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忘れられた花嫁23
日期:2018-09-28 18:35  点击:310
 23 哀《かな》しげな男
 
 「私、永戸明子は、こんなことをしていていいのだろうか? 有《ゆう》能《のう》な人物が、封《ふう》筒《とう》のの《ヽ》り《ヽ》付などをやるのは、社会的損《そん》失《しつ》ではないか?」
 ——まあ、しかし、アルバイトの身、それも「押《お》しかけ女《によう》房《ぼう》」ならぬ「押しかけバイト」なのだから、あまり偉《えら》そうな口もきけないのである。
 茂木こず枝が働いていた、この会社、まあ「中小企《き》業《ぎよう》」という呼《よ》び名がふさわしい、パッとしない会社であった。
 今どきはやらないタイムレコーダーなどを備《そな》えつけ、コピーの機械も、やたらに大きい、旧《きゆう》式《しき》なもの。封筒だって、今はギュッと手で押《お》すだけでくっつくのがあるのに、大きなは《ヽ》け《ヽ》で、ベタっとの《ヽ》り《ヽ》をつけて一つずつ封《ふう》をするのである。
 オフィスの十年前、といったTV番組でも見ているような気分だった。
 しかし、それだけに、働いている人間も、のんびりしている。
 どうも、現《げん》代《だい》の猛《もう》烈《れつ》なOA戦争、マイコン、コンピューターといったものからは、ポツンと取り残されている感じなのである。
 封《ふう》筒《とう》にの《ヽ》り《ヽ》をつけている今は、午後一時半で、当然、午後の仕事は始まっているのだが、何人かの男《だん》性《せい》社員は、スポーツ新聞などを広げている。
 女子社員は、といえば、これはおしゃべりに時を忘《わす》れているのだ。
 あまり、「充《じゆう》実《じつ》した時間」とはいえないが、明子の如《ごと》く、情《じよう》報《ほう》収《しゆう》集《しゆう》のためにやって来た人間には、ピッタリの職《しよく》場《ば》とも言えた。
 「あんまり精《せい》を出さなくてもいいわよ」
 タバコをふかしながら、フラリとやって来たのは、どこの会社にも、たいてい一人や二人はいる、「主《ぬし》」のような女《じよ》性《せい》。
 四十代か五十代か、見分けのつかない化《け》粧《しよう》をして、女の子たちににらみをきかせている。——社長だろうが部長だろうが、何だってのよ、って感じである。
 「はい」
 ちっとも精を出してなんかいなかった明子は、少々後ろめたい思いで、でも言われるままに手を休めた。
 「うちはバイト料も安いんだからさ、それくらいのことをやっときゃいいの」
 と、大《おお》欠伸《あくび》をする。
 「はあ」
 「よくうちなんかで働く気になったわね」
 「別に、どこでも同じようなものかと思って——」
 「大《おお》違《ちが》いよ、あんた」
 と手を振《ふ》って、「普《ふ》通《つう》の所なら、バイト料はうちの一・五倍よ。あんたも、よそを捜《さが》した方がいいよ」
 やれやれ、こういう人にかかっちゃ、会社も大変だな、と明子は思った。
 「今はいい稼《かせ》ぎ場所があるじゃないの」
 と、その「主《ぬし》」は続けて、「ソープランドとか、ノーパン喫《きつ》茶《さ》とかさ。あんたなんか、結《けつ》構《こう》可愛《かわい》い顔してんだし、そっちでガバッと稼いだら?」
 まさか、このおばさんまで、売春の仕事をしてるわけじゃないだろうな、と明子は思った。
 いや、そんな感じではない。一見怖《こわ》そうだが、実《じつ》際《さい》は——やっぱり怖いのだ。
 しかし、こういう人は、結構、若《わか》い人の相談相手になったりもする。
 大体、この手の人は二通りで、底意地が悪くて、若い子たちに嫌《きら》われるか、口やかましいが、その割《わり》に頼《たよ》りにされるかだ。
 この人の場合は、いい方じゃないのかな、と明子は思った。
 「ここはね、三時から三十分間休めるのよ」
 と「主」は言った。
 「え? でも、そんなこと、説明されませんでしたけど」
 「当り前よ。これは慣《かん》例《れい》、ってやつなの。既《き》成《せい》事実よ。——社長だって、何も言わないのよ」
 「へえ」
 「だから、バッチリ休んで構《かま》わないのよ」
 と、ウインクして見せる。
 「また、八《はつ》田《た》さんは——」
 と、若《わか》い男の声がした。「だめですよ、純《じゆん》情《じよう》な若い女の子に、そういうことを教えちゃあ」
 やって来たのは、声の印象ほど若くもない、三十前後の、こんな会社にしては、ちょっと目につく、いい男だった。
 「よっ、色男」
 と、八田、と呼ばれたその「主《ぬし》」が、からかった。
 「早速若い子の所へ寄《よ》って来たね」
 「人聞き悪いなあ」
 と、その男は苦《く》笑《しよう》した。
 丸《まる》顔《がお》のポチャッとした、童顔で、目がクリッとして可愛《かわい》い。
 しかし、あまり明子の好《この》みではなかった。
 「僕《ぼく》は丸《まる》山《やま》。——このおばさんは、八田吉《よし》子《こ》っていうんだ。あんまり近寄《よ》らない方がいいよ。売れ残り病が移るからね」
 「何よ、こいつ!」
 と、八田吉子が殴《なぐ》るふりをする。
 適《てき》当《とう》にじゃれ合っている感じなのだ。明子は笑《わら》ってしまった。
 「永戸明子です」
 「丸山君はね、三十になって独《どく》身《しん》なのよ。プレイボーイの評《ひよう》判《ばん》高いの。——気を付けなさい」
 「噂《うわさ》だけですよ」
 丸山はタバコに火を点《つ》けた。
 「あんた大学生?」
 と、八田吉子が、明子に訊《き》く。
 「ええ。でも、停学処《しよ》分《ぶん》を食らっちゃって——」
 「へえ! 何をやったの?」
 「強《ごう》盗《とう》か、殺人か——」
 「まさか」
 と明子は笑って、「自殺未《み》遂《すい》なんです」
 と言った。
 「まあ! その若《わか》さで、もったいない!」
 これは明子の、もちろんでたらめである。
 何とか、茂木こず枝のことへ、話を持って行きたいので、創《そう》作《さく》したのだった。
 「どうしてまた……」
 「正《せい》確《かく》に言うと、心中未《み》遂《すい》なんです」
 と、明子は言った。
 「まあ、今でも心中する人なんているの!」
 と、八田吉子は感心したように言った。
 「私も、カーッとなってたもんですから」
 「で、相手は? 死んだの?」
 「いいえ、二人とも大したことなくて。睡《すい》眠《みん》薬《やく》服《の》んだんですけど、今の睡眠薬って、そう死なないんですよね。——結局、見付かって大《おお》騒《さわ》ぎ」
 「で、その彼《かれ》とは?」
 「変なもんで、そんなことがあると、フッ切れちゃうんです。別れて、今は未《み》練《れん》もありません」
 ウム、なかなか名《めい》演《えん》技《ぎ》である。明子は自分でも感心していた。
 さり気ない哀《かな》しさ、というのは、なかなか出せないものである。——私、女《じよ》優《ゆう》になろうかしら、などといい気になっている。
 「そうよ。男なんて、どれも似《に》たり寄《よ》ったりで、大したことないの。それを悟《さと》ると、私みたいに独《どく》身《しん》も楽し、ってことになっちゃうのよ」
 と、八田吉子は言った。
 ふと、明子は、丸山が、目をそらしているのに気付いた。
 どこかわざとらしい。話を聞いていないふ《ヽ》り《ヽ》をしているようだ。
 「この会社だって、あのこず枝さんがさ——」
 と八田吉子が言いかけると、
 「八田さん、だめですよ」
 と、丸山が遮《さえぎ》った。「社長から、しゃべるなと——」
 「何よ、あんなカボチャ」
 カボチャ?——社長をカボチャとは、大したもんだ。
 「こず枝さんって?」
 と、明子が訊《き》く。
 「茂木こず枝、ってね、ここの社員だったのよ。ところが自殺。——ほら、結《けつ》婚《こん》式場で花《はな》嫁《よめ》衣《い》裳《しよう》のまま死んでいた、って、記事、見なかった?」
 明子は、少し考えるふりをして、
 「——ああ、憶《おぼ》えてますわ。ウエディングで死んでいたんでしたわね。じゃ、ここの方だったんですか?」
 「そうなのよ。もしかしたら他殺かも、なんていわれてね、警《けい》察《さつ》が来て、何だかんだ訊《き》いて行ったりして、大変だったのよ」
 「そうでしょうね」
 と、明子は肯《うなず》いた。
 「あ、そうだ、電話をしなきゃ」
 と、丸山が、ちょっとわざとらしく言って、席へ戻《もど》って行く。
 どうやら、丸山と茂木こず枝の間に、何《ヽ》か《ヽ》あったらしい。
 明子のアンテナは、鋭《するど》く第六感を働かせていた。
 「そのこず枝さんって方は、やっぱり失《しつ》恋《れん》だったんですか?」
 と、明子は訊《き》いた。
 「さあ、それが分らないのよ」
 と、八田吉子は首を振《ふ》った。「私も、そういうことはよく知ってるんだけどね。でも、あの子は、割《わり》合《あい》にいつも一人でいる子だったわ」
 「お友だちでもいれば違《ちが》ったんでしょうけどね」
 「そうね。やっぱり、あれこれ推《すい》測《そく》が飛んでたけど、きっと、許《ゆる》されない恋《こい》に身を焦《こ》がしてたんじゃない?」
 八田吉子の口から、思いもかけず、ロマンチックな表《ひよう》現《げん》が出て来て、明子はびっくりした。
 働いていると、一日は短い、とよく言われている。
 しかし、明子のこの一日は、至《いた》って長かった。——あまり熱心に働いていなかったせいかもしれない。
 「ご苦労様」
 と、隣《となり》の席の女の子が声をかけて来た。「真直ぐに帰るの?」
 「いえ、別に、どうでも——」
 「じゃ、ちょっと飲んでかない?」
 「お酒ですか?」
 「コーヒーとケーキ」
 と言って、クスッと笑《わら》う。
 なかなか、気さくな感じの女の子だった。
 「——茂木さんって変ってたのよ」
 と、その女の子——小《こ》沼《ぬま》宏《ひろ》子《こ》は、ケーキを食べながら言った。
 ——会社の近くのケーキ屋。二階が、喫《きつ》茶《さ》になっているのである。
 「変ってるって?」
 「どう言ったらいいのかしら……。つまり変ってるのよ」
 明子はため息をついた。——今の若《わか》い世代の表《ひよう》現《げん》力《りよく》の貧《まず》しさたるや!
 「恋《こい》人《びと》って社内の人だったのかしら?」
 「そう思うわ」
 と、小沼宏子は肯《うなず》いた。
 「よく分るわね。八田さんは、分らないって……」
 「私、電話を取るもの」
 と、小沼宏子は言った。
 「え?」
 「外からの電話を取るの。だから、男《だん》性《せい》からかかって来れば、私には分るのよ」
 「ああ、なるほど。で、茂木さんにはかかって来なかったのね?」
 「そう。といって、彼女、休み時間にも、外へあまり出なかったから、自分からも電話してないわけでしょ。——男とそんな深い仲《なか》になって、一回も電話のやりとりがないなんて考えられないわ」
 これは、なかなか、説《せつ》得《とく》力《りよく》のある意見だった。
 座席からは、ちょうど会社の入っているビルの出入口を見下ろすことができた。
 ちょっと話が途《と》切《ぎ》れて、何気なく外を見た明子は、あの丸山という男が、出て来るのを目に止めた。
 あの人、きっと何か知っている。
 「あっ!」
 と、明子は突《とつ》然《ぜん》、声を上げた。
 びっくりした小沼宏子が、ケーキをつまらせてむせ返る。
 「ごめんなさい! 大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》?」
 「ええ——何とか」
 「ちょっと、約《やく》束《そく》があったの、忘《わす》れてた。悪いけど失礼するわ」
 代金を置いて、まだむせている小沼宏子を残し、明子は表に飛び出した。
 

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