25 千春との再《さい》会《かい》
〈二十四時間営《えい》業《ぎよう》〉
この文字を見ると、明子は何となくホッとする。
といって、明子がいつもそんな店のお世話になっているわけではないが、ともかく、何時に閉《し》まる、というのでなく、
「い《ヽ》つ《ヽ》も《ヽ》開いている」
という点が、安心感をもたらすのである。
しかし、その手の店が、「味は二の次」となるのもまた仕方のないところだろう。
明子は夜、十二時十五分前に、ファーストフードの店へと入って行った。
ハンバーガーだの、フライドポテトなんかを売っている、若《わか》者《もの》向けの店だ。
中を見回す。——まだ佐田千春は来ていなかった。
十二時の約《やく》束《そく》だ。少し早かったな、と明子は思った。
「いらっしゃいませ」
カウンターで、男の店員が眠《ねむ》そうに声をかける。
「あ、えーと、ハンバーガーとコーヒー」
ちゃんと夕食は取ったのだが、何か頼《たの》まないと悪いような気になっているのだ。そういう点、明子は意外と(?)気が弱いのである。
他には、いいトシのおじさん風の客が一人いるだけ。静かなものだった。
椅《い》子《す》に座って、電子レンジで温めたハンバーガーをパクつく。
もちろん、高級フランス料理と比《ひ》較《かく》はできないが、この手のものには、それなりのおいしさがあるのだ。
「それにしても……」
と、明子は呟《つぶや》いた。「二十四時間営《えい》業《ぎよう》で年中無《む》休《きゆう》。入口のシャッターは、何のためについているんだろう?」
あまり大した問題でもなかった……。
千春は、電話で、何一つ詳《くわ》しいことを言ってくれなかった。ただ、
「ごめんなさい、この間は、失礼なことしちゃって」
と、明子を放り出したことを詫《わ》びてから、「お話があるの。今夜十二時に、交差点の角の——」
つまり、この店に来てくれ、ということだったのだ。
何だか話し方からして急いでいるようだったので、明子も、しつこくは訊《き》かなかった。ここで会えるのなら、ゆっくり話ができるだろう。
ダダダ、と機《き》関《かん》銃《じゆう》みたいな音がして、店の前に、オートバイが停《とま》った。
暴《ぼう》走《そう》族《ぞく》の見習いのなりそこないみたいな、高校生ぐらいの男の子が三人、やたらいきがって入って来る。
そしてハンバーガーをパクつきながら、店の中を眺《なが》め回し——運の悪いことに——明子に目を止めたのだった。
「おい、姉ちゃん」
と、一人が寄《よ》って来た。「一人かよ?」
「二人に見えるんだったら、眼《がん》科《か》へ行った方がいいわよ」
と、明子が言った。
「言ってくれるじゃないか」
と、笑《わら》って、「なあ、どうせヒマなんだろ。付き合えよ」
明子は放っておくことにして、コーヒーを飲んだ。
——もうすぐ十二時だ。
「おい、口がきけねえのか」
と、ちょっかいを出して来る。
「うるさいわよ、坊《ぼう》や」
と、明子は言ってやった。
「何だと?」
サッと顔色が変る。「おい、『坊や』だって? 俺《おれ》たちをなめんなよ」
「猫《ねこ》じゃあるまいし」
と、明子はニヤリと笑った。「猫ならきっと喜んでなめてくれるわよ。ミルクの匂《にお》いがするから」
「この野《や》郎《ろう》——」
三人で明子を囲むように立つと、
「おい、ちょっと顔貸《か》しな」
と来た。
やれやれ……。
明子は、食後の運動にいいかしら、などと考えながら、立ち上った。
「外でゆっくり話そうじゃねえか」
「忙《いそが》しいのよ。あんまり時間ないわ」
「こっちはたっぷりあるぜ」
明子は肩《かた》をすくめて、さっさと表へ出た。三人があわててついて来る。
振《ふ》り向きざま、明子は先頭の一人の腕《うで》を、ぐい、とつかんだ……。
「お先に失礼します」
店の奥《おく》から出て来たのは——千春だった。
「今、出ない方がいいよ」
と、客の男が言った。「女の子が不良にからまれてる」
「まあ」
千春は、ちょっと不安そうに眉《まゆ》を寄《よ》せた。「まさか、永戸さん——」
と呟《つぶや》くと、明子が入って来る。
そして、千春を見て目を丸《まる》くすると、
「あ! それじゃ、十二時って言ったのは——」
「ここの勤《きん》務《む》が十二時までなの」
と、千春は言った。
「何だ、そうだったんですか」
と、明子は笑《わら》って「でも——もういいんですか?」
「ええ。じゃ、出ましょうか」
と、千春はカウンターから出て来て、明子と一《いつ》緒《しよ》に外へ出た。
ウーン、という唸《うな》り声に周囲を見回すと、何やら男が三人、あちこちに倒《たお》れて、唸っているのだ。
「どうしたのかしら?」
と千春が言った。
「たぶん、ハンバーガーにでも当《ヽ》っ《ヽ》た《ヽ》んじゃないかしら?——さて、行きましょうよ」
と、明子は促《うなが》した。
よくまあ似《に》たようなアパートがあるもんだ、と思うほど、前のアパートそっくり。
「ご主人は?」
と、上り込《こ》んで、明子が訊《き》いた。
「私一人」
千春がお茶を出しながら、「あの人、行《ゆく》方《え》不明なの」
と、大して心配そうでもない様子。
「へえ」
明子は、ちょっと目をパチクリさせた。「いいんですか、放っといて?」
「自分から行方不明になったんだから、仕方ないでしょ」
「自分から?」
「隙《すき》をみて、屋《や》敷《しき》から抜《ぬ》け出したのよ、二人で。で、あの人を公園に待たせといて、私はアパートへ戻《もど》ったの。色々と大事な物だけ持って、公園に帰ってみると——」
「いなかったんですか?」
「そういうこと。——あの人、何を考えてるのかよく分んない所があって」
その点は、明子も同感だった。
「で、それきり?」
「ええ。——その内、前のアパートに帰って来るでしょ」
千春は、至《いた》って呑《のん》気《き》なものである。
妙《みよう》な夫《ふう》婦《ふ》だ、と明子は首をひねった。
「あなたの——茂木こず枝——といったっけ、死んだ女の人」
「ええ」
「調《ちよう》査《さ》の方は進んでるの?」
「うーん、何というか……。いくつか手がかりはあるんですけどね」
明子としても、その程《てい》度《ど》のことしか言えない。
手がかりらしきものも、てんでんばらばらで、何ともうまくまとまらないのである。
「でも、ともかく、何とか突《つ》き止めてみせますわ」
と、明子は肯《うなず》きながら言った。「そうでないと、あの人が哀《あわ》れですもの」
「そうねえ。女を、『妻《つま》とは別れるから』って騙《だま》し続けるなんて、本当に残《ざん》酷《こく》なことだわ」
「ああ、そうだわ」
と、明子は思い出した。「この間、お宅《たく》から叩《たた》き出されたとき、妙《みよう》な人に会ったんですよ」
「妙な人って?」
「あの屋《や》敷《しき》と土地の持主だとか自《じ》称《しよう》していて……」
千春が、一《いつ》瞬《しゆん》青ざめた。
「もしかして——その人、中松進《しん》吾《ご》っていわなかった?」
「ええ、そう言ってました。千春さんと婚《こん》約《やく》しているとかいって……」
千春は頭をかかえるようにして、
「ああ——まだそんなこと言ってるのか……」
と呟《つぶや》いた。
「あの人、ちょっとおかしいんですか?」
「いいえ」
と、千春は首を振《ふ》った。「大《ヽ》分《ヽ》、おかしいの」
なるほど、と明子は肯いた。
翌《よく》日《じつ》は、昼ごろやっと起き出した。
何しろ帰ったのが午前三時だ。それでも、寝《ね》不《ぶ》足《そく》なのである。
「一体、何をしてるの?」
母の啓《けい》子《こ》は、半分諦《あきら》め顔で文句を言った。
「まあ、色々忙《いそが》しいのよ」
「危《あぶな》いアルバイトでもしてんじゃないでしょうね」
「危いアルバイトって?」
「ソープランドとか、売春とか。——ああいうのは危いわよ」
「まさか私が——」
と、明子は笑《わら》ったが、内心ヒヤリである。
捜《そう》査《さ》のためとはいえ、その真《ま》似《ね》事《ごと》はやったわけだ。
「そりゃ、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だとは思うけどね」
と、啓子は真顔で、「でも、今は男の人も女なら何でもいいって人がいるみたいだから……」
「どういう意味、それ?」
明子が少々頭に来て言うと、ちょうど仲《ちゆう》裁《さい》にでも入るように電話が鳴った。
啓子が出て、
「——あ、どうも、尾形さん。——ええ、おります。やっと起きたところなんですよ。何しろゆうべなんか——」
明子はあわてて受話器を引ったくった。
「ああ、私よ。——え?」
「また危《あぶな》いことをやってるんじゃないのかい?」
「いいえ、とんでもない」
と、澄《す》まして答える。
「怪《あや》しいもんだな。——ともかく、一ついい知らせがあるんだ」
と、尾形は、ここでぐっと改まって、「当大学としては、永戸明子の停学処《しよ》分《ぶん》の解《かい》除《じよ》を決定したので、申し伝えます!」
「え? 解除?」
「そう。大分苦労したんだぜ、僕《ぼく》も駆《か》け回ってさ」
「そう……。良かったわね」
と、まるで他人の話みたい。
「ちっとも嬉《うれ》しくなさそうだね」
「いいえ! そんなことないけど」
「明日からは講《こう》義《ぎ》に出てもいいよ」
「そうね。でも——ちょっと忙《いそが》しいの。これが片《かた》付《づ》いたら、出るようにするわ」
「おい、君ね——」
「ねえ、今日、例のバイト先に行ってみるつもりなの。結《けつ》婚《こん》式場の方よ。あなた、どうせヒマでしょ? 来ない?」
「どうせヒマとは何だ! 講義があるんだよ、僕は」
「あら、よかったら式場の予約でもしようかと思ったのに。——じゃ、またね」
「おい、何だって? おい!」
明子はすげなく、電話を切った。