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忘れられた花嫁19
日期:2018-09-28 18:32  点击:306
 19 悲《ひ》壮《そう》な決意
 
 「死にたい」
 と、白石知美は言った。
 「やめてよ、この間やりかけたばっかりじゃないの」
 と、明子は顔をしかめた。
 しかしいかに鈍《どん》感《かん》な——いや神《しん》経《けい》の太い——いや、しっかりした明子でも、知美の気持は分らないでもない。
 愛し、信じていた夫が、実は大学内で女子学生の売春のあっせんをし、退《たい》学《がく》になっていたというのだから……。
 「気持はよく分るわよ」
 と、知美の肩《かた》に手をかけて、「私だってあなたの立場だったら——」
 でも、死にたいとは思わないわね。
 よくも今まで私を騙《だま》してくれたわね! 死んでせいせいしたわ、というところか。
 白石は殺された。
 なぜだろう?——その売春のあっせんと関係があるのか。
 「よく考えてみましょうよ」
 と、明子は、知美と二人で公園のベンチに座り込《こ》んだ。
 「死にたい……」
 「大学は退《たい》学《がく》になっても、女の子たちと連《れん》絡《らく》が取れないわけじゃない。それなら、退学になって、ますますそのアルバイトに、精《せい》を出していたとも考えられるわ」
 「死にたい……」
 「そうなると、殺された理由も、それに関係があると思って良さそうね。差し当り、その相《あい》棒《ぼう》っていうのを、何とかして捜《さが》し出す必要があるわ」
 「死んじゃいたい……」
 「警《けい》察《さつ》に話せば、ご主人のしていたことが分っちゃうし、ここは私たちで頑《がん》張《ば》って、何とか——」
 「死にたいわ……」
 明子は突《とつ》然《ぜん》大声で、
 「死ぬなーっ!」
 と怒《ど》鳴《な》った。
 知美が仰《ぎよう》天《てん》して飛び上り、その拍《ひよう》子《し》にベンチの端《はし》から落っこちた。
 明子もびっくりして駆《か》け寄ると、
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》?」
 と抱《だ》き起す。
 「え、ええ……」
 知美は目をぱちくりさせながら立ち上って、「凄《すご》い声ね」
 「だって、あなたが『死ぬ、死ぬ』ばっかり言ってんだもの。だめよ、いくつだと思ってんの? そんなこと言うには十年——いえ五十年は早いわ」
 知美は、ちょっと泣《な》き笑《わら》いのような顔になった。
 「分ったわ。ごめんなさい」
 「分りゃいいのよ。——じゃ、何か甘《あま》いものでも食べましょ」
 明子にとっては、生きる希望は常《つね》に、食《しよく》欲《よく》と結びついているのである。
 「——おお、熱い」
 明子と知美は和風喫《きつ》茶《さ》なる所へ入って、おしるこを食べた。
 「その点はあなたの言う通りだと思うわ」
 と、知美は肯《うなず》いて、言った。
 「ね? 警《けい》察《さつ》へ知らせれば、ことが公になるし——」
 「できないわ、とても。彼《かれ》のご両親はいい人なんですもの」
 知美は首を振《ふ》った。「でも、それじゃあ、どうやって、主人の相《あい》棒《ぼう》だった人を捜《さが》すつもり?」
 「それなのよ」
 と、明子は肯《うなず》いた。「何かいい方法ないかしら」
 二人はしばらく考え込《こ》んだ。
 「ともかく——」
 と、明子は言った。「ご主人が死んだことで、あの大学の女子学生は、仕《ヽ》事《ヽ》を失ったかもしれないわね」
 「それきり、何《ヽ》も《ヽ》しないかしら?」
 「そこよ!」
 明子はパチッと指を鳴らして、「いい? 女子大生を売り物にしてるあの手の商売って沢《たく》山《さん》あるけど、たいていは眉《まゆ》ツバものなのよ」
 「へえ」
 「本物の女子大生なら、男たちが鼻の下を長くして、大いに稼《かせ》げる。その貴《き》重《ちよう》な供《きよう》給《きゆう》源《げん》を、その謎《なぞ》の相棒が、そう簡《かん》単《たん》に諦《あきら》めるわけがないわ」
 「というと?」
 「ほとぼりがさめれば、必ず、またあの大学の女子学生たちに、手を伸《の》ばして来るに決ってるわよ」
 「そこを捕《つか》まえるの?」
 「捕まえたって、ご主人が殺されたことの真相をペラペラしゃべってくれるとは限《かぎ》らないでしょ」
 「それはそうね」
 「まず、素《そ》知《し》らぬ顔で近づく必要があるわ」
 と、明子は言った。
 何やら思い付いた顔つきである。
 「近づく、って……。でも、一体、どうやって?」
 と知美は訊《き》いた。
 「その相《あい》棒《ぼう》も、あの大学で、誰《だれ》と誰がアルバイトをしてたのか、当然、知ってたはずだわ」
 「あの川並はるかさんみたいな人ね?」
 「まず、その子たちに、声をかけるでしょうね」
 「あの人たちも、アルバイトの収《しゆう》入《にゆう》がなくなってるわけですものね」
 「そうよ。一度、男と付き合って何万円かになるわけでしょ。そんなアルバイト、他にないものね」
 「話が来れば喜んで飛びつくでしょうね、きっと」
 「そこが狙《ねら》い目だわ」
 と、明子は考え込《こ》んだ。
 しばらく、考えてから——もっとも、その間は、黙《もく》々《もく》とおしるこを食べていたのだが——明子は、
 「よし!」
 と力強く言った。
 「どうしたの?」
 「それしか手はないわ」
 「どういうこと?」
 「その組《そ》織《しき》に入り込《こ》むの」
 ——知美は、ちょっとの間、ポカンとしていたが、
 「つまり……」
 「女子大生なのよ、私だって。お金の欲《ほ》しい可愛《かわい》い女子大生」
 可愛い、という所は、少々気がとがめたのか、声がやや低くなった。
 「あなたがやるの?」
 知美は目を丸《まる》くした。「いけないわ、そんな!」
 「本当にやりゃしないわよ。ただ、相《あい》棒《ぼう》というのを見付けりゃいいわけなんだから。分る?」
 「ええ、でも……」
 知美は不安げに言った。「あなたに、もしものことがあったら……」
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。私はね、そう簡《かん》単《たん》には死なないんだから」
 「でもスーパーマンじゃないんでしょう?」
 「失礼ね、これでも女よ」
 と、明子は腕《うで》を組んだ。
 「だけど、どうやって組織に入るの?」
 「それはこれから考えるわ」
 明子は呑《のん》気《き》に言った。
 「でも——気を付けてね」
 と、知美は言った。「あなたに万が一のことがあったら申し訳《わけ》なくて、私——」
 そう。そういえば、白石は殺されたのだ。
 それに茂木こず枝も謎《なぞ》の死をとげ、保《ほ》科《しな》光子も殺された。
 それぞれが、どう関り合っているのかは分らないが、何も関係がないとは、思えなかった。
 つまり——下手《へた》をすれば「消される」こともある、というわけだ。
 しかし、言ってしまった以上、後には退《ひ》けない。
 何とかなるさ、と明子は、口の中で、呟《つぶや》いた。
 
 「アルバイトしようと思うの」
 と明子が言った。
 「ふーん」
 尾形は、食事を終えて、一息つくと、「探《たん》偵《てい》ごっこには飽《あ》きたのかい?」
 と言った。
 「失礼ね! 『ごっこ』とは何よ!」
 と明子は食ってかかった。
 「ごめんごめん」
 尾形は笑《わら》って、「しかし、改まって僕《ぼく》にそんなことを言うなんて、どことなく怪《あや》しげだなあ」
 ——ちょっと高いレストランである。
 当然、尾形のおごりだった。
 「で、何をやるんだい?」
 尾形はワインのグラスを取り上げて、言った。
 「うん、ちょっと女子大生売春ってのをやってみようと思って」
 尾形はむせかえって、咳《せき》込《こ》んだ。
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》?」
 と、明子が身を乗り出す。
 「君が——びっくりさせるじゃないか」
 尾形は水をガブ飲みして、息をつくと、「冗《じよう》談《だん》はそれらしく言ってくれよ」
 と、言った。
 「あら、本気よ」
 尾形はポカンとして、
 「しかし——まさか——」
 「安心して。これは手《しゆ》段《だん》なの」
 「手段って、何の手段?」
 「今、話したでしょ。白石のやっていた売春組《そ》織《しき》ってのが、どうも、そもそもの花《はな》嫁《よめ》変死事《じ》件《けん》に関係があるような気がするのよね」
 「だからって——」
 「他に方法、ないじゃない」
 尾形はグッと詰《つま》ったが、
 「——し、しかし、やはりそれは問題だよ」
 「どうして?」
 「いいかい、もし、その組織に潜《もぐ》り込《こ》めたとしても、すぐに、その相《ヽ》棒《ヽ》というのに会えるとは限《かぎ》らないぜ」
 「そりゃそうよ」
 「じゃ、仕事がも《ヽ》し《ヽ》来たら、どうするつもりだ?」
 「も《ヽ》し《ヽ》って何よ? あなた、私みたいな女じゃ声がかからないと思ってんの?」
 「変なところでむ《ヽ》き《ヽ》になるなよ」
 「当然、仕事が来りゃ、やるしかないじゃないの」
 尾形は顔をこわばらせた。
 「だめだ! 君にそんなことはさせられない!」
 「じゃ、あなた、代りにやる?」
 「僕《ぼく》が?」
 「いくら女《じよ》装《そう》したって無《む》理《り》でしょ」
 尾形は、ゴクリとツバを飲み込《こ》んだ。椅《い》子《す》に座り直すと、
 「よく聞け」
 と言った。「どうしても、そんなアルバイトをやる、というのなら、二つに一つだ!」
 「どの二つ?」
 「僕と別れるか、アルバイトをやめるか」
 尾形の真《ま》面《じ》目《め》な顔を見ていた明子は、ゲラゲラ笑《わら》い出した。
 「いやだ!——本気でそんなことをやると思ったの?」
 「君は——全く、もう!」
 尾形は真っ赤になって、「ひどいぞ、年上の男《だん》性《せい》をからかって!」
 「でも、なかなか可愛《かわい》かったぞよ」
 と、明子はワイングラスを取り上げた。「乾《かん》杯《ぱい》しましょ」
 「何に?」
 「私と尾形君の未来に」
 「人をの《ヽ》せ《ヽ》る《ヽ》のがうまいんだからな」
 尾形は、苦《く》笑《しよう》しながら、それでも楽しげにグラスを手に取った。

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