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死体は眠らない24
日期:2018-09-14 20:42  点击:333
 24 時ならぬ水泳
 
 居間へ駆け戻ると、あの某《ヽ》刑事が、うめきながら倒れている。
 「大倉が——畜生!」
 足を撃《う》たれている。
 祐子が、ソファへ寝《ね》かせた某刑事の足を、布できつく縛《しば》った。
 「大倉の奴、また外へ行きましたよ」
 と某刑事が言った。「わ《ヽ》ざ《ヽ》と《ヽ》足を狙いやがったんです。あの野郎! どうせなら殺せばいいのに!」
 本当にいいのかしら、と僕は思った。
 「あの煙は、注意を引きつけるためだったんですわ」
 と、祐子は言った。「やっぱり何か手を打たなくては。このままじゃ、みんな殺されてしまいますわ」
 「うむ……」
 添田は腕組みをした。「一時的に休戦を申し入れ、その間に逃げますか」
 「そんな呑《のん》気《き》なこと……」
 「じゃ、どうしようってんです?」
 添田に訊かれて、僕は頭に来た。そういうことを考えるために刑事がいるんだろうが! 税金泥《どろ》棒《ぼう》め!
 「待って下さい」
 と、祐子が言った。
 みんながシンとする。——添田が何か言い出すときは、ろくに聞いていなくても、祐子となるとみんなの態度が違《ちが》うのである。
 「——私が囮になります」
 と祐子は言った。
 みんなが唖然とした。
 「だめだよ、そんなこと!」
 と、僕は思わず言った。
 「大丈夫ですわ」
 と祐子が微《ほほ》笑《え》む。「大倉だって、女をすぐには殺さないかもしれません。それに、万一のことがあっても、私ならそんなに困る人はいませんが、社長に亡くなられては、大勢の社員が困ることになりますもの」
 ——しばらくは誰《だれ》も口をきかなかった。
 みんな、祐子の、崇《すう》高《こう》な言葉に打たれていたのだ。自己犠《ぎ》牲《せい》、などという前世紀の美徳が、ここに残っていたのである!
 「——いけません!」
 と叫んだのは、池山だった。「あなたがそんな危険を冒《おか》すことはない。僕が行きます。死んだら、花の一輪でも供えて下さい」
 「いかん!」
 と、添田も、さすがに進み出て、「花より団子にすべきだ」
 ともかく、何か言わなきゃいけないと思っているらしいのだ。
 「いいえ、ご心配なく」
 祐子は穏《おだ》やかに、「私に任せて下さいな」
 と言った。
 「でもね——」
 「社長、こちらへ……」
 祐子が僕を促して、食堂の方へと入って行く。——二人になると、
 「一体どういうつもりだい?」
 と僕は声を殺して言った。
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。任せて」
 「だめだよ! 殺されたら死んじまうんだぞ!」
 と僕は厳《げん》粛《しゆく》な事実を述べた。
 「ねえ考えて。大倉がただ行き当りばったりに、何人もの人間を殺すはずがないわ。あの男、そんなに馬鹿じゃないわよ」
 「しかし現に——」
 「あの刑事は、あなたと間違えられたんじゃないかしら。ともかく、私が行けば、大倉はすぐには撃って来ないと思うの」
 「もし撃って来たら?」
 「大丈夫よ」
 祐子は素早く僕にキスした。「——私、大倉を死なせたくないの」
 「というと?」
 「あなたの奥さんに、あなたを殺すように頼まれたと言ってたけど、本当のことを聞き出したいのよ」
 「なるほど。でも、危いと思うけどな……」
 「私は運が強いのよ。心配しないで」
 と、祐子は微笑んで、もう一度キスした。
 心配する度にキスしてくれるのなら、一日中でも心配していたいと思った。
 
 「——じゃ、ここにいて下さい」
 と、玄関のドアへ手をかけて、祐子は言った。
 「安心しなさい。奴の姿が見えたら、一《いつ》瞬《しゆん》の内に仕止めてやる」
 と、添田がまた出まかせを言っている。
 「それじゃ、行きます」
 祐子は、まるで近所へ買物にでも行くという様子で、ドアを開けた。
 僕は息を呑《の》んだ。——凄い霧《きり》なのだ。
 白く、大気が濁《にご》ったように淀《よど》んでいる。これでは大倉の姿など、見えるはずがない。
 「おい、待てよ」
 と声をかけたときは、もう、祐子の姿は、白い霧の中に飲み込まれていた。
 「こりゃ凄い」
 と、添田はポカンとしている。
 「早く何とかしなさいよ! 刑事でしょう!」
 「しかし、霧だけはいくら刑事でも、どうにも……。気象庁のお天気相談所に電話して、いつ晴れるか訊いてみましょう」
 「何を呑気な——」
 と言いかけたときだった。
 霧を貫《つらぬ》いて、鋭い銃声が耳を打った。
 僕は凍《こお》りついたように、その場に立ちすくんでいた。——祐子!
 「——危い!」
 池山が僕をぐいと玄関へ引き戻した。知らずに外へ出ようとしていたらしい。これぞ、僕の純《じゆん》粋《すい》な愛の証《あか》しである。
 ドアを閉めて、息を吐《は》き出すと、僕はその場にへたり込んでしまった。
 「——やはり危険でしたな」
 と、添田が分ったようなことを言い出す。
 「こいつ!」
 僕はカッとなって、添田につかみかかった。
 「な、何をするんです!」
 「どうしてくれる! 彼女が死んじまったら、貴様のせいだぞ! この能なし刑事め!」
 「そ、そんなことを言われても——」
 と、添田は目を白黒させている。
 そのときだ。どこかの窓ガラスが派手に割れる音がした。
 「何だ、あれは?」
 バシャッ、バシャッと水のはねるような音がした。
 「おい、見て来い」
 と、添田が言った。
 池山が居間のドアを開けると、あの某刑事が、よろけ出て来たと思うと、
 「大倉が——」
 と一言、バタッと倒れた。
 その背中に、ナイフが突き立っている。居間は真っ暗だった。
 あの水の音から考えて、大倉が浴室あたりから侵《しん》入《にゆう》し、手おけに水をくんで来て、居間のローソクに水をかけて消したのに違いない。
 「おい、退《さ》がれ、危いぞ」
 と添田が言った。
 刑事が二人やられ、祐子も霧の中に消えた。僕と添田と池山の三人という、我ながら頼りないトリオが残ったのである。
 「——ど、どうしましょう?」
 と、池山が口ごもる。
 「こっちは、三人、向うは一人だ! 怖《こわ》くなんかない!」
 という添田の声も震《ふる》えている。
 「で、でも、どこから来るか分りませんよ」
 それはその通りだった。
 こっちは、懐中電灯一つだ。照らせる範《はん》囲《い》は限られている。
 「——よし、あの地下室へ行こう」
 と添田が言った。
 「またですか?」
 と、池山が情ない顔で言った。
 「あそこにいれば、大倉は階段からしか来られない。ここよりは安全だ!」
 なるほど、と僕も思った。——うかつにも、添田の言う、もっともらしい理《り》屈《くつ》にのせられてしまったのである。
 僕らは、地下へ降りて行った。
 「——さあ、これで安心だ」
 と、添田が息をつく。
 「でも、いつ大倉が来るかも知れませんよ」
 「そうだな。お前、見張ってろ」
 池山も、ここは文句も言わずに従って、階段の下にうずくまるようにして身構えていた。
 少し落ち着くと、やはり後《こう》悔《かい》の念が僕を圧《あつ》倒《とう》した。——祐子を行かせるのではなかった。
 今《いま》頃《ごろ》、寂《さび》しく、霧の中で死んでいるのかもしれないと思うと、やり切れない思いだった。
 「池沢さん」
 と、添田が僕の肩へ手をかけて、言った。「お気の毒だとは思いますが、人間、避《さ》けがたい運命というものはあるものです」
 僕はムッとして、
 「彼女が死んだとは限りませんよ!」
 と言い返した。
 「それはそうです」
 と、添田は肯く。「負傷しているだけかもしれませんな。しかし、血は止らない。出血多量で徐々に意識は薄《うす》れて行く。——あるいは大倉の手中にあるかもしれません。あの愛らしさです。大倉がどこかに彼女を縛り上げておいて、我々を殺してから、ゆっくりと楽しもうとしているかもしれない。——あるいは——」
 「いい加減にしろ!」
 と僕は怒《ど》鳴《な》った。
 全くどういう神経なのだ、この刑事は?
 そのとき、銃声がして、池山が地下室へと転り込んで来た。
 「——大倉です!」
 「やっつけたか?」
 「そう簡単にはいきませんよ」
 そこへ、
 「おい! 三人ともいるのか?」
 と、大倉の声がした。
 「何だ?」
 と、僕は答えた。「彼女は無事か? どうなんだ?」
 大倉は声を上げて笑った。
 「——知りたいか。それなら上って来な」
 人でなしめ!——僕は歯ぎしりした。
 「来ないのか?」
 と、大倉がからかうように言った。「それなら追い出してやるぜ」
 足音が遠ざかった。
 「——何をする気でしょうね?」
 と、池山が言った。
 「大倉に訊いてみろ」
 と添田がふてくされている。「全く、どうして俺《おれ》のように普段から行いの正しい者が、こんな目に遭《あ》うんだ!」
 よく言うよ、全く。——しかし、僕とて不安なことに変りはない。
 ズルズルと、何かを引きずる音がした。
 「何とか届くな」
 と、大倉が呟《つぶや》いている。「——おい、喉《のど》が渇《かわ》いたろう。水をやるぜ」
 シューッと音がして、階段の下まで水が飛んで来た。
 「水ですよ!」
 「フン、水責めか」
 添田はせせら笑った。「古くさいぞ。たかがホースの水じゃないか。この地下室を水で溢《あふ》れさせるのには朝までかかる」
 水は僕らの足もとへと広がって来た。
 「ま、せいぜい風邪《かぜ》を引くぐらいだな」
 と添田は強がって見せた。
 しかし、そううまく行くかどうか。——確かに、我が家には、庭の手入れをするための、長いホースが何本もあるのだ。あれを全部使って、あちこちの蛇《じや》口《ぐち》から水を出したら……。
 どうやら、大倉も同じように考えたらしい。少しずつ、流れ込んで来る水の量は増え始めたのだ。
 たちまち水はかかとから上まで来て、やがて膝《ひざ》まで来た。
 一段と増え方が激しくなる。太ももへ、そして、ついに腰《こし》まで。
 「まだ朝まで大分ありますよ」
 と池山が言った。
 「分っとる!」
 添田がわめいた。「ともかく出てみろ」
 池山が地下室から階段の方へ頭を出すと、銃声がして、あわてて池山は頭を引っ込めた。
 「出て行くと撃たれますよ!」
 大倉の高笑いが聞こえた。
 「早く出て来いよ。その内、溺《おぼ》れちまうぜ」
 水はどんどん増え続けていた。
 どうしたらいいんだ? 僕は、祐子が戻って来て助けてくれるのではないか、と漠《ばく》然《ぜん》とした期待を抱いていた……。

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