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忘れられた花嫁30
日期:2018-09-28 18:42  点击:327
 30 死体をもう一つ
 
 「タクシーはダンプカーの下へ潜《もぐ》り込《こ》むように、突《つ》っ込んだんです」
 と、医《い》師《し》が言った。「タクシーは上半分、削《けず》り取られてしまったんですよ。まあ、普《ふ》通《つう》なら頭が飛ばされて、一巻の終りなんですが……」
 「運が良かったのよ」
 ベッドでは、明子が元気一《いつ》杯《ぱい》の様子だった。
 「ちょうどハンドバッグを開けて、コンパクトを出してたの。そしたら、それを床《ゆか》に落っことしてね、拾おうとして、かがみ込んだのよ」
 「そこへドシン、か」
 「そう! 頭の上を、ダンプのフレームが通《つう》過《か》して行ったわけね」
 「おい、冗《じよう》談《だん》じゃないよ」
 と、尾形は苦《く》笑《しよう》した。「一《いつ》瞬《しゆん》の差で、頭が失くなってたところかもしれないんだぜ」
 「だったら、もう少しま《ヽ》し《ヽ》なのと取りかえられたのにね」
 と、明子は至《いた》って呑《のん》気である。
 「で、先生——」
 と、尾形は医《い》師《し》の方を向いた。「けがの具合は?」
 「ガラスの破《は》片《へん》で、ちょっと切り傷《きず》はできていますが、それ以外は、骨《ほね》も何ともなっていませんよ。運転手の方も、すぐに伏《ふ》せて、無《ぶ》事《じ》だった。奇《き》跡《せき》的《てき》ですな」
 「分ったでしょう?」
 と、明子が言った。「私は運が強いのよ」
 「人に心配かけて!」
 と、尾形はにらんだ。「運が強い、もないもんだ」
 「ごめん」
 明子は、ちょっと舌《した》を出した。「でもね、あのとき、一《いつ》瞬《しゆん》、死ぬのかな、って思ったわ。そして、ふっと思い浮《う》かべたの……」
 「僕《ぼく》のことを、かい?」
 と、尾形が勢い込《こ》んで訊《き》く。
 「ドラ焼きのことを」
 医師が吹《ふ》き出してしまった。
 病院のドアがノックされて、尾形が開けてみると、
 「——やあ、これは」
 思いがけない顔だった。検《けん》死《し》官《かん》の志水だ。
 「署《しよ》の方から、知らせてくれましてね」
 と、志水は言って、「——やあ、しかし、元気そうだ」
 と明子の顔を覗《のぞ》き込んだ。
 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》です。正《せい》義《ぎ》の味方は死にません」
 と、明子が言うと、また医《い》師《し》が笑《わら》い出した。
 「いや、実に面白い患《かん》者《じや》さんだな」
 「いつ退《たい》院《いん》できます?」
 と明子が訊《き》く。
 「そうだね。一《いち》応《おう》今夜だけ入院しなさい。明日には退院できますよ」
 医師が出て行くと、志水はホッと息をついて、
 「しかし、危《あぶな》いところでしたねえ」
 と言った。
 「本当に。——ダンプの方の責《せき》任《にん》を厳《きび》しく追《つい》及《きゆう》しなきゃ」
 尾形は今ごろになって、腹《はら》を立てている。
 「いや、ダンプの運転席は空だったんですよ」
 と志水が言った。
 「何ですって?」
 明子が頭を上げる。「それ、どういう意味ですか?」
 「あのダンプカーは、盗《ぬす》まれたものでね、あそこに朝から停《と》めてあった」
 「朝から?」
 「そう。そして、ハンドブレーキを誰《だれ》かが外して、坂を下って行ったわけです」
 「誰かが……」
 明子は、独《ひと》り言のように呟《つぶや》いた。
 そういえば、前にも一度、車ではねられかけたことがある。きっと同じ犯《はん》人《にん》だろう。
 「つまり、彼女《かのじよ》を狙《ねら》って、誰かが、わ《ヽ》ざ《ヽ》と《ヽ》、やったというんですか?」
 尾形は目を見開いて、「それじゃ——あの犯人だ! 君を刺《さ》しそこなった奴《やつ》だよ、きっと!」
 「待って」
 明子はベッドに起き上った。「でも、私があのタクシーに乗ったことを、なぜ知っていたの? それに今日は大体午後出社だったのに、早く出たんだし——」
 そして、突《とつ》然《ぜん》言葉を切ると、
 「分ったわ!」
 と声を高くした。
 「おい、今度は何だい?」
 尾形が、うんざりしたような声を出す。
 「今日、忙《いそが》しいから、早く出てくれって電話があったの。そして家を出て、タクシーを拾ったのよ。指《し》紋《もん》はどうでした?」
 と、志水に訊《き》く。
 「まだ、結果が出てないんでね」
 と、志水が言った。「今、弁《べん》当《とう》箱《ばこ》の指紋と照合しているんですよ。私たちのもの以外に、誰《だれ》かの指紋があることは事実です」
 「それ、きっと村川さんのだわ!」
 と、明子は力強く言った。
 「村川?」
 「部長よ! 村川さんが、私に早く出ろと電話して来たのよ」
 明子はベッドから出ると、「ちょっと外へ出て。服を着るから」
 「おい、どうするんだ?」
 「退《たい》院《いん》するの」
 「無《む》茶《ちや》だよ! 今、先生が——」
 「どうせ明日退院するのよ。今日だって、同じよ」
 名《めい》探《たん》偵《てい》にしては、論《ろん》理《り》を無《む》視《し》した言い方だった。
 
 「何だ、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》か?」
 ロビーへ入って行くと、社長が明子を見付けてやって来た。
 「あ、社長」
 「事《じ》故《こ》にあったと聞いて、今から病院へ行こうと思っとったんだ」
 「ご心配かけて。——ご覧《らん》の通り、ピンピンしてます」
 「良かった! 足もちゃんとついとるようだな」
 「部長はどこですか?」
 「村川か? さあ、知らんな。今日は見ていないが」
 「部長は、今日はお休みですよ」
 と、受付の女の子が言った。「今朝《けさ》、電話があったんです」
 「そうか」
 「やっぱりだわ!」
 と明子が肯《うなず》いた。
 「何が、やっぱり、だね?」
 「私、殺されかけたんです。事故じゃなくって」
 目を丸《まる》くしている社長へ、明子は事《じ》情《じよう》を説明した。
 「——なるほど。すると、例の男というのは村川だったのか」
 「アンケートの結《けつ》果《か》は出ました?」
 「ああ。社長室へ行こう」
 ——社長室で、明子は、社長から、アンケートの結果を見せられた。
 村川は、やはり弁《べん》当《とう》持参組の一人だった。
 「ちょっと電話を拝《はい》借《しやく》」
 と、志水が、社長のデスクの受話器を取り上げた……。
 「うん。——そうか。誰《だれ》の指《し》紋《もん》だった?——そうか。分った。——いや、ありがとう」
 志水は、受話器を戻《もど》し、
 「やはり図星だよ」
 と、言った。「弁《べん》当《とう》箱《ばこ》に、村川の指紋があった」
 「やったわ!」
 明子は飛び上った。
 「よし、では、村川の家を手配しましょう。住所を教えて下さい」
 志水は、村川の自《じ》宅《たく》に近い署《しよ》へ連《れん》絡《らく》を取った。
 「——これで、すぐ自宅へ急行しているでしょう。我々も行ってみますか?」
 「もちろん!」
 明子が真っ先に答えた。
 「まだこりないのか?」
 尾形が、ため息をついて、「よし、僕《ぼく》も行くよ」
 「私も同行したいが——」
 と社長が残念そうに、「大事な客が来るのでね」
 「じゃ仕方ありませんね」
 と、明子が言うと、社長は、
 「うん、仕方ない」
 と肯《うなず》いた。「客には待ってもらおう」
 大分、明子の好《こう》奇《き》心《しん》が社長にも感《かん》染《せん》しているらしい。
 かくて、明子と三人の男たちは、社長のベンツで、村川の自《じ》宅《たく》へと向かった。
 
 「あれらしい」
 と志水が言った。
 パトカーが、三台ほど停《とま》っているのが、見えた。
 「それにしても、ちょっと様子がおかしいな……」
 ——かなりの高級住《じゆう》宅《たく》地《ち》である。社長が、
 「こんな所に住んでるのか」
 と、呆《あき》れ顔で言ったほどだ。「あいつの給料では、とても無《む》理《り》だ」
 「やはり何か、陰《かげ》でやってるんですよ」
 と、明子は言った。
 パトカーの手前で、ベンツを停《と》め、四人は外へ出た。
 志水が先に立って行って、警《けい》官《かん》と話をしている。そして、いかにも成金趣《しゆ》味《み》的《てき》な、ごてごてした感じの家から、刑《けい》事《じ》らしい男が出て来た。
 志水と顔見知りらしく、親しげに話をしてから、一《いつ》緒《しよ》に明子たちの方へとやって来た。
 「古いなじみの刑《けい》事《じ》ですよ」
 と、志水が言った。「殺しだって?」
 「そうなんです」
 と、中年のその刑事が肯《うなず》く。
 「じゃ、村川さんが?」
 と、明子が訊《き》いた。
 「いや、そうじゃないんです」
 と、刑事は首を振《ふ》った。「若《わか》い男でね。村川は姿《すがた》を消しているんですよ」
 「その男の身《み》許《もと》は?」
 「分りません。——見ていただけますか?」
 「ええ」
 明子は肯いた。死体の一つや二つ、何だ! 村川の家の中は、外見に劣《おと》らず派《は》手《で》で、悪《あく》趣《しゆ》味《み》だった。
 「家族は?」
 と尾形が言った。
 「奥《おく》さんは、実家に戻《もど》っているんです。村川と、うまく行っていなかったのかもしれませんな」
 「その若《わか》い男っていうのは——」
 「人相や風体を奥さんへ電話で説明したんですが、心当りがない、ということでした」
 刑《けい》事《じ》は、居間のドアを、肩《かた》で押《お》した。「ここです」
 ——広い居間で、誰《だれ》かが寝《ね》ていた。
 いや、本当は死んでいるのだ。しかし、表《ひよう》情《じよう》は穏《おだ》やかだった。
 「いかがです?」
 と、刑事は言った。
 明子は、どこかで見た顔だ、と思った。
 こうして、死体となって倒《たお》れているから、よく分らないが。
 明子はかがみ込《こ》んで、まじまじと顔を眺《なが》めた。
 「おい、気を付けろよ」
 と、尾形が言った。「かみつくかもしれないぞ」
 「犬じゃあるまいし」
 と、明子は言った。
 そうだ!——思い出した。
 この男。——中松進吾ではないか……。

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