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失われた少女18
日期:2018-09-10 11:27  点击:287
 18 山《やま》狩《が》り
 
 
 胸《むね》が痛《いた》んだ。
 村上は、ちょっと顔をしかめて、息をつめた。——大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。少しじっとしていればおさまる。
 空気は、肌《はだ》を切るように冷たかったが、天気がいいので、救われていた。
 「村上さん」
 県《けん》警《けい》の刑《けい》事《じ》が、雪を踏《ふ》んで、村上のいる方へやって来た。
 「どうだ?」
 「足《あし》跡《あと》は消えています。あのあと、大《だい》分《ぶ》降《ふ》りましたからね」
 「そうか」
 と、村上は肯《うなず》く。「そうなると、後は、人《じん》海《かい》戦《せん》術《じゆつ》で行くしかないな」
 「そうですね。すぐ始めますか」
 「やってくれ」
 と村上は言った。「もう、二人殺している。早く見付けないと危《き》険《けん》だ」
 「分りました」
 と刑事が肯いて、「村上さん、少し、本部へ戻《もど》って休まれたらどうです?」
 「大丈夫だよ、俺《おれ》は。ここに立っているだけなんだから」
 「胸《むね》が痛《いた》そうですよ。肋《ろつ》骨《こつ》、ひびでも入っているのかもしれない。レントゲンをとって、ちゃんと——」
 「分ってる」
 と、村上は遮《さえぎ》った。「これが片《かた》付《づ》いたら、人間ドックでも入るさ。さあ、行ってくれ」
 「分りました」
 刑事が歩いて行く。
 本当だ、と村上は思った。どうして意地を張《は》るのだろう?
 ただ指《し》示《じ》するだけなら、ここにいても、本部にいても同じだ。しかし、村上は、ここから動く気になれなかったのである。
 ——林一《いつ》杯《ぱい》に散開した警《けい》官《かん》たちが、かけ声と共に、一《いつ》斉《せい》に木々の間を進んで行くのが見えた。
 白く、まぶしい雪に、黒い警官たちの姿《すがた》が、何かの小動物のようだ。
 「村上さん」
 警官が呼《よ》びに来た。「無《む》線《せん》が入っていますが」
 「ありがとう」
 村上はパトカーの方へと歩いて行った。急ぎたくても、胸が痛むので、それができないのだ。
 やっとパトカーへ辿《たど》りつき、マイクを取る。
 「村上です」
 「村上さん! 小池です」
 と、元気のいい声が飛び出して来た。
 「ああ、これはどうも。どうしたんですか?」
 「これからそちらの方へうかがいますよ」
 「何かあったんですか?」
 と、村上は訊《き》いた。
 「柴田が死にました」
 柴田?——村上は、ちょっと考えてしまった。
 いつもの村上なら、即《そく》座《ざ》に思い付くのだろうが、やはり疲《つか》れているのだ。
 それでも、何とか思い出した。あの別《べつ》荘《そう》のかつての持主だ。
 「死んだというと……」
 「旦《だん》那《な》の方です。ノイローゼだと言っていたでしょう」
 「ああ、憶《おぼ》えていますよ、もちろん」
 「二階から飛び降《お》りたんです。しかし、担《たん》当《とう》の者に訊くと、ちょっとスッキリしないんですよ」
 「なるほど」
 「それで、柴田の奥《おく》さんの方に会おうと思ったんですがね、出かけているというんです」
 「夫《おつと》が死んだのに、ですか?」
 「そうなんです。妙《みよう》でしょう?」
 確《たし》かに、柴田徳子は、夫の葬《そう》儀《ぎ》などは、きちんとやってのけるタイプだ。
 「で、なぜこちらへ?」
 と、村上は訊いた。
 「柴田徳子がね、そっちへ行ったようなんです」
 「それは奇《き》妙《みよう》ですね」
 村上も、興《きよう》味《み》をかきたてられた。
 「どこに向ったのか正《せい》確《かく》には分らないんですが、その辺だということは確《たし》かです。お仕事のお邪《じや》魔《ま》はしませんよ」
 「いやいや。もともと、こちらからお願いした一《いつ》件《けん》ですからね。ともかく、今は山《やま》狩《が》りの最中で、出ていますが、署《しよ》へみえたら連《れん》絡《らく》して下さい」
 「分りました。まだ家内がホテルにいたので、一《いつ》旦《たん》、例のホテルへ行きます。では、お忙《いそが》しいところを、どうも」
 「いや、わざわざ——」
 「例の大男というのは、捕《つか》まりそうですか」
 「今やっていますが、ともかくこの雪で、痕《こん》跡《せき》がないのでね」
 と、村上は言った。「しかし、何としてでも、逮《たい》捕《ほ》してやります」
 「頑《がん》張《ば》って下さい!」
 ——いたわりの言葉よりも、小池の元気な声の方が、よほど村上にはありがたかった。
 いくら同《どう》情《じよう》したり、心配したりしてもらっても、どうにもなるわけではない。代理はきかないのだから、どうせなら、元気付けてくれた方がいい。
 しかし——柴田徳子が、何の用でここへやって来るのだろう?
 もう手放した別《べつ》荘《そう》のある場所へ来る用事など、めったにあるまい。しかも、夫《おつと》が死んだというのに、だ。
 村上は、また雪を踏《ふ》んで、林の方へと入って行った。警《けい》官《かん》たちが、木々の間に見え隠《かく》れしている。
 謎《なぞ》の大男。——何だか怪《かい》談《だん》めいたこの奇《き》妙《みよう》な殺《さつ》人《じん》犯《はん》の出《しゆつ》現《げん》と、柴田の死。
 何か二つの間に関連があるのだろうか?
 いや、おそらくは、単なる偶《ぐう》然《ぜん》だろう。
 だが、この平和な小さな町に、謎の血《けつ》痕《こん》と、怪《かい》力《りき》の大男という二つの事件が持ち上った。これは、何かを意味しているのかもしれない。
 二つの事件が、どこかでつながるとしたら、それはどこだろう?
 ——そのとき、林の中に銃《じゆう》声《せい》が響《ひび》き渡《わた》った。
 
 お手伝いの娘《むすめ》の名はユキ、といった。
 「すると、奥《おく》さんは、ゆうべ突《とつ》然《ぜん》、出られたんだね?」
 と、小池は言った。
 「はい」
 と、ユキは肯《うなず》いた。
 いかにも健《けん》康《こう》そうな、丸々と太った娘である。柴田家で働くようになって、一年ほど、ということだった。
 「そして、夜、ご主人が転落死された。びっくりしただろうね」
 「はい」
 ユキはコックリと肯いた。「凄《すご》い音がして、飛び起きました」
 「二階から飛び降《お》りたんだったね」
 「ええ。——私《わたし》、一階の台所のわきの部屋にいるんですけど、ご主人の落ちて来たのが、そのすぐ表なんです」
 「なるほど」
 と、小池は肯いた。「ちょっと現《げん》場《ば》を見せてくれるかい?」
 「はい」
 と、ユキは肯いた。
 ユキについて、台所から裏《うら》口《ぐち》へ出る。建物のわきを曲って、ユキは足を止めた。
 「ここなんです」
 ——なるほど、警《けい》察《さつ》があれこれ調べたらしい痕《こん》跡《せき》がある。
 白い木のテーブルが、足が折《お》れて、ひっくり返っていた。
 「このテーブルは?」
 「リビングのテラスに、置いてあったものなんです。ご主人、ちょうどこの上に落ちて来られたようで——」
 「なるほど、それで壊《こわ》れたのか」
 小池は、テーブルのわきに立って、上を見上げた。——柴田が飛び降《お》りた窓《まど》が、開け放してある。
 妙《みよう》だ、と思った。
 確《たし》かに、立《りつ》派《ぱ》な屋《や》敷《しき》だから、二階といっても、普《ふ》通《つう》の家よりずっと高いが、それにしても、必ずしも死ぬほどの高さとはいえない。
 実際には、柴田は死んだわけだが、首の骨《ほね》を折《お》っていたのだ。つまり、頭から落ちてそうなったのだろう。
 もし、窓のへりに両手をかけて、ぶら下ってから落ちたとしたら、足首の骨《こつ》折《せつ》ぐらいで済《す》んだのではないか。
 してみると、柴田は死ぬ気でなく、ただ、外へ出ようとしたのだとも思える。
 「——ねえ、どうだろう」
 と、極力、小池は優《やさ》しく言った。「ご主人は、部屋に閉《と》じこめられていたんじゃないの?」
 「いえ、そんな——」
 と、ユキは、ちょっとためらった。「鍵《かぎ》はかけておられましたけど……」
 「奥《おく》さんが?」
 「はい」
 「じゃ、やはり、閉じこめていたわけだな」
 「でも、夜だけです。それに、ご主人のためだったんです。時々、勝手に外へ出て行ったりするもんですから」
 「なるほど。そうだろうね。よく分るよ」
 小池は肯《うなず》いて言った。「ご主人は外へ出たがっていたのかね?」
 ユキは、肩《かた》をすくめて、
 「よく分りません。私、ただの使用人ですから」
 と、素《そつ》気《け》なく言った。
 「ご主人と奥さんが喧《けん》嘩《か》していたのを、見たことはある?」
 ユキは、ちょっと硬《かた》い表《ひよう》情《じよう》になって、
 「私、何も申し上げられません」
 と、口を尖《とが》らした。
 小池はこの娘《むすめ》が気に入った。——最近は「忠《ちゆう》誠《せい》心《しん》」などというものがなくなって、何でもペラペラしゃべりまくる女が多いものだが、この子はなかなか口の固いところがある。
 「分った。無《む》理《り》には訊《き》かないよ」
 と小池が引き退《さが》ったので、ユキはホッとしたようだった。
 話したがらない、というのは、要するに、喧《けん》嘩《か》していたのを認《みと》めたのと同じだ。それさえ分れば、小池の方は構《かま》わないのである。
 「このテーブルだけどね」
 と、小池は話を変えた。「いつからここに置いてあったんだろう?」
 ユキは首をかしげた。
 「さあ……。確《たし》か、リビングの表に、出してあったんですけど……」
 「どの辺に?」
 「こちらです」
 と、ユキが先に立って歩いて行く。
 広い芝《しば》生《ふ》に面して、リビングルームから、出たところに、テラスが造《つく》られていた。
 「ここに置いてあるんです。いつもは」
 と、ユキが言った。
 「なるほど」
 明らかに、あのテーブルと組みになった、椅子《いす》が三つ、残っている。
 つまり、机《つくえ》だけが、あそこへ運ばれていたのだ。
 その意味は、はっきりしている。柴田は、二階の部屋から抜《ぬ》け出すつもりだった。
 ドアは鍵《かぎ》がかかっている。だから、窓《まど》から出ようとした。
 しかし、そのまま飛び降《お》りたら、けがをする、という気持があったのだろう。だから、予《あらかじ》め、こっそりとテーブルを窓の真下へ運んでおいた。
 それが役に立つとも思えないが、柴田は少なくともそう考えていたのだ。そして窓を出ようとして——バランスを失い、頭から、真《ま》っ逆《さか》様《さま》に落下した……。
 なぜ、柴田はそんなにしてまで、外へ出たかったのか? 何か特《とく》別《べつ》の理由があったのだろうか。
 小池は、客間に戻《もど》ると、ユキがお茶を淹《い》れに出た間に、村上へと電話を入れた。山《やま》狩《が》りの現《げん》場《ば》にいた村上への無《む》線《せん》がそれである。
 小池は、ソファに座《すわ》って、タバコに火を点《つ》けた。
 TVがある。二六インチというのか、ともかく馬《ば》鹿《か》でかい。
 ためしにスイッチを入れてみた。——何とも、ギョッとするような大きさである。
 ニュースだった。アナウンサーがぐっと詰《つ》め寄《よ》って来る感じだった。
 「——お茶をどうぞ」
 と、ユキが入って来て、小池の家のものとはちょっと桁《けた》の違《ちが》う感じの茶《ちや》碗《わん》を置く。
 「ありがとう。もう失礼するからね」
 と、小池が言った。「——このお宅《たく》の娘《むすめ》さんの事《じ》件《けん》、知ってるかね?」
 「ええ。気《き》の毒《どく》でしたね」
 「ご主人は、娘さんが生きてると信じていたようだね」
 「ええ。そうらしいです。でも、それぐらい可愛《かわい》がってもらえたら、子《こ》供《ども》も幸せですね」
 「そうかもしれないな」
 「うちなんか、私が四女で——嫁《よめ》に行くときは、無《む》一《いち》文《もん》だよ、なんて言われて育ったんですもの」
 ユキは冗《じよう》談《だん》めかして言った。
 小池はTVを見た。——あの「雪男」のニュースだった。
 やはり警《けい》官《かん》が殺されたというので、警察の方も、本《ほん》腰《ごし》を入れている。大勢の応《おう》援《えん》が現《げん》地《ち》にくり込《こ》んでいるようだ。
 「怖《こわ》いですね」
 と、ユキが言った。
 「全くだね」
 「このニュースを見てたんだわ」
 と、ユキが思い出したように言った。
 「え?」
 「奥《おく》様《さま》です。このニュースを見てらして、急に、別《べつ》荘《そう》へすぐ出かける、とおっしゃって……」
 小池は、ユキを見つめた。
 「それは確《たし》か?」
 「ええ……。でも、ただの偶《ぐう》然《ぜん》かもしれません」
 小池はそれ以上、何も言わなかった。
 柴田徳子が、あの大男の件と、何か関《かかわ》りを持っていたのだろうか? ちょっと想像もつかないが。
 そして、柴田の死。——してみると、徳子は、あの「雪男」に、会いに行ったのかもしれない、と小池は思った。
 「色々ありがとう」
 と、小池は立ち上って、礼を言った。
 一《いつ》刻《こく》も早く、現《げん》地《ち》へ乗り込《こ》むのだ。小池の足取りは、いやが上にも早まっていた……。

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