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天使と悪魔06
日期:2018-09-14 21:06  点击:361
 5 刑事、逃亡者となる
 
 吉原が廊下へ出てみると、階段を駆け上って来る足音がして、刑事や警官たちが、急ぎ足で姿を見せた。
「やあ、ご苦労さん」
 と、吉原は言った。「ここに用かい?」
「君は?」
 と、見たことのない刑事が、証明書を示して、訊《き》いた。
「僕は——僕はこの部屋の——」
「吉原丈助だな?」
 呼び捨てにされて、ムッと来た。
「そうだよ。何だ、一体?」
「通報があったんだ。調べさせてもらう」
 その刑事が促すと、他の何人かがワッと部屋の中へ入って行く。
「おい、一緒に来い」
 と、その刑事が吉原の腕をつかんで、部屋の中へ引張り込んだ。
「おい、離せ!」
 吉原が、頭に来て、手を振《ふ》り切ると、「僕は警視庁捜査一課の刑事だぞ!」
「それがどうした?」
 吉原は、怒《いか》りの余り、口がきけなくなってしまった。——畜生! 憶《おぼ》えてろ! 貴様のことを、課長へ報告してやる!
「ひどくやり合ったもんだな」
 と、その刑事は、荒らされた室内を見て、言った。
「やった奴《やつ》を言えよ」
 と、吉原は、腕組みをして、「僕は被害者だぞ! そんな態度ってのがあるか」
 すると、刑事は不思議そうに吉原を、頭の天辺からつま先まで眺めて、
「被害者だって?」
 と、言った。
「そうだとも」
「足があるようだがね」
「何だって?」
 そこへ、他の刑事が戻《もど》って来た。
「どうだ?」
「寝室です」
 と、肯《うなず》いて、「ひどいもんだ」
「そうか」
「何がひどいんだ?」
 と、吉原は言った。
「検死官を呼べ」
「はい」
 警官が廊下へ飛び出して行く。
「おい……。待てよ」
 吉原は、まさか、というように、「検死官だって?」
「お前さんも刑事なら、やり方は知ってるだろ?」
「待ってくれ。——寝室で、殺されてるのか?」
「何をとぼけてるんだ? 自分でやっといて!」
 では、三宅照子は、やっぱりやられていたのか!
「誤解だよ」
 と、吉原は言った。「捜査一課長の村田警視に訊《き》いてくれれば分る」
「いいだろう。後でな」
「——見せてもらうぜ」
「ああ」
 吉原は、寝室へと入って行った。あの良子という娘に、どう話してやったものか……。
 そういえば、あの変な少女や犬たちはどこに隠れてるんだろう?
 そこまで考えて——吉原の思考能力はストップした。
 思いもかけない光景だった。——ベッドの上に、大の字になって、血に染って死んでいるのは、三宅照子ではなかったのだ。
 それは、三宅照子のアパートで会った女……。小川育江と名乗った女だったのである。
 
 吉原が呆然《ぼうぜん》としていると、
「何も殺すことはないだろ」
 さっきの刑事が、いつの間にか、後ろに立っていた。「どんなひどい喧嘩《けんか》をしたか知らないけどよ」
「おい、勘違《かんちが》いするなよ」
 と、吉原は言った。「僕は、この女を殺したりしない」
「ほう。そうかい」
「本当だ。この女は事件の参考人なんだ」
「事件の参考人といい仲になったのか。それでも刑事か?」
「ふざけるな!」
 カッとなって、我を忘れていた。
 吉原は、決して動作の早い方ではないのだが、この時ばかりは、考える前に手が出ていたのだ。
 カッ、と鈍い音がして、吉原の拳《こぶし》が、その刑事の顎《あご》にきれいに命中していた。
 刑事は、床に大の字になって、のびてしまった。
 しまった、と思った。
 しかし、もう今さら、拳を引っこめても間に合わない。
「何だってんだ、一体?」
 わけが分らない。吉原が頭をかきむしっていると、
「こちらですか」
 と、警官が一人、入って来た。
 吉原と、そして、床にのびている刑事を見ると、一瞬ポカンとしていたが、
「おい! 手向うのか!」
 と、叫んで、拳銃《けんじゆう》を抜こうとした。
「やめろ!」
 吉原は怒鳴《どな》った。「そうじゃないんだ! よせ!」
 警官も怖《こわ》いのだろう。何しろ吉原を殺人犯と思い込んでいるのだから。
 拳銃を抜こうとしているのだが、焦《あせ》って、なかなか抜けないのだ。
「僕は殺人犯じゃない!」
 吉原は、その警官をドンと突き飛ばした。
「待て!——逃げるぞ!」
 警官が、やっと拳銃を抜いた。「止れ! 撃つぞ!」
 バン、と銃声が耳を打つ。蛍光灯のランプが粉々に砕けた。
 吉原は、首をすぼめて、玄関へと飛び出した。銃声でびっくりして入ろうとした警官と鉢合せして、二人とも仰向《あおむ》けに引っくり返った。
「気を付けろ! 一人やられた!」
 と、叫びながら、追って来る。
 吉原は、もう夢中だった。立ち上ると、目の前の警官を殴《なぐ》って、廊下へ出る。
 階段の方へ駆け出す。と、そこへ、
「撃つぞ!」
 と、鋭い声。
 夢中で走っているのだ。突然止れるものではない。
 撃つなら撃て! 当るもんか!
 バン、と銃声が、廊下に響いた——はずだった。しかし、吉原にはその音を聞いている余裕はなかった。
 左の腕に、焼けるような痛みが走って、よろけた。足がもつれ、そのまま、コンクリートの床にぶっ倒れる。
 顔をしたたか打ちつけた痛さ、コンクリートの冷たさが、一瞬感じられたが——それきり、吉原は意識を失ってしまったのだ……。
 
「——生きてる?」
「ワン」
「だめよ、死なせちゃ」
「ウー、ワン」
「たとえ死んだって、あんたには渡さないわよ」
「——死んでないぞ!」
 と、吉原は言った。
「あ、目を開けたわ」
 ——吉原は、ぼんやりとした視界の中に、何だかフワフワとした、雲みたいなものを見ていた。
 俺《おれ》も天国へ来たのかな? いや、死んでもいないのに、何で天国なんだ!
 やがてピントが合うと、それは女の子の顔——あの、「自称、天使」の顔になった。
「君か……」
「良かった。このまま、ずっと目を覚まさなかったら、どうしようかと思っていたのよ」
「ちっとも良かない……」
 少し動いて、吉原は左腕の痛みに、「ウッ!」
 と、声を上げた。
「動かないで! ひどいけがしているのよ」
「ああ……」
 思い出した! 俺は撃たれたんだ。
 しかも、警官に。——何とも情ない。
 吉原は、ゆっくりと、頭だけをめぐらせた。
「ここは……どこだい?」
 と、呟《つぶ》くように言う。
 大きな声を出すと、傷にひびくのだ。
 いやに寒々とした場所だ。
「あなたのマンションよ」
 と、少女が言った。
「ここが?」
 吉原はびっくりした。いつの間に、俺の部屋はこんなに空っぽになったんだ?
「あ、もちろん、あなたの部屋じゃないわ。地下の倉庫」
 吉原はホッとした。——いくら何でも、ここが我が家じゃ、ひどすぎる。
「僕は……どうしてここにいるんだ?」
「運んだのよ。私とこれで[#「これで」に傍点]」
 ワン、と黒い犬がないた。
「そうか……。撃たれたんだな」
「びっくりしたわ。私たち、ベランダの隅に小さくなってたんだけど、銃声がしたから、飛び出してみたの」
「警官は?」
「あなたを捜してるわ。この犬が警官の注意をそらしてくれたの。で、私があなたをおぶって——」
「君が?」
「こう見えても、結構力があるのよ」
 と、少女はぐいっ、と腕を曲げて、力こぶを作って見せた。「天使って、力仕事なんだから。重いもの運ばされたりして」
 吉原は、こんな時なのに——いや、こんな時だから、だろうか——おかしくなって、笑ってしまった。その拍子に傷が痛んで、
「いてて……」
 と、顔をしかめる。
「大丈夫?」
 吉原は、倉庫の中の、古ぼけたテーブルらしきものに寝かされていた。あまり快適な環境とは言いかねる。
 しかし、吉原は、生来、楽天的な性格の人間である。仕事で失敗しても、あまり落ち込むことはない。
 何とかなるさ。——これで、いつも立ち直ることができた。
 それにこの少女も、頭の方は少々おかしいのかもしれないが、どこか憎めないものを持っている。——天使か? そう言われてみると、そんな風にも思えるよ、と吉原は思ったのだった……。
「どうかしたの?」
 と、少女は、吉原が何も言わずに、じっと見つめているので、不安になったようで、「何か言い遺すこと、ある?」
「殺すなよ、人のこと」
「ごめんなさい」
「いや——迷惑《めいわく》をかけたね。世話になった。しかし、もうこれ以上、巻き込まれない方がいい」
「私のことより、自分のことを心配しなくちゃ」
「僕は大丈夫さ。課長は事情を分ってくれるよ。あの女を殺したのが僕でないってことははっきりしてる」
「あの女って?」
「うん……。小川育江と名乗ってた女だ。あの殺人現場にやって来た女だよ」
「その人が、あなたのマンションで?」
「誰がやったのか、ひどいことをする奴《やつ》がいるもんだ」
 吉原は、ふと気が付いて、「あの子はどうした? 三宅照子の娘」
「良子ちゃん? しっかりした子ね、本当に。お母さんがさらわれたっていうのに」
「どこへ行ったんだ?」
「ちょっと買物を頼んだの。一人で行けるって言うから……。あ、戻《もど》って来たかな」
 小刻みな足音がして、倉庫のドアをトントンと叩《たた》く音。
「私よ」
「はい。待って。——ご苦労さま」
 良子が、何やら大きな包みと、新聞をかかえて入って来る。
「新聞……。今、何時なんだい?」
「朝の十時ぐらいかしら。——どう? 近くのお弁当屋さんで買って来てくれたのよ」
「朝の十時!——そんなに長く意識がなかったのか!」
「鈍くて、眠ってただけじゃないの?」
 と、良子が言った。
「だめよ、そんなことはっきり言っちゃ」
 と、少女がたしなめた(?)。
「新聞を見せてくれ」
 と、吉原が頼むと、良子は、
「途中で見て来ちゃった。結構よくとれてる」
 と、新聞を差し出す。
「とれてるって、誰が?」
「あなたよ」
 と、良子は、ませた口調で、「でも、若いころの写真ね、きっと」
 新聞に写真が?——吉原は、急いで新聞をめくろうとしたが、何しろ左手がきかないので、思うようにならない。
「見せてあげるわ」
 少女が、社会面をめくって、「——本当だわ。ほら」
 と、吉原の目の前にかざして見せた。
〈現職刑事、愛人を殺して逃亡〉
 その見出しが、目に飛び込んで来た。そして、間違いなく、自分の写真……。
 吉原は、これは夢だ、と思った。
「おい」
「何?」
「僕を殴ってくれ」
「ええ? いやよ。天使は暴力なんてふるわないんだから」
「いいから、やってくれ!」
「私、やったげる」
 良子が、いとも楽しげに、拳《こぶし》を固めて、ポカッと吉原の頭を殴った。——七歳の子にしては、よくきいた[#「きいた」に傍点]。
「——夢じゃないんだ」
 吉原は記事を読んだ。
 小川育江という名前はなかった。女の身許《みもと》は今のところ不明、となっている。
 しかし、吉原のマンションの寝室で殺されていたのだから、何も知らない人間が、吉原の恋人と考えても不思議ではない。
 捜査一課所属の刑事というので、よけいに扱いは大きかった。村田課長の談話も出ている。
「真面目《まじめ》な性格で、とても信じられない。一日も早く自首してほしい」
 ——これしか言うことはないのか!
 吉原は愕然《がくぜん》としてしまった。もちろん、これが村田の本心かどうかは分らないとしても……。
「——参った!」
 と、吉原は、新聞を投げ出した。
「せっかく買って来たのに」
 と、良子が怒って、「TV欄が汚《よご》れちゃうじゃないの」
「畜生! 放っといてくれ!」
 吉原は、痛みも忘れて、大声で言った。
「大声出すと、見付かるわ」
 と、少女が言った。
「そうよ」
 良子が、吉原をにらんで、「いいじゃないの、ママよりも」
 吉原は、ハッとした。
 そうだった。——三宅照子は、誰かに連れ去られている。小川育江を殺したのも、その連中だろう。
 この良子という子は、母親が生きているのかどうかさえ、分らないのだ。それに比べれば、俺《おれ》は……。
 けがはしているが、ちゃんとこうして自由の身でいる。
 良子が、
「——お腹空《なかす》くと、機嫌《きげん》悪くなるのよね」
 と、包みを開けて、「はい、食べやすいように、おにぎりにしたわ」
 と、吉原の方へ差《さ》し出す。
「ありがとう……」
 少し、照れながら、吉原は、起き上って、おにぎりを食べた。熱いみそ汁もついている。
 もちろん、この代金は、吉原の財布《さいふ》から出ているのだろうが。
 地下倉庫での、ちょっと変った食事会が終ると、吉原は、息をついて、
「——旨《うま》かった」
 と言った。
「おいしいわね、結構」
「天使も、ご飯は食べるのかい」
「人間の格好して来たからにはね。こいつもね」
 黒い犬は、少々食べものに不満げだったが、少女は気にとめていないようだった。
「これからどうするの」
 と、少女が訊《き》く。「警察へ行って、事情を話す? 送って行くわよ」
「いや」
 吉原は首を振った。「まず、この子の母親を助け出さないとね」
「でも——」
「もし僕が出頭して、事実を話しても、そう簡単には信じてもらえないさ。警察は、一旦《いつたん》これが犯人、と見たら、なかなか考えを変えちゃくれないんだよ。僕にはよく分ってる」
「でも……。じゃ、いつまでも殺人犯ってことにされちゃうよ」
「この子の母親を見付ければ、自然に真犯人も分る。ここまで来たら、本当の犯人を見付けて連れて行かない限り、疑いは晴らせないだろう」
「賛成」
 と、良子が手を叩《たた》いた。
「でも、その格好じゃ……。上衣もシャツも血がついてるわ」
「うん。——何とかしなきゃな」
 吉原は、少し考えてから、「そうだ! 君、電話をかけてくれないか」
「いいわよ。電話のかけ方も、ちゃんと勉強して来たの」
「そうか」
 吉原は微笑《ほほえ》んだ。「君、って呼ぶのも何だか変だな。いい名前、ないのかい?」
「名前ねえ……。私も、ほしいの。だって、人間なのに名前がないなんて、不便だものね」
「いいのをつけよう。——何かないかな」
「うーん」
 と、良子が考え込んで、「マーガレット」
「少女マンガじゃあるまいし」
 と、少女は顔をしかめた。
「じゃ、ポチ」
「この犬ならね」
「ワン」
 黒い犬の方も不服そうだ。
「じゃ、これがいい!」
 と、良子が声を上げた。

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