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失われた少女26
日期:2018-09-10 11:30  点击:313
 26 侵《しん》入《にゆう》者《しや》
 
 
 伊波と小池は、喘《あえ》ぎ喘ぎ、別《べつ》荘《そう》へ辿《たど》りついた。
 「いや、雪の中を歩くのは大変だな!」
 小池が、玄《げん》関《かん》のドアを開けながら言った。
 「開けっ放しか。物《ぶつ》騒《そう》だな。——律子。どこだ?」
 伊波は続いて入って来ると、
 「変ですね」
 と眉《まゆ》を寄《よ》せた。「——おい! どこにいるんだ?」
 返事はなかった。小池と伊波は顔を見合せた。
 「どうもおかしい。捜《さが》してみましょう」
 と、小池は言った。
 二人は左右へ別れて、手早く部屋を覗《のぞ》いて回った。続いて二階へ。
 「——何だか冷たいな空気が」
 と、伊波が言った。「窓《まど》でも開いているようだ」
 だが、どの部屋にも、二人の姿《すがた》はない。
 「——こんな雪の中へ出て行くなんて、考えられない!」
 小池は息を弾《はず》ませて言った。
 伊波は、少女の寝《ね》ていた部屋へ入って、中を見回した。
 どこへ行ったんだろう? 出て行くはずがないが……。
 ふと、目が窓《まど》の下へ行った。歩み寄《よ》って、かがみ込《こ》む。
 「どうかしましたか」
 と、小池がやって来た。
 「湿《しめ》ってるんです、カーペットが」
 「ほう」
 「雪が降《ふ》り込《こ》んでいたんじゃないかな。きっとここが開いていたんだ」
 「どうして?」
 「分りません」
 伊波は首を振《ふ》った。「——困《こま》りましたね。どうしますか?」
 「こうなったら、律子を——律子と、あの女の子を捜《さが》すのが先決です。例の雪男は後回しだ」
 そう言って、小池はハッとした。「まさか、あの男がここに……」
 「そんな——」
 伊波は目を見《み》張《は》った。「しかし、もしそうだとして、その雪男の目的は何です?」
 小池は、黙《だま》って首を振《ふ》った。
 あの少女が、柴田徳子の娘——確《たし》か侑《ゆう》子《こ》といった——であることは間《ま》違《ちが》いない、と思っていた。
 小池には、伊波がそれを知っていて黙《だま》っているのか、それとも知らずにいるのか、判《はん》断《だん》できなかった。
 「電話は通じないかな」
 小池は呟《つぶや》いて、少女の部屋を出た。
 二人が居《い》間《ま》へ降《お》りて行く。——電話は不通のままだった。
 「参ったな!」
 小池は呟《つぶや》いた。
 表面は、いかにも職《しよく》業《ぎよう》的《てき》な冷静さを装《よそお》っているが、内心、かなり焦《あせ》っていた。
 律子が、大男の手で絞《し》め殺《ころ》されて、雪の中に横たわっている光景が目に浮《う》かんだ。
 「捜《さが》しに出ますか」
 と、伊波は言った。
 「いや。——無理でしょう、この雪では」
 小池は、少し考えて、「私《わたし》がこの近くを調べて来ます。あなたはここにいて下さい」
 と言った。
 「一人じゃ危《あぶ》ないですよ」
 「私は刑《けい》事《じ》ですからね」
 小池はこわばった微《び》笑《しよう》を浮かべた。
 「しかし、私の方がこの近くは慣《な》れていますよ」
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。この建物が見える範《はん》囲《い》から出ないようにします。もし、誰《だれ》かに連《つ》れ去《さ》られたりしたのなら、何か痕《こん》跡《せき》があるでしょう」
 「しかし……」
 「戻《もど》って来たとき、またここに誰もいなかったら、心配しますよ。すぐ戻りますから」
 「分りました」
 と、伊波はため息をついた。「では、ともかく、あまり長く外にいない方がいい。体力も消《しよう》耗《もう》しますからね」
 「分りました」
 小池が出て行くと、一《いつ》瞬《しゆん》、冷気が居《い》間《ま》の方にまで、吹《ふ》きつけて来た。
 伊波は、ソファに腰《こし》をおろした。
 あの子と律子。——二人して、ここを出て行く理由があるだろうか?
 といって、もし例の雪男がやって来たのなら、もう少し、荒《あ》らされているとか、何かしているはずではないか。
 分らない。——柴田徳子という女も、なぜここへ向ったのか?
 この雪の中だ。よほどのことがなければ、出るはずがない。伊波もあの女を、Mホテルで見るまでは知らなかった。
 ただの愛読者などではないはずだ。何かあるのだ。
 「分らん……」
 と、伊波は呟《つぶや》いた。
 律子のことも、あの少女のことも、気になる。
 そうか。もしかしたら、柴田徳子がやって来たというのは——。
 「あの子はどこです?」
 突《とつ》然《ぜん》、声がして、伊波は仰《ぎよう》天《てん》した。
 居《い》間《ま》の入口に、柴田徳子が立っていた。
 「——どこから入ったんです?」
 と、伊波は訊《き》いていた。
 どうでもいいようなことが、つい口から出て来る。
 「あの子はどこです!」
 徳子が進み出て来る。「あなたと一《いつ》緒《しよ》に車で出るのを見たんですよ!」
 「あの子……。あの女の子のことですか」
 「どこにいます?」
 そうか。この女の娘《むすめ》なのか。
 「僕《ぼく》も知りませんよ。心配しているんです」
 と、伊波は言った。「あなたの娘《むすめ》さんなんですか?」
 徳子は、ちょっと息をついて、自分を落ちつかせているようだった。
 「——私の娘です。侑《ゆう》子《こ》といいます」
 「ゆう子、ですか」
 と、伊波はくり返した。
 あの少女に名前がつくと、それはそれで妙《みよう》な感じだった。
 「行方《ゆくえ》不《ふ》明《めい》になっていたんです、もう五年になります」
 徳子は、じっと伊波を見つめた。「あの子がなぜ、あなたの所に?」
 「僕にも分りません。ただ、ある日突《とつ》然《ぜん》やって来たんです。そして居《い》ついてしまって……。名前を訊《き》いても、忘《わす》れた、と言って——」
 「それを信じたんですか?」
 「追い出すわけにも行かなくてね」
 と、伊波は肩《かた》をすくめた。「ああ、誓《ちか》って言いますが、あの子には指一本触《ふ》れていません。本当ですよ」
 「それはともかく——私は娘が戻《もど》れば、それでいいんです」
 「何か事《じ》情《じよう》がおありのようですね」
 徳子は、ちょっとキッとなって、
 「先生には関係のないことでしょう」
 と言った。
 「確《たし》かに。しかし、差し当りは、発見しなくてはなりません。小池という刑《けい》事《じ》の奥《おく》さんも姿《すがた》が見えないんです。今、ご主人が捜《さが》しに出ていますが——」
 伊波はふと眉《まゆ》を寄《よ》せて、「奥さん、どうやってここへおいでになったんです?」
 と訊《き》いた。
 徳子は、ちょっとためらった。
 「車です。ホテルで借りて」
 「嘘《うそ》はいけませんよ」
 と、首を振《ふ》る。「私と小池さんで、この付近を散々捜したんです。それに、この雪では、もう車でも来られない。それなのに、少しも雪で濡《ぬ》れていませんね」
 徳子は、じっと伊波を見《み》据《す》えていた。
 それから、徳子はフッと笑《え》顔《がお》になった。伊波はギクリとした。徳子が、まるで別人になったかのような気がしたのである。
 「さすがに作家の方はよく分ってらっしゃいますね」
 と、徳子は言った。
 「どうやってここへ来たんですか?」
 もう一度、伊波は訊いた。
 「この人に連れて来てもらったんです」
 徳子は、居《い》間《ま》から顔を出して、肯《うなず》いて見せた。
 伊波は顔から血の引くのを感じた。
 まるで居間の出入口をふさぐように、その男が現《あら》われた。腕《うで》にかかえられているのは、律子だ。
 「彼女《かのじよ》をどうした!」
 と、伊波は恐《きよう》怖《ふ》も忘《わす》れて叫《さけ》んだ。
 「誤《ご》解《かい》しないで下さい」
 と、徳子は言った。「この女の人は、勝手に雪の中を歩いて来て、この人にぶつかったんです。気を失っているだけですわ」
 「ソファに寝《ね》かせてやって下さい」
 と、伊波は言った。
 徳子が、大男の方へ肯いて見せる。大男は、のっそり入って来た。
 何だか居間が狭《せま》くなったような気がした。
 ソファに横たえられた律子の方へ、伊波はかがみ込《こ》んだ。青白い顔をしているが、脈《みやく》拍《はく》はきちんと打っている。
 寒い所にいて、指先がかじかんでいる。
 「この人は、武井といいますの」
 と、徳子が言った。「ずっと以前、うちで働いていてくれたのです」
 「あなたの所で?」
 「そうです。私には忠《ちゆう》実《じつ》な召《めし》使《つかい》でした」
 と、徳子は言った。「——さあ、後は、何とかして、侑子を見付けなくては」
 大男が、じっと伊波を見つめた。
 「——おい、やめてくれ!」
 伊波はあわてて言った。「僕は本当に何も知らないんだ!」
 「訊《き》いてみてごらん」
 と、徳子が言った。
 逃《に》げる間もない。大きな手が、まるで鋼《こう》鉄《てつ》のような強さで伊波の肩《かた》をぐっとつかんだと思うと、伊波は五十センチも持ち上げられていた。
 「やめてくれ! 離《はな》せ! おい!」
 伊波が手足をばたつかせても、まるで効《こう》果《か》はない。
 大男が、ヒョイと伊波を放り出した。——したたかに床《ゆか》に打ちつけられて、伊波は呻《うめ》いた。
 こいつは化《ばけ》物《もの》だ!
 「侑子はどこです?」
 と、徳子が訊く。
 「知りませんよ!——本当だ!」
 「信じられませんね。あの子がどこへ行くというんです?」
 「僕が知るもんか!」
 伊波は起き上った。
 「この人に殺させるのは簡《かん》単《たん》ですよ」
 と、徳子は言った。「私にはあの子が必要なんです!」
 そのとき、居《い》間《ま》の入口で声がした。
 「分ってるわ」
 ——誰もが、振《ふ》り向《む》いて、凍《こお》りついたように動かなかった。
 少女が——侑子が、立っていたのだ。
 
 もうだめだ。
 小池は、激《はげ》しく喘《あえ》いだ。——諦《あきら》めよう。
 何か、予期しなかった出来事で、律子がホテルへでも戻《もど》ったのか。そうならいいのだが。
 大分、別《べつ》荘《そう》から遠くへ来てしまった。
 辛《かろ》うじて、木々の間に灯《ひ》が見える。これ以上遠くへ行くと、戻れなくなりそうだ。
 仕方ない、戻るか。
 小池は、歩いて来た足《あし》跡《あと》を辿《たど》って、戻って行った。少しは楽なのである。
 体が凍《こお》り始めたんじゃないかと思うほど、寒い。——雪は、小《こ》降《ぶ》りになっていた。
 正直な話、律子がいなくなって、こんなに我《われ》を忘《わす》れるとは、思ってもいなかった。俺《おれ》にとって、あいつはかけがえのない女なんだ、と思った。
 最悪の事《じ》態《たい》のことは考えまい、とした。あいつが死ぬわけはない!
 そうだとも。——子《こ》供《ども》を作って、育てて、総《すべ》てはこれからだ。こんなときに、死なれてたまるか!
 やっと別荘の前まで来て、小池はハッとした。——足跡。
 もちろん、伊波や、小池自身のものはある。しかし——この大きなのは?
 とてつもない、大きな足だ。
 小池は、手を激《はげ》しくこすり合せ、拳《けん》銃《じゆう》を抜《ぬ》いた。かじかんで、力が入らない。
 小池は、別荘のわきに回った。
 居《い》間《ま》の窓《まど》が明るい。カーテンは引いてあるが、端《はし》から、少しは中の様子が分るはずである。
 そっと窓に顔を近付けた。
 いきなり——そいつが目に入った。
 間《ま》違《ちが》いない! あの「雪男」だ。
 なぜここにいるのか、それは分らないが、ともかく、問題は今、どうするか、ということだった。
 向うは、もう何人も殺している。
 しかし、スーパーマンじゃないのだ。油《ゆ》断《だん》しなければ大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だ。
 小池は、玄《げん》関《かん》の方へと戻《もど》った。——一気に中へ入るしかない。
 そっと入ろうとしても、音と、冷たい風とで気付かれるに違いないからだ。
 ゆっくりと、右手の指を曲げては伸《の》ばした。少し、感覚が戻って来る。
 よし、行くぞ。
 小池は、拳《けん》銃《じゆう》をしっかりと握《にぎ》りしめ、玄《げん》関《かん》のドアを開けた。
 一気に居《い》間《ま》へ飛び込《こ》んで、両手で握った拳銃を、大男へ向ける。
 「動くな! 撃《う》つぞ!」
 伊波が息を呑《の》んだ。
 大男は、低く唸《うな》った。——小池の目が、ソファに横たえられた律子へと吸《す》い寄《よ》せられる。
 大男の手が、椅子《いす》をつかんでいた。小池に向って、真っ直ぐに椅子が飛ぶ。同時に拳銃が発《はつ》射《しや》されていた。

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