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死体は眠らない28
日期:2018-09-14 20:48  点击:282
 28 もう一人の刑事
 
 「なんという惨《さん》状《じよう》!」
 と、添田はため息をついた。「これをどう説明していいものか……」
 勝手にしてくれ、と僕は言ってやりたかった。
 朝になっていた。
 僕の家の中はごった返している。ともかく大倉と、刑事が二人——いや三人も殺されているのだ。
 新たに何人もの刑事や警官がやって来て、大《おお》騒《さわ》ぎなのである。
 添田は、一応、刑事たちは全部大倉にやられたということにして、その上で大倉が背中を刺して自殺した(!)らしいと語っていた。
 「私は責任者として、こちらの池沢さんと早川さんを守らねばなりませんでした」
 と、自分は責任逃れをしている。
 「いつになったら終るんです?」
 僕がうんざりして訊くと、添田は肩をすくめて、
 「分りませんね」
 と言った。
 「あんた刑事でしょ」
 「私は誘拐事件を調べに来たので、殺人の担当ではありません」
 「お役所的ですね」
 「そりゃ役所ですから」
 これではどうにもならない。
 「——ところで、池沢さん」
 と、添田が声をひそめるので、僕は緊《きん》張《ちよう》した。
 口止め料を値上げしろ、とでも言い出すかと思ったのだ。
 「何です?」
 「何か食べるものは出ないんですか」
 僕は台所へ行った。——相変らず、祐子がまめに働いている。
 「今、ピザトーストを焼いてるの。もうすぐできるわ」
 と、祐子は言った。「あっちの方はどう?」
 「今年一《いつ》杯《ぱい》には片付くだろ」
 と僕はふてくされて言った。
 「コーヒーがあるわ。飲んだら?」
 「うん、もらうよ」
 と、僕はテーブルについた。
 祐子がカップにコーヒーを注《つ》いでくれる。
 「——あの刑事さん、何か言ってた?」
 「腹が減ったってさ」
 祐子は笑った。
 「あの人は大丈夫よ。単純だもの。お金で口をふさいでおけるわ。それに、こっちをゆすってくるほどの度胸もないし」
 「そうだな。——しかし、今日、またあの誘拐犯から、電話があるのかな」
 「何時だったのかしら?」
 「午後一時って言ってたよ」
 「一億円ね。——吉野さんは?」
 「まだ来てない。あいつ、ぶん殴ってやりたい!」
 「がまんして」
 と、祐子が僕の額にキスする。「そのときが来たら……」
 「そのとき?」
 「機会を待つのよ。吉野さんは、ああ見えても抜け目がないわ。油断しちゃいけないわ」
 「うん、分ってる」
 「機会をみて、ガン、と——」
 僕は祐子を見た。
 「殺すのかい?」
 「向う次第ね。吉野さんが物分りが良くて、お金で済むのなら……」
 「そうだな」
 僕自身、正直なところ、死体にはウンザリし始めていたのである。
 「心配しないで」
 と祐子は言った。「私がやるわ、いざというときには」
 「そんなわけにはいかないよ」
 「いいのよ。——何もかも、私を愛してくれているからこそ、こんなことになったんですもの」
 「うん……」
 祐子がやってくれるというのなら、まあ任せておいたほうが良さそうだ。
 僕は大体、ややこしいことには向いていない。英《えい》雄《ゆう》は、あまり細かいことには手を出さないものなのである。
 ナポレオンが、兵士の靴《くつ》下《した》の穴をつくろってやったという話は聞かない。
 ちょっと次元が違う話かもしれないが、まあ深く考えることもあるまい。
 「社長!」
 ドアが開くより早く、吉野の声が、ドアをぶち抜いて聞こえて来た。
 「お前か」
 「いかがですか、ご気分は?」
 と、入って来て心配そうにこっちを見る。
 「大丈夫だよ」
 「そうですか。——ところで銀行の方ですが——」
 そうか。一億円の残りだ。
 「うん、どうしようか」
 「銀行に連《れん》絡《らく》してありますから、行けば用意してあります」
 「そうか——しかし面《めん》倒《どう》だな」
 「じゃ、私が参りましょうか」
 「そうだな。それじゃ——」
 と言いかけてハッとした。
 一億円の残り、七千万以上である。そんな金を、吉野の奴に取りに行かせたら……。
 「いや、僕が行く!」
 と、僕は言った。「何といっても、これは僕の仕事だ」
 「分りました」
 と吉野は、ちょっと残念そうに言った。
 フン、ざまあみろ!
 「社長さん」
 と、祐子が言った。「お疲《つか》れでしょう。吉野さんに行っていただいたら?」
 「え? しかし——」
 「それに、ゆうべの事件のことで、警察の方から、お話があるかもしれませんし」
 「うん、でも……」
 とためらう僕の方に、祐子は、ちょっとウインクして見せた。
 これでは逆らえない。僕はコロリと意見を変えて、
 「じゃ、そうするか」
 と肯いた。「吉野、ちゃんとしっかり運んで来てくれよ」
 「お任せ下さい!」
 と吉野は直立不動の姿勢を取った。「この吉野、一命にかえましても——」
 「いいから、行ってこいよ。銀行の方へは僕が電話しておく」
 「では失礼します」
 吉野が出て行くと、僕は祐子の方へ近寄って、
 「でも、大丈夫かい? あんな奴に——」
 と言いかけると、ドアが開いて、吉野が顔を出した。
 僕はあわてて、祐子から離れた。
 「何だ?」
 「あの——もし銀行で、ティッシュペーパーやメモ用紙をくれたら、いただいておいてよろしいでしょうか?」
 「ああ、いいよ」
 「ありがとうございます!」
 吉野は嬉《うれ》しそうに言って、ドアを閉めた。どういう奴なんだ?
 「——大丈夫よ」
 と、祐子が言った。「これでお金を持って消えれば、吉野さん、自分でやったと白状するようなものだわ。ちゃんと持って帰って来るわよ」
 「そうか。——それなら、いいけど」
 「心配ないわ。任せといて」
 祐子にそう言われると、正に大船に乗った気分である。
 ——それから一時間ほどは、平和な時間が続いた。
 添田はピザトーストを黙《もく》々《もく》と食べていたし、他の刑事たちはそれどころではなく、忙《いそが》しく働いている。
 「いや、満腹です!」
 と、添田がフウッと息を吐き出した。「これで何かデザートがあれば——」
 図々しい奴だ、全く。
 「何か分りまして?」
 と、祐子が訊いた。
 「いや、一向に。大倉は誰に殺されたのか。そして池山は?——謎《なぞ》ですな」
 「池山さんは撃たれたんでしょう?」
 「そうです。それも外《ヽ》か《ヽ》ら《ヽ》」
 「弾丸は?」
 「それが、妙《みよう》なのです」
 「というと?」
 と僕が訊いた。
 「弾丸は体を貫《かん》通《つう》している。従って、どこかに食い込んでいるはずですが、一向に見つからないのです」
 「変ですね」
 「その弾丸が見つかれば、どの拳《けん》銃《じゆう》から発射されたか分るのですが」
 分ったって、この刑事じゃ、犯人は捕まるまい。
 僕と添田が居間の方へ戻ると、
 「やあ、添田さん」
 と、新しくやって来た刑事が声をかけて来た。
 「ああ、どうも。——こちらは池沢さん」
 「初めまして。上田と申します」
 上田に添田か。何だかややこしい。
 「添田さん、大倉は他殺ですよ」
 と上田という刑事が言った。
 「ほう!」
 と、添田がとぼける。
 もともととぼけているようなものだから、大して変りがないが。
 「背中を刺すのは難しいし、それに指《し》紋《もん》もありません。池山君も外から撃たれている。これはなかなかややこしい事件ですよ」
 この上田刑事、添田よりも多少は刑事らしい。
 「すると犯人がいるわけだ」
 と添田は当り前のことを言っている。
 「他に誰かいなかったんですか、この家の中には」
 「いないよ。調べたんだ」
 「そうでしたか」
 と上田が肯いたが、「しかし、一つうかがいたいんですが」
 「何だね」
 「地下室がどうして水びたしになっているんですか?」
 そうか! あのまま放っておいたんだ!
 「いや——それは——」
 と添田もぐっと詰った。「この家は、地下をプールにしてあるんだ」
 勝手なことを言ってる!
 僕は黙っていたが、上田刑事は、ただ、
 「そうですか」
 と言っただけだった。
 この刑事は、添田より少し若いが、なかなか切れそうである。
 「ところで、奥様が大変ですね」
 と上田が言った。
 誘拐のことだと分るのに、少しかかった。
 「え、ええ。どうも——」
 「身《みの》代《しろ》金《きん》の支払いは?」
 「一応、一時に電話がかかることになっています」
 「そうですか。まず奥さんが無事に戻るのが第一ですね」
 「はあ」
 「おい、上田君」
 添田が仏頂面になって、「そっちは僕の事件だよ」
 と文句をつける。
 「分ってますよ」
 上田はニヤリとして、「しかし、何か関係があるかもしれません」
 「そんなことはないさ」
 「どうですかね」
 上田は、ちょっと謎めいたことを言って、あっちへ行ってしまった。
 「全く、人の仕事に口を出しおって!」
 添田はブツブツ言っているが、あの上田という刑事、どうも何か感付いているようだ。
 「——もうすぐ一時ですよ」
 と、一人の刑事が言った。
 「分っとる!」
 添田が怒鳴った。
 僕は地下室の方へと歩いていった。いくら何でも、地下室には排水口はない。
 あの水をどうしよう? 蒸発するのを待っていては、いつまでかかるか分らない。
 ドライヤーでも持って来て乾かすか? それでもあまり変らないかもしれない。
 あの大倉も、全く、面倒なことをしてくれたものだ。
 僕は地下への階段に腰をおろして、ぼんやりしていた。
 何だか忙しくって疲れたな。——そう思っている内に、いつしかウトウトと居《い》眠《ねむ》りしていたらしい。
 「池沢さん、電話です!」
 と耳元で怒鳴られて、僕は仰天した。
 その弾《はず》みに、足を踏み外し、階段を転落。もののみごとに、水の中へと突《つ》っ込んでしまったのである。

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