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忘れられた花嫁16
日期:2018-09-28 18:31  点击:307
 16 謎《なぞ》の〈仕事〉
 
 「フフ、あの女《によう》房《ぼう》ったら、青くなって、見らんなかったね」
 と、歩きながら、娘が言った。
 「ちょっと哀《あわ》れになったよ」
 と父親の方がタバコをくわえて、火を点《つ》ける。
 「あら、仏《ほとけ》心《ごころ》なんか出したらだめよ」
 と娘の方は澄《す》まして、「せいぜいお金をふんだくってやらなきゃ」
 「しかし、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》か?」
 「何が?」
 「あの女はともかく、父親となると、あれこれ調べて回るかもしれん」
 「その隙《すき》を与《あた》えないことよ」
 「どうするんだ?」
 「このスキャンダルを、あちこちに売り込《こ》むと言っておどすのよ」
 「なるほど」
 「向うは、事実かどうかなんてことより、書かれるかどうかであわてるわ。素《す》早《ばや》くやるのよ」
 「お前は利口だ」
 と、笑《わら》って、「さすがに俺《ヽ》の《ヽ》女《ヽ》だよ」
 と肩《かた》に手を回す。
 「でも、うまい具合に、本当にあいつと一時期同《どう》棲《せい》してたしね」
 「ぶっ殺してやりたかったぜ」
 「殺さなくて良かったでしょ」
 「全くだ」
 と父親——いや、男は笑った。
 「一度じゃもったいないわ。何度だって絞《しぼ》り取れる」
 「じわじわ、とな。——それは俺《おれ》に任《まか》せろよ。ベテランだ」
 「なるほどね」
 と声がして、二人はギョッと振《ふ》り返った。
 明子である。
 「お話はうかがいましたよ。——たちの悪い人たちね」
 「黙《だま》ってた方がいいよ」
 と女が言った。「この人、おとなしそうに見えても、怖《こわ》いんだからね」
 「そうとも。——お前も馬《ば》鹿《か》じゃあるまい?」
 「あなたたちほどはね」
 「何だと?」
 男がカッとしたように前へ出る。
 「少し痛《いた》い思いをさせた方がいいわ」
 と、女が言った。「でも、骨《ほね》は折らないようにね」
 「任せとけ」
 と男が進み出て、ぐいと明子の腕《うで》を——つかんだはずだったが、明子の体がスッと沈《しず》んだと思うと、男の体はぐるっと一回転して、地面に叩《たた》きつけられた。
 「ウ……」
 と、呻《うめ》いて、喘《あえ》ぐ。
 「あなたたちのことを、知美さんへ話して来るわ」
 と、明子が戻《もど》って行く。
 「待て! 畜《ちく》生《しよう》、ふざけやがって!」
 男の方は、顔を真っ赤にして起き上ると、明子の背《せ》中《なか》へと駆《か》け寄《よ》った。
 明子はクルリと振《ふ》り向くと、前かがみになって、男が突《つ》っこんで来る、腰《こし》の辺りへ頭を入れた。
 男の体はそのまま宙《ちゆう》を真直ぐに進んで、落下した。
 「——のびちゃった」
 明子は、ポンと手を払《はら》って、「鼻の骨《ほね》が折れたかもね。医者へ行ってレントゲンとった方がいいわ」
 と言った。
 女の方は真っ青になっている。
 「ねえ、あんた」
 明子に声をかけられると、ピクッと身をちぢめて、
 「助けて! 勘《かん》弁《べん》してよ!」
 と悲鳴を上げる。
 「妊《にん》娠《しん》中なんでしょ。何もしないわよ。でもね、今度知美さんに近づいたら、腕《うで》の一本ぐらい折られると思っといた方がいいわ。分った?」
 女がコックリと肯《うなず》く。
 明子は悠《ゆう》然《ぜん》と立ち去った。
 
 明子が、白石の家へ戻《もど》ってみると、奥《おく》の和室に、もう知美の姿はなかった。
 火《か》葬《そう》場《ば》へ行ったのかしら?
 明子がまた表へ回ろうとしていると、
 「知美さんは?」
 と、声がした。
 「さあ、さっきまでそこにおられましたけど——」
 使用人らしい女《じよ》性《せい》の声。
 してみると、どうやら出ているわけでもないらしい。
 「もしかして……」
 まさか、とは思ったが、いやな予感がして、明子は裏《うら》へ戻《もど》った。
 廊《ろう》下《か》から、家の中へと走り込《こ》む。
 「失礼……」
 さっきの和室を通って、その奥《おく》の襖《ふすま》を開け、明子はギョッと立ちすくんだ。
 鴨《かも》居《い》から紐《ひも》が下って、そこに知美が——。今まさに乗っていた椅《い》子《す》をけったところだった。
 「だめ!」
 明子は駆《か》け寄《よ》って、知美の体をかかえ上げた。「外しなさい!」
 「死なせて! お願い!」
 と、知美が暴《あば》れる。
 離《はな》してなるものか、と明子は必死で、知美の足にしがみついて、体を持ち上げていた……。
 
 「まあ、そうだったの?」
 知美は、頭を下げた。「ごめんなさい、何も知らなくて」
 「いいえ……」
 明子は頭を振《ふ》りながら言った。「それにしても、よく殴《なぐ》ってくれたわね」
 「本当にごめんなさい」
 「いいの。石頭だから」
 と、明子は苦《く》笑《しよう》した。
 「今、お茶を——」
 「コーヒーある? 少しはスッキリすると思うの」
 探《たん》偵《てい》は時には殴られ、けられることに、じっと堪《た》えなくちゃいけないんだわ、と明子は思った。
 ——和室でコーヒーというのも、少し妙《みよう》だったが、ともかく、やっと明子の頭も正常な活動を取り戻《もど》し始めていた。
 「ご主人は気の毒だったわね」
 「本当に——今でも信じられなくて」
 と、知美は言った。「だから、火《か》葬《そう》場《ば》にも行かなかったの」
 「どうして?」
 「もしかして、死んだのは、あの人とそっくりの別の人で……。よく言うでしょう。世の中には、そっくりの人がいるって」
 「ええ」
 「だから、ヒョイと帰って来るんじゃないかって——。そして、『今日は誰《だれ》のお葬《そう》式《しき》なんだ?』って訊《き》くの」
 そう言って知美は、ちょっと笑《わら》った。
 もちろん、そんなことがないのは、彼女《かのじよ》にも分っているのだ。——しかし、明子には、知美の気持も、よく分った。
 「ご主人が殺されたときのことを聞きたくて来たの」
 と、明子はわざと事《じ》務《む》的《てき》な調子で、言った。
 「まあ。どうして?」
 「実は、この間、あなた方の所へ行ったのは、お金を返しにじゃなかったの」
 明子は、あの式場で死んでいた謎《なぞ》の花《はな》嫁《よめ》のことから説明した。
 「——そんなわけで、あの日の何組かの夫《ふう》婦《ふ》のことを調べていたのよ」
 「そうだったの」
 「騙《だま》してごめんなさいね」
 「いいえ、そんなこと……」
 と、知美は首を振《ふ》って、「茂木こず枝……。私も聞いたことないわ」
 「そう。——それはともかく、あのとき、ご主人は——」
 「ええ、私たちレストランへ入っていて……」
 知美は、夫が死んだときのことを、思い出しながら話した。
 「——警《けい》察《さつ》は何と?」
 「ただの通り魔《ま》的《てき》な犯《はん》行《こう》じゃないか、って……」
 「その可《か》能《のう》性《せい》はあるわね」
 「でも——ちょっと気になることがあるの、私」
 「どんなこと?」
 「彼《かれ》が、アルバイトをやる、と言ってたでしょう」
 「ええ、それが?」
 「その仕事の中身を、あの人、全然、話してくれなかったの」
 「というと?」
 「訊《き》いても、話しちゃいけないことになっている、って……」
 「何か——よからぬことでも?」
 「そうかもしれないわ。後になって、そう思ったの」
 「何かそれらしいことが?」
 「いいえ」
 と、知美は首を振《ふ》った。「でも、正直言って、あの人は、仕事するのが嫌《きら》いだったの。怠《なま》け者だったわ。人は良かったけど」
 なかなか良く見ている。
 「あの人が、誰《だれ》からも押《お》し付けられずに、仕事を捜《さが》すなんて、ちょっと考えられないわ。後で主人の父なんかにも訊《き》いてみたけど、そんな話は知らない、って」
 「すると、その仕事のことで、ご主人は殺されたのかしら?」
 「そうかもしれないわ。あんな風に突《とつ》然《ぜん》、殺されるなんて、おかしいでしょう? 前から誰かと争ってたとかいうのなら、ともかく」
 「そうねえ」
 「あの人が『仕事』を見付けて来て、すぐ殺された。——それが偶《ぐう》然《ぜん》とは思えないの」
 知美の言葉に、明子は肯《うなず》いた……。

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