11 煙の中
「妙な所ね。——どこ、ここ?」
と、マリはキョロキョロしながら言った。
「天国にはバーとかスナックはないの?」
「ないわね。でも——いつも上から見てるとキラキラ光っててきれいなのに、こんなに汚《きた》ない所だったの?」
「そりゃ夜になれば、この辺だって派手になるさ。昼間は店も閉ってるしね」
「どこへ行くのかしら?」
二人——いや、ポチも含めて三人[#「三人」に傍点]——は、用心しながら歩いていた。
宮田の方も、目的地を見付けられずにいるらしく、あちこちキョロキョロ見回しているので、見付かりそうだったからだ。
「どうやら、店の名だけ聞いて来たらしいな」
と、吉原は言った。
「——見て、誰かに訊《き》いてる」
「うん……。どこかのバーテンだろう」
蝶《ちよう》ネクタイをしたその男は、宮田に声をかけられると、ちょっと戸惑《とまど》った様子だった。
おや、と吉原は眉《まゆ》を寄せた。——あのバーテン、どこかで見たことがある。
大柄《おおがら》な男で、口ひげを生やし、一見してバーテンと用心棒を兼ねているらしい、と思える。しかし……。
どこで見たんだろう? 吉原は首をかしげた。
もちろん、吉原もバーに行くことはあるが、この辺の店は詳しくない。
「分ったらしいわね」
と、マリが言った。
大柄な男が、指さして説明している。宮田は、肯《うなず》くと、礼を言って歩き出した。
「どこかで……」
「え?」
「あの男だよ。どこかで見たことがあるんだがな」
「宮田に道を教えた人?」
「うん。どうも——」
言いかけて、吉原は息をのんだ。
バーテンの格好をしたその男は、宮田が背を向けて歩き出すと、サッと周囲を見回し、ポケットから何か短い棒のような物を取り出した。そして、いきなり、それを振り上げると、宮田の頭へ振り下ろしたのである。
バシッ、という音がして、宮田はその場に突っ伏して倒れてしまった。
マリも唖然《あぜん》としている。——吉原をつついて、小さな声で、
「殺したの?」
「いや……。気絶させただけだろう」
吉原がじっと見ていると、そのバーテンは、かがみ込んで、宮田の体を軽くかつぎ上げた。
そしてもう一度、周囲を見回すと、片手で口ひげをむしり取ってしまった。
吉原は、思わず声を上げるところだった。
「——知ってるの?」
と、マリが囁《ささや》く。
「うん。あいつだ。小川育江を、父親と名乗って、連れて行った男だよ。——畜生! すっかり押し出しの良さに騙されちまったんだ」
「宮田をどこへ運んで行くのかしら?」
「さあね。——ともかく後を尾《つ》けるのも、気を付けないと」
吉原は、マリの肩に手を置いて、「いいかい、君はここにいるんだ。危険過ぎる」
「でも——」
「僕が三十分たっても戻《もど》らなかったら、一一〇番して、ここのことを教えてやれ」
「でも——あなた、やられちゃうかもしれないわ」
「仕方ないよ。刑事だからね」
吉原は微笑《ほほえ》んで、「大丈夫。せっかく恋人と結婚できるってとこまでこぎつけたんだから。そう簡単に命を落とすようなことはしないよ」
「だけど……」
「いいね。僕の言う通りにして」
「分ったわ」
と、マリは肯《うなず》いた。「じゃ、この犬を連れてって」
ポチがびっくりしたようにマリを見上げた。
「ワン——」
と、抗議しかけるのを、
「あんた、この人について行って、守ってあげるのよ。分った?」
と、遮《さえぎ》って、言いつける。「文句あんの?」
「ワン」
渋々、ポチも承知したようだった。
「分ったよ」
と、吉原は肯いて、「よし、ポチ、行こうか」
ポチは、不服そうにマリを見ながら、トコトコと吉原の後をついて歩いて行った。
マリは、一緒に行きたかったが、却《かえ》って吉原の足手まといになるかもしれない、と思い直したのだ。
狭くて右へ左へと曲っている道を、二人の姿はたちまち見えなくなってしまう。
マリは、
「三十分かあ……」
と、呟《つぶや》いた。
もし吉原が捕まったら……。ポチが何とかするだろう。
大した度胸はないにしても、悪魔には違いないんだから。
すると、ゴーッ、という音が後ろで聞こえた。振り向くと、狭い道を、ゴミ集めのトラックが入って来る。
ちょうど、両側に立ち並ぶスナックやバーの前に出されたゴミを集めているのだ。
「ほら、どいて!」
と、係の人に怒鳴《どな》られる。「邪魔だよ」
「す、すみません」
どいて、と言われても……。
何しろ、道幅《みちはば》が狭くて、トラックとすれ違うのは、えらく大変そうだったのだ。
オロオロしている間に、どんどんトラックはゴミ袋を呑《の》み込みながら近付いて来る。
マリは、仕方なく、目の前の、二軒のバーの隙間《すきま》——本当に、「隙間」としか言いようのない、体を横にして、やっと入れるくらいの隙間に入って、よけることにした。
その隙間の向う側が、明るくなっている。
大きな通りに出るのかしら?
マリは、体を横にしたまま、カニのように横に動いて行った。
ヒョイ、と外へ出ると……。そこは、さっきの通りと似たような、やはりバーなどの並んだ、狭い道だった。
「なんだ」
と、がっかりして振り向いたマリは立ちすくんだ。
何と——目の前に、殴られた宮田をかかえたあの大柄《おおがら》なバーテンが、現われたのだ!
どうやら、道の先をどこかで回って、こっちへやって来たらしい。
「キャッ!」
と、思わず悲鳴を上げていた。
「おい」
と、そのバーテンが言った。「何だ、お前は?」
「あ——いえ、別に」
「どうしてびっくりした?」
「え——いえ、びっくりなんてしてません!」
「そうか?」
「失礼します」
と、反対の方へ歩こうとすると、目の前に、いつの間にか他の男が……。
「何だ、この娘は?」
「様子がおかしい。連れて行こう」
マリは、ぐい、と腕をつかまれた。
「やめて!」
「静かにしな」
目の前にスッとナイフの冷たい刃が差し出されて来た。「——分ったか?」
マリは肯《うなず》いた。
「よし。早く、人に見られないうちに、連れ込むんだ」
と、バーテンが言った。
「邪魔するぜ」
と、バーテンが言った。「おい、こいつを二階へ連れてけ」
マリは、えらく古ぼけた日本風の家に連れて来られた。中は薄暗く、かびくさい。
「ここは?」
と、キイキイきしむ階段を上って行く。
「昔の連れ込み宿ってとこさ」
「連れ込み?」
「知らねえのか? 今の若い奴《やつ》は、ラブホテルだもんな」
ああ、なるほど、とマリは思った。天使だって好奇心は旺盛《おうせい》なのである。
「ラブホテルに客を取られて、廃業したんだよ。目につかねえし、誰も来ない。いい所だぜ」
その小太りの男は、マリの背中にナイフを突きつけて、「さ、その部屋へ入るんだ」
と、言った。
「ここは?」
「布団部屋さ。——おとなしくしてな。もし騒ぐと、裸にして縛《しば》り上げるぜ」
重そうな戸が開くと、マリは中へ突き飛ばされた。
「もうー、乱暴なんだから」
マリは、腹が立って、呟《つぶや》いたが、何といっても天使は空手《からて》や柔道の達人ってわけではない。
窓もない、暗い部屋で、何だかかびくさい布団らしいものが積み上げてある。
マリは、仕方なく、そこに座り込んだ。
吉原さんとポチが、あの男の後を尾《つ》けて来てるはずだわ。もうすぐ助けに来てくれるんだから……。
でも——あの宮田を、一体どうするつもりだろう?
マリが、膝《ひざ》をかかえ込むようにして、座っていると——突然、
「ウーン」
と、呻《うめ》く声がすぐそばで聞こえて、マリは、
「ワッ!」
と、飛び上った。
誰かいるんだ!
マリはキョロキョロ見回して、
「誰?——誰なの?」
と言った。
「誰か……いるの……」
と、とぎれとぎれの声。
女の人の声だ。暗くてよく見えない。
「あの……誰ですか?」
と、マリは呼んでみた。
そして、ハッと思い当る。
「三宅照子さん? そうでしょ?」
「ええ……。あなたは……」
やっと、暗がりの中に、ほの白い人の姿が見えて来た。
「私です。ほら、あなたをマンションへ入れて寝かせてあげた——」
「まあ……」
と、起き上って、「良子は——良子はどうしてます?」
「ええ、大丈夫。良子ちゃんは元気にしています。無事ですから」
「良かった……」
深く息を吐き出して、ぐったりと倒れてしまう。マリはびっくりして、
「しっかりして下さい!」
と、声をかけた。
「良かった……。良子のことだけが心配だったの」
「良子ちゃんは大丈夫です。——きっと、もうすぐここに助けが来ますから」
「ありがとう……。でも、もう……私はだめだわ」
「何を言ってるんですか。しっかりして下さい」
マリは、励ましながら、「あの連中に、何をされたんですか?」
「思い出したくもない……。何とかしゃべらせようとして……」
「何を?」
「あなたは、知らない方がいいわ」
と、三宅照子は言った。「でも、ここに来てしまったんだから、無事では帰れないかも……」
「大丈夫ですよ」
「死んじゃだめよ……。どんなにひどい目に遭《あ》わされても……」
三宅照子を、抱き起こすようにしていて、マリは、その服が、ひどくあちこち引き裂《さ》かれているのを知った。
ひどい!——何てことを!
「ご主人が、何かを隠していたんですね」
と、マリは、必死で自分を取り戻《もど》そうとしながら、言った。「脅迫《きようはく》する種になるものを」
「そこまで知っているの……」
照子は、弱々しく肯《うなず》いた。「そう。——主人は、急に働かなくなって、酒や女に溺《おぼ》れるようになったの……。どうしたのか、私にもよく分らなかった。でも——そのうち、あの人が、酔ってしゃべったの。『ある奴《やつ》の弱味を握ってるんだ』って。——信じられなかったわ。昔はそんな人じゃなかったのに」
「毎月、お金が入ってたんですね」
「そう。何十万円か……。毎月毎月、誰かから絞り取っていたんだわ」
「じゃ、この連中は——」
「きっと……その脅迫された相手の人が、雇ったんでしょう。もうお金を払いきれなくなって……。いっそのこと、と——」
「ご主人を殺したのも?」
「分らないわ。でも、私じゃないの。私がやったんじゃないのよ」
「ええ。ええ、分ってます。——大丈夫、警察の人だって、信じてくれますよ」
「そうね……。でも、ここからは、もう出られないわ」
「そんなことありませんよ。しっかりして! もうすぐ助けが——」
ガタガタと音がして、戸が開いた。
「よし、出て来い」
と、さっきの小太りな男が言った。
「この人、ひどく弱ってるわ。お医者を呼んであげて」
と、マリは言った。
「おい、他人のことを心配してられる身じゃないぜ。——出て来るんだ」
マリは、仕方なく、照子をそっと寝かせると、
「戻《もど》りますからね」
と、言った。
「逆らわないのよ。殺されたら、何にもならないわ」
「ええ……」
マリは、軽く、照子の手を握って、立ち上った。
「こっちだ」
ナイフが光って、マリをせっつく。
「分ってるわよ」
マリは、暗い廊下を歩いて行った。
和室が並んでいる。——その一つの襖《ふすま》が開いていた。
「中へ入れ」
マリが入って行くと、そこは八畳ほどの部屋で、奥にもう一つ、部屋があるようだった。
「来たか」
あのバーテンが、蝶《ちよう》ネクタイを外し、ワイシャツの胸を少しはだけて、立っていた。
「——何ですか」
と、マリは言った。「あの女の人、放っといたら、死んじゃいますよ」
「どうもよく分ってねえらしいぜ」
と、小太りな男が、マリの後ろで、クックッと笑う。襖《ふすま》がパタッと閉じた。
「私のことをどうしようと、勝手だけど」
と、マリは言った。「死んだ後で、後悔することになるわ」
「ほう、こいつは面白い」
と、バーテンがニヤニヤ笑って、「死んだ後で、だって?」
「そう。地獄は辛《つら》いわよ。それに、この世の命と違って、終りがないわ」
「お説教か。——少しイカレてるようだぜ」
「イカレてたって構うもんか」
と、バーテンが、マリの体を眺《なが》めて、「女は女だ。それも、三宅の女房に比べりゃ、ぐっと若い」
マリは、吉原とポチが何をしているのか、気になった。——この男を、見失ってしまったのかしら?
冗談《じようだん》じゃないわよ!
「男二人と寝たことあるのか?」
と、小太りな男が、後ろから手をのばして、マリの頬《ほお》を撫《な》でた。「いいもんだぜ、なかなか」
「そう?」
マリは、そう言うと、思い切り、その男の手にかみついた。
「いてえっ!」
と、悲鳴を上げる。
目の前のバーテンの腕の下をくぐって、マリは正面の襖《ふすま》へとぶつかって行った。バタッと襖が倒れ、そこには布団が敷かれていた。そして——。
かもい[#「かもい」に傍点]から、あの宮田の体が、ぶら下って揺れていた。マリは、ギョッとして、立ちすくんだ。
「首を吊《つ》ったのさ」
と、バーテンが言った。「お前もだ。二人で無理|心中《しんじゆう》ってことになる」
「殺したのね! ひどいことを——」
「俺《おれ》たちは頼まれただけだ。頼んだ奴《やつ》に文句を言えよ」
「後悔するわよ! 自分が死ぬ時になって救ってくれと頼んでも、誰も救ってくれないわよ」
「くどくど言うな。ちょうど布団の上だ。おい、やろうぜ」
マリがいくらすばしこくても、大の男が二人では、とても勝負にならない。アッという間に布団の上に押えつけられてしまった。
「さて、ゆっくり可愛《かわい》がってやるか」
と、バーテンが、笑った。
あのポチの奴《やつ》! 何してんのかしら!
マリは、ふと、妙な匂《にお》いに気付いた。
「——待って! 待ってよ!」
「いやがると、ますます可愛いぜ」
と、上にのしかかって来る。
「そうじゃないのよ! こげくさいわ!」
「何だと?」
「煙が……。ほら!」
「そんなことを言って——」
「おい、本当だぞ!」
と、小太りな男が目をみはった。「見ろよ!」
煙が、うっすらと、廊下に面した襖《ふすま》の方から忍び込んで来た。
「何だ、一体?」
「知らねえけど——煙いよ」
と、咳込《せきこ》む。
マリは、男たちが廊下の方へ駆け出して行ったので、飛び起きると、ぶら下っている宮田の方へ目をやった。もう死んでいる。
「畜生! 火が回ってる!」
と、怒鳴《どな》る声がした。
マリは急いで廊下へ出た。廊下はもう、白い煙が立ちこめている。
「だめだ!」
階段を下りかけた小太りな男が、這《は》うようにして上って来た。「下はもう火の海だ!」
「何てこった! おい、窓から出るんだ!」
「あ、ああ……」
「ちょっと!」
と、マリが怒鳴ると、二人の男がギョッとして振り向く。
「三宅照子さんを放って行くの?」
「知るか! 人のことなんか構ってられるかよ!」
マリは、仕方なく、急いで布団部屋へと戻《もど》った。
「——しっかりして! 火事なんです」
と、照子をかかえ起こすと、「立って! 何とかして逃げないと」
「いえ……。もう私は、とても——」
「そんなこと言って! 良子ちゃんに会いたくないんですか? ママのことを待ってるのに」
良子の名前が、効いたらしい。照子は目を見開いて、
「——分ったわ。何とか、大丈夫です。歩けます」
「肩につかまって!——ともかく出ないと」
廊下は、しかし、もう真白で、何も見えなかった。
「頭を下げて。——どこか出られる所はないのかしら」
階段から、炎が這《は》い上って来た。
「そっちに……お手洗いが」
と、照子が言った。「窓があります」
「こっちですね」
煙の中を、咳込《せきこ》みながら、二人はよろよろ進んで行った。
ダダッ、と足音がして、二人の前に立ちはだかったのは、あの小太りな男だった。
「邪魔しないで!」
「邪魔してんじゃねえよ」
と、男は言った。「もうだめだ」
「もう一人は?」
「窓から出ようとしたんだ。とたんに下から火が吹き上げて来て、火だるまになって、落っこっちまった……。もう逃げ道はないぜ」
「トイレの窓よ! 早く、この人を——」
「わ、分ったよ」
男は、照子をかかえ上げるようにして、進んで行った。
正面に木の扉があった。それを開けると、正面に小さな窓がある。
「こんな所から?」
「やってみるしかないわ」
「ああ……」
男が、窓のガラス戸を外した。木の格子がはまっていたが、木も腐っていたのか、すぐに外れる。
「こんな所、俺《おれ》はとても通れねえ」
「待って! 誰か下に——」
マリは、窓から顔を出した。
「——あそこだ!」
と、叫ぶ声。
吉原が駆けて来た。ポチも一緒だ。
全く! 何やってたのよ!
マリは大声で、
「照子さんがいるわ!」
と、叫んだ。「火が回ってるの!」
「分ってる! そこから出るしかない!」
「やってみるわ!」
と、マリは叫んだ。「受け止めて!」
二階からだ。何とかなるだろう。
「手を貸して」
と、マリは男に言った。「この人を押し出すのよ」
「ああ……」
煙でぐったりしている照子を、二人でかかえ上げると、窓へ頭から入れて行く。
「肩が引っかかってる!——何とか通るわ! その調子!」
マリは、大声で、「吉原さん! 受け止めて!」
と、怒鳴《どな》った。
「任せろ!」
と吉原の声がした。
「押し出して!」
と、マリは言った。
腰の辺りで少し引っかかったが、スルッとうまく抜けて、照子の体は、窓の向うへ消えた。
「——やったぞ!」
と、吉原の声がする。「君も早く!」
マリは、男の方を向いて、
「あなた、先に行って」
と言った。
「俺《おれ》が?」
「私は一人でも通り抜けられるわ。でも、あなたは押し出さなきゃ無理よ」
男は、ポカンとした顔でマリを見ていたが、やがて、首を振った。
「いいんだ。俺はとても無理だよ。自分の胴回りは分ってる」
「やってみなきゃ!」
「火がどんどん迫《せま》ってる。早く出な。俺が踏み台になってやる」
男は窓の下で四つん這《ば》いになった。「さあ、背中に乗って、早く出るんだ」
マリは、ためらった。
「私はいいのよ! 天使なんだから! あなたは人間よ」
「天使か」
男は、ニヤリと笑った。「じゃ、俺が死んだら、神様に報告してくれよ。一つはいいこともした、ってな。ちっとは罪が軽くなるかもしれないからな」
「ねえ……」
「早くしろよ。二人とも焼け死ぬぞ」
「分ったわ……」
マリは、かがみ込むと、男の頬《ほお》に素早くキスした。
「ダイエットしとくんだったな」
と、男は言った。
マリは、男の背中に乗って、窓から身を乗り出した。
「来るんだ!」
吉原が、下で叫んだ。マリは、ぐっと両手で、窓枠を押した。頭から落ちる瞬間、目をつぶっていた。
「——キューン」
変な声がした……。
何だかフワフワの物の上に落ちたらしい。
目を開けると、ポチが、目を回して仰向けに引っくり返っている。
「ちょっと、ずれたんだ……」
と、吉原が言った。
振り返ると、もう二階まで、その建物は火に包まれていた……。