4 代 役
「一体ここは何ですか?」
と、果しなく続きそうな廊下を歩いて行きながら、マリは訊《き》いた。
「戸《と》惑《まど》うのも当然だがね」
と、中山は言った。「ここは我々の宗教の総本山というわけだ」
「宗教?」
「そう。〈有《う》徳《とく》と平安のための教団〉というのを、聞いたことはないかね?」
「有徳と平安……。すみません、不勉強で」
「いやいや、構わんよ。まだ創立して十年ほどしかたっていない、新しい宗教だがね、今、全国に五十万人近い信者がいる」
「五十万……」
「大企業のオーナーとか、大地主にもかなりの信者がいてね、その人たちの寄付で建てたのがこの本山さ」
「でも——凄《すご》い広さですね」
「全国大会には五万人も集まるからね。これぐらいの広さは必要なんだ。——さ、こっちへ来て」
わき道へそれる格好で、細い廊下を歩いて行くと、突き当りに頑《がん》丈《じよう》そうな扉があった。
「スタジオだよ。中へ入ろう」
力をこめて中山が扉を開けると、そこは三十畳くらいの広さは充分にある、広々とした場所で、天井は高く、ライトやマイクのスタンドが、あちこちに立って、本物に違いない大きなTVカメラも三台あった。
「何するんですか、ここで?」
「全国の信者に向けてのメッセージとか、講話とかを、ここで録画するんだ。本格的なTVスタジオの設備だよ」
「凄いですね」
と、マリはただ目をみはっている。
「君ね、そこへ座って」
中山に促されるまま、マリは、肘《ひじ》かけのついた、モダンな椅《い》子《す》に座った。
「これでいいんですか?」
「うん。——正面のカメラの方を向いて。そのままにしててくれ。いいね?」
「はい。あの——」
「何だね?」
「息しててもいいですか?」
中山がふき出した。
「レントゲンをとるわけじゃないからね。楽にしてていい。——じゃ、座っててくれ」
中山がスタジオから出て行く。一人、取り残されたマリは、いささか落ちつかない気分で、右左をキョロキョロ眺めていた。
「動かないで」
急に中山の声がスタジオの中に響き渡った。
「は、はい!」
どこかからマイクで呼びかけているらしい。マリはあわててきちんと座り直した。
「正面のカメラを見て」
とたんにサッと照明が点《つ》いて、マリにまぶしいほどの光が降り注いだ。
「そう。——もう少し頭を上げて。カメラをそんなににらみつけなくてもいいよ」
「はい」
そんなこと言ったって! こっちは役者じゃないんだから。
「できるだけ愛想良くね。——ニッコリ笑って」
マリは精《せい》一《いつ》杯《ぱい》の可《か》愛《わい》い笑みを浮かべたが、見たところはほとんど顔面神経痛か歯痛に悩《なや》む人みたいだった。
「——OK」
と、中山は言った。「次は何かしゃべってみてくれ」
「はあ?」
マリは面食らった。「しゃべるって……。何をですか?」
「何でもいいよ。君の好きなことをしゃべればいい」
「はあ……」
そんなこと言われたって。誰もいないのに、どうやって? タレントじゃないのだから、TVカメラに向って話をするなんてこと……。
「——何か話して。君の生い立ちでもいいよ」
それこそ、話しようがない!
「ええと……あの……今日はとてもいいお天気で……。そうでもないか。雪でしたね。往《ヽ》き《ヽ》はよいよい、帰りは怖《こわ》い。え?——何言ってんだろ、私? つまり……天国みたいでしたね、さっき目が覚めた時は。でも、天国って、その——皆さんが考えてるのとは大分違うんです。よくいるんですよね、天国へ来られてから、『何だ、こんな所か』ってがっかりする方が。天国って、何かこう——豪《ごう》華《か》な宮殿みたいな所だと思ってる人がいて、そこへ行きゃ、もう永久に好きなことして遊んでられる、っていうか。でも、本当はそんなことないんです。遊んでばっかりいたら、人間って、いやんなりますから。ええ、絶対に。だから、やっぱり天国でも任務とか仕事ってものがあるんです。私たち天使が、それの手配とかやるんですけど、お給料とか、全然出ません。お金ってもんが天国にはありませんから。働く喜びっていうか……。人の役に立ってることで、自分も嬉《うれ》しいっていうこと。それこそ天使の喜び、なんちゃって。これ、いつも毎朝起きると、三回みんなで一《いつ》斉《せい》にくり返すんですよね、せーのって。でも、ぴったり合ったことがなくて、いつも上級の天使が怒ってます。天使が怒ったりしちゃまずいんじゃない? なんて、よく私たち下級の天使はコソコソ話してるんですけど。ともかく、天国って、やっぱりいい所です。天国よいとこ、一度はおいで、とか……。ハハ、一度しか来られませんよね、誰だって、ねえ。好んで地獄行く人って、あんまりというか、たぶんいないと思うんです。人間って、付合えば付合うほど、可愛いっていうか、哀れっていうか……。悪いことして、地獄へ行くなあ、この人、とか思っても、どうしても憎めないんですよね。生れた時までさかのぼってみれば、みんな同じ赤ん坊で……。あ、そうですね、天国ってやっぱり赤ん坊とか子供は絶対数が少ないんです。高齢化が天国でも問題になってまして、特に〈天国フィルム〉で映画とっても、主人公の恋人同士がどっちも七十歳だったりすると……。見る人の評判があんまり良くないんで、役者とか、音楽家とかに関しては少し受け入れ規準を下げようか、とか今検討中……」
マリはハアハア息を切らして、
「あの……もういいですか?」
と、すっかりくたびれて訊《き》いた。
しばし間があってから、
「いや……充分だ」
と、中山の呆《あつ》気《け》に取られたような声がした。「君——実に想像力が豊かだね」
「ありがとうございます」
誉《ほ》められているのかどうか、ともかくマリは礼を言うことにした。
「この人が?」
と、マリは言った。
「我々の教祖——第二代の教祖だよ」
「こんな若い女の子が!」
ビデオプロジェクターの五十インチの大画面に映し出されているのは、白い衣に身を包んだ少女で、見渡す限り(というのは少しオーバーだが)の信者に向って、よく通る声で教えを説いているところだった。
「あの時、TVで見たろ」
と、ポチが言った。
ポチも目を覚まして、このスタジオに隣接した小部屋に来ていたのである。
「あ、そうか」
「え?」
と、中山が不思議そうに、「どうかしたかい?」
「いえ、何でもないんです」
マリはあわてて首を振った。「あの——この人、どこにいるんですか?」
「今はアメリカに行ってる。向うに支部ができることになっていてね」
「へえ、凄《すご》いですねえ」
と、マリは素《そ》朴《ぼく》に感心していた。
あ、そうか。——突然思い出した。
加《ヽ》奈《ヽ》子《ヽ》って……。あの時、ラーメン屋さんでTV見てたおじさんが私を見て言ったんだわ。
加奈子……。すると、さっきのボーイさんの格好した若い人も、同じ人のことを言ってたのかしら?
「——これが君だ」
と、言われて画面に目を戻《もど》すと、自分がカメラをギョロッとした目でにらみつけている。
「ワア! いやだ、恥ずかしい!」
マリはとても見ていられなくて、両手で顔を覆《おお》ってしまった。
「いや、とても可《か》愛《わい》くうつってるよ」
「そんな! いやだわ、もう!」
なんて言いながら、マリは指の隙《すき》間《ま》から、そっと覗《のぞ》いていた……。
「君は今の教祖にそっくりだ」
と、中山は言った。
「私が……?」
「そう。もちろん双子じゃないから、全く同じってわけにはいかないが、少し眉《まゆ》の形とか、頬《ほお》の辺りとかを、メーキャップで変えれば、充分に教祖として通用するよ」
マリは戸《と》惑《まど》った。
「どういう意味ですか?」
中山は、ビデオを止めると、
「君の仕《ヽ》事《ヽ》さ。君に来てもらったのは、このためだ」
「よく分りませんけど」
「君に、教祖の代《ヽ》役《ヽ》を演じてもらいたい」
マリは面食らって、
「私が——あんなことやるんですか? 白い服着て?」
「説教しなくてもいい。ただ——教祖は非常に忙しい。日本中をいつも飛び回っているし、目下のように外国へも飛ぶ。その間、ここを訪れる信者は、教祖の姿を拝めずに、がっかりして帰ることになる」
「はあ」
「君が身代りで、姿を見せ、会《え》釈《しやく》したり微《ほほ》笑《え》んだりするだけで、信者たちは、来たかいがあった、と満足して帰って行く。分るだろう?」
「でも——今のビデオもありますよ」
「ビデオじゃだめさ。本物の教祖がそ《ヽ》こ《ヽ》にいる、というのとは全く別だよ。分るだろ」
「ええ……。でも、何だか——」
「もちろん、君は何もしゃべらなくていい。周囲には私も含めて、何人もの人間がついているからね。君は、ただ黙って立っているとか、歩いているとかすればいいんだ。どうだね、難しくないだろ?」
「それは……。でも、もし、本物じゃない、って分っちゃったら、どうするんですか? 却《かえ》ってまずいことに——」
「それは絶対にない」
と、中山は首を振って、「君と教祖の見分けがつくのは、ごく身近な人間だけだし、身近な人間は事情をちゃんとのみ込んでいるからね」
「はあ……」
マリは、迷っていた。
もちろん、中山の言う通りなら、難しい仕事ではないかもしれない。別に、害のあることとも思えないし。
でも、どう言いわけしてみても、それは信じてやって来る人々を「騙《だま》す」ことにならないだろうか?
といって、命を助けてもらった恩は、返さなくてはいけないし……。
すると、部屋のドアが開いて、中山よりは大分若い感じの、スラリとした背の高い女性が入って来た。
「あら、失礼」
「いや、構わんよ」
中山は、立ち上って、「これが、さっき話したマリ君だ」
「まあ」
と、その女性はマリを眺めて、目を見開き、「驚いた。——こんなに似てるなんて」
「だろう? マリ君、こちらはね、教団の幹部の一人、水《みず》科《しな》尚《なお》子《こ》君だ」
「初めまして」
と、マリは頭を下げた。
「ちょっと話が——」
と、水科尚子は中山の方へ言った。
「分った。——君、ここにいてくれ。すぐ戻《もど》る」
中山は、水科尚子と二人で出て行った。
「なかなかいい女だな」
と、ポチが言った。
「知的って感じね。いかにもバリバリ仕事をやりそう」
「結構ああいう女は色っぽいんだぜ」
「エッチ!」
「それより、何を迷ってんだ?」
ポチに言われて、マリはちょっとドキッとした。
「だって——嘘《うそ》つくことになるじゃない、身代りなんて」
「別に誰も損しやしないぜ」
「そりゃそうだけど……。引っかかるのよね、やっぱり」
「お前みたいなこと言ってちゃ、人間としてやっていけないぜ」
「そりゃ、私は天使だもん。だけどさ、妙だと思わない?」
「何が」
マリは、あのラーメン屋にいた中年男と、さっきのボーイ姿の若者が、二人ともマリを、
「加奈子」
と呼んだことを話してやって、
「加奈子って人が、あの教祖なのかもしれないわね。でも、あのおじさん、どうみても、初代の教祖って感じじゃなかった」
「別に親子で継《つ》いでるわけじゃねえんだろ。ここの事情だよ。俺《おれ》たちにゃ関係ないさ」
「まあね」
「待遇は良さそうだし、断る理由もないんじゃないか? 俺はしばらくのんびりしたいね、ここで」
「あんたは楽することばっかり考えてんだから」
と、マリは言ってやった。
「だけど——〈有《う》徳《とく》と何とか〉だか何だか知らねえけど、儲《もう》かるんだなあ、こんな凄《すご》いもんぶっ建てて」
「本当ね。それも私、引っかかってることの一つなの。お金持すぎると思わない?」
「そんなもん、キリスト教だって同じだろ。これより何倍も凄い教会がいくつもあるぜ」
「そりゃまあ……そうだけど」
「要は信者がそれで安心すりゃいいのさ」
と、ポチはクール(?)である。
「でも、妙ねえ。現代なんて、本当に合理的で何でもあってさ、みんな楽しそうに見えるけど、こういうものにワッと集まって来る人って沢山いるんだ」
「現代人は孤独なのさ」
「何よ、分ったようなこと言って」
と、マリは笑って言った。
ドアが開いた。マリは、中山だと思って、パッと立ち上ったが——。
「加奈子!」
これで、そう呼ばれたのは三度目である。
今度は四十ぐらいの、大分太り気味のおばさんだった。
「あの……」
「良かった! 会えないかと思ったわよ」
派手な化粧をしたその女は、大げさに息をついて、「あの男ったら、どうしても会わせちゃくれないのよ。母親がどうして娘に会っちゃいけないの、ってかみついてやったわ」
娘! じゃ、この人は……。
「散々待たせるからさ、勝手に出て、捜しに来たのよ。やっぱり親子だね。何となくあんたがここにいそうな気がしたの。——すっかり偉くなってさ! よかったね、元気で。心配してたんだよ」
まくし立てられて、マリの方は困ってしまったが……。しかし、どうも母親の喜びようには、作りものめいたものがあるように思えた。
「申し訳ありませんけど」
と、マリは言った。「私、加奈子じゃありません」
その女はサッと顔をこわばらせて、
「何よ、あんた! あの男の入れ知恵だね? それとも、私みたいな母親がいちゃ、見っともない、とでも言うの?」
「いえ、別に……。でも、私、違うんです」
「とぼけたってだめよ、十七年間育てて来たんだからね。私だって馬鹿じゃない。あんたの考えぐらい分ってるさ」
と、その女は腰に手を当てて、「私はね、あんたが何者か、マスコミにしゃべってやることもできるんだよ、分ってるんだろうね」
と凄《すご》んだ。
マリとしては何とも言えない。ポチが、
「こんな女、追ん出しちまえよ」
と言った。
「あら、何、これ? こんな犬を飼ってんの? フン、汚《きた》ないね」
「この女め!」
「ポチ……。ね、よく見て下さい。私、あなたの娘じゃありません」
と、マリは言った。
「あくまでそう言い張るの?」
女は、急に、疲れたように椅《い》子《す》にかけて、「ねえ、加奈子……。母さんのこと、恨んでるのは良く分ってるよ。あんたのこと、放ったらかしにして、若い男に熱を上げてて。でも……。父さんが消えちまって、寂《さび》しかったんだよ。分るだろ?」
「あの……」
「あの恋人とはもう切れたんだよ。私もね、ここで心機一転、出直そうと思ってね。いいだろう?」
と、女は言ってマリの手を取った。「あんたの邪魔はしたくないのよ。ね、分るだろ? あんたは充分幸せそうだし……。私だって本当にホッとしてるんだよ」
「でも……」
「私の話は簡単さ。新しく仕事をね——店を出そうと思ってるんだ。小さな店をね。そこで地道にやって行く。ね、それが一番だろ?」
「はあ……」
「そのために少し——ほんのちょっとでいいんだけどさ、お金がいるんだよ。大きなことは言わない。ほんの……そうね、二千万もありゃ、ちゃんとした店ができる。分るだろ?」
お金。——お金がほしいのか。
マリには、この女の笑顔が作りものめいて見えたのがどうしてか、やっと分った。
「あんた、教祖様だろ? 凄いじゃないか。こんな立派な所に住んでさ。二千万ぐらい、あんたの一言で何とでもなる。そうだろう?」
マリは困ってしまった。それにしても、実の母親だっていうのに、娘か、よく似た別人か、分らないんだろうか。
「二千万が無理なら、千五百万でも……。ねえ、加奈子、私だってあんたを十七年間育てたんだよ」
ドアがパッと開いた。
「やっぱりか」
中山が、厳しい顔で立っていた。「勝手に人の家の中を歩き回られては困りますな」
「フン、娘に会って何が悪いのさ」
と、女は中山に食ってかかるように言った。
「教祖はあなたの娘さんではない、と何度も申し上げたでしょう」
「私もそう言ったんですけど……」
と、マリが言った。
「口裏を合せて、仲のいいことね」
と、女はいまいましげに中山をにらむと、「加奈子、この男とできてんのかい?」
「いいですか」
と、中山は断固とした調子で言った。「出て行かないと警察を呼びますぞ」
「いいの? 警察が来て困るのは、あんたたちじゃないのかい?」
そこへ、さっきの水科尚子も顔を出した。
「まあ、こんな所に——」
「今日は引き上げるけどね、このまま引っ込みゃしないよ。あんたたちの教祖様の父親がどんな男か、週刊誌にしゃべってやるからね」
「水科君、ご案内して。も《ヽ》ち《ヽ》ろ《ヽ》ん《ヽ》出口へだ」
と、中山は言った。
水科尚子が女を連れて出て行くと、中山はため息をついて、
「全く、世の中にゃ色んな奴《やつ》がいるね」
と言った。
「本当にあの人は——」
「単なる言いがかりさ。たかり、ってやつだよ。さもなきゃ、少しおかしいか。いずれにしても金が目当てってことには変りがないんだ」
「お店を出すから二千万くれって」
「君も、のっけから妙な客に会ったね。しかし、立派に相手をしたじゃないか」
中山はポンとマリの肩を叩《たた》いた。「それでいいんだ。君には立派に教祖の代役がつとめられるよ」
マリは、ちょっと複雑な表情でポチを見た。ポチの方は、気にも止めていない様子で、まだ寝足りないのか、それとも寝すぎたのか、アーアと欠伸《あくび》をしたのだった……。