18 命がけの鬼《おに》ごっこ
僕が住谷秀子のことを説明して、
「美奈子が病気だと言ったのを、信用してるんですよ」
とため息をつく。「どうしたもんでしょうね?」
「困りましたな、それは」
と、添田は首を吊《つ》った。いや、首を振った。
「うまく説明して下さい」
「説明して、納得すると思いますか?」
「無理だと思いますが……」
「では仕方ありません」
と添田は決然と言った。
「どうします?」
「何とかしましょう」
誠にユニークな人間だ、と僕は改めて感心した……。
——住谷秀子がやって来たのは、三十分後のことだった。
「——美奈子はどこなの?」
と、居間へ入って来た。
「いや、実は——」
「この人たち、誰?」
と見回して、「電気屋さんか何か?」
「失礼します」
と添田が言った。「私どもは警察の——」
「あっ!」
と、秀子が大声を上げて遮《さえぎ》った。「あんたでしょ!」
「は?」
「さっき、電話で、私のこと、イカレてると言ったの。——あんたね!」
「まあ、ちょっとした誤解があったのです」
「説明してもらおうじゃないの」
と、秀子は、腰に手を当てて、キッと添田をにらみつける。
「つまりその——美奈子さんは誘拐されたのです」
「誘拐?」
「はい。つまり、さらわれたのです。かどわかされたのです」
「それぐらい分るわよ。でも——本当なの?」
「そうです。こうして我々は、犯人からの電話を待っているというわけでして」
「じゃ……本当にさらわれたの?」
秀子の目が輝《かがや》いた。どう見ても、友人の安否を気づかっている顔ではない。
「で、お気の毒ですが——」
「本当に気の毒ね」
「いや、あなたのことです」
「私?——どうして?」
「つまり、このことが外へ洩《も》れては、困るのです」
「私なら——」
「大丈夫とは思いますが、念のため、今夜はここで過ごしていただきます」
僕はびっくりした。——冗談じゃない!
秀子に一晩中いられたらどうなっちまうか……。
「添田さん。それはひどいじゃありませんか!」
と僕は言った。「彼女にはご主人もいるんです。ここへ来て帰らなかったら、心配しますよ」
「あら、平気よ」
と秀子が言った。「うちの人、急に用で出かけたの。二日は帰らないわ」
「すると——」
「私、絶対にここから動かないからね!」
秀子は、ソファにデンと座って落ち着いてしまった。——僕は、すでに絶望的な気分になっていた。
楽しい時間も、辛い時間も、いつかは過ぎる。
これが真理である!
夜、十二時。祐子は、そっとベッドから抜《ぬ》け出した。
「——気づかれなかったかな?」
「大丈夫よ」
と、祐子は手早く服を着た。「シャワーを使うと、誰かが聞きつけるかもしれないわね」
「そうだね」
「いいわ、我慢する」
祐子は、暗い部屋の中で、伸《の》びをした。
「下へ行くの?」
「ソファで寝《ね》かしてもらうわ。だって、変でしょ、他のベッドで寝ても」
「そうだなあ。——じゃ、僕も、ソファで寝ようか」
「いいわよ。あなたはここのご主人なんだもの」
と、祐子は、巧《たく》みに僕の心をくすぐるのである。
「ついに電話はなかったよ」
「そうね。——明日かけて来るつもりなのよ、きっと」
「呑《のん》気《き》な犯人だな」
考えてみれば、どっちが呑気だか分らないが……。
「じゃ、おやすみなさい」
と、祐子は言って、もう一度僕にキスして、出て行った。
僕は独りまどろみに、すぐに落ちて行った……。
ふと気が付くと、誰かが僕の体を揺《ゆ》さぶっている。目を開くと——
「起きて、大変よ!」
祐子である。
「何だ、もう朝かい?」
「違うの!」
「じゃ何だい?」
「いなくなったの」
「——誰が?」
と、僕は寝ボケマナコで訊いた。
「あの男よ。大倉っていう——」
「いなくなったって……どうしたの?」
「分らないの。下へ行って、居間へ入って行ったら、みんなスヤスヤ眠ってたの。これはいいや、と思ったら、あの男だけいないじゃない」
「トイレにでも行ったんじゃないのかい?」
「一人で手《て》錠《じよう》を外して?」
僕はムックリと起き上った。
「つまり、逃げたってこと?」
「そうらしいの」
と、祐子は肯いた。
「——全く、これは、何と言えばいいんでしょうか?」
添田刑事は、芝《しば》居《い》がかった調子で言った。「こんな失敗は、私の輝かしい経歴の中で、初めてのことです!」
自分のことを、「輝かしい」とは、あまり言わないと思ったが、黙っていた。
「不覚でした。——つい、疲《ひ》労《ろう》が、深い眠りを呼んだのです」
何が疲労だ。何もしてないくせに! 僕は、腹が立った。
僕などは、穴を掘ったり、人を殺したり、大変な仕事をしているのに!
「添田さん」
と、池山刑事がやって来た。「外にいた警官は、誰も大倉を見ていませんよ」
「そうか! すると奴はまだこの中にいるんだ」
と、添田は急に元気になった。「よし! みんな捜《さが》せ! 床《ゆか》をはがし、壁《かべ》に穴を開けてでも大倉の奴を見つけるんだ!」
と叫ぶ。
僕の方がびっくりした。
「添田さん! そんな乱暴されちゃ困りますよ!」
「ああ——いや、これは単なる言葉上のことです。まさか壁と壁紙の間に隠《かく》れるわけはありませんからな」
と、添田は笑った。
「それならいいんですけど」
僕はまだ信用できなかった。この刑事ならやりかねない。
「あの——」
と、祐子が言った。「口を挟《はさ》むようで、申し訳ないんですけど」
「何でも言ってみて下さい」
この刑事、女性には極めて寛《かん》大《だい》なのである。
「これだけ人数がいて、ここはお城じゃないんですから、一つずつ、部屋を捜《そう》索《さく》して行った方がいいんじゃありませんか?」
「なるほど」
添田も、祐子のいかにも理にかなった、天才的な(はオーバーか)考えに、肯かざるを得なかったようだ。
「そうしましょう。——おい! みんな集まれ!」
と声をかけた。「いいか、二階から、シラミつぶしに捜して行くぞ。——必ず見つけるんだ!」
さすがに、添田の言葉には、多少のプライドが感じられた。
「警察の威《い》信《しん》がかかっているんだ!」
と力強く言った。「俺のクビもかかっているんだ!」
後の方は、絶《ぜつ》叫《きよう》に近くなった。
まず二階ということになり、添田たちがゾロゾロ上って行く。
一階にいる場合も考えられるので、僕と祐子、それに池山刑事の三人は、居間に残っていた。
「ちょっとトイレに行って来ます」
と、池山は居間から出て行った。
「緊張してるのね」
と、祐子は微笑んだ。「可愛《かわい》いじゃないの、あの人」
「おい——」
「また、すぐや《ヽ》く《ヽ》んだから」
と、祐子はいたずらっぽく笑った。
「大丈夫かな、調べられても」
「平気よ。そんなに隅《すみ》々《ずみ》まで調べるわけじゃないもの。人が隠れそうな所を調べるだけでしょ」
「うん、まあ……」
と僕が呟《つぶや》いたときだった。
ドタドタッという音がした。——僕と祐子は顔を見合せた。
「何だろう?」
「地下室の方よ」
「行ってみよう」
僕たちは居間を飛び出した。
階段の下に、池山刑事がのびていた。
「足を踏《ふ》みはずしたんだな」
「トイレと間違えたのかしら」
「仕方ないなあ、全く——」
と、降りて行こうとすると、突《とつ》然《ぜん》、地下室の中から、あの大倉という男が現れた。
「おい、それ以上来るな!」
と大倉は言った。
僕はおとなしく、言われるままに退《さ》がった。大倉は、拳《けん》銃《じゆう》を手にしていたのである。
「こういうドジな刑事がいてくれると助かるぜ」
と大倉は笑った。「おい、他の連中を呼んでこいよ」
「ど、どうするんだ?」
「色々と話があるのさ。——ただし、妙な真似しやがると、この刑事の頭を撃《う》ち抜くからな」
「——分った」
僕と祐子は階段の方へと歩いて行った。
ちょうど、添田が降りて来る。
「上にはおらんようです」
そりゃそうだ。
「添田さん。地下室に——」
「地下室があるんですな。何か食べる物でもあるかな」
「そうじゃないんです。大倉が地下室に——」
「何ですって!」
添田は飛び上った。「——あいつ! もう逃がさんぞ!」
「あの——添田さん!」
話をする間も何もありゃしない。添田は、駆《か》け出して行ってしまった。
そして——ドタドタッという音がした。
さっきと全く同じ音だった。
「いいか! 車を用意しろ! ちゃんとした車だぞ! オートマチックの、新車がいいな。分ったか?」
地下室から、大倉の声が聞こえて来る。「それから金を三千万用意しろ!」
「三千万か……」
と僕は呟いた。
「一人、千五百万円ね」
と祐子が言った。
下では、添田と池山が二人とも人質になっているのだった。