6 にわか探《たん》偵《てい》
「なあに、これ?」
明子は言った。
明子の家の居間。——テーブルの上に、包みが解《と》かれて置かれている。
それを見ているのは、明子と志水、それに、成り行きでついて来てしまった社長……。
弁《べん》当《とう》箱《ばこ》ほどの大きさの包みを開いてみると、中は本当の弁《ヽ》当《ヽ》箱《ヽ》だった。
しかも中は空っぽ。——一体何のつもりで保科光子は、こんなものを明子へ、預《あず》けたのだろう?
「妙《みよう》ですな」
と社長が言う。
「妙です」
と、志水は肯《うなず》いて、「手紙は、いやに意味ありげだが。——何の意味なのか」
「確《たし》かにこの包みなのかね?」
と社長が言った。
「だと思うんですけど……」
そう訊《き》かれると、明子にも自信はない。
「でも、ずっと家に置いてあったんですもの、他のものと入れ代わるなんてこと、考えられません」
「それはそうだな」
社長が考え込《こ》む。大分明子に感化されてきたようである。
「ともかく、残念ながら警《けい》察《さつ》を事《じ》件《けん》の捜《そう》査《さ》に乗り出させるには、この弁《べん》当《とう》箱《ばこ》ではちょっと無《む》理《り》だろうな」
「だからって、みすみす怪《あや》しいと分ってるのに……」
明子は不満げである。
「そうだ。君、さっき、私を殴《なぐ》ったね」
「殴《なぐ》ったりしませんよ!」
と、明子は目をむいた。「放り投げただけです」
「同じようなもんだ。あの件《けん》に関して処《しよ》罰《ばつ》をしなくてはならんな」
「あ、ずるいですよ。さっきはあんなかっこいいこと言っといて!」
しかし、社長は、明子の抗《こう》議《ぎ》には一向知らん顔で、
「差し当り、謹《きん》慎《しん》処《しよ》分《ぶん》にしようと思うが、どうかね?」
「お好《す》きなように」
明子はプーッとむくれて言った。
「その間、社長の個人的な用《よう》件《けん》を果《はた》してきて欲《ほ》しい」
「何をするんですか?」
「伝《でん》統《とう》ある結《けつ》婚《こん》式場で、女を死に追いやるような男が式を挙げたとなると、これは大きな問題だ。私は経《けい》営《えい》者《しや》として、それを許《ゆる》しておくわけにはいかん。そこでだ——」
と、明子のほうを向いて、「君にその調《ちよう》査《さ》を命ずる」
「調査ですって?」
明子は、やっと社長のいわんとするところが分って、今度は目を輝《かがや》かせた。「じゃ、この事《じ》件《けん》を調べていいんですね」
「やってくれ。費用は私が持つ」
「分りました!」
しかし、志水はあまり気が進まないようだった。
「それは考えものですな」
「あら、どうしてですか?」
「万一、あの花《はな》嫁《よめ》衣《い》裳《しよう》で死んでいた女が殺されたのだとすると、それを探《さぐ》る者にも危《き》険《けん》が及《およ》ぶとみるべきです。つまり、あなたにもね」
と、志水は言った。
「なるほど。そこまでは考えなかった。これはやめておいたほうがよさそうだ」
しかし、一《いつ》旦《たん》その考えを吹《ふ》き込《こ》まれて、明子がすんなり引っ込むはずがない。
誰《だれ》が何を言おうと、絶《ぜつ》対《たい》に事《じ》件《けん》の真相をさぐり出して見せる。そう、固く決心していた。保《ほ》科《しな》光子のためにも……。
「何だって?」
と、うんざりしたように明子を見たのは尾形である。
「分ってるわよ。言いたいことは」
と、明子はソフトクリームをペロリとなめた。「そんな危《あぶな》いことはやめとけ、でしょ?」
「分ってるじゃないか」
尾形は、ベンチに腰《こし》をおろした。
「君は大体、無《む》茶《ちや》をやりすぎるよ」
「いいじゃない。それでも生きてんだもの」
「当り前だろ」
尾形は、本を持ち直した。
大学の庭である。——今は講《こう》義《ぎ》中なので、学生の姿《すがた》はあまり見えない。
「いいかい、これは、少々の問題とはわけが違《ちが》う」
「殺人事《じ》件《けん》なんだ」
「そうさ。君のとこの社長も無《む》責《せき》任《にん》な人だな、そんなことを言い出して」
「だって、私がぜひ、と言ったんだもの。——ねえ、保科さんは刺《さ》されて死んだのよ。私、同《どう》僚《りよう》として、そして友人として、放っておけないわ」
明子は、決然として、ソフトクリームをなめた!
「だけど、万一……」
と言いかけて、尾形は肩《かた》をすくめた。「OK、好《す》きにするさ」
「分ってくれると思ってたんだ! ねえ、お金貸《か》して」
「何だよ、いきなり」
「軍《ぐん》資《し》金《きん》よ」
「だって費用はその社長が——」
「友情のために働くのよ。お金なんかほしくないわ」
「僕《ぼく》からなら、いいのか?」
「いいの」
尾形は苦《く》笑《しよう》した。
「君にはかなわないよ。いくらいるんだい?」
「そうね、まあ取りあえず……」
と明子は言った。「二、三十万もあれば——」
尾形がベンチから落っこちた。
明子は、バスを降《お》りて、息をついた。
「この辺なんだけどな……」
手の中のメモを見る。
しかし、東京都内、住所だけで家を探《さが》すというのは、容《よう》易《い》なことではない。
「この探《たん》偵《てい》、貧《びん》乏《ぼう》だからね」
と、明子は呟《つぶや》いた。
やはり、多少良心というものがあるので、尾形から借りた(そして、返す気のない)お金で、タクシーを乗り回してはいけない、と思っているのである。
手にしている住所は、あの、控《ひかえ》室《しつ》で死体が見付かった日に、あそこで式を挙げたカップルの住所だった。
あの日は十二組の式があったが、被《ひ》害《がい》者《しや》——つまり茂木こず枝との関係がありそうもない男《だん》性《せい》を除《のぞ》いて、結局、可《か》能《のう》性《せい》がある男が四人残った。
その一人を、訪《たず》ねて行こう、というわけである。
といって、訪ねて行って、
「あなた、茂木こず枝さんと関係があったんじゃありませんか?」
と訊《き》いても、答えるはずがない。
そこはそれ、一《いち》応《おう》式場の職《しよく》員《いん》という立場をうまく利用するのである。
あちこちで訊いて、やっと訪ね当てる。
「ここか」
——男の名前は、湯《ゆ》川《がわ》元《もと》治《はる》。妻は雅《まさ》代《よ》である。
昼の時間だから、男の方はいないかもしれない。しかし、妻の方と話をして、却《かえ》って何か得《う》るところがないとも限《かぎ》らないのである。
家は、小さな建売で、うっかりすると、素《す》通《どお》りしてしまいそうだ。
玄《げん》関《かん》のチャイムを鳴らすと、
「はい」
と声はあったが、なかなか出て来ない。
どうしたのかな、と思っていると、ドアが開いた。
「あの、先日挙式のお手伝いをさせていただきました者ですが——」
と言いかけて、明子は言葉を切った。
出て来たのは妻の雅代だろう。大《おお》柄《がら》で、迫《はく》力《りよく》がある。
旅行仕《じ》度《たく》で、玄関にもトランクが見えていた。
「あ、失礼しました。まだお戻《もど》りになったばかりでしたか」
「いいのよ。何なの?」
「はい。実は、私どもの会計の手《て》違《ちが》いで、料金を一万円多くいただいておりましたので、お返しに参りました」
これは、明子の苦心の作である。
——金を返してもらって怒《おこ》る者はいないだろう、という計算だ。
もっともその金は、尾形からの借金でまかなっていたが。
「まあ、そうなの?」
「おそれいりますが、印をいただけますでしょうか」
明子の作戦は図に当り、向うは急に愛想が良くなった。
「はいはい。ここじゃ何だから、ちょっと上って」
と、促《うなが》す。
遠《えん》慮《りよ》なく上り込《こ》むと、居《い》間《ま》へ通された。
ちゃんとお茶まで出てくる。一万円のご利《り》益《やく》である。
「じゃ、ここに領《りよう》収《しゆう》印《いん》を。——ありがとうございます」
と、明子は言って、「でも、ずいぶん長いこと、ハネムーンへ行ってらしたんですねえ」
と、居間を見《み》渡《わた》す。
「違《ちが》うのよ」
と、雅代は言った。
「といいますと?」
「私、家出しようとしてたところなの」
雅代の言葉に、明子は唖《あ》然《ぜん》とした。