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天使に似た人03
日期:2018-09-20 20:37  点击:252
 2 野良犬《のらいぬ》
 
 
 マリが、「初めての買物」をした若者と話しているころ……。
 本来なら、天使より「夜ふかし」の得意そうな、悪魔のポチは、安アパートの階段の下で、眠っていた。
 ご承知の通り、黒い犬という格好で、マリと同様地上へやって来たこの「成績不良の悪魔」は、「ポチ」という平々凡々の名前をもらって、ブツブツ言いつつも、マリと一緒に旅を続けている。
「しかしなあ……。あいつも、もうちっと、手っとり早い方法を考えりゃいいんだ……」
 ウトウトしつつも、ポチはグチっていた。
 マリが、食べて行くのにギリギリの稼ぎしかないので、一緒にいるポチとしても、ぜいたくはできない。
 この安アパートには、マリが「社員住宅有」という条件を見て、コンビニエンスに働くことになって住んでいるのである。これが「社員住宅」と呼ぶに値するかどうか、意見の分れるところだろうが、何しろマリはどう見ても人間なら十七、八歳にしか見えないので、どこででも働ける、ってわけにはいかない。こんな所でも、飢えないためには、辛抱するしかないのである。
 フン、天使なんかと付合ってんのが間違いだな。——俺《おれ》も、二枚目のホストか何かになってりゃ、金持のおばさん連中から、うまいもんでもごちそうになって、いい思いしてこれたのに。
 よりによって、犬なんかになっちまった……。しかも「ポチ」と来たもんだ。やり切れないね、全く……。
 そろそろ朝になるのかな。
 あいつは夜勤だから、明るくなったころ、帰って来る。——腹が減ったな、おい。
 コツ、コツ、コツ。
 足音か。帰って来たのかな?
 ポチの方も、眠ってさえいなけりゃ、すばやく逃げたのだろうが——。
 いきなり、パッと輪が首にかけられて、ポチはギョッとした。
「こいつかな」
 と、声がした。「この辺で子供をかんだ野良犬《のらいぬ》ってのは」
 何だ、おい! 冗談じゃないぜ!
 ポチは吠《ほ》えたてた。残念ながら、ポチの「言葉」を理解してくれるのは、マリしかいない。普通の人間には、ただ犬が吠えているとしか聞こえないのだ。
「たち[#「たち」に傍点]が悪そうだな」
 と、もう一人が言った。「ともかく、野良犬だ。連れてこう」
 よせ! やめろってば!
 必死で振り離そうとするが、相手はプロの野犬係である。首にかかった輪がきつくしまって、ポチは息がつまりそうになった。
「さ、おとなしくしな。楽になれるからよ」
 キャンキャン、と苦しい中で甲高い声を上げたが——抵抗も空《むな》しく、ポチはズルズルと引きずって行かれた。
 
 くたびれた……。
 マリは、上下の瞼《まぶた》がくっつきそうになるのを、何とかこらえて、やっとアパートまで帰って来た。
 こんな社員住宅なんて、ないよね。
 何しろ歩いて三十分もかかる。——しかし、ぜいたくは言っていられない。
 いくら天使といっても、今は生身の少女。食べていかなくちゃならないのだ。
 もう朝の七時……。アーア、と何十回目かの欠伸《あくび》をして、階段を上ろうとしてから……。
「そうか。——ポチ、忘れてた」
 自分のお弁当と、ポチ用のお弁当。二つ買って来たのだ。
「ポチ。——お腹空《なかす》いたでしょ、あんた。よくわめかないわね」
 と、階段の下を覗《のぞ》く。「ポチ……」
 この安アパートで犬を飼うわけにはいかないので、仕方なくポチは階段の下で、つぶした段ボールか何かの上に寝ているのである。
 ブツクサ文句は言っていたが、人間の世の中じゃ、犬が仕事を見付けて稼ぐってわけにもいかないので、渋々ここで寝ていたのだが……。いない?
「どこ行ったんだろ?」
 マリはふくれて、「——人がせっかくお弁当買って来てやったのに!」
 どうせ食い意地の張ってるポチのことだ。何か旨《うま》いものをくれた人にでもついて行ったんだろう。
「フン、戻って来て、何かくれ、って言っても知らないよ」
 と、言ってやって、マリは階段をそっと上って行った。
 足音が響くと、他の部屋の人に、うるさいのである。みんな勤めがあるから、そろそろ起き出す時刻だろう。
 バタン、キューだな、これじゃ。
 昨日も、着がえもしない内に寝てしまったっけ。今日はせめて、パジャマにかえてから……。
 あと少しで眠れると思うと、本当に倒れそうだ。——頑張《がんば》って!
 やっとの思いで鍵《かぎ》をあける。これで横になったら、昼過ぎまでぐっすりだろう。
 ドアを開けて、中へ入ろうとすると、隣のドアが開いた。
「あら、おはよう」
 昨日も、ここで会った。四十過ぎの女の人で、独り住い。この時間に勤めに出ているらしい。ええと——そう福山《ふくやま》さんだ。
「おはようございます」
 と、マリは辛うじて頭を下げた。
「あらあら、眠そうね」
 と、福山|美智代《みちよ》は笑って、「今帰ったの?」
「ええ」
「じゃ、おやすみなさい」
 と、微笑《ほほえ》んで肯《うなず》く。
「行ってらっしゃい」
 マリはそう言って——。「福山さん」
「え?」
「あの、ポチのこと——階段の下にいた犬なんですけど、知りませんか?」
「ポチっていうの? そういえば……。明け方、何だかキャンキャンいってたわね」
「そうですか。いないもんですから。——どこかふらついてるんだわ。すみません」
「いいえ」
 と、福山美智代は行きかけて、「マリさん、だっけ?」
 と、振り向いた。
「はい」
「ねえ、あの犬、ちゃんと鑑札《かんさつ》とかつけてる?」
「あ——いえ、ちょっと特別な素性の犬なんです」
「そう。あのね、ゆうべ、この辺、野犬狩りに来てたの」
 と、福山美智代は言った。「何だか、野良犬《のらいぬ》がこの辺の子供をかんだ、とかいう事件があってね」
「野犬狩り?」
 マリは、そんなもの知らない。「何ですか、それ?」
「野良犬をね、捕まえて連れてくところがあるのよ」
「へえ。——じゃ、ポチも?」
「もしかするとね。ちゃんと登録しといた方がいいわよ」
「そうですね……。じゃ、すみませんでした」
 マリは、頭を下げて、部屋の中へと入って行った。——福山美智代は、ちょっと目をパチクリさせていたが、
「——いいのかしら、あの犬が殺されても」
 と、呟《つぶや》いて、「意外と冷たいのね、今の若い子って」
 と、首を振って、さあ、仕事、仕事と階段を下りて行く。
 マリの方は、やはり心配が当って、部屋へ入って鍵《かぎ》をかけ、上り込んで——ドタッと倒れると、そのまま寝込んでしまった。
 ポチは、どこか——犬の浮浪児(?)の入れられる場所で寝てるんだ。きっとご飯も出るだろうし。目が覚めてから、引き取りに行きゃいいんだ、とマリは簡単に考えていたのだ。
 ともかく今は——ぐっすり眠って……。
 そう考えているマリも、夢の中だったのかもしれない。
 マリは、お昼過ぎまで、全く目を覚ますことなく、眠ってしまったのである。
 
 目が覚めると——もう午後の一時。
「ああ、ひどいなあ」
 と、マリは、帰った時のままの格好で眠っている自分を見付けて、苦笑した。「こんなとこ、覗《のぞ》かないで下さいね、大天使様」
 ウワーオ、と犬の遠吠《とおぼ》えみたいな声を上げて欠伸《あくび》をする。その声は、もしかしたら天国にも届いたかもしれない。
「お風呂《ふろ》、入ろう、っと」
 このボロの社宅、唯一の取り柄《え》は、小さいながらもお風呂がついていること。——マリはお湯を入れて、ブルブルッと頭を振ると、その仕草で、ポチのことを思い出した。
「あ、そうか。どこだか、捜して引き取って来なきゃね」
 急ぐこともないだろう。結構居心地がいいというんで、のんびり居座ってるかもしれないし。
 でも、食べるもんにうるさいからね、あいつ。面倒みる人が音を上げてるかもしれないわ……。
 小さな浴槽《よくそう》なので、すぐにお湯で一杯になる。マリは湯加減を確かめて、
「結構、結構」
 と、上機嫌《じようきげん》。
 鼻歌なんか歌いながら(もっとも、讃美歌《さんびか》だったが)、パッパと服を脱いで裸になる。
「お風呂だ、お風呂だ!」
 ワーイ、子供みたいにお風呂場へ飛び込んで行こうとすると——。
 トントン、とドアを叩《たた》く音がして、
「失礼。——おいでですか」
 と、男の声がした。
 誰《だれ》だろう? ともかく、この格好じゃ……。どうしよう?
 少なくとも、何か答えておけば良かったのである。どうしよう、とオロオロしている内に、来訪者はもう一度ドアを叩き、
「お留守かな?」
 と——ドアが開いた!
 マリは、唖然《あぜん》として、そして思い出した。この部屋に住むことになった時に、ここの管理のおじさんが言ったことを。
「ここはね、時々、鍵《かぎ》が調子悪くてかからないことがあるんだよ。必ずチェーンをかけてくれ」
 思い出すのが、遅すぎた!
 ドアから顔を覗《のぞ》かせたのは、中年の、少し髪の白くなった男で——。
「あ、失礼、あの……」
 マリは、あわてて脱いだ服をかき集めて、体に押し当てると、
「すみません! お風呂《ふろ》に——。あの——後にして下さい」
 と、大声で言いながら、後ずさりして、お風呂場へ入って行った。
「こりゃ失礼! 出直して来ます」
 その男も赤くなって、ドアを閉めようとした。
「あ……あ……」
 マリは勢い良く退《さが》りすぎて、ドン、と浴槽《よくそう》にぶつかった。そして——真っ逆様にお湯の中へと突っ込んでしまったのだ……。
 
「お騒がせしました……」
 いくら天使でも、人の前で裸になるというのは——。マリも、人並みに(?)穴があったら入りたい、という心境だった。
 もちろん今は、ちゃんと服を着て、少し髪は濡《ぬ》れていたが、何しろドライヤーなんて洒落《しやれ》た物はない。
「小さなお風呂というのは危いんです」
 と、その男が言った。「逆さに突っ込むと、出られなくなる」
「はあ……。でもお恥ずかしい」
 結局、この男に助けてもらって、マリは命拾いしたのだった。
「いや、しかし大変|爽《さわ》やかな娘さんだ」
「どうも……。それで、ご用件は?」
「ああそうだ! いや、肝心の用を忘れて帰るところでした。坊っちゃんに叱《しか》られる」
「坊っちゃん?」
「はあ。私、田崎《たざき》と申します。山倉《やまくら》様のお宅で、もう二十年近く、働いておりまして」
 どっちも聞いたことのない名前だ。
「それで——」
「坊っちゃんの言いつけで、やって参りました。あなたに、山倉家に嫁入りする気はないか訊《き》いて来い、と——」。
「は?」
 マリは頭の天辺《てつぺん》から、声を出した。「あの——嫁入り、とおっしゃったんですか?」
「そうです。早い話が、坊っちゃんと結婚しませんか、ということです」
「でも……見も知らない方が、どうして?」
「いや、ちゃんと二度も[#「二度も」に傍点]会っておられるのです。あなたの働いておられるコンビニエンスストアで」
「お店に?」
「そうです」
「でも……私、デートも申し込まれたことありませんけど」
「何も買わずに、いつも店に行く、二十歳くらいの若い男がいるでしょう」
「何も買わずに……」
「ゆうべ、初めて買物をし、あなたとお話しをした——」
「ああ! あの暗い人[#「暗い人」に傍点]ですか?」
 と言ってから、「失礼。——でも、あの人が——」
「山倉家の後継ぎで。お父様は今スイスにお住まいです。坊っちゃんは、一風変った方ですが、大変気持のやさしいところがありまして……。ただ、夜中にコンビニエンスへ行くのが、くせ[#「くせ」に傍点]というか……」
「妙なくせですね」
「買物なんか、必要ないのです。ともかく私を含めて五人も使用人がいるのですから」
「五人!」
「それでも、何かきっと自分のほしい物が一つや二つ、あるはずだ、と毎晩コンビニエンスへ……。そしてゆうべ、見たこともないほど晴れやかな顔で帰宅されまして、『見付けたよ、ほしい物を』とおっしゃったのです」
「あのコンビニ、大したもん、置いてませんけど」
 と、マリは素直に言った。
「いや、坊っちゃんのおっしゃったのは、あなた[#「あなた」に傍点]のことです」
 マリは唖然《あぜん》とした。——世の中、物好きは多いが、よりによって!
「お言葉はありがたいんですけど……私はどうも……その手のことには向かないんですよ」
 と、マリは言った。
 天使ですので、なんて言えやしない!
「ともかく、一度、当家へおいで下さい。もちろん無理にとは申しませんが。それに、そんなコンビニエンスで働いて、このアパートに住まなくても、いくらでも住んでいただくマンションや別荘がございます」
「そんなの困るんです。私、研修[#「研修」に傍点]に来てるんですから。いえ——あの——自分で働いて、生活して行く主義でして……」
「なるほど、その年齢《とし》で、しっかりしてらっしゃる」
 と、田崎は感心した様子。「しかし、遊びに来られて、夕食をご一緒に、というぐらいは構わんでしょう」
「夕食……ですか」
 そう言ったとたん、マリはお腹がペコペコなのを思い出した。すると、マリのお腹は素直に反応し、同意の声を「グーッ」と上げたのである。
「はあ……。それぐらいでしたら」
 真赤になりながら、マリは顔を伏せた。
 このところ、「ごちそう」と呼べるようなものは食べていない。たまには……いいですよね、人の好意に甘えても。ね、大天使様。
「ただ——私、犬と一緒なんです」
「犬?」
「はい。ポチといって、見かけは可愛《かわい》くないんですけど——まあ、中身もあんまり可愛くなくて……。でも、ずっと一緒なものですから」
 田崎は笑って、
「犬一匹ぐらい、山倉家の庭で、いくらでも遊ばせられますよ」
「いえ、その犬もきっと——食べたがると思うんです、同じもの[#「同じもの」に傍点]。人と同じでないと気がすまない、っていう犬で」
「かしこまりました。では、あなたとポチを正式にディナーにご招待申し上げます」
 と、田崎がちょっとかしこまって言った。
「すみません」
「こちらへお迎えに来ましょう。六時ごろでは?」
「はあ、結構です。——あ、ポチがいないんだったわ」
「外出[#「外出」に傍点]ですか?」
「何だか……野犬狩りに捕まったみたいなんです。どうすれば引き取れるんでしょう? ご存知?」
 田崎は、眉《まゆ》を寄せて、
「野犬狩りに……ですか」
「ええ。ご近所の方が、そうじゃないか、と……」
「野良犬は——薬で眠らされるんですよ。ご存知ないんですか?」
「薬で? 薬なんかなくとも、眠りますわ、ポチは。そこにいる犬って、みんな不眠症なんですか?」
「いや——つまり——二度と目を覚まさない眠りに、ということです」
 マリはポカンとしていた。
「つまり——」
「殺されるのです」
「嘘《うそ》……」
 マリはちょっと笑った。それから、田崎が大真面目《おおまじめ》な顔なのを見て、
「本当に……?」
 と、身をのり出す。
「本当です」
「どうしよう! ポチ!」
 マリは真青になった。
「間に合うかどうか……。捜してみましょう」
「お願いします! ポチは——ポチは、相棒なんです、研修の。向うは悪魔で、こっちは天使で、変な取り合せなんですけど、でも、結構助け合ってやって来たんです!」
「何だか良く分りませんが、ともかくやってみましょう」
 田崎が立ち上る。「電話は?」
「ここには……ありません」
「よろしい。いらっしゃい。車から電話をかけてみます」
「お願いします!——ポチ! 生きててね!」
 マリは、田崎と一緒にアパートの部屋を飛び出したのだった。

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