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忘れられた花嫁15
日期:2018-09-28 18:27  点击:226
 15 恐《きよう》 喝《かつ》
 
 「あらまあ」
 と、啓《けい》子《こ》が言った。
 母、啓子の「あらまあ」には、明子も慣《な》れっこであるが、それが何の意味なのかは、
 「どうしたの?」
 と訊《き》いてみないことには、よく分らない。
 「殺されたんですって。可哀《かわい》そうに」
 「へえ。誰《だれ》が?」
 明子はあまり関心も示さずに言った。
 ともかく食事中に、明子の目を向けさせようと思えば、かなり思い切った手《しゆ》段《だん》を取るしかないのである。
 「十九歳《さい》の夫、殺さる、ですって。ずいぶん若《わか》いのね」
 「本当ね」
 「未《み》亡《ぼう》人《じん》は十七歳ですってよ。——どうなってるのかしら」
 啓子は新聞をガサゴソとたたんだ。
 殺されたことに「あらまあ」なのか、夫《ふう》婦《ふ》が若いことに「あらまあ」なのか、その辺は判《はん》断《だん》に苦しむところだった。
 「そんなに珍《めずら》しいこともないわよ」
 と、明子は言った。「私だって、十九歳と十七歳っていう夫婦、知ってるわ……」
 待てよ、と思った。——十九歳の夫。十七歳の妻?
 それにしてもピッタリだ。
 「ちょっと新聞貸《か》して」
 と、明子は手をのばした。
 「危《あぶな》いじゃないの、おはしを持ったまま手を出して——」
 明子は新聞を広げた。
 「まさか!」
 と言ったきり、絶《ぜつ》句《く》。
 あの夫《ふう》婦《ふ》だ! 白石夫婦ではないか!
 「どうしたの、明子」
 と啓子が言った。「ご飯が冷めるわよ」
 「いいの、私、お腹《なか》空《す》いてない」
 と、明子は言った。
 いかにショックが大きかったか、分ろうというものだ。
 「じゃ、お茶《ちや》漬《づけ》一《いつ》杯《ぱい》」
 ——それほどでもなかったのかもしれない。
 「知ってる人なの?」
 と、啓子が不思議そうに訊《き》いた。
 「ちょっとね。——会ったことがあるの」
 「へえ。可哀《かわい》そうにね。じゃ、お葬《そう》式《しき》にでも行って来たら?」
 「そういう関係じゃないのよ」
 と言ったものの、待てよ、と思い直した。
 それもいいかもしれない。——ともかくあの女の子——いや、未《ヽ》亡《ヽ》人《ヽ》とも話をしたかった。
 これは偶《ぐう》然《ぜん》の殺人事《じ》件《けん》なのだろうか?
 しかし、新聞で読む限《かぎ》りでは、喧《けん》嘩《か》とかそんなことではない、妻の知美という女の子も、
 「全く理由が分りません」
 と語っている。
 つまり、計画的殺人という線も考えられるわけで、そうなれば、ちょうど、明子が捜《そう》査《さ》している事件と関連があると思える。
 もちろん、明子もあの白石という夫に、
 「茂《も》木《ぎ》こず枝《え》」
 という名をぶつけてみたのだが、一向に反《はん》応《のう》はなかったのである。
 だが、たとえ白石が直《ちよく》接《せつ》茂木こず枝と関係なくても、何《ヽ》か《ヽ》を知っていたとも考えられるし、それに、白石は茂木こず枝の勤《つと》めていた会社でアルバイトをしていたのだ。
 明子に訊《き》かれたときは忘《わす》れていて、後になって何か思い出したという可《か》能《のう》性《せい》もある。
 ともかく、まず当ってみることだ……。
 
 殺された白石紘《こう》一《いち》が社長の息子《むすこ》だったせいか、さすがに葬《そう》儀《ぎ》は盛《せい》大《だい》だった。
 もっとも、来ているのは、大部分が父親の関係らしく、年《ねん》輩《ぱい》の人が多かった。
 明子は一《いち》応《おう》、弔《ちよう》問《もん》客《きやく》とも見えるように、紺《こん》のワンピース姿《すがた》でやって来て、門の前をウロウロしていた。
 しかし、あんまりうろついていても、香《こう》典《でん》泥《どろ》棒《ぼう》か何かと間《ま》違《ちが》えられそうだ。
 どうせこんなに大勢来ているのだ。一人ぐらい顔の分らないのが焼《しよう》香《こう》したって、おかしくあるまい。
 というわけで、明子は一《いち》応《おう》焼香の列に並《なら》んだ。
 凄《すご》い家だ。明子の家の何倍あるか……。
 まあいいや。そんなことは考えないようにしよう。
 順番が来て、明子は型通り焼香した。遺《い》族《ぞく》の方へ一礼しながら、妻《つま》の知美を見ると、黒のスーツ姿で、大分落ちついてはいるが、青ざめて、目を赤く充《じゆう》血《けつ》させている。
 明子が頭を下げると、知美も頭を下げたが、ふと明子の顔を見て、思い当ったような表《ひよう》情《じよう》になる。
 思い出したんだわ。——へえ、意外とボンヤリじゃなかったのね、と明子は、葬《そう》式《しき》にしては少々不《ふ》謹《きん》慎《しん》なことを考えた。
 表に出て、どうせ出《しゆつ》棺《かん》までそう時間もないようなので、しばらく待つことにした。
 周囲を見回すと、同様に、出棺を待つ人たち……。
 ——ふと、明子は妙《みよう》な気がした。
 あまりにも、若《わか》い人が少なすぎるのである。
 考えてみれば、死んだ白石は大学生だったのだ。
 大学の友人たちなどが、もっと大勢やって来てもいいではないか。それなのに……。
 周囲を見回しても、父親関係の知人らしい、中年過《す》ぎの人ばかり。
 どうなっているのかしら?
 明子は首をひねった。
 「——もし」
 と、誰《だれ》かの手が肩《かた》に触《ふ》れる。
 「はあ」
 振《ふ》り向くと、ちょうど明子の父親ぐらいの年《ねん》齢《れい》の男が立っている。別に黒服ではなかった。
 「何か?」
 「つかぬことをうかがいますが、亡《な》くなった紘《こう》一《いち》さんのお知り合いで?」
 「ええ……。まあ、そんなところです」
 「では、ちょっとこちらへ——」
 わけが分らなかったが、ともかく、その男について、少し離《はな》れた所の、小さな公園まで歩いて行く。
 そこに、十八、九の女の子が待っていた。
 ——いや、 顔は若《わか》くて、 たぶん十八、 九だと思えるのだが、 一見して、 お腹《なか》の大きいのが分る
 「これは娘《むすめ》です」
 と、その男は言った。「あの男に騙《だま》されて、こうなりました」
 「あの男?」
 「白石紘一です」
 明子が目をパチクリさせて、
 「本当ですか?」
 と、思わず訊《き》いた。
 「本当よ」
 と、その娘は恨《うら》みがましい目で、
 「あの人がまさか結《けつ》婚《こん》してるなんて……。時期が来たら親に正式に話をして、結婚しようとか言って——」
 「白石さんが?」
 「あなたも、やっぱり騙《だま》された口なの?」
 明子はあわてて、
 「いいえ」
 と首を振《ふ》った。「私は、ただ仕事の上で、知っていただけよ」
 「そうなんですか」
 と父親が頭をかいて、「いや、それは失礼。てっきりうちの子と同じような女《じよ》性《せい》かと思いまして……」
 「そんなに何人も?」
 「私の知ってるだけで他に三人もいたのよ」
 と、女の子がカッカしながら、「結《けつ》婚《こん》の約《やく》束《そく》してたっていうのよ、みんな! 許《ゆる》せない!」
 これには明子もびっくりした。
 あの知美が聞いたら、どう思うだろうか。
 「それで——どうするつもりなんですか?」
 と、明子は言った。
 「もちろん、訴《うつた》えてやるわ」
 と、女の子が言った。「もう子《こ》供《ども》は七か月よ。おろせないんだもの。あいつが死んだって、親からでも、お金を出させてやらなくちゃ」
 「当然の権利だと思いますよ」
 と、父親も腹《はら》立《だ》たしげに言った。
 もちろん、それが事実なら、当然請《せい》求《きゆう》する権利はある。
 しかし、——明子はちょっとがっかりしていた。
 この調子では、白石を恨《うら》んで、殺す動機のある人間が、他に、もっといるかもしれない。
 そうなると、白石の死は、明子が調べている事《じ》件《けん》とは無《む》関《かん》係《けい》かもしれないのだ。
 「お気持、分りますわ」
 と、明子は言った。
 「そうでしょう?」
 「でも今は——ともかくお葬《そう》式《しき》が済《す》むまで待ってあげた方が良くありませんか?」
 「いや、そうはいかん」
 と父親が首を振《ふ》る。
 「どうしてです? 白石さん当人はともかく、 あの奥《おく》さんには凄《すご》いショックですよ、 きっと」
 「だからこそ、じゃない」
 と女の子がお腹《なか》を撫《な》でて、「これを見せて、この子の父親は白石紘一です、って大声で騒《さわ》いでやる、っておどかすの。お客たちの手前、向うも高い額《がく》でもあわてて承《しよう》知《ち》するわよ」
 明子は、どうもそういうやり方は好《す》きでなかった。——しかし、この親子に意見する立場でもない。
 「パパ、そろそろ出《しゆつ》棺《かん》よ」
 「そうか。待とう。出て来るところを捕《つか》まえるんだ」
 「じゃあね、バイバイ」
 と、娘《むすめ》の方が明子に手を振る。
 明子は首を振った。——どうなるのかしら?
 明子は、しばらくその場に立って、様子を見ていた。
 棺《かん》が出て来て、霊《れい》柩《きゆう》車《しや》に納《おさ》められる。
 白石紘一の父親らしい男《だん》性《せい》が、代表して挨《あい》拶《さつ》を述《の》べる。
 そして、霊柩車と何台かのハイヤーが、列を作って、走り出し、集まっていた人々が帰り始めた。
 「おかしいわ……」
 と、明子は呟《つぶや》いた。
 じっと見ていたのだが、妻の知美が、出て来なかったのだ。
 そんなことがあるのだろうか?
 見落としかもしれない、と思ったが、あれだけ用心して見ていたというのに……。
 門の前が、閑《かん》散《さん》として来ると、明子は、門の中を覗《のぞ》き込《こ》んだ。
 受付などを手伝いに来た人たちが、片付けをしている間を抜《ぬ》け、家の裏《うら》手《て》に回ってみる。
 「——ともかく、話は分ったんでしょうね、ええ?」
 と、甲《かん》高《だか》い声。
 さっきの、お腹《なか》の大きな女の子だ。
 「ともかく、これで娘《むすめ》の一生はめちゃくちゃなんですよ」
 と言っているのは父親の方だ。「それはあんたのせいじゃない。よく分ってはいるが、しかし、やっぱりあんたのご亭《てい》主《しゆ》のやったことだからね」
 そっと覗いてみると、庭へ面した和室で、あの親子と、知美が向かい合っている。
 「申し訳《わけ》ありません」
 と知美が頭を下げる。「父とも相談しまして、必ずご返事します」
 「当り前よ。冗《じよう》談《だん》じゃないわ」
 女の子の方は、やくざっぽい口調だ。
 「ともかく、差し当り、入院や出産の費用として、三百万ほど用意してもらいましょうかね」
 と、父親が言った。「後のことは、できれば、こっちも裁《さい》判《ばん》沙《ざ》汰《た》にせずに、穏《おだ》やかに済《す》ませたいんですよ。分ってもらいたいな。——もっと騒《さわ》ぎ立てて、金《きん》額《がく》をつり上げてもいいが、私どもはそこまでやりたくない」
 知美は、じっと顔を伏《ふ》せたままだ。
 「まあ、よく相談してもらいましょう」
 と父親が立ち上る。「さあ、帰ろう」
 「うん」
 娘《むすめ》は、どっこらしょ、と立ち上り、「あんたはどうなの? できてるの?」
 と言って、笑《わら》った。
 「おい、行くぞ」
 と、父親が促《うなが》す。「——ああ、奥《おく》さん、三百万は来週にはほしいですね」
 「かしこまりました」
 知美は、青ざめた顔で、言った。
 ——父親と娘《むすめ》が出て行くと、知美は、彫《ちよう》像《ぞう》のようにじっとして、動かなかった……。

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