18 謎《なぞ》の相《あい》棒《ぼう》
「あの人が退《たい》学《がく》になってたって?」
知美は目を見開いた。
西川は肯《うなず》いた。
「もう二か月以上前かな。あいつ、何も言わなかったんですね?」
西川の前には、明子ですら胸《むね》がむかつくような、チョコレートパフェの「大《おお》盛《も》り」が置かれている。
「まるで知らなかったわ」
知美は首を振《ふ》った。「でも、一体どうして?」
「それがね……」
西川は言いにくそうに、「ばれちゃったんだな、アルバイトが」
「アルバイト? あの人、何のアルバイトを?」
「いや、普《ふ》通《つう》のアルバイトなら、みんなやってるんだし、構《かま》やしないんだけど、あいつの場合はね、ちょっとまずかった」
「どういうことですか? はっきり言って下さい」
西川はため息をついて、
「つまり——あいつはね、大学の中の女子学生に売春のあっせんをしてたんです」
「何ですって?」
知美の声は、囁《ささや》くように低かった。
「でも、女の子の方から持ちかけた、ってのが本当のところだと思うんですけどね。つまり、あいつ、割《わり》と調子が良くて、女の子にももてたでしょ。で、少しまとまったお金を手っ取り早く稼《かせ》ぎたい、って女の子が、彼《かれ》に頼《たの》んだんですね、お客、いないかしら、ってわけで。あいつ、顔が広いから、あちこち声をかけて、客を紹《しよう》介《かい》してやっている内に、段《だん》々《だん》、他の女の子たちも頼みに来る。——それでいつの間にか、何パーセントかの礼金を取って、組《そ》織《しき》的《てき》にやるようになったんですよ」
「あの人が……」
やはり、若《わか》くて潔《けつ》癖《ぺき》な知美にはかなりのショックだったようで、顔からは血の気がひいている。
「あんた、友達でしょ」
と、明子が言った。「どうして止めなかったのよ!」
「そ、そんなこと言ったって——」
西川はあわてて椅《い》子《す》をずらし、明子から少し離《はな》れた。「何か、やってるらしいな、ってことは知ってたけど、詳《くわ》しくは分らなかったんですよ」
「いい加《か》減《げん》なこと言うと——」
「本当ですってば!」
「ともかく——」
と、知美が言った。「それが、ばれたわけですね」
「ついてなかったんだな。たまたまね、その女の子の一人を紹《しよう》介《かい》した相手の男《だん》性《せい》が、大学の教《きよう》授《じゆ》の友達だったんですよ。で、彼女《かのじよ》のことを、見たことがあって憶《おぼ》えていた。それを教授へ話したもんだから……」
「それで捕《つか》まったわけ?」
「いえ、教授がその女の子に付き合えと言ったんです」
「ひどいわね!」
と、明子は呆《あき》れて言った。
「それを、たまたま、仲《なか》の悪いもう一人の教授が知って、大学当局へ訴《うつた》えた。で、後はズルズルと……」
「なるほどね」
明子は肯《うなず》いた。「そんな事《じ》情《じよう》があるから、大学の中で処《しよ》理《り》しちゃったわけね」
「そうなんです。あいつは退《たい》学《がく》、教授は健康上の都合で辞《じ》職《しよく》……」
「で、万事丸《まる》くおさまった、と」
「そういうわけです」
西川は、ちょっと上《うわ》目《め》づかいに知美を見て、
「お葬《そう》式《しき》に行かなくてすみません。まだ大学の方はピリピリしてるんです。あいつと一《いつ》緒《しよ》に、そのアルバイトをやってた奴《やつ》がいるというんで」
「一緒に?」
と、知美は身を乗り出した。「それは誰《だれ》ですか?」
「僕《ぼく》は知りません」
と言ってから、西川は明子の方を向いて、「本当ですよ」
と付け加えた。
「誰も嘘《うそ》だなんて言ってないわよ」
「だから、あいつと付き合いのあった連中はびくびくしてるんです。共《きよう》犯《はん》と思われて退《たい》学《がく》になるんじゃないか、って」
「だらしない! 私なんか停——」
と言いかけて、明子は咳《せき》払《ばら》いした。「ともかく、それでお葬式にも来なかった、ってわけ? 友《ゆう》情《じよう》も地におちたわね」
「すみません」
西川はすっかり小さくなっている。
小さくなっても、大《おお》盛《も》りのチョコレートパフェを食べる手の方は休まずに動いて、容《よう》器《き》はほぼ空になっていた。
「警《けい》察《さつ》はそのこと知らないわけね」
と、明子は言った。
「てっきり、通り魔《ま》犯《はん》罪《ざい》だと思ってるわ」
と、知美は肯《うなず》いて、「でも、あの人が、『アルバイトを見付けた』と言ってたことと、そのすぐ後に殺されたことを考えると、無《む》関《かん》係《けい》じゃないようね」
「その線から調べた方が良さそうだわ」
明子は、考え込《こ》みながら言った。
「ええと——僕《ぼく》はこれで——」
パフェを平らげた西川が立ち上りかける。
「ちょっと待ちなさいよ」
「ま、まだ何か?」
「あんたは、その相《あい》棒《ぼう》に心当りないの?」
「全然」
「本当ね?」
「もちろん!」
「そう……」
明子は少し考えて、「じゃ、もう一つ訊《き》くわ。そのアルバイトの世話をされていた女の子の方はどうなったの?」
「ああ。——そっちは、誰《だれ》と誰だかはっきりしなかったせいもあって、目をつぶっちゃったみたいですよ」
「いい加《か》減《げん》ね! その教《きよう》授《じゆ》のお相手した女子学生は?」
「下手《へた》に退《たい》学《がく》にでもなりゃ、外でしゃべりまくると心配したんじゃないのかな。まだちゃんと通って来てますよ」
「へえ! 図《ずう》々《ずう》しい!」
明子は呆《あき》れて言った。
「誰《だれ》だか分ってるんでしょう?」
と知美が訊《き》いた。
「ええ、まあ……」
「じゃ、教えてよ。いえ、会わせてもらいたいわ」
と、明子があっさりと言った。
「僕《ぼく》が?」
「そう。何も、面《めん》倒《どう》なことじゃないでしょ。名前だけ聞いたって、こっちには分らないんだもの。当人を指さして教えてくれるだけでいいのよ」
「だけど……」
と、西川は渋《しぶ》っている。
「何なの?」
「それでもし僕が退学にでもなったら……」
「いやならいいのよ。大学当局へ電話をするだけ」
「電話?」
「そう。西川って学生が、売春の黒《くろ》幕《まく》だったんですってね」
「やめて下さい! せっかく、いい会社から話が来ているのに!」
と、西川は青くなって言った。
「じゃ、頼《たの》みを聞いてくれる?」
頼みというより脅《きよう》迫《はく》である。
西川は情《なさけ》ない顔で肯《うなず》いた。
「じゃあ……明日なら、彼女《かのじよ》きっと出て来ますよ。あの課目、出ないと単位落としちゃうから」
「詳《くわ》しいのね」
「僕《ぼく》のガールフレンドですからね」
明子は目を丸《まる》くした。
人は見かけによらぬもの——とは古い言い回しだが、正にそれしか言いようがなかった!
「川《かわ》並《なみ》はるかです」
と、前日と同じ、校門前の喫《きつ》茶《さ》店《てん》に入って来た女の子は、頭を下げて言った。
小《こ》柄《がら》で、とても十九には見えない。しかも、白いセーター、赤のスカートがよく似《に》合《あ》って、いかにも良家のお嬢《じよう》様タイプ。
この子が売春?——少々のことには動じない明子ですら、半信半《はん》疑《ぎ》だった。
「西川君から話は聞きました」
と、はきはきしている。「白石君の奥《おく》さんだったんですってね」
「私じゃないわよ」
と、明子はあわてて言った。「こっちの方——」
「まあ若《わか》い!」
と、知美を見てびっくりした様子。「白石さん、気の毒でしたね。とてもいい人だったのに」
「どうも」
知美の方も、少々呑《の》まれている。
「話は西川君から聞きましたけど、何を知りたいんですか?」
「つまりその——」
明子は咳《せき》払《ばら》いをして、体勢を整えた。「白石さんがあなたに仕事を世話していた、と……」
「そうです」
「白石さんには、その——相《あい》棒《ぼう》というか、一《いつ》緒《しよ》にやってる人がいたらしいけど、それが誰《だれ》かは知らない?」
「いたのは事実です」
と、川並はるかは肯《うなず》いて、「でも誰なのかは……。会ったこともないし。いつも連《れん》絡《らく》は白石君からもらってましたもの」
「名前とか、何か憶《おぼ》えていることはないかしら?」
「さあ……」
川並はるかは、首をかしげて、「名前なんかは知らないけど、たぶん、大学の人じゃないと思います」
「大学の人じゃない、って、どうして分るの?」
「たぶん、ですけど」
と、川並はるかは、言った。「だって、相手のお《ヽ》客《ヽ》の方は、普《ふ》通《つう》のサラリーマンとか、そういう人でしょ? 大学の中で捜《さが》してたって見付からないと思うんです」
なるほど、と明子は思った。
「それにね、一度白石君とホテルに行ったことあるんですけど——ああ、結《けつ》婚《こん》する前ですよ——彼《かれ》、ホテルの部《へ》屋《や》からどこかへ電話してたのね。あれ、たぶん、その相《あい》棒《ぼう》にかけてたんだと思うんです」
「何て言ってた?」
「よく分りません。シャワー浴びてて、うるさかったから。でも、『仕事が忙《いそが》しいだろうけど』とか、『こっちはあんたと違《ちが》って学生なんだ』と言ってるのが耳に入ったんですもの」
「なるほどね……」
「でも白石君って凄《すご》く上手だったわ! 私、結婚したって聞いて、凄く奥《おく》さんに嫉《しつ》妬《と》してたんです。西川君なんて、重たいばっかりで下手《へた》くそで……。本当にすてきな人でしたねえ、白石君、って……」
「はあ」
知美は、ただ唖《あ》然《ぜん》としているばかりだった……。