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忘れられた花嫁04
日期:2018-09-28 18:19  点击:338
 4 ショックの朝
 
 結《けつ》婚《こん》式《しき》というのは、そんなに朝早く、六時とか七時とかからやるものではないが、その準《じゆん》備《び》は至《いた》って早い。
 もっとも、明子は午後の担《たん》当《とう》なので、出《しゆつ》勤《きん》はゆっくりだった。
 これが母の啓《けい》子《こ》には気に入らないようだ。
 「朝起きて働きに出る。これが本当の仕事ってもんよ」
 と、非難するが如《ごと》き目で、娘《むすめ》を見るのである。
 その代り、夜が遅《おそ》いのだから、といくら言っても、聞いてくれない。
 おかげで大体いつも明子は十時には朝食の席につく。
 「眠《ねむ》いよう」
 とブツブツ言いながら、ブラックコーヒーをがぶ飲みしていると、玄《げん》関《かん》に誰《だれ》かが来たらしい。母が出て応《おう》対《たい》している。
 こういう時間はセールスマンが多いものだ。どんな押《おし》売《う》りだって、啓子にかかれば、あわてて逃《に》げ出さざるを得《え》なくなる。
 「これだけ言っても分らないの!」
 と、腕《うで》まくりをしたときの啓子の迫《はく》力《りよく》は大変なものなのである。
 だが、どうも今朝《けさ》はそうでもないらしい。——少しして顔を出すと、
 「明子、お前にお客よ」
 「私?」
 と、明子は訊《き》き返した。
 「そう。何だか——保《ほ》科《しな》さんて人に頼《たの》まれたって」
 「あら、何かしら」
 明子は、パジャマのままだったので、あわててTシャツとジーパンに着《き》替《か》えた。
 玄《げん》関《かん》へ出てみると、若《わか》いOLらしい女《じよ》性《せい》が立っている。
 「あの——私が明子ですが」
 「ああ、永戸さんですね。私、保科さんと同じアパートに住んでるんです」
 「そうですか。あの、何か伝言でも?」
 具合が悪くて休むのかと思ったのだ。しかし、考えてみれば、それなら電話一本かけて来れば済《す》むことである。
 「いえ、そうじゃないんです。これを——」
 と、その女性が取り出したのは、何やら、お弁《べん》当《とう》箱《ばこ》ぐらいの大きさ、形の紙包みであった。
 「それは?」
 「中は分りません。ただ、保科さんが、今朝こちらへ届《とど》けてくれって」
 「保科さんはどうかしたんですか?」
 「ゆうべ、遅《おそ》くに、出かけたみたいでしたよ」
 「ゆうべ?」
 「ええ。十二時過《す》ぎに、私の所へみえて、これを置いていかれたんです。そのとき、旅《たび》仕《じ》度《たく》でした」
 「旅の仕度を?」
 「どこへ行くのかは聞きませんでしたけど、しばらく留《る》守《す》にするとおっしゃってました」
 「留守に……」
 明子は面《めん》食《く》らった。——そんな風に突《とつ》然《ぜん》、いなくなってしまうとは。
 何があったのだろう。
 部《へ》屋《や》へ戻《もど》ると、明子は包みを開けてみた。中にもう一つ包みが入っていて、一通のメモがつけてある。
 間《ま》違《ちが》いなく、保科光子の、きれいな書体であった。
 〈明子さん。突然ごめんなさい。この包みを預《あず》かって下さい。もし、私の身に万一のことがあったら、これを開けて下さい。光子〉
 明子は、三回、読み直した。
 わけが分らない。「万一のことがあったら」というのは、どういうことだろう?
 明子は、すっかり眠《ねむ》気《け》もさめてしまった。
 
 少し早目に出《しゆつ》勤《きん》した明子は、上司の村川の所へ行った。
 「失礼します」
 と、声をかけると、ちょうど廊《ろう》下《か》に出ていた村川は、
 「ちょうど良かった! 君に用があったんだ!」
 と、明子の腕《うで》を取るようにして、自分の部《へ》屋《や》へと連れて行った。
 ドアを閉《し》めると、
 「一体どういうことだ?」
 といきなり言った。
 「何のことです?」
 「とぼけることはないだろう」
 と村川は仏《ぶつ》頂《ちよう》面《づら》だ。
 「だって、分りません」
 「保科君が突《とつ》然《ぜん》辞表を出した」
 やはりそうか。それを調べたくて、来たのだ。
 「知っていたのか?」
 「いいえ」
 「少しもびっくりした風じゃなかったぞ」
 「今朝《けさ》聞いたんです」
 「本当か? 理由は?」
 「知りません。直接会っていないんです」
 「フム」
 村川は肩《かた》をすくめた。「——仕方ない。こんな風に突然辞められては全く困《こま》ってしまうよ」
 「村川さんはお会いにならなかったんですか?」
 「会わないよ。今朝《けさ》出て来ると、机《つくえ》の上に辞表が置いてあった」
 「文面は……」
 「ただ、〈一身上の都合〉だ。——こっちだって一身上の都合で逃《に》げ出したいよ!」
 文句ばかり言っている男が、明子は大《だい》嫌《きら》いである。
 さっさと部《へ》屋《や》を出た。
 自分の仕事の時間には少し早い。——明子はロビーへ行って、コーヒーを飲んだ。
 最初の組が、そろそろ終って出て来る。
 ロビーでは、あちこちで、久しく会わなかった親《しん》戚《せき》同士の挨《あい》拶《さつ》がくり返されていた。
 「結《けつ》婚《こん》式《しき》ってのは、いいもんだな」
 と、急に近くで声がして、明子は仰《ぎよう》天《てん》した。
 「——尾《お》形《がた》君! ああびっくりした!」
 「失礼、おどかすつもりだったんだ」
 と、尾形は笑《わら》った。
 「大学の方はいいの?」
 「うん、今日は休講さ」
 「さぼってばっかり!」
 「人聞きの悪いこと言うなよ。学生は喜ぶ。こっちも楽だ。一石二鳥じゃないか」
 「変なの」
 と明子は笑《わら》った。
 尾形和《かず》敏《とし》。——明子の通っている大学の講《こう》師《し》である。
 二十七歳《さい》という若《わか》さ。しかも、見た目が若いので、大体学生と言って通用するのだ。
 明子も友だち扱《あつか》いで、
 「尾形君」
 と呼《よ》んでいる。
 尾形の方も、そう呼ばれるのが楽しいらしいのだ。——といって、この二人、恋《こい》人《びと》同士というわけではない。
 単に仲《なか》のいい友だちなのである。
 「何かあったの」
 と、明子は訊《き》いた。
 「君の処《しよ》分《ぶん》のことさ。どうやら今度の理事会で解《と》けそうだよ」
 「そう」
 「——あんまり喜ばないね。せっかく僕《ぼく》が努力して、こぎつけたのに」
 「ありがとう。でもね……ちょっと気になることがあるのよ。——学長さんは、事《じ》情《じよう》を分ってくれたの?」
 「うん。ともかく君が暴《ぼう》力《りよく》を振《ふ》るって、三人の男をけがさせたのは、中学生の女の子を守るためだった、ってことは評《ひよう》価《か》しているようだ」
 「あんなもの、暴力の内に入らないわ」
 「しかし、ともかく君は合《あい》気《き》道《どう》をやるわけだから、少し手《て》加《か》減《げん》すべきだった、と学長は言ってたよ」
 「向うは三人よ。いくら私だって、そんなこと言ってらんないわ」
 「僕もそう言ったがね。——学長は渋《しぶ》い顔をしていたよ」
 「あれより渋い顔ができる?」
 と言って、明子はぎゅっと顔をしかめて見せた。
 「君は愉《ゆ》快《かい》だな」
 と、尾形は笑《わら》って、「ところで君の方の気になることって?」
 「うん。実はね……」
 と言いかけて、明子は言葉を切った。
 「どうした?」
 「あれ……あそこに……」
 明子は立ち上った。
 ロビーの入口が見えている。その扉《とびら》から入って来たのは、保科光子だった。
 しかし、明らかに様子がおかしい。——服《ふく》装《そう》は、外出するようなワンピースだったが、足もとが、ふらついている。
 「保科さん——」
 明子は、駆《か》け出した。
 保科光子は、二、三歩進んで、明子のことに気づいたようだった。右手を、明子の方へ伸《の》ばす。
 そして、そのまま、その場に倒《たお》れ伏《ふ》してしまった。
 「——保科さん!」
 明子は駆け寄《よ》った。「どうしたんですか! しっかりして!」
 尾形もやって来て、保科光子をかかえるようにして体を起こしてやった。
 「この血!」
 と、明子が息を呑《の》んだ。
 抱《だ》き起した尾形の手に、べっとりと血がついた。背《せ》中《なか》に、血のしみが、広がっているのだ。
 「誰《だれ》か呼《よ》んで来るんだ! それと救急車! 早くしろ!」
 尾形の声が別人のように鋭《するど》い。
 明子は、驚《おどろ》く人々を尻《しり》目《め》に、ロビーを駆け抜《ぬ》けて行った。

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