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死体は眠らない30
日期:2018-09-14 20:50  点击:272
 30 そして寝《しん》室《しつ》にて……
 
 「妙な話だね」
 僕は首をかしげた。
 「そうね。——油断ならないわ」
 「そうだ」
 と肯いてから、「どうして?」
 と訊く。
 「相手は馬鹿じゃないわ。だから、あえて、こっちの手の中へやって来るっていうのは、何《ヽ》か《ヽ》目的があるのよ」
 祐子は言った。
 ここは再び僕の寝室。——といって、妙な誤解は無用である。
 いくら僕でも、真昼間から、祐子とベッドへ入るようなはしたない真似《まね》は——たまにしかしない。
 ともかく、今は彼女と現状の分《ぶん》析《せき》に取りかかっていたのである。
 「しかし、たとえば向うが、人質をかかえているから平気だと思って来るんだとしたら……」
 「そんなことありえないわ。だって、もし逮《たい》捕《ほ》されなくても、顔を見られるし、それに、尾《び》行《こう》される危険だってあるわけでしょう?」
 「それはそうだね」
 「そんな危険を、好んで冒《おか》すのは、まともじゃないわ。——何か考えがあるのよ」
 「吉野の奴にでも訊いてみるか」
 と、僕はベッドにゴロリと横になった。
 突然、祐子は僕の上にかぶさって来ると、キスしてくれた。
 あわてて抱きしめようとしたときには、もう祐子は立ち上っている。
 「一体どうしたの?」
 僕は起き上って訊いた。
 「あなたの一言で分ったのよ」
 「へえ」
 僕はさっぱり分らない。
 「吉野さんよ! あの人が、金を盗むつもりなんだわ。でも、みんなは、外から来る者しか、用心していない」
 「なるほど」
 と僕は指を鳴らした。
 「ね? だから、向うも、そんな風に、わざと、こっちを挑《ちよう》発《はつ》するようなことを言っているのよ」
 「吉野の奴、ふざけたことをやるな、全く!」
 と言って、「——あれ? ところでお金の入ったバッグは?」
 「私が、ちゃんと金庫へしまったわ」
 「そうか。良かった! もう盗《ぬす》まれたかと思ったよ」
 「大丈夫よ」
 祐子は笑って、僕にキスした。「ここは一つ、この機会を利用しましょうよ」
 「利用? どういう風に?」
 「これまでは、いつも向うに出しぬかれて来たわ。でも今度は、こっちがあっちの手を読んでるのよ」
 「ふむ」
 よく分らないが、ともかく分ったような顔で肯く。
 「だから、金庫を見張るの。——吉野さんが、やって来たところを押《おさ》えるのよ」
 「そして——どうする?」
 「それは話し合いね。こっちもあっちの弱味を握《にぎ》ってるけど、こっちもあんまり強い立場じゃないわ」
 「それはそうだ」
 「だから、吉野さんが、一体何を狙《ねら》っているのか。そして、仲間は一体誰なのか。白状させるのよ。——その結果では、お互い、少しずつ損をしても仕方ないわ」
 「なるほど」
 彼女の話は、何となく良く分った(?)。
 ともかく、差し当りの問題は、どうやって金庫を見張るかということだった。
 金庫は、この寝室の棚《たな》の中にある。
 「吉野の奴、いつ頃《ごろ》、ここへ来るつもりかな」
 「さあ。ともかく、みんなの注意を、何かにそらすと思うわ。その間に、ここへやって来るつもりよ」
 「ふーん。注意をそらす、か……」
 「どうやるつもりか、それは分らないけどね——」
 と、祐子は言った。
 「君にも分らないことがあると分ると、安心するよ」
 「あら、それは皮肉?」
 と、祐子が、可愛い目で僕をにらんだ。
 「悪いことを言ったかな」
 「言ったわ」
 「じゃ、謝るよ」
 「お詫《わ》びにキスして」
 こういうお詫びなら、いくらでもしたい、と思った……。
 
 「犯人は、どういう風にやって来るか、分りません」
 添田は、少し異常なほど張り切っている様子だ。
 「じゃ、どうするんです?」
 と僕は一応訊いてやった。
 ともかく、誰かがそう訊かないと、怒り出しそうな様子なのだ。
 「ともかく、総《すべ》ての人間を疑え、ですよ」
 と、添田はニヤリと笑った。「任せて下さい」
 この男に任せると、ろくなことにはならない。それはよく分っているのだが、これでも一応刑事だから、好きなようにさせておく他はないのである。
 「じゃ、非常線でも張って——」
 と僕が言いかけると、添田は急にむつかしい顔になって、
 「それは極秘事《じ》項《こう》です!」
 と言った。
 大した極秘じゃないことぐらい分り切っているのだが。——それよりも、僕と祐子の作戦の方が、よほど極秘を要する。
 「さて、それでは——」
 と添田は、部下の刑事たちを集めると、僕の方へ、
 「民間人は出て下さい」
 と手を振った。
 これには頭へ来た。自分をよほどのVIPだと思っているらしい。
 大体、ここは僕の家だぞ!
 僕は仕方なく、台所へ行った。
 「あら、どうしたの?」
 祐子が、相変らず、優雅に立ち働いている。
 「いや、君に会いたくなってね」
 と僕は言った。「久しぶりじゃないか」
 「さっき上でキスしたばっかりよ」
 「もう十五分もたってる」
 と、彼女の腰《こし》に手を回すと、
 「だめよ、今は」
 と、身をよじる。
 その動きが、また色っぽくて可愛いのである。
 「ね、ともかく、そろそろ金庫の方に気を付けないと」
 「ああ、分ってるよ。じゃ、僕は上に行ってるからね」
 「そうね。じゃ、私も後から行くわ」
 「早く来てくれよ」
 と、台所を出ようとする。
 「待って。——おやつにケーキを作ったの。食べていく?」
 「そうかい? じゃ、一つ……」
 「遠《えん》慮《りよ》しないで。そこに紅茶もあるわ」
 「それじゃ、もらうよ」
 「私、刑事さんたちへ出して来るわ」
 「あんな奴らに食わせることないよ」
 「落ち着いて。大人になるのよ」
 大人になる、か。——そうだ。いや、全くだ。本当に事実だ。
 何を言ってるのか、自分でも分らなくなって来た。
 しかし、僕には多少頼《たよ》りないところがある。それは否定できない。
 この事件をきっかけに、大きく人間的成長をとげたが、それでも、まだ不充分なところはある。
 そうだ。——祐子を妻にしようとするからには、それにふさわしい男でなくてはならない。
 僕はケーキをじっと見つめ、紅茶のカップをじっと見つめた。——そして食べた。
 だが、急いで食べ、かつ飲んだ。あっという間に、おやつは終った。
 そうだ。早く金庫の所へ行っていなくては。——もし、みんなが祐子のケーキに気を取られている間に吉野が金庫へ手を出していたら。
 こうしちゃいられない!
 僕は、あわてて台所を飛び出したのである。——チラッと途《と》中《ちゆう》で居間を覗《のぞ》くと、祐子のケーキを、添田たちが奪い合っている、醜《みにく》い光景が目に入った。
 何が民間人は外へ、だ。美女は別、というつもりなのか。
 僕は二階の寝室へ上った。
 どこへ隠れていようか?——しかし、その問題には、それほど長く悩《なや》まずに済んだ。
 ともかく、戸《と》棚《だな》が沢山あるのだ。その一つを適当に開けて、中へ入る。
 誰か入って来れば音で分るだろう。
 ケーキのせいか、少々眠《ねむ》くなって来る。しかし、今、ここで眠るわけにはいかない。頑張らなくては!
 僕は、頭を振って、必死で眠《ねむ》気《け》と闘っていた。
 そこへ——誰かが入って来たのだ!
 少し眠気もさめて、僕は耳を澄《す》ました。
 「——まだ来てないかな」
 吉野の声だ!
 僕はゾクゾクして来た。見ろ! みごとにひっかかったぞ。
 「じゃ、僕もどこかへ隠れよう」
 どうやら、吉野は一人ではないらしい。
 そうでないと、やたら大きな独り言ということになってしまう。
 「その棚あたりかな。——でも大丈夫かなあ、本当に?」
 吉野の奴、誰と話をしているんだろう?
 「じゃ、そこにいるよ。でも——」
 と吉野は、ためらっているようで、「何だか落ち着かないよ。一応、戸棚全部、調べた方がいいんじゃないか?」
 僕はギョッとした。しかし、もう一人の方が首を振ったらしい。
 「そうかなあ。でももし、どこかにいたら……」
 もう一人が笑《ヽ》っ《ヽ》た《ヽ》。
 「笑った」ということは、声を出した、ということだ。
 そして当然、その声は僕の耳に入って来た。だが——僕の耳がその声を受け付けてから、その声が脳《のう》へ達するまで、しばし時間がかかった。
 まるで役所並みののろさだが、それも仕方ない。
 その声は、紛《まぎ》れもなく、祐子のものだったからだ。
 「大丈夫よ」
 祐子の声が言った。「あの人はまだ台所でケーキを食べてるわ。ともかく、意《い》地《じ》汚《きたな》い人なんだから」
 「金持なのに」
 「そんなものよ」
 と祐子は言った。「あの人といると疲れちゃう。——さ、入って。私、もう少しあの人を下へ引きとめておくから」
 「じゃ、合図してくれるんだね」
 「もちろんよ」
 祐子は、そう言って、「私が信用できないの?」
 ——この後、「祐子の声の女」と、吉野はキスをしたらしかった。
 「——さ、早く入って。いよいよ大《おお》詰《づ》めですからね」
 「ああ。うまくやるよ」
 「私たちの未来がかかってるのよ」
 祐子は、チュッとまたキスをして、戸棚へ吉野を押し込んだらしい。出て行く物音がした。
 そして、寝室は静かになった……。
 あれは祐子だったのか? 本当に?
 そして、「あの人」と言っていたのは——僕のことか?
 僕は戸棚の中で、眠いのも忘れて、ボンヤリと突っ立っていた……。

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