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天使と悪魔13
日期:2018-09-14 21:09  点击:342
 12 現われた顔
 
 
「わざとじゃないってば!」
「俺《おれ》を狙《ねら》って落ちたんだろう」
「そんなこと、できると思う? あんな時に!」
「分るもんか、天使なんて、悪魔のことを人と思ってないんだから」
「変なの」
「ともかく、俺は重傷だぞ」
「どこもけがしてないわ。ただの打ち身よ」
「全く、ひどい目に遭《あ》った……」
 ——マリとポチがやり合っていると、病院の前にタクシーが停って、林一恵と、良子が下りて来た。
「良子ちゃん!」
 と、マリは駆けて行った。「ママは無事よ!」
「どこにいるの?」
「少し具合が悪いから、お医者さんが診てるわ。でも、大丈夫。すぐ元気になるわよ」
「良かったわ」
 と、一恵が言った。「あの人は?」
「病室です。きっと何もかも分りますよ」
 マリは、良子の手を取って、病院へ入って行った。ポチも入ろうとしたが、
「犬はだめですよ」
 と、受付の人に言われて、渋々、
「差別だ……」
 と、文句を言いながら、入口の階段に、ふてくされて座り込んだ。
 ——病室へ入って行くと、吉原、そして村田警視が立っている。ベッドの照子は、良子を見て、
「良子!」
 と、両手を差し出した。
 良子はトットッと歩いて行くと、
「お帰り、ママ」
 と、言って、照子の頬《ほお》にチュッとキスした。
「——奥さん」
 と、村田が、口を開いた。「ご主人のことですが……。ご主人は誰かを脅迫《きようはく》していたんですな」
「そうです」
 照子は良子を抱き寄せながら、肯《うなず》いて、「殺されたのも、自分のせいですわ。あんなもののために、長く苦しんだ人も、気の毒です」
「それは何だったんです?」
「写真です。ホテルでの盗み撮りの。中年の男と、若い女の人……。女の人の方は、主人が殺された時、アパートへやって来たんです」
「知っていたんですか、その女を?」
「いいえ」
 と、照子は首を振った。「写真を見たことがありましたから。——それに主人は、男の人からは毎月お金を送らせ、女の人には、自分も手を出していたんです」
「なるほど。それで、あのアパートへやって来たわけか。女の身許《みもと》を、やっとつかめました。小川育江というのは本当の名だった。ただ、独り暮しで、身よりも東京にはいないので、なかなか分らなかった。それに身許の分る物は持っていなかったし」
「主人は、電話が盗聴《とうちよう》されているのに気付いて、ひどく怒《おこ》ったんです。当然、そんなことをしたのは、相手の男しかいませんから」
「何かの拍子に、その写真のある場所をしゃべるかもしれない、と思ったんでしょうな。しかし、見付かってしまって、その男も追い詰められた」
「主人は、危険を感じたんでしょう。あの女を呼び寄せて、三人で話をつけようとしたんだと思います」
「しかし、小川育江が着くのが遅れ、男の方が先に来てしまった……」
 村田は、首を振って、「その男は何者です?」
「分りません。顔は写真で見ましたけれども……」
「あなたをさらった二人の男は、そいつに雇われていたんですね」
「そうだと思います。何とかして、フィルムを見付けたかったんでしょう」
「小川育江が、刑事に訊問《じんもん》されているのを、犯人はどこかで見ていたんだな。そこで、あのうちの一人を、父親と称して、強引に連れて行かせた」
「彼女も、助かったと思ったんでしょう」
 と、吉原は言った。「何といっても、刑事の前から逃げ出したかったでしょうからね」
「だから、話を合わせてついて行った。——しかし、なぜ、お前のマンションへ行ったんだ?」
「それは、僕と課長の話を聞いて、あそこにこの母子がいると思ったからですよ。もっとも、本当にいるなんて、僕は思わなかったんだけど」
「あんたが例の二人に連れ去られた時、小川育江はもう殺されていたのかね」
 と、村田が訊《き》いた。
「いいえ。あの時、あの女の人は見かけませんでした」
 と、照子は答えた。
「それが妙だな」
 と、吉原は首をかしげた。「じゃ、なぜ小川育江は僕のマンションに?」
「お前の愛人だったからじゃないのか?」
「課長——」
「冗談《じようだん》だ。お前がやったとは、初めから、思っとらん」
「どうですかね」
 と、吉原は言い返した。「ともかく、その相手の男が分ればいいんだ。問題のフィルムはどこにあるんだろう?」
 照子は、少し間を置いて、言った。
「私が持っています」
 誰もが顔を見合わせた。
「いえ、今は持っていません。でも、あそこを出た時、持っていたんです」
「しかし——どうして隠し場所を?」
「女は家の中を一番良く知ってますわ。主人は用心していたつもりでしょうけど、少し前から、私には分っていました。主人はお茶の缶の中へ入れたり、トイレの水槽《すいそう》の中へビニールにくるんで隠したりしてました」
「なるほど」
 と、村田は肯《うなず》いた。「では、それをどこへやったんです?」
「持ち出したのは、それがあれば、主人を殺したのが私でない、と信じてもらえると思ったからですわ。でも、疲れ切って、あのマンションで眠っている所へ、あの連中がやって来て……。私、この子をベランダの外へ出して、ぶら下げてやりました。その時、フィルムも」
「ベランダに?」
「ベランダの下です。裏側に、ガムテープで貼《は》りつけてあります」
 吉原は、ホッと息をついた。
「これで犯人が分るわね」
 と、一恵が言って、吉原の腕を取った。
「すぐ行ってみましょう」
 と、マリが言った。「良子ちゃんは、ママのこと、看病してあげてね」
 良子が、ポン、と胸を叩《たた》いて、
「任しといて!」
 と、言った。
 みんなが一斉《いつせい》に笑った。
 
「何だか——」
 と、マリが言った。
「何だよ?」
 ポチが頭を上げる。
 二人はパトカーの座席に座っていた。吉原たちはもう一台のパトカーに乗っている。
 二台のパトカーは、吉原のマンションに向っていた。
「いやな気分」
 と、マリは首を振って、「どうしてだろう?」
「事件が解決すりゃ、あの刑事とあの女が、めでたしめでたし、だからだろ」
「よして。そんなんじゃないわよ」
 と、マリはポチをにらんだ。
「しかし、大した奴《やつ》だな」
 と、ポチが言った。「三宅って奴を殺してそれから女も殺した。ついでに、家捜しさせるために雇った男たちも、あの宮田ってのと一緒に片付けた」
「火を点《つ》けたのね、あの家に。——ひどいことするわ。私と、照子さんも、死ぬところだったのよ」
「俺《おれ》だって、死ぬところだったぜ」
「まだ言ってるの」
「ま、ともかく、こいつは地獄へ落ちるのに資格充分だよ」
「変なこと請け合わないで。——何だか、いやな予感がするの」
「どうして?」
「だって……。なぜ、小川育江は吉原さんのマンションで殺されてたの?」
「そりゃあ、あそこが……」
「吉原さんに罪を着せるため? でも、見も知らない人間に、罪を着せようなんて、誰が考えるかしら?」
「ふーん」
 ポチは、鼻を鳴らして、「じゃ、犯人は吉原の知ってる奴だってことかい?」
「そうとしか思えないじゃない。でも——あの人を誰が恨んでるかしら?」
「分った」
「本当?」
「振られた天使だ」
「けとばすわよ」
 と、マリは言った——。
 パトカーがマンションに着いた。
 村田、吉原、そして、一恵と、マリ、ポチの五人[#「五人」に傍点]は、エレベーターで三階へ上った。
「運動にならないわね」
 と、一恵は言った。
「ま、いいさ。事件が解決する時っていうのは、早く知りたいし、また先にのびてもほしいもんだ」
 と、吉原は言った。「課長」
「何だ?」
「僕と彼女の仲人《なこうど》をやって下さいよ」
「おい……」
 村田は渋い顔で、「俺《おれ》はそういうことは苦手なんだ」
「だめです。僕を犯人扱いしたんですから。償っていただかないとね」
 村田は、顔をしかめて、
「上司を脅迫《きようはく》するのか」
 と、言った。
 ——部屋へ入ると、吉原は明りを点《つ》けた。
「じゃあ、早速ベランダを見てみましょう」
「ああ。やってみろ。俺は高所|恐怖症《きようふしよう》なんだ!」
 と、村田はずっと手前に立っていた。
 吉原がベランダに腹這《はらば》いになって、手を外へ出す。
「——どう?」
 と、一恵が訊《き》いた。
「待てよ……。何かある! これだ」
 頑丈《がんじよう》に貼《は》りつけたテープをはがすのに、苦労はしたが、ネガフィルムを手に握って、吉原は、顔を真赤にして起き上った。
「やった!」
 と、居間へ入って来ると、「これで、犯人が分る」
「早く焼付けてみたいわね」
 と、一恵は言って——。「お父さん!」
 驚いて、目を見開いた。
 林が、コートに手を突っ込んで、居間の入口の所に立っていたのだ。
「お前がここにいるんじゃないかと思ってた……」
 と、林は言った。「捜しに来たんだ」
「お父さん……。心配かけてごめんなさい。でも、私、もう吉原さんと一緒になるって決めたのよ」
 一恵は、しっかりと吉原の腕をつかんだ。けがをした左腕だったので、吉原が目をむいた。
「そうか……」
「私の気持、変らないわ。もう家には帰りません。お母さんにも、そう言って」
 林は、しばらく、不思議な表情で一恵を見ていたが、やがて口を開いた。
「——私からは言えない。お前が、自分で言ってくれ」
「ええ。それなら自分で言います」
 と、一恵は肯《うなず》いた。
「さて、それじゃ、フィルムは俺《おれ》が預かって帰ろう」
 と、村田が言った。「吉原、どうせ何日か休暇を取るんだろう?」
「それは、こいつを焼付けてからですよ」
 と、吉原は、フィルムを見て、言った。
「その必要はないよ」
 と、林が[#「林が」に傍点]言った。「そこに写っているのは、私と、小川育江だ」
 ——しばらく、誰も動かなかった。
 マリは、自分が恐れていたものを、はっきり見たような気がしていた……。
「——お父さん」
 一恵が、一歩前へ出る。「今、何て言ったの?」
「小川育江の愛人は、この私だ」
 林は、いつもと同じように、穏《おだ》やかな口調で言った。「あの三宅という男に、その写真を撮られて以来、どれだけ苦しんだか……。毎月毎月、妻の目をかすめて何十万かのお金を工面しなくてはならなかった……。どんなに辛《つら》かったか、誰にも分るまい」
「では……三宅を殺したんですか」
 と、吉原が言った。
「うん」
 と、林が肯《うなず》く。「育江もだ」
 一恵が、よろけて、ソファにもたれかかった。
「三宅と育江は、もう何度も寝ていた。——初めのうちは、きっと育江も三宅におどされていやいや相手になったんだろう。しかし、そのうち、三宅との仲を楽しみ始める。私から絞り取った金で、二人して遊んでいたんだ」
 林は、首を振った。「あの時、育江は三宅の身を心配して、アパートへ駆けつけて来たんだ。私はそれを外で見ていた。そして、彼女を憎いと思ったんだ」
「でも、なぜここで——」
「それはね、君があの現場へやって来るのを見て、初めて思い付いたんだ。どこかで見たことがある、と思って、考えた。そして——思い出した。一恵の恋人だった刑事だ! しかしね、やはり、このまま発覚しないとしても、義理の息子が刑事というのは、どうも……。それに、私にとって一恵は何より大切だった。私に同情してくれるのは、一恵だけだ。一恵を失いたくなかった……」
「お父さん」
 一恵が、力なく床に座り込んでしまった。「何と、三宅の女房も、この君のマンションに隠れているという。好都合だと思ったよ。そこで育江が殺されれば、当然、君は三宅殺しにも関り合いがあると思われるだろう」
「それで小川育江をここへ——」
「あの二人が、ここへ連れて来たんだ。私は後から来た。育江は、薬で眠らされて、寝室にいた。——私は、ためらわなかった」
 村田が、ため息をついた。
「その殺しが、結局、隣の宮田や、例の男たちの殺しにつながったんですな」
「宮田はね、私の顔を見ていたんです」
 と、林は言った。「口止め料を払えと言った。やっと三宅を殺したのにね。とんでもないことだ! 殺そうとすぐ決心しました。ただ、吉原君に疑いをかけるために、でたらめの証言をさせた。それが済めば、もうあいつの仕事は終っていたんですよ」
「あの二人も?」
「ああいう連中だ。当然、払った金だけでは満足しないだろう。——覚悟はしていました。何もかもうまく行くと思ったのに……。そんな所にフィルムがあったとはね」
 林は、微笑《ほほえ》んだ。「私はやっぱり負け犬だな」
「——行きましょうか」
 村田が促す。「表にパトカーもいる」
「待って下さい。娘に……」
 林は、一恵の方へと歩み寄ると、「一恵、母さんを頼む」
 と、言った。
 林の体が、風のように、居間を駆け抜けたと思うと、扉が開いたままのベランダへと出て、そしてそのまま、宙へと飛び出した。
 一恵が息をのんだ。
「——お父さん!」
 マリは、目をつぶった。——いやな予感が、こんなにも当ってしまうなんて!
 下で騒ぎが起きても、部屋の中の誰もが、動こうとはしなかった……。

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