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失われた少女27
日期:2018-09-10 11:31  点击:402
 27 哀《かな》しい人々
 
 
 「これ以上、進めません!」
 ハンドルを握《にぎ》っていた警《けい》官《かん》が、大きく息をついて、言った。
 「だめか」
 村上は、舌《した》打《う》ちした。
 しかし、実《じつ》際《さい》のところ、ここまでパトカーで来られただけでも上《じよう》出《で》来《き》で、この先、まだ車で行こうと思えば、雪上車でも持って来るしかない。
 それは村上にもよく分っていた。
 「よし、歩こう」
 と、村上は言った。
 「警部、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》ですか?」
 と、若い刑《けい》事《じ》が心配して言った。「何ならここに残られては——」
 「馬《ば》鹿《か》いえ」
 村上はあっさりと言った。
 「この雪じゃ、他の連中も、きっと立ち往《おう》生《じよう》ですよ」
 「歩いて一番近い連中で、どのくらいかかるかな」
 村上は、分《ぶ》厚《あつ》いジャンパーのえりをきっちりとしめた。
 「さあ。みんな、どっこいどっこいじゃないですか」
 「じゃ、急ごう。——まだ電話は不通か?」
 「問い合せてみます」
 「いや、いい。早く向うへ着くのが先決だ」
 パトカーから出て、村上は顔をしかめた。
 ——伊波の別《べつ》荘《そう》まで、まだ大《だい》分《ぶ》かかりそうだ。
 「さあ、行くぞ!」
 村上は珍《めずら》しく大声を出した。半《なか》ば、自分への叱《しつ》声《せい》でもあった。
 暖《あたた》かい所にいて、大分楽だった胸《むね》の痛《いた》みが、また少しぶりかえしていた。しかし、もう後《あと》戻《もど》りはできない。
 村上と同行しているのは、二人の警《けい》官《かん》だけだ。いささか頼《たよ》りないが、この二人しかいなかったのである。
 仕方ない。ともかく、いざとなったら、この三人で何とかしなくては……。
 「道を間《ま》違《ちが》えないようにしろよ」
 と、村上は言った。
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》です。いつもパトロールしている辺《あた》りですから」
 「そうか」
 十分ほど歩き続けた。三人とも、早くも荒《あら》い息をついている。
 「警部! 灯《ひ》が見えます」
 と、一人が言った。
 なるほど、前方に黄色い灯が動いている。
 「うちの連中だろう。——おーい!」
 と、一人が大声で呼《よ》ぶ。
 「ここだ!」
 と返事が返って来た。
 村上たちが辿《たど》りついたのは、放置された車だった。——傍《そば》に二人の男の死体。
 週《しゆう》刊《かん》誌《し》の記者とカメラマンである。
 「こいつは例の雪男ですよ、きっと」
 先に来ていたのは、三人の警《けい》官《かん》たちで、これで人数は倍になっていた。
 「——よし、急ごう」
 と、村上は言った。「雪男は伊波の別《べつ》荘《そう》を目指していると思う。ともかく、早く行ってみたい」
 六人は、雪を踏《ふ》みながら進み続けた。
 幸い、雪は止みかけていた。風がないので大《だい》分《ぶ》楽になり、視《し》界《かい》もきく。
 他のグループが先に着いていればいいが、と、村上は思った。
 
 小池は、頭を振《ふ》った。
 「——大丈夫?」
 覗《のぞ》き込《こ》んでいるのは律子だった。
 「ああ……。君は?」
 「私は大丈夫。ちょっと寒いだけよ」
 小池は床《ゆか》に起き上った。
 頭が、割《わ》れるように痛《いた》い。あの大男の投げた椅子《いす》が、ぶつかったのだ。
 目がはっきりして来ると、拳《けん》銃《じゆう》が目に入った。——手にしているのは、柴田徳子だった。
 「何をしてるんだ!」
 と、小池は怒《ど》鳴《な》った。
 「動かないで。撃《う》ちますよ」
 「あの人、本気よ」
 と、律子は言った。
 居《い》間《ま》には、徳子と小池、そして律子の三人だけがいた。
 「伊波たちは?」
 「車を見に行ってますよ」
 と、徳子が言った。「逃《に》げるにも車がないと不便ですものね」
 「この雪じゃ無理だ」
 「やってみなくちゃ、分りませんよ」
 ——冷たい空気が流れ込んで来た。
 伊波が入って来る。続いて、あの少女侑子と、大男。
 「ご苦労さま。どう?」
 と、徳子が言った。
 「——何とか動きそうだ」
 と、伊波が言った。
 「そう。良かったわ」
 「逃《に》げてもむだだ」
 と、小池が言った。「なぜ、その男をかばうんだ?」
 「武井は、侑子の父親なんですよ」
 と、徳子が言った。
 伊波と小池は顔を見合せた。
 「つまり——あんたと——」
 「うちで働いていた武井との間にできた子です。——夫《おつと》は、子供のつくれない体でしたからね」
 「そうか……」
 と、小池は肯《うなず》いた。「それで、娘《むすめ》が行方《ゆくえ》不《ふ》明《めい》になったとき、あまり深く捜《さが》そうとしなかったんだな」
 「ええ。武井が連れて行ったんだろうと分っていましたからね」
 「その子が武井の子だという事実を、知られたくなかったんだな」
 「もちろんよね」
 と、侑子が、小《こ》馬《ば》鹿《か》にしたような口調で言った。
 「でも、お父さんは、何もかも知っていて、それでも私《わたし》を可愛《かわい》がってくれたわ」
 「あの人はお人《ひと》好《よ》しだったわ」
 と、徳子は言った。
 「財《ざい》産《さん》を、ほとんど私のものになるように、してくれたの」
 と、侑子が言った。「そうでしょう? だから何としてでも、私を見付けたいと思った」
 「それだけじゃないわ。たとえ誰の子でも、私の子には違《ちが》いないのよ」
 「でも、お父さんの方が、先に私を見付けてしまったの。この人と、奥《おく》多《た》摩《ま》の工事現場にいる所へ、やって来たわ」
 伊波は、侑子の方へ、
 「君は、この武井との生活を、どう思っていたんだ?」
 と訊《き》いた。
 侑子は、無《む》表《ひよう》情《じよう》な大男をじっと見上げた。
 「私には優《やさ》しかったわ。でも、怖《こわ》かったし、あんな山《やま》奥《おく》での生活なんて、面白くも何ともなかった。逃《に》げ出したかったわ」
 伊波は、武井の顔に、チラリと苦《く》渋《じゆう》の影《かげ》を見たような気がした。
 おそらく、この男は、この男なりに、侑子を愛していたのだ。だから、さらってまで、手もとに置きたがった。
 しかし、少女にとって、いくら愛されていても、そんな人目を避《さ》けた生活は、堪《た》えきれなかったろう。
 「それで柴田と一《いつ》緒《しよ》に逃げた。——そうか、彼は君をあそこへ連れて来たんだな、君が姿《すがた》を消した別《べつ》荘《そう》へ」
 「ええ。でも、私は怯《おび》えてたの。武井が追いかけて来るに違《ちが》いないって分ってたから」
 と、侑子は言った。「でも、お父さんはそれを誤《ご》解《かい》して、あの古い別荘に連れて行ったのよ。私が記《き》憶《おく》を失っている場合も考えて、昔《むかし》のようにきれいにした部屋へ連れて行ったの。——私、恐《おそ》ろしくなったわ。父の顔を、はっきり思い出せなかったし、それにお父さん、おかしくなっていたの」
 そうか、年《ねん》齢《れい》からいっても、無《む》理《り》もない。何年も離《はな》れていたのだ。
 「お父さんが、私に迫《せま》ってきたの。——私と一緒に死ぬつもりだったのかもしれないわ。私、あそこへ着く前に、寄《よ》ったレストランでナイフを隠《かく》して持ってたの。夢《む》中《ちゆう》で——お父さんを刺《さ》したわ」
 「あの血《けつ》痕《こん》が、それだったのか」
 と、小池が肯《うなず》いた。「しかし、お父さんは傷《きず》に堪《た》えて、家へ戻《もど》った……」
 「私にも隠し通してね」
 と、徳子が言った。「怪《あや》しいと思ったのは、ユキに言って、荷物をどこかへ送らせたのを知ったときだったわ」
 そうか。ここに逃《に》げ込《こ》んだのを、柴田はおそらく誰《だれ》かに調べさせて、知っていたのだ。そして、侑子に合うものを送って寄《よ》こした……。
 「そこへ、武井が捜《さが》しにやって来た、というわけだな」
 小池は頭を振《ふ》った。——大《だい》分《ぶ》、楽になっている。
 「しかし、彼女《かのじよ》を無《む》理《り》に連れ帰っても仕方ないでしょう」
 と伊波は言った。
 「そんなことはないわ」
 侑子が言った。「お父さんから、財《ざい》産《さん》をもぎ取れるものね。私と引《ひ》き換《か》えに」
 「そうか、君は知らないんだ」
 小池が言った。「君のお父さんは死んだ」
 侑子が目を見《み》開《ひら》いた。
 「嘘《うそ》だわ」
 「本当よ」
 と、徳子が言った。
 侑子が、燃え立つような目で、母親をにらんだ。
 「殺したのね!」
 「違《ちが》うわ。あの人は、二階から飛び降《お》りようとして、誤《あやま》って落ちたのよ」
 「嘘よ! お母さんが殺したんだわ!」
 「それはどうでもいいことよ」
 徳子が静かに言った。
 「どうでもいい?」
 「そうよ。——ともかく、死んでしまった人のことは、忘《わす》れて行くわ」
 「しかし、殺人は忘れられませんよ」
 と、小池が言った。「どうするつもりです? その武井って男は、もう何人も殺してるんだ」
 「ええ、よく分ってます」
 徳子が肯《うなず》いた。「でもね、ここにこの人がいたことは、証《しよう》明《めい》できないでしょう。——あなた方がしゃべらなければ」
 「刑《けい》事《じ》に向って話すときは、もっとよく考えて下さい」
 小池が苦《く》笑《しよう》した。
 「そうですね。でも——説明するのは辛《つら》いですから」
 徳子が武井の方へ肯いて見せる。
 武井が居《い》間《ま》から、ゆっくりと出て行く。侑子の腕《うで》を取っている。
 徳子は、銃《じゆう》口《こう》を小池たちの方へ向けながら、
 「では、失礼しますわ」
 と言って、出ながら、ドアを閉《し》めた。
 「畜《ちく》生《しよう》!」
 小池が立ち上ってよろける。
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》、あなた?」
 「どうせ、遠くまで行けませんよ」
 と、伊波は言った。「ともかく、連中が行くまで、待ちましょう」
 何か、ガタガタという物を動かしているような音が、ドアの外でした。
 小池が歩み寄《よ》ってドアを動かそうとしたが、びくともしない。
 「何かドアの前に置いたんだ!」
 「いざとなれば、窓《まど》から出られますよ」
 と伊波が言ったとき、窓が激《はげ》しい音を立てて割《わ》れた。
 「キャッ!」
 と、律子が悲鳴を上げる。
 窓の前に、炎《ほのお》が広がった。——見る見る内に、火はカーテンから、天《てん》井《じよう》へと広がって行く。
 「焼き殺す気だ!」
 小池が叫《さけ》んだ「早くドアを!」
 伊波と小池は、二人で必死にドアを開けようとしたが、ほとんど動かない。
 木《もく》造《ぞう》の別《べつ》荘《そう》は、たちまち火に包まれるだろう。
 「どうするの?」
 煙《けむり》で咳《せき》込《こ》みながら、律子が言った。
 「何とかこのドアを——」
 小池が言いかけたとき、外で銃《じゆう》声《せい》がした。
 「何だろう?」
 「さあ……」
 車の音がする。——雪の中へ、走り出したのだろう。
 「ともかく、何とかドアを破《やぶ》るんだ」
 炎《ほのお》は、どんどん床《ゆか》をなめて這《は》い寄《よ》って来る。凄《すご》い熱さだった。
 「だめだわ、もう!」
 律子が叫《さけ》ぶように言って、夫《おつと》にすがりついた。——伊波は、その光景に、ハッと息を呑《の》んだ。
 「諦《あきら》めるな! 何としても——」
 小池が怒《ど》鳴《な》るように言った。
 「小池さん、奥《おく》さんだけは助けましょう、何としてでも」
 と、伊波は言った。
 小池と伊波の目が、一《いつ》瞬《しゆん》合った。
 「——見て、ドアが!」
 と、律子が言った。
 ドアがガタガタと動いていた。
 そして、突《とつ》然《ぜん》、ドアが倒《たお》れて来た。
 三人は息をつめて、立ちすくんだ。
 目の前に立っているのは、大男——武井だった。ドアを押《お》し倒してくれたのだ。
 「どうして——」
 と言いかけ、小池は、武井の胸《むね》に、血が広がっているのを見付けた。
 撃《う》ったのだ! 徳子が、武井まで葬《ほうむ》り去《さ》るつもりで撃ったのに違《ちが》いない。
 武井と、伊波たち三人の焼死体が見付かれば、互《たが》いに殺し合って、そして火事になったと思われよう。
 武井は、ちょっと苦しげに肩《かた》で息をつくと、クルリと背《せ》を向けて、玄《げん》関《かん》の方へ歩いて行った。
 「ともかく外へ出よう。逃《に》げ遅《おく》れる」
 伊波が促《うなが》した。
 三人が表に飛び出したとき、居《い》間《ま》の中はもう完全に炎《ほのお》に包まれていた。
 「——どうにもならんな」
 と小池が言って、首を振《ふ》った。
 「命があるわ」
 律子の言葉に、伊波も小池も、黙《だま》って肯《うなず》いた。
 窓《まど》から火が吹《ふ》き出した。
 「どこへ行ったんだ、あの男は?」
 小池は、周囲を見回して、大きな足《あし》跡《あと》が、車のタイヤの跡に沿《そ》って、続いているのを見付けた。その間に、血《けつ》痕《こん》らしいものが点々と続いている。
 「車の後を追って行ったんだ」
 と、伊波が言った。
 「凄《すご》い奴《やつ》だ、撃《う》たれてまで……」
 「——ねえ、見て!」
 と、律子が叫《さけ》んだ。
 木々の間から、いくつもの灯《ひ》が近づいて来る。
 「きっと、警《けい》察《さつ》だ! おーい!」
 「小池さん! 大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》ですか!」
 村上の声だ。小池はびっくりした。
 伊波が小池の肩《かた》を叫《たた》いた。
 「離《はな》れないと危《あぶ》ないですよ」
 炎《ほのお》が信じられないほどの早さで別《べつ》荘《そう》全体を包んでいた。
 崩《くず》れ落ちて来るのも、時間の問題だ。
 「あの人——」
 と、律子が言った。「私たちを助けてくれたのね」
 村上たちが激《はげ》しく息をしながら、駆《か》けつけて来た。
 
 「もう、このボロ車!」
 徳子は、ハンドルを叩《たた》いた。
 「無《む》理《り》だって言われたじゃないの」
 侑子が冷ややかに言った。「どうするの、こんな雪の中で?」
 「焦《あせ》ることはないわ。どうせ、みんな死んじまって、私たちには関係なくなるんだから」
 「私が何もかも知っているわ」
 と、侑子は言った。「私も殺すつもりなの?」
 「馬《ば》鹿《か》言わないで」
 「私、帰らないわよ」
 「どうするの?」
 「さあ。——一人で暮《くら》すわ。人殺しの親と一《いつ》緒《しよ》に住める?」
 「あなたのためよ」
 「こじつけだわ」
 侑子は、激《はげ》しく言い返した。
 「あなたは好《す》き勝手な暮しができるのよ。分らないの?」
 「そんなものが何なの?——私はいやよ」
 「一《いつ》旦《たん》、そんな生活をすれば——」
 「もう、私はお母さんの娘《むすめ》じゃない! 誰の娘でもないわ」
 侑子の言葉は震《ふる》えた。
 「よく聞きなさい——」
 と、言いかけて、言葉が切れた。
 バックミラーに、信じられないものが映っていた。
 武井が、やって来る。雪を踏《ふ》んで、近づいて来るのだ。
 徳子は青ざめた。——拳《けん》銃《じゆう》は、あの別《べつ》荘《そう》へ捨てて来ていた。そうでないと、あの男たちで互《たが》いに殺し合ったように見えないからだ。
 「どうするの?」
 と、侑子が言った。
 「中にいるのよ! 大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。いくら武井でも、車を壊《こわ》せやしないわ。それに、撃《う》たれてるんだし——」
 武井が、車の所まで来て、足を止めた。
 「じっとしているのよ! 大丈夫だから!」
 徳子の顔は青白かった。
 武井はゆっくりと、車のわきへと回って来た。中を覗《のぞ》き込《こ》む。
 徳子は目をそらして震《ふる》えていた。
 武井が、肘《ひじ》で、窓《まど》ガラスを突《つ》いた。ガラスが粉々に砕《くだ》ける。
 徳子が悲鳴を上げた。
 太い二本の腕《うで》が伸《の》びて来ると、徳子をつかんで、窓から引きずり出した。
 「やめて!——許《ゆる》して!——助けて!」
 徳子の体が、窓から吸《す》い出されるように消えた。
 一《いつ》瞬《しゆん》の間を置いて、車の屋根に、ガン、と激《はげ》しい衝《しよう》撃《げき》が来た。そして、フロントガラスに、徳子の顔が、逆《さか》さに垂《た》れて来た。
 侑子は叫《さけ》び声を上げて、気を失った。
 ——武井は、肩《かた》で息をしながら、ドアを開け、侑子の体を、そっと抱《かか》え出した。
 
 「村上さん、大丈夫なんですか?」
 と、雪の中を進みながら、小池が言った。
 「あの男は、私がこの手で逮《たい》捕《ほ》します」
 村上の言葉は、思い詰《つ》めたものを感じさせた。
 「分りました」
 ——警《けい》官《かん》は、三十人近くにふくれ上っている。伊波も加わっていた。
 「あそこに車がありますよ」
 と、伊波が言った。「やはり、動けなくなったんだ」
 「すると——奴《やつ》は追いついたんだ! 急ぎましょう」
 車に辿《たど》りついて、屋根に、突《つ》っ伏《ぷ》すようにして死んでいる徳子を見付けて、伊波は何とも言いようのない物《もの》哀《がな》しさを覚えた。
 「——警《けい》部《ぶ》!」
 と、警官の一人が叫《さけ》んだ。「あそこにいます!」
 広い雪原の中を、大きな足《あし》跡《あと》が続いていた。
 その先に、黒い、少し前かがみの背《せ》中《なか》が見える。
 「女の子が一《いつ》緒《しよ》だ。撃《う》つなよ!」
 と、村上が命令した。
 ——武井は、どこへ行くつもりなのだろう?
 警官たちの後から歩きながら、伊波は考えていた。
 武井は、なぜ、あんなに暴《あば》れたのか?
 殺す必要もない人間を、なぜ殺したのか……。
 ——武井はおそらく、侑子と共に死ぬつもりなのだ。
 武井なりに、愛を注いで来た侑子が、逃《に》げたとき、武井はそう決心した。そして、死ぬ気で追って来たのだ。
 撃《う》たれて、大《だい》分《ぶ》、弱っているのか、伊波たちは、少しずつ武井に追いついて行った。
 「——あっちは崖《がけ》だ!」
 と、誰かが言った。
 村上は拳《けん》銃《じゆう》を空へ向けて発《はつ》射《しや》した。
 「止れ! 撃つぞ!」
 むだだ、と伊波は思った。どうせあの男は死ぬ気なのだから。
 「急げ!」
 警官たちが足を早めた。
 あと十メートルほどに迫ったとき、武井は急に振《ふ》り向いた。
 誰もがハッとして足を止める。
 侑子の体を抱《だ》いた武井は、しばらく警官たちをじっと見つめていた。
 伊波は、その姿《すがた》に、恐《きよう》怖《ふ》を感じなかった。——哀《あわ》れな男の姿を見ただけだった。
 突《とつ》然《ぜん》、武井は向き直ると、一気に駆《か》け出して行った。
 「崖だ! 飛び降《お》りるつもりだぞ!」
 「止めろ! 急げ!」
 むだなことだ、と伊波は思った。その場から動かなかった。
 二、三発の銃《じゆう》声《せい》が、雪原に広がる。
 ——いつの間にか、雪は上っていた。
 

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