」
 と、君原は自分で肯いている。
「こんな所で、何してるんだ?」
 と、水口は訊いた。
「何か協力できることはないかと思ったのさ」
 ——水口は、君原を眺めていた。
 元刑事というのは、でたらめでもないらしい。——しかし、今はただの老人でしかない。
 それなのに……。
 事件は起《ヽ》っ《ヽ》た《ヽ》。現実に。
 水口は、ふと思った。この男がわざわざ愚にもつかぬ推《ヽ》理《ヽ》を聞かせに来た、そ《ヽ》の《ヽ》夜《ヽ》に少女が殺されたのだ。そして、現場の近くに、この男はいた。
 果して、それは偶然だろうか?
 もし、偶然でな《ヽ》い《ヽ》とすると?
 水口は、君原の肩に、軽く手をかけた。
「君原さん」
「何だね」
「ちょっとお話が。——もっと詳しくうかがいたいんですがね」
「いいとも。——現場を見せてもらってもいいかね」
「どうぞ」
 水口は、先に立って、君原を案内して行く。
 君原は、水口が、奇妙な微笑を浮かべていることに、全く気付かなかった。

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