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死体は眠らない25
日期:2018-09-14 20:43  点击:270
 25 地下室からの脱《だつ》出《しゆつ》
 
 人生というのは、うまく行かないものなのである。
 たとえば、キャベツが沢山とれすぎて、このままでは値が下り過ぎるというので、農家がトラクターでキャベツを潰《つぶ》しているニュースを、TVで見たことがある。
 その一方では、飢えのために死ぬ人間が、毎年何十万人もいるというのだ。——誰だって、潰しちゃうくらいなら、あのキャベツを飢えている国へ送ってやりゃいいじゃないか、と考えるだろう。
 もちろん、現実には運送費や何かがかさんで、不可能なのかもしれないが、誰でも、ふと、そんなことを考えるに違いない。
 ——地下室で水《みず》浸《びた》しになりながら、僕の頭に浮《うか》んだのも、それと似た、人類愛に溢れた発想であった。
 つまり、今、この瞬《しゆん》間《かん》にも、水不足で困っている地域が、世界中にいくらでもあるはずなのだ。そこへこの水を運んで行ったら、どんなに喜ばれるだろうか。
 それなのに、大倉は、僕や添田刑事、それに池山刑事を地下室から追い立てようという、ただそれだけのために、貴重な水をむだにしているのだ。資源を大事にしよう!
 いつ水不足になるかもしれないというのに、こんなことをしていてはいけないのだ!
 しかし、それにしても、こんな状《じよう》況《きよう》の中で、世界の人類を憂えている自分に、僕はすっかり感動してしまった。僕という人間は、意外に(?)立派なのじゃないだろうか?
 それに、外見だって、あまり自信はなかったが、祐子のようなすばらしい女性が惚《ほ》れているのだから、結構二枚目なのかもしれない。
 人格的に立派で二枚目だなんて、そんなことが許されていいのだろうか? しかし、事実は如何《いかん》ともしがたい!
 やはりこんなすばらしい人間は、死んではいけないのだ。その僕を殺そうとしている大倉は、とんでもない奴なのだ。
 僕はそこまで考えて腹を立てた。偉《い》人《じん》というのは、腹を立てるにもちゃんと理屈があるものなのだ。
 しかし、残念ながら、その崇高な怒《いか》りも、現実にふえつつある水の勢いを止めるには、何の役にも立たなかった。——これが現実のつまらないところだ。
 「おい、どうするんだ?」
 と、大倉の声がした。「溺れ死ぬか、俺に撃たれて死ぬか、早くどっちかに決めろ」
 どっちにしても「死ぬ」というのでは、あまり気の進まない選《せん》択《たく》である。
 「——どうしましょう?」
 と池山が言った。「このままじゃ、三人とも溺《でき》死《し》ですよ」
 「といって、出て行きゃ撃たれるのだぞ」
 と、添田が言った。
 「じゃ、ここにいようとおっしゃるんですか?」
 「何も言っとらん! 考えてるんだ!」
 大体この刑事が考えると、ろくなことにはならないのである。
 僕は、ともかく一《いつ》旦《たん》地下室の、品物を置いてある棚《たな》をよじ登って、少しでも時間を稼《かせ》いではどうか、と思った。しかし、考えてみると、それでも水面が天《てん》井《じよう》より高くなったら、おしまいなのである。
 何しろ、白旗を出して出て行けば済むという相手ではないのだから、始末に悪い。
 「——仕方ありません」
 と添田が言った。
 「というと?」
 「ここは私が犠牲になります」
 僕は耳を疑った。——天地が引っくり返るんじゃないか、という感じだ。
 引っくり返りゃ、水はひいて助かるのだが。
 ともかく、この無責任を人間の形にしたような刑事も、この土《ど》壇《たん》場《ば》へ来て、多少、崇高な気持になったようだ。
 「じゃ、どうしますか?」
 と訊く池山の口調には、まだ不信感が溢れている。
 それも無理はないのだが。
 「私が出て行きます。大倉が撃って来る。そこを池山が狙い撃つ。——だから、いいか。俺が撃たれるより前に、大倉を撃つんだぞ」
 覚《かく》悟《ご》した割には、無茶を言っている。
 「そんなこと無理ですよ」
 「やれ! さもなきゃ、貴様をクビにしてやる!」
 「死んじゃってクビにできますか?」
 「フン、それぐらい考えない俺だと思うのか?」
 と、添田は言った。「もし、俺が部下の手落ちで死んだときは、必ず部下をクビにするという課長との覚え書を作ってあるんだ」
 ずいぶんインチキくさい話である。いくら警察がヒマでも、そんなことをするわけがない!
 「でたらめ言ったってだめですよ」
 と、さすがに池山も信用しない。「早く行って下さい。こっちもせいぜい早く仕止めますから。——でも、添田さんが助かるかどうかは、約束できませんよ」
 「冷たい奴だ!」
 と添田はかみつきそうな口調で言った。
 冷たいといえば、三人ともびしょ濡《ぬ》れなのだから、冷たいに決っている。
 「ともかく、早くしないと」
 と、僕は言った。「どんどん水が来ちゃいますよ」
 「分ってます。あなたも冷たい方ですな」
 と、今度はこっちに八つ当りだ。
 ところで、上からは、大倉が、何を使っているのか知らないが、こっちを照らし出している。こっちとしては、至って不利なのである。
 「——じゃ、行くぞ」
 と、添田が未練がましく言った。「いいか、奴が見えたら、待たずに撃てよ」
 「分ってますから、早く行って下さい」
 「追い立てるのか! ひどい奴だ」
 と、添田はグズグズしている。「では——行くか」
 行ってらっしゃい。
 僕は心の中で呟いた。——そして、ふと思い付いたことがある。
 添田が飛び出す。そして、池山が、大倉を狙い撃つ。
 手順としちゃ、間違っていないかもしれないが、肝心の拳《ヽ》銃《ヽ》を、池山は大倉にとられたんじゃなかったか?
 一体どうやって、池山は大倉を撃つつもりなんだろう?
 「では、行きます」
 と、添田がまだくり返している。
 「ねえ、ちょっと——」
 と、僕は声をかけた。
 「止めないで下さい!」
 と、添田が言った。
 「いや、そうじゃなくて——」
 「決心が鈍《にぶ》ります! 何も、言わないで下さい!」
 じゃ、ご勝手に。——僕もそこまで人がいいわけではないのだ。
 「いいか。——一、二の——」
 三、と言わない内に、池山がドンと添田を突き飛ばした。
 添田は階段の下へと、半ば泳ぐようにして、手足をバタつかせながらよろけ出た。水を飲んだのか、ゴホンゴホンとむせて、
 「おい!——早く——早く撃て!」
 と叫ぶ。
 だが、どうも妙な具合になったのである。階段の上から降り注ぐはずの弾《だん》丸《がん》は、一向に飛んで来ない。
 ただ、静かに水が流れて来るばかりなのだ……。
 「早く撃て! 早く!」
 とわめいていた添田も、その内に気がついて、「おい、どうなってるんだ?」
 と言った。
 「——撃って来ませんね」
 池山の声には、明らかに失望の響きがあった。
 「そうだ。おかしいぞ」
 と、添田は言った。「もしかすると、改心したのかもしれん」
 まさか。——TVの「水戸黄門」か何かじゃあるまいし、そう簡単に心を入れかえるわけがない。
 「上に行ってみましょう」
 と添田が言った。
 罠かもしれない。しかし、この水《みず》地《じ》獄《ごく》から出て行ければ、もうどうでもいいという気もした。
 僕が階段の下へと出て行くと、池山も、渋《しぶ》々《しぶ》という感じでついて来る。
 ライトは照らしているが、人のいる気配がしない。
 「——どうしたんでしょう?」
 と池山が不満げに言った。「トイレにでも行ってるのかな」
 「上ってみましょう」
 僕は先に立って階段を上って行った。
 やっと水から上ると、体が急に重くなったようだ。——ついでに洗剤を放り込んでくれりゃ、洗《せん》濯《たく》ができたのに。
 ライトは、壁《かべ》の釘《くぎ》に引っかけてあって、うまく下を向いていた。
 だが、肝心の大倉がいないのだ。
 「変ですね」
 「きっと我々を恐れて逃げたのですよ」
 と添田が言った。
 まさか、と思ったが、言わないことにした。下手《へた》に何か言うと、この刑事、何をやるか分らないのである。
 射殺されでもしちゃこ《ヽ》と《ヽ》だ。
 「このライトを借りましょう」
 と池山が、釘から下げてあったライトを外した。
 「水を止めよう。蛇口はどこです?」
 「ホースを辿《たど》ってきゃ分るでしょ」
 と僕は言ってやった。
 「——ま、少し放っときますか」
 安全らしいとなると、とたんに、添田は無責任に戻《もど》った。
 「じゃ、僕が止めますよ」
 と、僕は諦《あきら》めて言った。
 池山がライトを持って、ついて来る。僕は四つの蛇口をしめて回った。
 廊《ろう》下《か》へ戻って来ると、添田はポカンと突っ立っていた。
 「——何かありましたか?」
 と僕が訊く。
 「何か、といいますと?」
 「いや——つまり、どこかに大倉が隠れているとか——」
 「分るわけないでしょ、そんなこと」
 「だって——捜してたんじゃなかったんですか?」
 「私一人に捜させるつもりなんですか、あなたは?」
 「そうじゃないけど……。じゃ、僕が蛇口をしめて回っている間、ここでボケッとしてたんですか?」
 「違いますよ」
 と添田がムッとした様子で言った。「ここから動くと迷子になりそうなので、待っていたのです」
 何て刑事だ!
 「じゃ、ともかく家の中を捜しましょう」
 と池山が言った。
 「そうだな。では玄関の方からにするか」
 「いや、居間にしましょう」
 と僕は言った。
 玄関から先に捜したんじゃ、添田が外へ逃げ出すんじゃないかと思ったのだ。
 「ま、それでも別に、かまいませんけどね……」
 添田は何となく不服そうだ。やはり逃げる気だったのだろう。
 僕らは居間へと足を踏《ふ》み入れた。
 「明りをつけて下さい」
 と、添田が言った。
 「電気を切られてるんですよ」
 「ああ、そうでしたな」
 呑気なものだ。「——しかし、ためしに点けてみては?」
 「むだですよ」
 と僕は言いながら、「——ほら」
 と、スイッチを押《お》した。
 パッと、明るくなる。——電気が通じるようになったのだ!
 「やってみてよかったでしょう」
 と添田が得意げに言った。
 どうも怪《あや》しい。あそこにいたとか言って、本当はここへ来て、明りがつくのを、知っていたのじゃないか。
 僕がそう言おうとすると、
 「——大倉です!」
 池山が叫んだ。
 音の速度は三百四十メートルとかいうが、本当はもっと速いんじゃないか。
 さもないと、添田が、なぜあんなに素早くソファの陰《かげ》に隠れられたかが、説明できないのだ。
 「撃て! 早く撃て!」
 と添田がわめいた。
 しかし、銃を持っていない池山や僕には、無理な話だ。
 大倉は、居間と食堂の間のドアを開けて、立っていた。
 別に、銃をかまえているわけでもなく、ただ立っているのだ。
 「——おい! 神《しん》妙《みよう》にしろ!」
 と池山が時代劇風の言い方をした。
 大倉は、じっと立っていた。——ただ、立っているのだ。
 どこかおかしい。
 そう思った。
 「大倉! 返事をしろ」
 と池山がくり返した。
 「何か変ですよ」
 と僕が言った。
 「そうですね」
 「まるでこう——」
 「死んでるみたいだ」
 僕も、同じように感じていた。
 僕と池山は顔を見合せた。
 「調べてみますか」
 「そうしましょう」
 添田は相変らず、
 「殺せ! 撃て!」
 とわめいている。
 僕らはそれを無視して、大倉の方へと近づいて行った。

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