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失われた少女07
日期:2018-09-10 11:21  点击:315
 7 過《か》 去《こ》
 
 
 「誰《だれ》が来たって?」
 警《けい》視《し》庁《ちよう》捜《そう》査《さ》一課の警部、小池は、面《めん》倒《どう》くさそうに顔を上げた。
 「村上という名で——何だか、小《こ》柄《がら》で、チンチクリンな感じの男です」
 若《わか》い刑《けい》事《じ》が、至《いた》って正直な印象を述《の》べた。
 「村上?」
 小池はちょっと考えて、「まさか……」
 と呟《つぶや》いた。
 「しかし、小柄でチンチクリンか。少し禿《は》げているか?」
 「いえ、大分禿げてます」
 と、訂《てい》正《せい》して、「忙《いそが》しいから、と断《ことわ》りましょうか?」
 「いや、待て。行ってみる。——廊《ろう》下《か》にいるんだな?」
 「部屋に通すほどのこともない、と思ったので」
 「そうかもしれんな」
 小池はニヤリと笑《わら》った。「おい、一時間ほど戻《もど》らんかもしれんぞ」
 「はあ?」
 キョトンとしている部下を後に、小池は廊下に出て周囲を見回した。
 「やあ、小池さん」
 ドアのすぐわきに、村上が立っていた。
 「やっぱりあんたですか!」
 小池は、村上の手を握《にぎ》りしめた。
 人一倍大《おお》柄《がら》な小池と、小柄な村上では、まるで大人《おとな》と子《こ》供《ども》のようだった。
 「久しぶりですな」
 と、小池は、ポンと村上の肩《かた》を叩《たた》いた。
 村上が、危《あや》うくよろけそうになる。
 「——忙《いそが》しいところを申《もう》し訳《わけ》ない」
 「いや、村上さんのためなら、凶《きよう》悪《あく》犯《はん》だって待たせときますよ」
 と、小池は豪《ごう》快《かい》に笑《わら》った。「ちょっと、どこか静かな所へ行きましょう」
 「いいですな。——実をいうと昼飯を食べ損《そこ》なって」
 「何だ、そいつはいかん。近くに旨《うま》いうなぎ屋がある。行きましょう」
 村上は、ちょっと考えて、
 「ランチはありますか?」
 と訊《き》いた。
 ——そのうなぎの店で、うな重《じゆう》を一つ平らげると、村上は、やっと、一息ついた。
 「電話一本もらえば、迎《むか》えに行ったんですよ」
 と、小池はお茶をすすりながら言った。
 「いや、それは悪いですからね」
 と、村上は言って、「——お茶を下さい」
 店の女の子に声をかけた。
 「もう五、六年前になりますね」
 と、小池は言った。
 ある殺人事《じ》件《けん》に関連して、村上の力を借りたことがあったのだ。このパッとしない、小《こ》柄《がら》な体《たい》躯《く》に、恐《おそ》ろしい力が秘《ひ》められていることを、小池はそのとき、学んでいたのである。
 「七年前ですよ」
 と、村上は言った。
 「もう、そんなになるかなあ。——お互《たが》い、年齢《とし》を取るはずだ」
 と、小池は笑《わら》った。
 「頭が薄《うす》くなって、風邪《かぜ》をひきやすくなりました」
 と、村上は真《ま》面《じ》目《め》くさった顔で言った。
 「ところで、どうして東京へ?——仕事ですか」
 と、小池が訊《き》いた。
 「ええ。まあね。ちょっと教えていただきたいことがあって」
 「私《わたし》が村上さんに? そいつは光栄だな。何の件《けん》です?」
 「実は、四年前のことですが、伊《い》波《ば》伸《しん》二《じ》という作家の妻《つま》が殺されたでしょう」
 「あの件ですか」
 と、小池は、ちょっと目を見開いた。「よく憶《おぼ》えてますよ。——残念ながら、迷《めい》宮《きゆう》入《い》りになったが」
 「その件を、小池さんが担《たん》当《とう》されたとか——」
 「ええ、そうでした」
 「はっきり言って、伊波がクロという確《かく》率《りつ》はどのくらいありました?」
 「そうですねえ」
 と、小池は考え込《こ》んだ。「何と言っていいのか……」
 「もちろん、これは公式にうかがっているわけじゃありませんよ」
 「それは分っています。私が難《むずか》しいと言うのは——当時、伊波が不《ふ》起《き》訴《そ》処《しよ》分《ぶん》になった段《だん》階《かい》では、九十九パーセント、いや百パーセント、伊波が犯《はん》人《にん》に違《ちが》いない、と信じていましたよ」
 「それは当然でしょうな」
 「しかし、今となっては……」
 「今は?」
 ——小池は、しばらく黙《だま》っていたが、やがて、腕《うで》時《ど》計《けい》を見ると、
 「今夜は私の家へ泊《とま》って下さい」
 と言い出した。
 「いや、どこか安いホテルを取りますよ」
 「ゆっくり話をするには、私の家が一番ですから」
 と、小池は言い張《は》って、村上に承《しよう》知《ち》させてしまった。
 「——申《もう》し訳《わけ》ありませんね」
 「いや、とんでもない。明日は戻《もど》られるんでしょう? 列車の手配は任《まか》せて下さい」
 「そんなことは——」
 「駅まで送りますよ。——ともかく、大事なお客様だ」
 小池はそう言って、ニヤリと笑《わら》った。
 「分りました。お言葉に甘《あま》えましょう」
 と、村上は肯《うなず》いた。
 二人は外へ出た。
 「——今日は早く帰れると思います。どこか他へ回られる所があれば」
 「ええ。二、三、人に会う用事もありましてね」
 と、村上は言った。「警《けい》視《し》庁《ちよう》へまた顔を出しますよ」
 「六時ごろに来て下されば、もう手が空いていると思います」
 「そうしましょう」
 と、村上は肯いた。「ところで、お宅《たく》は——確《たし》か、前にお会いしたとき、奥《おく》様《さま》を亡《な》くされたばかりでしたね」
 「ええ」
 と、小池は肯いた。「最近、再《さい》婚《こん》しましてね」
 「ほう。それはおめでとうございました」
 「いやいや」
 小池は、柄《がら》にもなく、ちょっと照れている様子だった。
 「——では、私はここから地下鉄に乗りますから」
 村上はそう言ってから、「女《によう》房《ぼう》に言われて来たんですが、六《ろつ》本《ぽん》木《ぎ》の何とかいうケーキ屋のクッキーを買って来い、と。どの辺ですかね?」
 と訊《き》いた。
 
 「——さあ、どうぞお上り下さい」
 と言われて、村上はちょっとためらってしまった。
 「さあさあ、上って上って」
 と、小池にせかされるようにして、上り込《こ》む。
 「女房の律《りつ》子《こ》です」
 と、小池が紹《しよう》介《かい》したのは、まだ二十代——せいぜい三十になるかならずの、若《わか》々《わか》しい美人だった。
 「どうも。村上です」
 と、頭を下げる。「律子さん、とおっしゃるんですか?」
 「はい」
 その若《わか》妻《づま》と小池が、ちょっと目を交わした。
 「さすがは村上さんだ」
 と小池は言った。「お気付きですな。律子の旧《きゆう》姓《せい》は和田というのです」
 「すると——」
 「そうですよ」
 と小池が肯《うなず》く。「律子は、伊波伸二の、問題の愛人だったのです」
 ——村上は、律子の手料理に、舌《した》つづみを打った。
 「いや、大したもんだ! 小池さん、いい奥《おく》さんをもらわれましたな」
 「そう言って下さると嬉《うれ》しいですな」
 「こんなに料理の上手《うま》い女《じよ》性《せい》なら、伊波の愛人でなく、祖《そ》母《ぼ》だって結《けつ》婚《こん》したいくらいですよ!」
 村上の言葉に、小池も律子も大《おお》笑《わら》いした。村上は、巧《たく》みに、固くるしくならずに話を始めるきっかけを作ったのだった。
 「——じゃ、あの人は、今、そんな所に引っ込んでいるんですの?」
 と、律子は話を聞いて目をパチクリさせている。
 「意外ですか」
 「いえ。——でも、都会の暮《くら》しに慣《な》れた人ですもの。そんな所じゃ、不便でしょうに……」
 「すると村上さん」
 と、小池が言った。「その謎《なぞ》の血《けつ》痕《こん》の一《いつ》件《けん》が、伊波と関係あり、とみておられるんですね?」
 「いや、そうじゃないのです」
 村上はあわてて手を振《ふ》った。「おそらく、関係ないでしょう。しかし、調べている内に、妙《みよう》なことが分って来ましてね」
 「といいますと?」
 「今、お話しした通り、伊波の様子を、監《かん》視《し》させていたんです。といっても、地元の警《けい》察《さつ》では、張《は》り込《こ》みをするような人手はありませんから、どうしてもちょくちょく見回る、というくらいなんですが」
 「何かやったんですか」
 「女がいるんですよ」
 「まあ」
 と、律子は言った。「それなら別に不思議でも何でも——」
 「それはそうです。しかし、その女が、まるで外へ出て来ない、というのは、妙じゃありませんか」
 「顔を出さないんですか」
 「全く、です。ためしに、伊波が出かけたときを狙《ねら》って電話してみたのですが、電話にも出ない」
 「どんな女ですの?」
 と、律子は訊《き》いた。
 「分りません。見たことがないのです」
 「じゃ、どうして女がいる、とお分りになりましたの?」
 「伊波が町へ買物に出たのです」
 と、村上は言った。「ちょうど、酒井という若《わか》い巡《じゆん》査《さ》がいまして、非番だったのですが、伊波のことを見《み》張《は》っていたわけです」
 「で、尾《び》行《こう》した、と——」
 「伊波はいつも一番近い町のスーパーで買物をします。まあ、当然のことでしょうけどね……。あ、奥さん、申《もう》し訳《わけ》ありませんがお茶を——」
 「はい。失礼しました」
 「いや、お茶までおいしいような気がしますよ」
 と、村上はため息をついて、「うちの古《ふる》女《によう》房《ぼう》などは、淹《い》れるお茶まで出がらしで……。いや、失礼」
 律子がクスクス笑《わら》っている。
 「ところが、その日は、伊波が、わざわざ三十キロもある隣《となり》の町へ出かけて行ったのです」
 と、村上は続けた。「そこで、酒井は、伊波が何の買物をするか、見ていたのです」
 「何でしたの?」
 「何だか、やけに汗《あせ》をかきながら、女の店員にメモを渡《わた》して、これだけの物をくれ、と言ったそうです。——女店員が両手にワンサとかかえて来たのは——女物の衣類だったんです」
 「衣類、といいますと……」
 「下着からブラウス、それにパジャマまで、全部です。加えて、ローションだのシャンプー、生理用品まで買って行ったのですよ」
 「じゃ、本当に女《じよ》性《せい》がいるんですね」
 と、律子は肯《うなず》いた。「もうこりたと思ってたのに!」
 「しかし、なぜ女が自分でそれを買いに出なかったのかな?」
 と、小池は言った。「隣の町なら、別に構《かま》わんと思いますがね」
 「そこなんですよ」
 と、村上は言った。「伊波としては、恋《こい》人《びと》がいることを隠《かく》しておく必要はないと思うのです。伊波に今、恋人ができても、誰《だれ》も文《もん》句《く》はいいません。それなのに——」
 「なぜ女は出て来ないのか」
 「その通りです」
 小池は、ちょっと顎《あご》を撫《な》でて、
 「で、四年前の事《じ》件《けん》と、何か関連があるかもしれん、と思われたんですね?」
 「そうなんです」
 「分ったわ」
 と、律子が言った。「村上さんは、その女が四年前の恋人——つまり、私《わたし》かもしれない、と思われたんですね」
 「いや、これは鋭《するど》い!」
 村上は、ポンと禿《は》げた頭を叩《たた》いた。
 「なるほど。それなら、顔を隠《かく》すのも、分らないでもない……」
 「ああまですることはないでしょうがね。——しかし、ともかくそのカンは見事、大《おお》外《はず》れ!——ですな」
 と、村上は笑《わら》った。
 「でも、妙《みよう》な話ですのね」
 律子は、食事の後《あと》片《かた》付《づ》けをしながら言った。
 「——もし、あの女が、昔《むかし》の恋人でなかったら、ぜひ、昔の恋人に、会って話して行こうと思っていたんです」
 と、村上は言った。
 「私に何か?」
 「つまり——いや、今、こうやってお会いすると、質《しつ》問《もん》しても仕方ない、と思うんですがね」
 「どうぞ、何なりと」
 律子は、村上の前に座《すわ》った。
 「いや、つまり——あのとき、伊波のアリバイを証《しよう》言《げん》したのは、あなた一人でしたね」
 「そうです」
 「あれは、総《すべ》て事実だったんですか」
 律子は、静かに肯《うなず》いた。
 「はい。あの人は奥《おく》さんを裏《うら》切《ぎ》ってはいたかもしれませんが、殺してはいません」
 「すると、完全なアリバイがあったわけですね?」
 「完《かん》璧《ぺき》です」
 「途《と》中《ちゆう》抜《ぬ》け出して、とか——」
 「トイレに立った五分間ぐらいですわ。でも、その間に奥さんを殺すには、超《ちよう》音《おん》速《そく》ジェットにでも乗っていかなくては、とても不《ふ》可《か》能《のう》です」
 「なるほど」
 村上は肯いた。「いや、よく分りました。——してみると、結《けつ》論《ろん》は一つだ」
 「といいますと?」
 「いや、伊波の所に女がいる、それは確《たし》かです。しかし、伊波には、女を隠《かく》す必要はない……」
 「つまり……」
 「女の方に隠れる必要がある、ということです」
 と、村上は言った。

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