24 雪の夜
夕食は、いつになくにぎやかだった。
伊波は、少女が、まるで別人のようにはしゃいでいるのを見て、意外な気がした。
いや、もちろん、これまでだって、結《けつ》構《こう》一人で騒《さわ》いでいたのだが、やはり同《どう》性《せい》がいるというのは、ずいぶん違《ちが》うものなのだろう。
にぎやかといっても、しゃべっているのは女同士、伊波は、専《もつぱ》ら、一人で黙《もく》々《もく》と食べていた。
——そろそろ食事も終るというころ、玄《げん》関《かん》の方で、車の音がした。
「——誰《だれ》かしら?」
と、律子が言った。
「さあね」
伊波は、小池や柴田徳子が、ここへ向っていることを、二人に黙《だま》っていた。
知らせたところで、どこへ行くわけにもいかないのだから。
「雪男は車じゃ来ないだろう」
と伊波は言って、玄関へと歩いて行った。
不安げに、律子と少女もついて来た。
ドアを開けると、小池が顔をしかめながら、立っていた。
「あなた!」
律子が目を見《み》張《は》った。
「入れてもらって構《かま》いませんか」
と、小池が言った。
「どうぞ。よく見付けましたね」
伊波は、小池を入れた。
「小池です。——憶《おぼ》えておられるかどうか」
「どの刑《けい》事《じ》さんも、今は同じように見えますよ。ともかく、暖《あたた》まって下さい」
と、伊波は言った。
小池は、少女に気付いた。——どこか、警《けい》戒《かい》するような目で、小池を見ている。
どこかで、見た顔だ、と小池は思った。どこだったろう?
「親《しん》戚《せき》の子を預《あず》かってましてね」
と、伊波は言った。「熱いスープでもいかがです?」
「やあ、それはありがたい」
居《い》間《ま》のソファに、小池は腰《こし》をおろした。
律子が傍《そば》に座《すわ》る。
「——どうしたの? こんな雪の中を」
「気になることがあったんだ」
と、小池は言った。
「雪男のこと?」
「それもある」
と、小池は肯《うなず》いた。「しかし、他にも——やあ、申《もう》し訳《わけ》ありません」
小池は、かじかんだ手をこすり合せ、伊波が運んで来たスープをアッという間に飲《の》み干《ほ》してしまった。
「あなた、お腹《なか》空《す》いてるの?」
律子が呆《あき》れたように言った。
「まあね。急いで出て来たんだ」
「じゃ、何か食べますか。まだ余《あま》っているし——」
「いや、その前に」
と、小池は言った。「柴田徳子という女《じよ》性《せい》も、こっちへ向ったはずなんですが、着いてませんか」
「いいえ」
「やはり、そうか」
小池は首を振《ふ》った。「走りながら、女性一人では、とても無《む》理《り》だと思いましたよ」
「その人は何なの?」
と、律子が言った。
「分らない」
小池は肩《かた》をすくめた。「ともかく、ここへ向ったのは確《たし》かだ」
「途《と》中《ちゆう》、車は?」
「見ませんでした」
「じゃ、迷《まよ》ったんだな」
伊波は、息をついた。「——この雪では、危《あぶ》ない。下手《へた》に走らせると、ますます分らなくなりますよ」
「電話を借りていいですか。警《けい》察《さつ》へ知らせて、捜《そう》索《さく》してもらわないと」
「どうぞ」
小池は、電話の方へと歩いて行く。
伊波は、少女の姿《すがた》が見えないことに気付いた。二階に行ったのだろうか?
「——おかしいな」
と、小池が言った。「切れてますね」
伊波は、小池の手から受《じゆ》話《わ》器《き》を受け取った。
「ウンともスンとも言わない。——きっと、雪で架《か》線《せん》が切れたんですよ」
「参ったなあ!」
小池は唇《くちびる》をかんだ。「放っとくわけにもいかないし」
「捜《さが》しに行きますか」
「そうですね。しかし、私《わたし》はともかく——あなたは——」
「この辺なら、夜でも分ります。あなただけでは迷ってしまいますよ」
「じゃ、お願いしましょうか」
「仕《し》度《たく》して来ます」
伊波が二階へ上って行く。
「——変らないな」
と、小池は言った。「作家ってのは、いつまでも若《わか》いもんなのかな」
「あなた……」
「どうした?」
「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》? この雪よ」
「しかし、女一人、放っとくわけにはいかん。俺《おれ》は警《けい》官《かん》だからな」
「——分ったわ。気を付けて」
律子は、夫《おつと》の頬《ほお》にキスをした。
「例の大男がうろついてる。用心しろよ」
「用心しろって、どうやって?」
「すぐ帰るさ。それまでだ」
小池は、ふと思い出して、「あの子は、誰《だれ》なんだ?」
「知らないわ。ただ、ここで会ったのよ」
「そうか」
小池は、ちょっと眉《まゆ》を寄《よ》せた。——どこで見たのだろう?
「どうするんだよ!」
カメラマンが喚《わめ》いた。
「うるせえな!」
記者が怒《ど》鳴《な》り返す。
「だから、やめろ、って言ったじゃねえか!」
「今さら、仕方ねえだろう!」
——週《しゆう》刊《かん》誌《し》の記者とカメラマンの車だ。
何のことはない、道に迷《まよ》って、立ち往《おう》生《じよう》である。
「戻《もど》れねえのか?」
「無《む》理《り》だ。——この雪だぞ。すっかり埋《うま》っちまった」
「じゃ、どうする?」
「知るか」
と、記者は肩《かた》をすくめた。
「無《む》責《せき》任《にん》な奴《やつ》だな!」
「責任なんてもの、この仕事にゃ縁《えん》がないからな」
と、記者は軽くかわした。
カメラマンの方も、ふてくされた顔で前方を見ていたが……。
「——おい」
と、記者がつついた。
「何だよ?」
「誰か来る」
「馬《ば》鹿《か》言え」
「見ろよ」
車のライトの中を、確《たし》かに、誰かが近付いて来た。
「こんな雪の中で……」
と、記者は目をこすった。「この近くに住んでる奴《やつ》だろう、きっと。助かった! 家に入れてもらおうぜ」
「そうしよう。——命拾いだ」
しかし、カメラマンの見通しは甘《あま》かった、と言うべきだろう。
二人は車から、膝《ひざ》まで埋《うま》る雪の中へ降《お》り立った。
「おい! この辺の人かい!」
と、記者が大声を上げる。「困《こま》ってるんだ!」
「おい、見ろ…‥」
カメラマンが、青ざめた。
ライトに浮《う》かび上ったのは、とんでもない大男だった。
「これが——」
と、記者が呟《つぶや》く。
「うん」
カメラマンも、カメラを構《かま》えるのを忘《わす》れている。
大男は、二人の顔をゆっくりと交《こう》互《ご》に見た。
「車をよこせ」
と、低い声で言う。
「車?」
「車ってこれのことかい?」
カメラマンと記者は顔を見合せた。
「車をもらっていく」
と、大男が進み出て来る。
「なあ、待ってくれよ。車なしじゃ、こっちも——」
と、カメラマンが動いた。
その弾《はず》みで、肩《かた》から下げていたカメラのストロボが発光した。
大男が見る見る顔を紅《こう》潮《ちよう》させると、唸《うな》り声《ごえ》と共に、カメラマンの胸《むな》ぐらをつかんで、抱《だ》き上げた。
「おい——やめてくれ!」
カメラマンが悲鳴を上げた。「助けてくれ!」
大男はカメラマンの体を、頭の上まで持ち上げると、車めがけて投げつけた。
ガツン、と音がして、カメラマンは車の屋根に叩《たた》きつけられ、そのまま、雪の上に、滑《すべ》り落ちた。
記者は必死に逃《に》げ出していた。仲《なか》間《ま》も何もあったものではない。
大男が、大《おお》股《また》にぐんぐんと記者との間をつめて、後ろからその首をつかんだ。
「苦しいよ!——やめてくれ!——やめて——」
大男の両手が、記者の首をぐいーと絞《しぼ》った。そして、雪の上に放り出した。
大男は、車の方へと戻《もど》って行った。
ドアに手をかけたとき、誰かの声が近付いて来た。
「あの車でしょう」
「——他には考えられないですね」
大男は、ためらったが、雪の上に倒《たお》れている二人の男へチラリと目をやると、そのまま林の奥《おく》へと姿《すがた》を消した。
「やれやれ、見付かって良かった」
と、伊波が言った。
「全くですね。そう長くはいられないし……」
小池は、車へ向って近付いて行きながら、「いや——おかしい」
と、声が変った。
「誰か倒れてますよ」
「本当だ!」
二人は、急いで車の近くへとやって来た。
そして——愕《がく》然《ぜん》とした。
血を吐《は》いて死んでいる二人の男。
しばし、どちらも声がなかった。
「——何てことだ」
と、小池は言った。
「どうやら、例の週《しゆう》刊《かん》誌《し》の記者とカメラマンらしい」
伊波は言った。「たぶん、私の所へ来るつもりだったんだ」
小池は、二人の男の方へ、近づいて、一人ずつ、死んでいることを確《たし》かめた。
「こいつは、例の大男だな」
と、小池は言った。「しかも、まだ、ぬくもりがありますよ」
「すると、この近くにいるんですか?」
伊波はあわてて周囲を見回した。
小池は、深《しん》刻《こく》な表《ひよう》情《じよう》で、
「こうなると、柴田徳子の方も心配だな」
と言った。
そして——突《とつ》然《ぜん》、そのとき思い当ったのである。
伊波の所にいる少女。——あれは、柴田徳子の、行方《ゆくえ》不《ふ》明《めい》になった娘《むすめ》だ!