14 毒
パーティ会場は凄《すご》い熱気だった。
マリは、人また人の会場の中で、危うく迷子になりかけて、辛うじて出入口の所へやって来た。
「くたびれた!」
と、息をつく。
客の数が多いことに加えて、取材する報道陣が中をあちこち動き回って、混雑に拍車をかけた。
どうしよう? まだ加奈子さんを呼ばなくていいのかしら?
心配していると、中山がやって来た。
「彼《ヽ》女《ヽ》を呼んで来てくれるかい?」
「はい」
マリはホッとして、ロビーを足早に駆け抜けた。
スイートルームは上の方のフロアである。加奈子のいる部屋のドアをノックして、マリは声をかけた。
「失礼します。——あの、そろそろ時間ですけど。——加奈子さん? 教祖様」
返事がない。マリは、ちょっとまずいかなあ、なんて思ったりした。
加奈子と晃男、二人にしといたのが間違いだったかもしれない。まだ充分に時間はあるからって……。二人してベッドイン、てなことに。——まさか!
「はしたないこと考えて!」
と、自分で赤くなっている。
いくら何でも、そんなことしないだろう。そのつもりなら、今夜、またここへ来りゃいいわけだし。
「加奈子さん」
と、もう一度ノックしてみる。「教祖様。——お時間です。教祖様。加《ヽ》奈《ヽ》祖《ヽ》様《ヽ》。あれ?」
マリの方も結構のぼせている、と言うべきか。やはりパーティの熱気にあてられたのかもしれない。
でも困った。出て来てくれないと——。
ドアが開いた。
「ああ良かった! もうパーティの方へいらして——」
マリは言葉を切った。加奈子が、真青な顔をして、立っているのだ。ただごとではない、と分った。
ただ緊《きん》張《ちよう》しているというのとは全く違う。
「何かあったんですか」
と、マリは訊《き》いた。
「入って」
と、加奈子は、まるで夢遊病の人みたいに、ぼんやりした様子で言った。
「あの……加東さんは」
と、マリはリビングルームへ入りながら言った。
返事を聞く必要はなかった。加東晃男は、ソファに、身をよじるようにして横たわっていた。別人のように顔が歪《ゆが》んでいる。
空のグラスが床に転がっていた。
「どうしたんですか!」
マリは、駆け寄って、晃男の上にかがみ込んだが……。一目見て、死んでると思った。
しかも、相当に苦しんだようだ。見るのも辛いほど、表情に苦《く》悶《もん》の跡が残っていた。
「おい、どうしたんだ?」
と、声がした。
開けたままのドアから、中山が入って来たのだ。「早く来ないと、もうパーティが……」
中山はソファの方へ目をやって、
「何てことだ! それは——」
「乾《かん》杯《ぱい》したの……」
と、加奈子が言った。「二人で、乾杯して……。そしたら、突然苦しみ出して。どうしようもなかった。アッという間だったのよ」
すると、中山について来たらしく、ポチがノコノコとソファの近くへやって来た。
「死んでるわ」
と、マリは低い声で言った。
「そんなことぐらい、俺《おれ》だって分るよ」
と、ポチが言った。「こいつは毒薬だぜ」
「毒?」
「匂《にお》いで分る。一服盛られたんだ。こういうことにゃ詳しいんだ、俺は」
と、妙なことを自慢している。
「——どいて」
中山がやって来て、晃男の手首をつかんだ。「死んでるな」
「ああ!」
と、加奈子が叫ぶように言って、そのまま床へ崩れるように倒れた。
「加奈子さん!」
マリは駆け寄った。「——気絶しちゃった! どうしましょう?」
中山は立ち上って、
「時間がない」
と、首を振って言った。「マリ、君が代りにパーティに出るんだ」
「パーティなんて……。人が死んだのに、そんなこと——」
「それとこれは別だ。そうだろ? ここのことは僕に任せて! 君はすぐ仕度だ!」
「でも——」
マリは抗議しようとしたが、中山にぐっと肩をつかまれ、何も言えなくなってしまった。
「教団の将来がかかってるんだ。ここで、教祖は出席できません、なんて言おうものなら、やっぱりインチキ宗教と思われてしまう。そうだろう?」
マリは、ともかく肯《うなず》いた。肯くしかなかったのである。
光と音。——光と音。
初めに光ありき、ではないけれど、マリは光と音の大きな渦巻きにでも呑《の》み込まれてしまったような気分だった。
天国も相当ににぎやかな所だけど、これほどじゃないわ、とマリは心の中で呟《つぶや》いたりした。
パーティ会場へ、水科尚子に付き添われて入って行った瞬間、スポットライトがパッと当てられて、まぶしくてろくに前が見えない。
一体どっちへ行けばいいのやら。水科尚子に腕を取られて、ともかく人をかき分けて行った。——もう、教えられた歩き方も何もあったもんじゃない。歩くだけでも精《せい》一《いつ》杯《ぱい》、という感じなのである。
気が付いてみると、一人でステージの上に立ち、マイクがちょうど口の辺りまで下げられて、何か言わなきゃいけない様子。が、ここでまた凄《すご》い強烈なライトを浴びせられて、何も見えなくなってしまったのだ。
頭にカーッと血が昇る。いくら天使でも、こうまで「持ち上げられる」と、やはり見《ヽ》栄《ヽ》でも張りたくなる。
何か教祖らしいことを言わなきゃいけないと思っていると——何やら質問に答えることになっていたらしい。きっと水科尚子が説明してくれていたのだろうが、マリの耳には入っていないのである。
誰かが、
「科学万能の時代に、宗教によりどころを求める人間を、どう考えますか?」
と、訊いた。
そんなこと! 難しくって一言で答えられっこない!
マリは迷った。でも、ここは天国じゃないのだ。上級の天使に訊いて来ます、ってわけにはいかないのである。
ステージの袖《そで》に立っている水科尚子の顔が見えた。どうしたものか、あわてている。たぶん、彼女も、こんな質問が出るとは知らなかったのだ。
「あの……」
マリが少しマイクに口を寄せて話しかけると、とたんに広い会場内がシーンと静かになってしまった。マリは、ちょっと咳《せき》払《ばら》いをした。
「あの——宗教って、何か誤解されてるような気もするんですけど、どこかに『神様』があって、それに向って祈ってると、幸福になれる、っていう……。それはそれで、本人が良ければ構わないと思います。でも——やっぱり、その——誰も一人じゃ生きてないんです。そうですよね? 天国だって、相互扶助の組織があって、私、その会計係やってたんですけど、電卓打つの一桁《けた》間違えちゃって……。それでクビになって——あ、いえ、そんなこと、どうでもいいんですけど」
マリは、何とか話を元のテーマに引き戻そうとした。「あの——何でしたっけ? あ、そうそう。一人じゃ生きてない、ってことですね。人は家族とか友だちとか、沢山の人に支えられて生きてるわけで、自分が良きゃ、他の人が困っても構わないっていうのは、どうも……。何かを信じるのはいいんですけど、それで家の財産、みんな注《つ》ぎ込んじゃうとか、そんなのは間違ってるし、そんなこと求める宗教は、やっぱり偽もんですね。この教団は決してそんなことありません。ええ」
と、やっと少しPR。
「私、神様ってのは信じなくてもいい、と思ってるんです。天国だって、あんまりそんなこと気にしないんです。要するにその——自分が、何か高いものを目指すってことが大切で。科学だって、そのための手段ですものね。その『高いもの』がなくなっちゃうと、科学って、平気で人を殺したり、環境を破壊したりするんです。自然と科学って、敵同士じゃないんです。それが——つい、洪水を防《ヽ》ぐ《ヽ》、とか災害から守《ヽ》る《ヽ》、ということばっかりやってる内に、自然は敵だっていうふうに思い込んじゃってます。でも科学も自然から生れて来たものなんですから。自然の中じゃ、どんな大きな建物も船も、本当に小っちゃくて……。天国から眺めてると、よく分りますよ。その自然を、人間って、せっせと壊してたりして、何してんだろうね、っていつも呆《あき》れてるんですけど……。原発だってそうです。だって、馬を駆け出させるだけならできても、どうやって止めていいか分らない人を、『馬に乗れる』とは言わないでしょ。自動車だって、動かせるけど、ブレーキの踏み方を覚えてない人に免許はくれませんよね。でも原発が一《いつ》旦《たん》事故になったら、もう誰にも停《と》められないんです。そんなもの、作る方が間違ってるのに。天国でも一番心配してるのはそのことです。早く人間がそれに気付かないと。——そういうものを熱心に作ってる人って、『科学』を宗教みたいに信じてるんです。進歩するのは絶対にいいことだって。今までできなかったことができる、とか、今までなかったものが作れる、っていうのが、結果なんか関係なく、いいことだ、と思ってる。それこそ狂信的なんです。そういう人は、もっと高いもの——つまりは『人間』ってものなんですけど、高いものがあって、そのために、やるべきことと、やるべきでないことを、判断できないんです。可《か》哀《わい》そう、っていうか……。でも、そういう人たちにこそ、神様が必要なんですね。天国でもそういうPRを何かしなきゃいけない、って意見も出てるんですけど、まさか天使がTVに出てCMやるわけにもいきませんし、結局、人間が自分で気付くのを待つしかないね、ってことに……」
——しまった!
マリは、いつの間にやら、「天使」としてしゃべっている自分に気付いて、ハッとした。
どうしよう! マリはステージから駆け下りて、人をかき分けながら、進もうとした。でも、何しろ凄《すご》い人の波で、動きが取れない。
すると——拍手が起きた。初めはパラパラだったけど、すぐに大波のような拍手になって、それはマリを包み込んでしまった……。
「死にそう」
と、マリは言った。
「しっかりして。——何か冷たいものでも飲む?」
と、水科尚子が覗《のぞ》き込むようにして訊《き》く。
「——お願いします」
マリは、椅《い》子《す》に腰をおろして、息をついた。
あのパーティ会場に隣接した小部屋。控室ということで、空けてあったので、マリはここで少し休むことにしたのだった。
「ジュースでも持って来るわ」
と、水科尚子が出て行く。
「参ったなあ……」
と、マリが首を振っていると、
「おい、どうした」
ポチがいつの間にやら、そばへ来ている。
「あんたなの。——お腹《なか》の方は大丈夫?」
妙なところで気をつかっている。
「後でルームサービスでも取るさ」
と、ポチは言った。
「えらいことやっちゃった」
「大演説だったじゃねえか」
「聞いたの?——もう、カーッとなって、わけが分んなかったのよ」
「印象は悪くなかったみたいだぜ」
「もうどうでもいいわ。どうせクビ。出て行くところだと思ってたから、ちょうどいいわ」
「俺《おれ》は気に入ってるけどな」
「食べものが、でしょ」
と、マリは言ってやった。
「それだけじゃないぜ」
と、ポチは言った。「あの毒殺事件はどうするんだ?」
「毒殺……」
「そうさ。あんな、アルバイト学生を殺す奴《やつ》がいるかい? ありゃどう見たって、相手を間違えたか、男の方が先に飲んだんで、肝心の方は助かった、ってことだぜ」
マリはポチを見て、
「じゃ——加奈子さんを?」
「当然さ。それに、あの子の両親。あの二人も薬を盛られたんだぜ。よく似てると思わないか?」
確かにそうだ。マリだって、もっと落ちついていれば、そこまで考えたのだろうが。
「誰かが加奈子さんを殺そうとしてるのね」
「それを放って出てくのかい?」
ポチにそう言われると、マリとしても、迷ってしまう。もちろん、クビになりゃ、否《いや》応《おう》なく出て行かなきゃならないが。
控室へ、中山が入って来た。
「やあ。いられなくて悪かった」
と、マリの方へやって来ると、「どうだい、気分は?」
「すみません。パーティ、めちゃくちゃになっちゃって」
「何を言ってるんだ」
と、中山は笑って、「君はよくやったよ。マスコミも大喜びだ」
マリは信じられなかった。
「本当に?——クビじゃないんですか?」
「とんでもない! 君にいてもらわなくちゃ困る」
マリは中山に手を握られて、カッと頬《ほお》が熱くなるのを感じた。
「遅くなって、ごめんなさい」
と、水科尚子がジュースのコップを手に入って来る。「あら」
中山が、手を離して、
「教祖は、今休んでるよ。鎮静剤をうってもらってね」
と言った。
「そうですか」
水科尚子は、マリにコップを手渡し、「これから、どうします?」
と、中山の方へ向いた。
「予定通りだ」
と、中山は言った。「予定は変えられない。明日は米国大使と昼食、夕方からはパーティが三つ入っている」
マリは面食らって、
「でも——あんなことがあったのに」
と、中山を見つめた。「どうするんですか、あの男の子のこと」
「君は心配しなくていい」
「そんな! 死んでたんですよ、あの人」
「しっ!」
と、中山は口に指を当てて、「いいかい、これは教団に対する陰謀なんだ」
「陰謀?」
「我々の教団は、急速に大きくなって、力もつけた。有名にもなった。当然、周囲からは、ねたみも買うし、中傷もされる。——いいかい、もし、教祖の部屋で、その恋人だった青年が毒物をのんで死んだとなったら、どうなる? 大体、こんなホテルに、教祖の恋人が来ていた、と分っただけでも、大変なスキャンダルだ。それに、毒薬を飲物へ入れた人間は、教祖を狙《ねら》ったのかもしれない」
「ですから、警察に——」
「もちろん、届けるさ。犯人はきっと警察が見付けるだろう。しかし、あ《ヽ》の《ヽ》部《ヽ》屋《ヽ》じゃ困る」
「どうするんですか?」
「死体は運び出したよ、こっそりとね。——あの加東晃男は、教祖とは何の関係もない、ということにしなくては」
マリは唖《あ》然《ぜん》としていた。中山の言うことが分らないわけではない。しかし、間違っている。
そう、間違ってるんだ。そう思っても、マリには、どうすることもできなかったが……。