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死体は眠らない26
日期:2018-09-14 20:43  点击:341
 26 新たな敵
 
 近づいてみると、大倉は、立っているというより、よりかかっているのだ、ということが分った。
 ドアのわきの柱へ、もたれて、立っているのである。
 「おい——」
 と、池山が、そっと声をかける。「あの——失礼ですが——」
 池山も、いつしか添田の感覚を身につけているらしい。
 と——突《とつ》然《ぜん》、大倉は、ヘナヘナと、糸の切れたビスケットのように、いや、マリオネットのように、床に倒《たお》れてしまったのである。
 「——見て下さい!」
 池山が叫んだ。
 「見えますよ」
 と僕は言った。
 大倉の背中に深々と刺《さ》さっている、肉切り包丁。——これが見えないわけがないではないか!
 
 「不思議ですな」
 と、添田が言った。
 「何がです?」
 と僕が訊《き》くと、添田は首をひねって、
 「よく分らないところがです」
 お前の方がよっぽど分らない!
 「一体誰がやったんでしょう?」
 と池山が首をかしげる。
 「たぶん犯人がやったんだと思いますね」
 と僕も、少しは馬《ば》鹿《か》なことを言ってみることにした。
 「——自殺だったら楽ですがね」
 と添田は言った。
 「背中を刺すんですか?」
 「そういう趣《しゆ》味《み》のある奴も、いるかもしれない」
 「まさか。——それに動機は?」
 「良心の呵《か》責《しやく》、自己嫌《けん》悪《お》、失《しつ》恋《れん》、失業——。色々と考えられます」
 「大倉が失恋して自殺?」
 「分りませんよ。人間は見かけによらないものです」
 僕には、少なくとも、添田の案よりはしっかりした考えがあった。
 「犯人は分ってますよ」
 と僕は言った。
 添田と池山の、唖然とした顔は、見ものだった。——僕も、名探《たん》偵《てい》の気分を、少し味わった。
 「大倉を殺したのは、祐子ですよ。早川君です」
 少し早過ぎたかもしれないが、言わずにはいられなかったのである。
 「そうか!」
 池山が目を輝《かがや》かせる。
 「それは変ですよ」
 と添田が言った。
 「どこが?」
 「それなら、彼女はどこにいるんです?」
 畜生! 他人の意見にはケチをつけるんだから!
 「きっと外ですよ!」
 と、池山が言った。「大倉のような悪い奴でも、殺したことはショックだったんでしょう」
 「なるほど」
 「ですから、外へ出て、気を落ちつけてるんです」
 「しかし——」
 「捜して来ます」
 池山はいそいそと玄関へ向う。
 池山の理屈にも、種々欠《けつ》陥《かん》はあるが、しかし僕としては、添田の言うことよりは支持してやりたかった。
 それにしても、本当に、祐子がやったのだろうか?
 可能性としては高いと思う。しかし、確かに、それでいて姿が見えないというのは、変である。
 だが、他に大倉を殺せるような人間がいるだろうか?
 奇妙な事件だった。
 「そうだ——」
 もし、本当に祐子が外にいたとしたら、池山へ任《まか》せるのはまずい。
 池山も祐子にのぼせている。もちろん祐子は僕一人を愛しているのだが、それだけに、僕が真っ先に迎えに行かないと怒るかもしれない。
 「もう私を愛してないのね」
 とすねて、「いいわよ、私、池山さんについて行くから」
 なんてことになっては一大事である。
 僕は、池山の後を追って、玄関へと出た。
 池山が玄関のドアを開けようとした。
 「待った! 僕も捜しに行く」
 と声をかける。
 池山はドアを開けて、
 「じゃ、早くして下さい」
 と振《ふ》り向いたまま、言った。
 そのとき、一発の銃声が、夜を切り裂《さ》いて走ると、池山の胸を射《い》抜《ぬ》いた。いや、正確には、弾丸が、射抜いた。
 「早くして——下さい」
 くり返して、池山はバッタリ倒れた。
 僕は目を疑った。——あわてて、ドアを閉める。
 かがみ込んで、伏せて倒れている池山の体を起こしてみる。
 弾丸は、正に、心臓を射抜いていて、即《そく》死《し》だった。
 「——どうしました」
 と、添田が、のんびり出て来る。
 「撃たれたんです!」
 「誰が?」
 一体他に誰がいるというのか。
 「池山さんですよ」
 添田は覗《のぞ》き込《こ》んで、
 「死んでますか?」
 と訊いた。
 何だか、魚屋で、『イキがいいですか』と訊いているみたいだ。
 「そうらしいですよ」
 添田は、かがみ込んで調べると、
 「なるほど」
 と肯いた。「死んでますな」
 僕はカッとなった。——祐子がどうなっているか分らない不安や、大倉を殺した、得体の知れない誰《ヽ》か《ヽ》のことなどで、苛《いら》立《だ》っていたのだ。
 「それでも、あんたは刑事か? 自分の部下が殺されても平気なのか!」
 添田は急いで二、三歩後ずさった。
 「いや、そんなことはありません!」
 と、首を振る。「心の中では泣いているのです」
 怪しいもんだ。
 「——それでいて、表面上は平静でなくてはならない。辛《つら》いものですよ」
 と、添田は、わざとらしく、ため息をついた。
 「それより、これからどうするかを考えましょう」
 僕は怒りを抑《おさ》えて、言った。
 「全くですな」
 と、添田は言った。「これで、我々二人になったわけです」
 僕は、池山が死んでいると知ったときより、よほどゾーッとした。
 
 「——また来るでしょうか」
 と僕は言った。
 添田なんかと話をしたくはないのだが、猿《さる》を相手にするよりはいい。
 「そうですね。——来るかもしれないし、来ないかもしれない。どっちとも言えませんね」
 あまりにつまらない返事である。
 「ともかく、何か対策を立てましょうよ」
 「そうですな」
 「まず、相手は外にいるんです。——だからといって、中へ入っても来れる。油断は禁物ですね」
 「外にいる、か……」
 と、添田が意味ありげに呟く。
 「何か意見でも?」
 「おかしいじゃありませんか。外で殺したり中で殺したり。——どこか変です」
 「じゃ何だっていうんですか?」
 「私の考えでは——」
 と添田は立ち上った。「犯人は、中にいます」
 「というと? どこかに隠れているとでもいうんですか?」
 「隠れてはいません」
 僕は目をパチクリさせた。
 「というと?」
 「犯人は身近にいるのです」
 「どの辺に?」
 と僕は振り向いた。
 「いや、も《ヽ》っ《ヽ》と《ヽ》近くです」
 「もっと?」
 「目の前ですよ」
 添田が拳銃を取り出し、僕の方へとつきつけたから、仰《ぎよう》天《てん》した。
 「な、何をするんです?」
 「あなたを殺人容疑で逮捕するんです」
 「僕を?」
 僕は呆気に取られていた。「——誰を殺したというんです?」
 「少なくとも、哀《あわ》れな池山は、あなたが殺したのです」
 「そんな——」
 「他には考えられません」
 考えられない方が、どうかしているのだ!
 「さあ、白状しなさい」
 「冗談じゃない! いい加減にして下さいよ!」
 と僕は文句を言った。
 「冗談なんかじゃありませんよ」
 どうやら、本気らしい——僕は怒《おこ》るより呆《あき》れてしまった。
 この刑事、一体何を考えているんだろう?
 「しかし、僕に大倉が殺せたはずがないでしょう」
 「それはゆっくり考えます」
 「だけど——」
 「反《はん》抗《こう》すると射殺しますよ!」
 「何もしてないじゃないですか」
 「口答えも、反抗の一つです」
 ひどい奴だ。——僕は頭に来て、
 「馬鹿も休み休み言ってくれ! ともかく、今は、何とか二人で正体不明の犯人と闘《たたか》わなきゃ」
 「だから、今、私は闘ってるんですよ」
 救い難い男だ。
 「いいですか。僕はともかく——」
 「後ろを向いて!」
 「何ですって?」
 「手を上げて。壁の方に向いて立つんです」
 僕は仕方なく、言われるままになった。
 「いいですか、後であなたの上司に——」
 だが、それを言い終らない内に、僕は後頭部をガン、と強打されて、そのまま気を失ってしまったのである。
 ——ひどい目にあった。
 一体この世に正義はないのだろうか?
 もっとも、僕が「殺人犯」であるのは、事実だ。
 しかし、やってもいない殺人で、捕《つか》まるというのは、どうにも納得できない。一つ、ここは訴えてやろう。
 殴《なぐ》られて倒れるまでの間に、これだけのことを、僕は考えていたのである。

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