24 運命の皮肉
どこへ行くんだろう?
明子はいい加《か》減《げん》くたびれてしまった。
ずっと丸山の後をつけているのだが、一体どこへ行くつもりなのか、さっぱり分らないのだ。
バーへふらりと入ったと思うとすぐに出て来るし、かと思うと、女の子ばっかりの甘《かん》味《み》喫《きつ》茶《さ》へ入ったり、次は焼鳥屋を覗《のぞ》いたり。
——どうやら、誰《だれ》かを捜《さが》しているらしいのだが、ちょっと様子がおかしかった。
コートをはおって、えりを立て、顔を、半ば埋《う》めるようにしている。
そして背《せ》中《なか》を丸《まる》めて、うつ向き加減に、顔を見られないようにしながら、歩いているのだった。
秘《ひ》密《みつ》めいている。——ちょっと明子は興《きよう》味《み》が湧《わ》いて来た。
スナックやバーがひしめき合っている細い通りを尾《び》行《こう》していると、フッと丸山の姿《すがた》が見えなくなってしまった。
「あれ?」
と、キョロキョロ見回してみるのだが、どこにもいないのだ。
とすると、この近くの店に入ったに違《ちが》いないのだが……。
明子は、手近なバーを覗《のぞ》いてみた。
いない。では、その隣《となり》。やはり、いない。
——残るは一軒《けん》だけだ。
ちょっと重々しいその扉《とびら》を引いて、中へ入る。
——明子は、やや戸《と》惑《まど》った。
いやに静かなのである。他のバーとはまるで違う。
そして、笑《わら》い声だの、カラオケだのも一切聞こえず、店の中は割《わり》合《あい》と広いのに、薄《うす》暗《ぐら》くて、よく見えないのである。
「——何か用?」
とやって来た女を見て、明子は、ちょっと妙《みよう》な感じがした。
「あの——人を捜《さが》して——」
「じゃ、入ったら?」
「どうも……」
カウンターには客の姿《すがた》がなく、みんな、テーブルの方にいるらしい。
そしてテーブルは一つ一つ、仕切りがあって、見えないようになっているのだ。
こりゃ、何だか妙な所へ来ちゃったわ、と明子は思った。
「ねえ、誰《だれ》を捜しに来たの?」
と訊《き》かれて、
「ええ、あの——」
と、相手の顔を見る。
目を見《み》張《は》った。——男なのだ!
化《け》粧《しよう》をして、髪《かみ》も染《そ》め、ホステス風のスタイルだが、男《ヽ》だ《ヽ》。
そうか。ここはそういう店なのだ。
丸山がここへ入って来たとしたら……。
「おい!」
怒《おこ》ったような声がした。振《ふ》り向くと丸山が立っている。
「何しに来たんだ!」
仕方ない。これじゃ、さり気なく話を切り出すわけにもいかない。
「お話があるんです」
と言った。
「何だ? 君は一体——」
「茂木こず枝のことで」
丸山の顔色が変った。
「そうか」
丸山は、公園のベンチに腰《こし》をおろしながら言った。
「じゃ、君は、彼女《かのじよ》の死について調べているんだね」
「そうです。——何か知っていたら、教えて下さい」
明子は、丸山が、考え込《こ》んでいるのを、じっと見ていた。——どことなく、哀《かな》しげな光景である。
「しかし、僕《ぼく》はよく知らないんだよ」
と、丸山は言った。「本当だ。——確《たし》かに、彼女とは仲《なか》が良かった。でも、恋《こい》人《びと》同士とか、そんなことじゃなかったんだ」
「じゃ、どういうことで……」
「僕は、君もさっき見た通り、女《じよ》性《せい》と話はできても、愛するということはできない。そういう人間なんだ」
「で、こず枝さんとは——」
「彼女も、どちらかといえば、無《む》口《くち》で、孤《こ》独《どく》なタイプだった。よく、オフィスでは話もしたよ。——その彼女が、一年くらい前かな、僕に相談したいことがある、と言って来たんだ」
明子は肯《うなず》いた。
「僕はちょっと心配になった。もし、彼女に愛してるとでも言われたら、と思ってね。——彼女《かのじよ》がとてもいい人だったから、余《よ》計《けい》に心配だったんだ」
「何となく分ります」
「彼女の話を聞いて、僕《ぼく》はびっくりした。——彼女は僕のことを、よく知ってたんだ。でも、今まで通り友だちでいてほしい、と言った」
「相談っていうのは?」
「うん。で、彼女は、妻《さい》子《し》持ちの男と恋《こい》をしている、と打ち明けてくれたんだ」
「妻子持ちの男……」
「名前は言わなかった。そして、彼《かれ》が必ず奥《おく》さんと別れて、結《けつ》婚《こん》してくれる、というんだ」
丸山は首を振《ふ》った。「怪《あや》しいもんだ、と思ったが、そうは言えなかった。——彼女は相手を信じ切っていたんだよ」
「気の毒に……」
「で、彼女は、その男と付き合っていることを、会社の他の人たちに知られたくない、というんだ」
「当然でしょうね」
「で、僕と表向き、付き合っていることにしてくれないか、と言った。
僕の方も、それぐらいなら構《かま》わない、と承《しよう》知《ち》したんだ。——彼女は涙《なみだ》を流さんばかりにして喜んでいたよ」
「それで、一《いち》応《おう》恋《こい》人《びと》同士ということに?」
「しかし、何も、わざわざ宣《せん》伝《でん》することもない。だから、もし、どうしても仕方ないときだけは、そういうことにしよう、と決めたんだ」
「それで、みんなあまり知らなかったんですね?」
「そう。——彼女《かのじよ》の恋《こい》は、しかし、うまく行ってなかったようだったな」
「つまり、相手の男が——」
「いつまでも、はぐらかして逃《に》げていたらしいよ。彼女も、段《だん》々《だん》男が信じられなくなって来て、よく僕《ぼく》と二人のときに泣《な》いていたよ」
許《ゆる》せない!
明子は怒《いか》りが湧《わ》き上って来るのを感じた。
「あの日——つまり、彼女が死んだ日だね、あの前の日に、彼女と会っていたんだ」
「何か言ってましたか」
「ずいぶん明るい表《ひよう》情《じよう》だったね。——僕に『私、目が覚めたわ』と言った。『もう、あんな人のこと、忘《わす》れるわ』ともね」
「そうですか」
「僕も、その方がいい、と言ってやった。まさかその次の日に……」
丸山は、ため息をついた。「ショックだったよ。彼女を愛していたわけでは、もちろんない。でも彼女は本当にいい人だった」
明子は、丸山の横顔を見ていた。
——嘘《うそ》ではあるまい。
「よく分りました」
と、明子は言った。「相手の男のことで、何か憶《おぼ》えてません? どんな細かいことでもいいんですけど」
「さあねえ……」
と、丸山は首をひねった。「あんまり話さなかったからね、彼女《かのじよ》は」
「そうですか……」
明子はがっかりした。
「でも——」
「え?」
「何か言ったような気もするな。——何だったかな」
丸山は考え込《こ》んでいた。「何か、その男の職《しよく》業《ぎよう》……。仕事のことを言ってたな」
「どういう仕事でした?」
「それが、よく憶《おぼ》えてないんだ。何だか、『こんな仕事をしてるなんて、皮肉なもんだわ』って言ったのを憶えてるよ」
「皮肉?——そう言ったんですか?」
「うん。それはよく憶えてるんだ。しかし——何の仕事だったかな。どうしても思い出せない」
「そうですか」
明子は、無《む》理《り》に押《お》さないことにした。「じゃ、もし思い出したら、ぜひ電話をして下さい」
「うん。分った。僕《ぼく》も、あの相手の男には、何とか思い知らせてやりたいからね。頑《がん》張《ば》ってくれ」
「ええ、必ず見付けてやります」
と、明子は言って立ち上った。
「あ、そうだわ」
「まだ何かある?」
「いえ、アルバイト、すみませんけど、一日でやめることにしました。そう伝えといていただけません?」
と、明子は言った。
明子は家へ帰ると、自分の部《へ》屋《や》のベッドにゴロリと横になった。
謎《なぞ》はいよいよ深まるばかりである。
しかし、あの丸山から、もし、男の仕事でも分れば、手がかりになるかもしれない。
それにしても、「皮肉」というのは、どういう意味なのだろう?
信じ続けて裏《うら》切《ぎ》られた茂木こず枝。
これは正に殺人以上に罪《つみ》が深い、といってもいい。
「——明子」
母の啓子が、声をかけて来た。「お電話よ」
「誰《だれ》から?」
「佐田さんっていう人」
佐田?——佐田房夫だ!
「男の人?」
「いいえ女の方よ」
すると千春からだ。
明子は急いで部《へ》屋《や》を飛び出した。
「——もう少ししとやかにしなさい!」
啓子の言葉は、とうてい追いつかなかった。