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天使は神にあらず11
日期:2018-09-20 20:56  点击:347
 11 出 張
 
 
「一体、どういうことなんだろうね」
 と、マリは言った。
 教団へ帰るバスの中である。——相変らずガラ空きで、マリとポチは一番後ろに座っているので、話をしていても、一向に目立たない。
「あんな奴《やつ》、放《ほ》っときゃいいさ」
 と、ポチは面倒くさそうに言った。「晩飯は、何が出ると思う?」
「あのね」
 と、マリはため息をついて、「人が真剣に話してるんだから」
「分ってるよ。だけど、お前があの夫婦を殺したってわけじゃないんだし」
「当り前でしょ。でも分らない。どうしてあの二人が殺されるの?——あの教祖が二人の娘だってことを隠したかったのかしら? でも、それなら私だって知ってるわけよ」
「そうだな」
「ね? もちろん、中山さんから、教団内のことは他の人にしゃべるな、って言われてるし、私も雇われてる以上は、言われた通りにするつもりよ。でも、殺されるほどの秘密を、あの二人が知ってたなんて思えない」
「お前もたまにゃいいこと言うじゃねえか」
「からかわないでよ。——私はあのお母さんには会ってるわ。そりゃ、お金をよこせって喚《わめ》いて、教団の方でも閉口したかもしれないけど……。殺したりして、もしばれたら、それこそ命とりだもの」
「じゃ、誰か別の人間があの夫婦を殺したっていうのかい?」
「分りゃ苦労しないわ。それに……」
 と、マリはためらった。
「どうかしたのか?」
「何でもないわ」
 と、マリは首を振った。
 ポチには、マリの考えていることが分っている。教団に、人殺しをしなきゃいけないほどの秘密が隠されているとは、思いたくないのだ。
 何といっても、マリはそこで働いているのだし、集まって来る信者たちの気持は純《じゆん》粋《すい》だと思っている。それが、裏で何かよほどひどいことでもやっている、となったら、マリまでが、「共犯者」ということになりかねない。
 マリは、「何かある」と信じたくないのだ。
 こりゃ、いいチャンスかもしれないぞ、とポチは考えた。マリはあの中山って奴を信じてるし、まあ「恋心」を抱くにしちゃ少し年《と》齢《し》がちがうが、好意は持っている。
 中山が、実際はとんでもないイカサマ野郎だってことが分れば、マリは、ポチが待ちに待っている一言、
「人間なんて信じられない!」
 を、叫んでくれるかもしれない。
「ね、あんたも、耳を澄ましていてね」
 と、マリが、停留所が近付いたので立ち上りながら言った。「私より、あんたの方が、怪しまれなくってすむんだから」
「ああ、任しとけって」
 いいとも。せいぜい耳を澄まして、都合のいいことだけ教えてやるぜ、可《か》愛《わい》い天使さん。
 ポチは、内心、そっとほくそ笑んだのだった……。
 
「おいしい!」
 と、加奈子は、ため息をついて、「久しぶりだわ、ポテトチップスなんて食べるの」
「高いものじゃないのに」
 と、マリが呆《あき》れて言うと、
「教祖様は、お菓子一つも、勝手に買って食べられないのよ。本当に面白くも何ともないわ」
 ——ここは、本《ヽ》物《ヽ》の《ヽ》教祖の私室である。
 初め、マリたちが入っていた部屋を、更に広く豪《ごう》華《か》にした感じで、ポチはしきりに羨《うらやま》しがって、あちこち覗《のぞ》き回っては、マリにたしなめられていた。
「フフ」
 と、加奈子は笑って、「面白いわね、この犬。あちこち覗いたりして。せんさく好きのおばさんみたい」
 おばさん、と言われて、ポチはいささか傷ついたのか、少し澄ました顔で座り込んだ。
「でも、忙しくて大変ですね」
 と、マリは言った。
「そうね。だけど、アイドルタレントより、ずっと楽じゃない。別に歌ったり踊ったりするわけじゃないんだもん」
「でも、歩き方とか、お話のしかたとか……」
「それは身につけるまで大変だったわ」
 と、加奈子は床の分厚いカーペットに寝そべって、クッションの上に頭をのせた。「でも、一度憶《おぼ》えてしまえばね」
「——ご両親のこと、お気の毒でした」
 と、マリは、少し迷ってから、言った。
「あなた、母と会ったんですって? 水科さんが言ってたわ」
「ええ、私のこと、加奈子さんと勘《かん》違《ちが》いされて」
「じゃ分るでしょ。死んで泣きたくなる母親かどうか」
 加奈子は、あっさりと乾いた口調で言った。「結局、お金を出せ、ってことだったらしいじゃないの。そんなもんよ」
「でも……お父様は?」
「父はね、少《ヽ》し《ヽ》可哀《かわい》そうだと思う」
 と、加奈子は天井の、きらびやかなシャンデリアを見上げながら言った。「生れつき、生活能力というか、活力ってものに欠けてる人なのね。それが母みたいな女と結婚して、ますます小さくなって……。外で、ストレスを発散するのに、少しお金を使いすぎて、借金こしらえて、ドロン。——気が弱いから、とんでもなく大変なことをしたと思ってたんでしょうね」
「あ、お茶、いれましょうか」
「悪いわね」
 マリとしては、「本物の教祖様」相手に、やはりつい奉《ヽ》仕《ヽ》してしまうのである。
「母はあの野口って男を引張り込んで……。もちろん、夫婦ですものね、どっちが悪いってわけでもなかったかもしれない。でも、ともかく、ど《ヽ》っ《ヽ》ち《ヽ》も《ヽ》子供にとっちゃひどい親だったわ」
 マリは黙って肯《うなず》くだけだった。
「今、野口って、ここで働いてるんですって?」
「そうです。中山さんが色々教えて。——事務の初歩を知らなくて、却《かえ》って教えがいがある、と中山さん、笑ってました」
「そうでしょうね。ヒモの暮しに憧《あこが》れてたんだから」
 と、加奈子は笑った。「だけど、あなたも大変ね、私の身代りで」
「身代りなんて、そんな。とても私じゃつとまりません。信者の方たちの前に出るのは、ごくたまにだから、何とかボロが出なくてすんでますけど」
「珍しいわ。今どき、控え目で」
「天使があんまりうぬぼれると、まずいんですよ。減点が一番大きいんで」
「え?」
「いえ、別に」
 と、マリはあわてて言った。
「だけど——不思議ねえ」
 と、加奈子は深々と息をついて、「自分がこんな立場になるなんて、考えてみたこともなかった……。当然よね。別に超能力があるわけでもない、ただの女の子なのに」
「でも、雰囲気がおありですわ。侵しがたい神秘的なものが」
 と、マリは本心から言った。
 確かに、周囲がそういうお膳《ぜん》立《だ》てをしているせいもあるにせよ、加奈子にはどこか、人をひきつける謎《なぞ》めいた魅《み》力《りよく》があった。
「ありがとう。でも、私、俗っぽいもんって大好きなのよね」
 と言って、加奈子は笑った。
「加奈子さんを見《み》出《いだ》したのは中山さんなんですか?」
「そうじゃないの。中山さんはいわば事務局長。私のことをここへ連れて来たのは、名前は知らないけど、口ひげを生やした、半分くらい髪の白くなった紳士よ」
「どなたなんですか?」
「さあ……。ここの最高幹部でしょうね、きっと。でも、ここへ連れて来られた日以来、一度も会ってない。すべて中山さんが取りしきってるからね」
 マリは、少し考え込んでいたが、
「私、この教団のことはよく知らなかったんですけど、加奈子さんの前の教祖様って、どんな方だったんですか?」
「私も知らないわ」
 と、加奈子は首を振った。「ともかく、その人がこの教団の創始者だってことは確かなの。でも、新しい教祖が決ると、それ以前のことは一切忘れること、というのが教えなんだって。だから、この教団のどこにも、写真一枚、飾ってないでしょ」
「そうですね。銅像ぐらいあっても良さそうなのに」
「ともかく、そういう教えになってるんだとか。だから、前の教祖が亡くなった時点で、私を見付けたってわけ」
 加奈子は、マリの方を向いて、ちょっと微笑すると、「私もね、何だか信者を騙《だま》してるみたいで、いやだった。こっちはただの女子高生だったわけでしょ。そんな女の子に向って手を合わせてさ。——しばらくは、罪悪感があったわ」
「分ります」
「でもね、その内、思ったの。私が、何か他の道へ進んで、こんなに沢山の人を喜ばせることができるかしらって。——たとえ中身は空っぽの宗教だって、それで信者が満足して、浄《きよ》められた気分になるとしたら……。大体、宗教なんてそんなもんでしょ」
 まあ、マリとしては、簡単には同意しかねるところだが、本来宗教は、それを信じて「何か得をする」というもんじゃないので、その点は、加奈子の言っていることにも共感できた。
「申し訳ないな、とか思うわよ、こんなぜいたくさせてもらって。信者の中には、なけなしのお金はたいて、ここまで私のことを拝みに来る人もいるのに。でも、同情したところで、その人の暮しが楽になるわけじゃないしね」
 加奈子はポテトチップスを口へ入れて、「忙しい思いしてる分、楽もさせてもらわなくちゃね」
 と、言った。
 ドアをノックする音がした。
「誰?」
「中山です」
 と、声がした。
「私、もう失礼しなきゃ」
 と、マリは立ち上った。「ポチ、行くよ」
 マリがドアを開けると、中山が目を丸くして、
「君たち……どうしてここへ?」
「私が呼んだの」
 と、加奈子は起き上って、「中年のおじんにゃ分らない話をしてたのよ」
 中山は笑って、
「仲良くなられたんですか。それならこっちも安心です」
 と、言うと、「マリ、君にも用があったんだ。夕食の後で、私の部屋へ来てくれないか」
「分りました。——じゃ、失礼します」
 マリたちが出ようとすると、
「今度は綿アメを買って来てね」
 と、加奈子が声をかけた……。
 
 夕食を終えて、マリとポチが部屋を出ようとドアを開けると、ちょうど加東晃男が食事のワゴンを下げに来た。
「あ、ご苦労さま。ワゴン、まだ中に」
「僕が出しとくから」
 と、晃男は言ったが——。
「変ね」
 と、マリはポチと一緒に歩きながら言った。「昼間はあんなに加奈子さんと楽しそうにしてたのに、いやに元気なかったじゃない」
「人間って奴《やつ》は気《き》紛《まぐ》れなのさ」
 と、ポチが言った。
「それにしたって」
「きっと腹が減ってたんだ」
「あんたじゃあるまいし」
 ——二人は、中山の執務室の前に来た。
 ドアをノックすると、
「誰だ?」
「マリです。ご用とうかがったんで」
「ちょっと待ってくれ」
 中山はなぜか少しあわてたような声を出した。
 二、三分すると、ドアが開いて、
「失礼します」
 と、若い女の子が出て来て、さっさと行ってしまう。
 マリも見たことがあった。信者の組織の小さなセクションのリーダーをしている、なかなか可《か》愛《わい》い子である。
「やあ、ごめんよ、待たせて。——入ってくれ」
 と、中山が笑顔で言った。「ちょっと打合せをしていてね」
「どんな打合せか、見当がつくぜ」
 と、ポチが言った。「今の子とよろしくやってたんだ」
 マリは、ちょっとポチをけとばしてやった。そんなことぐらい、いくらマリだって分る。でも——別にだからって、どうってことはないわ。
 私は中山さんのことを、特別好きってわけでもないんだし。そうよ、私には関係ないことだわ……。
「——ご用って、何でしょうか」
 それでも、マリは何となく中山の顔から、目をそらしていた。
「うん……。実はね、明日から三日間、教祖は東京に出かける」
「お留守番ですね」
「いや、その必要はないんだ」
 中山は、自分の椅《い》子《す》から立って来て、「さ、ソファに座ろうよ」
 と、促した。
 でも——マリはためらった。何ぶん、たった今、あの女の子とこのソファの上で……。そう思うと、座る気になれない。
「どうかしたのかい?」
「いえ……。立っていたいんです」
 中山は、しばらくマリを見ていたが、
「——そうか」
 と、肯《うなず》いて、「じゃ、僕も立っていよう」
 マリは中山の顔を見た。
「教祖は東京で、大きなパーティに出る。これはTVや新聞でも報道されるから、却《かえ》ってここにもう一人教祖がいるというのは、まずいんだ」
「分りました。じゃ、私は……」
「教祖と同行してもらいたいんだ」
 マリには意外な言葉だった。
「でも——」
「もちろん、君には今日外出した時みたいに、全く違う感じの格好で、行ってもらう。水科君が、びっくりしていたよ」
「一緒に行って、何をすれば?」
「教祖の身の回りのことは、ちゃんとメイドがつくし、一流ホテルのスイートルームを取ってあるから、問題はない。君には、待機していてほしい。万《ヽ》一《ヽ》の時のために」
「万一って——どんな時です?」
「君も、少しは噂《うわさ》を耳にしただろう。教祖は気分が必ずしも一定じゃない。むしろ、感情を爆発させると、どうにも手がつけられなくなる」
「お疲れなんです。今日はとてもご親切でしたわ」
「疲れはある」
 と、中山は肯いて、「しかし、今度のパーティは、この教団にとって大切な出来事だ。政治家絡みで、外国大使も大勢来る。ここで、妙なことになっては困るんだ」
「じゃあ……」
「疲れてる時、教祖は酒を飲んだりすることもある。それとも……男で気を紛《まぎ》らわすこともね」
 と、中山は、ちょっと目を伏せた。「用心の上にも用心だ。——マスコミに注目されればされるほど、その手のことがばらされて、大スキャンダルになる可能性も大きい。君には、万一の時の影武者役を頼みたい。——いいね」
 マリは、チラッとポチの方を見た。
「もちろん、おっしゃる通りにします」
 と、マリは言った。「私の仕事ですから」
「じゃ、明日、朝食がすんだら出発だ。水科君が行って、仕度を手伝うことになっているから……」
「分りました」
「君はホテルで、教祖の隣の部屋に泊るんだ。くれぐれも、下手にマスコミに捕まって、教団のことをしゃべらないようにね」
「分りました」
 マリは、「それだけですか」
 と、訊《き》いた。
「——それだけだ」
「じゃ、失礼します」
 と、マリは行きかけたが、「中山さん」
「何だね?」
「阿部ユリエさんとご主人の心中のこと、調べて下さるっておっしゃってましたけど、何か分ったんでしょうか」
 中山は、ちょっと詰まった様子だったが、
「いや……。それが忙しくてね。それに、あの二人が心中だってことは、警察も認めてるようだしね」
「そうですか」
「君、何か——」
「別に何でもありません」
 マリはドアを開けて、「失礼します」
 と、一礼した。
「君——」
 中山が、二、三歩前に出て、「さっきの女の子は——ただの遊びだったんだ」
「どうしてそんなことを……」
 マリは固い表情で言った。
「いや——つい、苛《いら》々《いら》しててね。フラフラッと……」
「そんなこと言ってるんじゃありません。どうして私にそんな言いわけなさるんですか」
 中山は、マリをじっと見て、
「君に嫌《きら》われたくないからさ」
 と、言った。
 マリは少し動揺した。そして、黙ってドアを閉めた。

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