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天使よ盗むなかれ18
日期:2018-09-28 18:13  点击:325
 18 長い関係
 
 
「あなた……」
 加津子《かづこ》は、ただ呆然《ぼうぜん》としているばかり。
「そうジロジロ見るなよ」
 と、池上《いけがみ》は照《て》れたように言った。「そんなに老《ふ》けたか」
 加津子は、深々《ふかぶか》と息をついて、
「心臓に悪いわ」
 と、言った。「——どういうことなの? いつからお巡りさんになったのよ」
「これか。これは拝借《はいしやく》しただけだ」
「え?」
「これが私の仕事さ」
 池上が、ポケットから、取り出してベッドの上に投げたのは——白い手袋《てぶくろ》の片方だった。
「あなたが……〈夜の紳士〉?」
「ああ」
 少し間があって、加津子は大笑いした。
「——どういう因縁《いんねん》なの? 私のことを知ってて、もちろんここへ忍び込んだのね」
「もちろんだ。君のことも知ってる。君の可愛い『健吾ちゃん』のことも」
「大きなお世話でしょ、私がたとえ十七の男の子を恋人にしようと。あなたは私を捨てて消えちゃった人なんだから!」
 と、加津子は食ってかかった。「罪滅《つみほろ》ぼしに、健吾ちゃんに捕まったら?」
「そのつもりだよ」
「——何ですって?」
 と、加津子が訊《き》き返す。
「そのために来たんだ。しかし、君が、あの若者を恋人にしてるってのはいかん」
「どうしてよ」
「それは——」
 と、池上は言いかけて、「あの男には、とても可愛い恋人があるからさ」
「知ってるわよ」
「だったら、諦《あきら》めろ。君とあの刑事じゃ、つり合わん」
「人のことなんか知らないわ。女として、幸福になっちゃいけないの?」
「君を捨てたことは、何とも言いわけができない。しかし——あのころ、私はもう〈夜の紳士〉と名乗って、泥棒稼業《どろぼうかぎよう》だったんだ。君を巻《ま》き添《ぞ》えにしたくなかった」
「デザイナーだとか言って。嘘ついてたのね!」
「泥棒だ、とも言えんだろう」
「あなたがいなくなって……。私、家出したこの細川の家へ戻ったわ。そして——」
「知ってる」
「知ってる?」
「うん。——女の子が産れたそうだな」
 少し間があった。
「両親が、赤ん坊を里子《さとご》に出してしまったわ。そして、その間、世間には、私は留学《りゆうがく》してたことになっていたのよ」
「それで、ずっと独身《どくしん》だったのか」
「男なんてね、信用《しんよう》できないと思ったの」
「無理もないな」
 と、池上は肯いた。
 また少し間があった。——加津子は、
「ここにいるの? すぐに彼が来ることになっているわよ。捕まるわよ」
「いいさ。そのために来たんだ。ただ、その前に君と話したかったんでね」
「覚悟して来たのね」
「もちろんだ。——なあ、加津子」
「なによ」
「女の子が産れたと聞いたのは、何年かたってからのことだった。その時、よっぽど、謝《あやま》りたいと思った」
「手遅れよ。——あの子がどこでどうしているのか、両親も亡くなって、さっぱり分らないのよ」
「私は調べた」
 加津子が、池上を見つめた。
「何ですって? じゃ——分ったの、娘のことが」
「うん」
「じゃ、あの子は——」
 と、加津子が言いかけた時だった。
 ドアを叩く音がしたのだ。加津子はハッとした。
「彼だわ。——あなた、その戸棚へ隠れて!」
「しかし……」
「後で捕まえてあげるから! 早く隠れてよ!」
 妙な話だ。加津子は戸棚の一つに、池上を押し込んで、急いで扉《とびら》を閉めると、
「待って! 今、開けるわ」
 と、ドアへ急いだ。「ごめんなさい! 今シャワーを……」
 立っていたのは、マリだったのだ。
「すみません。お邪魔して」
 と、マリは頭を下げて、「あの——刑事さんはまだ?」
「まだよ。どうして?」
「そうですか。あの——実は、彼女がここへ来てるんです」
「彼女?」
 加津子はマリを入れてドアを閉めると、「誰のこと?」
「あの刑事さんの恋人です。結城江美《ゆうきえみ》さんって人」
「その人がここへ?」
「ええ、恋人を引っかいてやるって。私、一緒だったんですけど、彼女、どこかへ行っちゃって。きっと、健吾ちゃんを捜してるんですわ。見付《みつ》けたら、血の雨が……」
「あのね、あなたは『健吾ちゃん』って呼ばないで」
「すみません」
「でも、ここには来てないのよ。和代さんに伝言《でんごん》してって頼んだんだけど……」
「そうですか」
 と、マリは肯《うなず》いた。
「いいわ。あなたも、捜して。彼女でも彼でも、見かけたら、ここへ連れて来てちょうだい。今夜は、あの人が有名な泥棒を逮捕《たいほ》する……」
 加津子は、言葉を切って、「逮捕……させていいのかしら」
 と、呟くように言った。
「そのことでお話が」
 と、マリが思い切ったように言った。
「え?」
「〈夜の紳士〉って、池上さんって人なんです」
「あなた、そんなことを——」
「会ったんです。あの人、いい人です。私のことも、襲《おそ》ったように見せかけただけで、何もしてません」
「そう……」
「あの人——わざと捕《つか》まりに来るんです。あの結城江美さんのことを、とてもいい娘《こ》だと言って……。その恋人に、何とか業績を上げさせたいから、って。でも、そんなの間違ってると思います」
 マリは熱心にしゃべり続けた。「それに、あの人は——病気なんです」
「病気?」
「もう二、三か月の命しかないって」
「何ですって?」
「だから、どうせなら、江美さんの役に立ってあげようって……。でも、残りの少ない命だったら、大事にするべきです。そんな——留置場《りゆうちじよう》や刑務所《けいむしよ》でなくて、自由に思い切り好きなように——」
 マリは、加津子の顔が、真青なのを見て、びっくりした。「あの——大丈夫ですか?」
「何てこと……。あの人は、江美って子のために、そんなことまで……」
 加津子は、マリの肩をつかんで、「江美って、いくつぐらいの人?」
「ええと……確か、二十二じゃないでしょうか。あの刑事さんが、そんな風に——」
「二十二!——二十二歳ね」
 加津子は、よろけるように歩いて、ソファに身を沈めると、「マリさん……」
 と、言った。
「はい」
「その江美って子……。どんな顔?」
「顔、ですか?——可愛いです。そうですね。ちょうど——」
「私を若くしたみたい?」
 マリは、まじまじと加津子を見つめた。
「——ええ、似てますね。本当に眉《まゆ》の形とか、そっくり……」
「何てことかしら……」
 加津子は、呟《つぶや》くように言った。「私は自分の娘の恋人を……」
「あの——何ておっしゃったんですか?」
 マリの問いには答えず、加津子はパッと戸棚へ駆け寄ると、扉を開いた。
「キャッ!」
 と、マリがびっくりして飛び上った。
「あなた! そうなのね!」
 池上が、ゆっくりと出て来た。——マリを見て、ちょっと笑うと、
「内緒《ないしよ》だと言ったよ」
「すみません」
 と、マリはうなだれた。
 池上は、加津子の方を向くと、
「その通り。——結城江美が、私と君の娘だよ」
 と言った。「ずいぶん時間がかかったが、何とか捜し当てた。江美の勤めている会社のビルの管理人になって働いていたんだ」
「そうだったの」
「里子に出された家で、また両親を亡くしてね、その遠縁《とおえん》の家で育てられていた。しかし、あまり楽しい暮しではなかっただろう」
「江美……。江美、というのね」
「そうだ」
「あなたにも似てる?」
「いや、幸い、君とそっくりだ」
 と、池上は笑顔で言った。「しかし——あの子の恋人が、二十年前に私を追い回していた刑事の息子と知った時にはね、びっくりしたよ。これも、君とあの子を捨てた罰《ばつ》かもしれない、とね」
「病気のことは本当なの?」
「ああ。——話す気はなかったんだが」
「水くさい人!」
 と、加津子は口を尖《とが》らした。
「そういう顔をすると、昔の君そのままじゃないか」
 と、池上は笑った。
「驚《おどろ》いた……」
 と、やっと声が出たのは、マリである。「そんな関係だったんですか」
「これも[#「これも」に傍点]内緒だよ」
 と、池上が言った。「ところで、君の彼氏は遅いな」
「やめてよ」
 と、加津子が頬《ほお》を赤らめた。「いくら私でも、娘と恋人をとり合いしたくないわ」
「まあ、同じような年齢《とし》の男を捜すんだね」
「そうするわ」
 と、加津子が肯く。
 そこへ——ドアが開いて、
「すみません、遅くなって!」
 と、畑健吾が入って来たが……。「あれ? ここじゃなかったっけ」
 こんなに人間がいるとは思わなかったのだろう。
「——やあ、健吾君」
 と、池上が言った。
「は?」
 ポカンとして、池上を見ていた健吾が、アッと目を見開いて「あなたは——」
「池上浩三だよ。二十年前には〈夜の紳士〉という名だった」
「何ですって?」
「あの白い手袋を見たまえ」
 ベッドの上の白い手袋に、健吾は目をパチクリさせた。
「あなたが?——あなたが大泥棒?」
「そう。ここで自首するよ。さあ、逮捕してくれ」
「はあ……」
 健吾も、ただ面食らっているばかり。そりゃそうだろう。
「ええと……。一旦《いつたん》戻って、上司《じようし》と相談して来ます」
 と言い出した。
「その間に私が逃げたらどうする?」
「それもそうですね」
「こんな風にして、さ」
 いきなり、池上の拳《こぶし》が、健吾の顎《あご》に当った。
「ワッ!」
 不意《ふい》をつかれて、健吾が引っくり返る。
 そこへ、
「おい! 大変だ!」
 ドタドタと足音がして、飛び込んで来たのは、畑健一郎だった。「金がやられたぞ! おい——」
 健一郎と池上は、ちょっと目を見交《みか》わした。
「やあ。二十年前には会えなかったな」
 と、池上が微笑《ほほえ》む。
「貴様か——」
 池上がパッと廊下に飛び出す。
「待て!」
 健一郎が、尻もちをついている息子を引張って、「おい、立て! 追いかけるんだ!」
「は、はい……」
 二人がドタドタと〈夜の紳士〉を追って行く。
「おい! 犯人が逃げるぞ!」
 と、健一郎が怒鳴っているのが聞こえて来た。
 マリと加津子は、呆然《ぼうぜん》としていたが、
「そうだわ、きっと——」
 と呟くと、マリも駆け出して行った。
 一人残った加津子は、あまりに色々《いろいろ》な驚きが一度に押し寄せて来たせいで、半《なか》ば夢でも見ているかのような気分だった。
 そして、ソファに腰をおろして、ぼんやりしていたが……。
 カタッ、と音がして、他の戸棚から、結城江美が出て来た時も、加津子は、大してびっくりしなかった……。
「——江美ね」
 と、加津子は言った。
「ええ」
 江美は、肯いた。「お母さん……ですね」
 加津子は、ホッと息をつくと、
「こんなに大きくなって……」
 と、立ち上る。「私より背が高いじゃないの」
「ごめんなさい」
「何を謝ってるのよ」
 と、加津子は笑って、「子供が親を追い越すのは当り前よ。親にとってはとても嬉《うれ》しいことなんだから」
「ええ。でも——」
 加津子が、江美を抱きしめた。江美もまた、力をこめて、母を抱いた。
「——湿《しめ》っぽくなってきたわね」
 と、加津子は涙を拭《ふ》くと、「会って嬉しいのに……。ごめんなさいね、あなたの彼氏《かれし》を」
「そんなこと——」
「でも、あの人に会えたから、もういいの。私はずっと、もう一人のあの人を捜して来たのよ。それが本物に会えたんですもの。もう満足だわ」
 と、加津子は言った。「あの若い人は、あなたに返すわ」
「池上さんを——お父さんを、ずっと愛してたんですね」
 と、江美は言った。
「そう。私が愛したのは、あの人一人よ」
「分ります。あんなすてきな人」
「そうでしょ? やっぱり私の娘だわ」
 加津子は、江美の髪をそっとなでた。「髪の感じは、お父さんとそっくりね」
「でも——どうして逃げたのかしら、お父さん」
 加津子が、ハッとした。
「そうだわ! あの人——」
「え?」
「死ぬ気なんだわ」
 と、加津子は言った。

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