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霧の夜にご用心09
日期:2018-09-28 18:51  点击:287
 嫉妬する電話
 
 「いかが、ご感想は?」
 ラブホテルの馬《ば》鹿《か》でかいベッドに、若《わか》い娘《むすめ》と——それも極めてチャーミングな娘と裸《はだか》で横たわっているという、今の自分を、私は信じられない気分だった。
 「何かこう……妙《みよう》な気分だよ」
 妙子は声を上げて笑《わら》った。
 「別に、これで責任を取れとか、そんなこと言わないから大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》よ」
 「君はかなり慣れてるのかい?」
 「まあね。大学時代は大分遊んだから」
 と妙子は言ってタバコに火を点《つ》けた。
 不良っぽいしぐさが、不思議に自然で、少しもいやらしく見えないのが、私には驚《おどろ》きだった。
 「別に何の下心もないのよ。安心して」
 と、妙子は言った。「ただ興味ある男性を見付けると、寝《ね》てみたくなるの。でも、そう年中あるわけじゃないのよ」
 「おたくで心配しないの?」
 「母は平気。もう諦《あきら》めてんじゃない? 誰《だれ》と寝たか、なんて訊《き》きもしないわ」
 私は言葉もなかった。
 「殺された山口って課長さん、あの小浜さんって人と何かあったのかしら」
 「どうして?」
 「もし彼女がやったとしたら、の話だけど。それに、山口さんのほうが、彼女の泊《とま》っていたホテルへ出向いて行ったんでしょう?」
 「そうらしいね」
 まさかその場に居合わせたとは言えない。そして真犯人は別の女だ、とも……。
 「——あ、ニュースを見よう」
 妙子は裸のままベッドから出ると、TVをつけた。
 冷蔵庫の飲物を出して喉《のど》を潤《うるお》しているとニュースが始まった。そして——私の目はブラウン管に釘《くぎ》付《づ》けになった。
 〈切り裂《さ》きジャック、第三の犯行?〉
 という文字が、目に飛び込んで来たのであった。
 ——被《ひ》害《がい》者は二十五歳《さい》のOLで、少なくとも私の知る限りでは、小浜一美とは縁《えん》のなさそうな女性だった。
 鋭《するど》い刃《は》物《もの》で刺《さ》し殺され、腹《はら》を切られているが、手ぎわはあまり良くなくて、前の二件に比べると、かなり質の悪い刃物を使ったのではないかと警《けい》察《さつ》は考えているようだった。
 つまり、今回の騒《さわ》ぎに刺《し》激《げき》された、別の異常者の犯行という可能性もあることを、アナウンサーはほのめかして、ニュースを閉《と》じている。
 おそらくその通りだろう。一美がやっていないことはもちろんだが、あ《ヽ》の《ヽ》女《ヽ》にしても、決して無差別に殺しているわけではない。
 「怖《こわ》いわね」
 と、妙子は肩《かた》をすくめて、「あーあ、いつ殺されるか分らないんじゃ、思い切り、好《す》きなことをしておかなきゃね」
 と、TVを消すと、ベッドの上へ、軽やかに飛び上がって来た。
 「悔《く》いのないように楽しまなくっちゃ」
 と言いながら、私のほうへにじり寄る。
 「おい、もう僕《ぼく》は——」
 「今夜は泊ってもいいんでしょ?」
 「しかしそれは——」
 「アパートで誰《だれ》かが待ってるの?」
 「いいや、そんなことはないけど——」
 「じゃいいじゃないの」
 妙子は私の唇《くちびる》へと唇を押《お》しつけて来た。私はただ圧《あつ》倒《とう》されているばかりであった……。
 
 「おはよう」
 と、出社して席につくと、女子社員が、
 「何だか顔のつやがいいですね」
 と言った。
 「そうかい?」
 「凄《すご》く元気そう。サウナにでも入って来たんですか?」
 まあ、あれも一種のサウナかもしれないな、と私は思った。
 「おはようございます」
 事務服に身を包んだ大場妙子が、大《おお》真《ま》面《じ》目《め》な顔で挨《あい》拶《さつ》する。
 「どうも、ご苦労さん」
 私も真顔で答えた。
 今朝はホテルから出勤である。しかし、感心したのは、妙子がちゃんと別のワンピースを持っていて、今朝《けさ》も家から来たと見せるように、着《き》替《か》えていたことだ。
 ついでに私のためのネクタイまで用意しているのには感心を通り越《こ》して呆《あき》れてしまった。
 今の若い娘は何を考えているのやら……。
 しかし、大場妙子と一夜を過ごしたことで、何だか一日が違《ちが》って見えるようになったことは確かである。
 その日はいつになく仕事に張りが出て来て、入社以来初めて——というのも大げさかもしれないが、仕事に熱中したのである。
 昼食時になると、私はいつも通り、外の食堂まで食べに出た。
 食べながら、頭をかすめるのは、昨夜の妙子の記《き》憶《おく》で——およそ女性に免《めん》疫《えき》というもののない私は、正《まさ》にイチコロという感じであった。
 「——平田さん」
 と、店のウェイトレスが声を上げた。「平田さん。いらっしゃいますか!」
 「僕だ」
 と席を立つ。
 「お電話です」
 「どうも」
 レジのカウンターで電話を取る。
 「——平田です」
 ちょっと間があって、
 「もしもし、平田さん」
 と、押し殺したような声がした。
 小浜一美だ。私は脳《のう》天《てん》を思い切り殴《なぐ》られたような気がした。——あの妙子と楽しんでいる間、彼女は逃《に》げ回り、人《ひと》影《かげ》に怯《おび》える時間を過ごしていたのだ。
 「君……大丈夫?」
 「何とかやってるわ」
 と、彼女は言った。
 「今……どこから?」
 「渋谷。人混みを歩くようにしてるから」
 「そうか。でも——」
 「ゆうべ、帰らなかったのね」
 私は言葉を失った。彼女は続けて、
 「久しぶりに、会いたくなって、ゆうべあなたのアパートへ行ったの。でも留《る》守《す》で……。二、三時間待って、帰ったわ」
 「あの——悪かったね。どうしても抜《ぬ》けられなくて」
 「女の人と一《いつ》緒《しよ》だったの?」
 と、一美は訊いた。怒《おこ》っているとか、つっかかるようなといった口調ではない。
 こういうとき、とっさに巧《うま》い言い逃《のが》れを思いつけるほど器用な私ではない。
 「あ、あの……」
 と言ったきり、言葉が出て来ないのである。
 「いいのよ、隠《かく》さなくても」
 という一美の声は、やさしく、笑《え》みを含《ふく》んでいた。
 「すまないね。君のことを放《ほ》っておいて、僕は……」
 「そんなこと! 何もあなたが謝《あやま》ることないわ」
 「ああ……でも……」
 私は気を取り直した。「ねえ、今夜、どこかで会おうじゃないか。心配なんだ。本当だよ」
 「いいの。あなたにいつまでも甘《あま》えようとした私がいけないのよ。もう私のことは忘《わす》れてちょうだい」
 「ねえ、小浜君——」
 電話は切れた。私はため息をつきながら、受話器を戻《もど》した。
 ゆうべ、彼女は、誰か慰《なぐさ》めてくれる相手がほしくて、アパートまでやって来たのだろう。それなのに私はラブホテルのベッドの中だったのだ。
 一美はどうやって生活しているのだろう? 今から渋谷へ行って捜《さが》してみようか、と一《いつ》瞬《しゆん》本気で考えた。
 しかし、あの町のどこを捜せばいいのか分らないのだ。行くだけむだなのは分り切っていた。——私は仕方なく席へ戻ろうとして、振《ふ》り向いた。
 目の前に、大場妙子が立っていた。
 「君……」
 「小浜君って呼んだわね、今の電話」
 妙子は言った。「小浜一美さんのことでしょう?」
 「聞いてたのか」
 「あなたを捜してこの店へ入って来たのよ。そしたら目の前で電話してるでしょ。邪《じや》魔《ま》しちゃ悪いと思って……」
 聞かれてしまったものは今さら取り消せない。私は肩をすくめた。
 「まあ、かけろよ」
 ——コーヒーを飲みながら、私は小浜一美をかくまおうとして、一美のほうから出て行ってしまったという事情を妙子に説明した。
 もちろん、例の真犯人の女や、私自身の〈切り裂きジャック〉志向には触《ふ》れていないのだが。
 「どうする?」
 話を終えて私は言った。「逃《とう》亡《ぼう》犯《はん》をかくまったというので、警察へ突《つ》き出すかい」
 「やめてよ!」
 妙子は憤《ふん》然《ぜん》として、「私がそんな女だと思ってるの?」
 とかみつきそうな声を出した。
 「分った! 謝るよ」
 私はあわてて言った。結局いつも謝っているのが私の役回りなのである。
 「でも、私が寝ようと思っただけのことはあるわ」
 と、妙子はご機《き》嫌《げん》である。「頼《たよ》りになる人ね」
 この一件に関《かか》わるまで、そんな風に言われたことがないので、何だか皮肉のようにも取れた。
 「でも、小浜さんは、どうやって生活してるのかしら?」
 「それが分らないから、心配なんだがね……」
 と私は呟《つぶや》くように言った。
 「今夜もアパートへ来るかもしれないわ」
 「まさか」
 「分らないわよ。今夜は必ずいるはずだと思って……」
 「しかし、来たところで、どうにもならないじゃないか」
 「私、話を聞いてみたいわ」
 「君が? しかし、彼女は犯人じゃないんだよ」
 「分ってるわ。だからこそ会ってみたいの。犯人がなぜ彼女の恨《うら》んでいるような相手ばかりを殺しているのか」
 そこは確かに奇《き》妙《みよう》な点である。
 あの電話の女は、なぜか小浜一美のことを知っているのだ。桜田を怒らせたことも、そしてあのホテルのことも。
 その理由は分らない。それが分るときは犯人が明らかになるときであろう。
 「いいでしょ?」
 と、妙子が言い出す。
 「え? 何が?」
 「いやね、ちゃんと聞いて。今夜はあなたのアパートに上らせて。いいでしょ?」
 だめだとも言えず、結局その日、妙子とは外で待ち合わせて、一緒にアパートへ向った。
 果して本当に小浜一美が来るかどうか、私にはおよそ自信がなかったのだが……。
 
 「——十一時半か」
 と、妙子は言った。
 「今夜は来ないよ」
 「分らないわよ。私は若いから大丈夫。起きていられるもの。平田さん、寝たらいかが?」
 「大丈夫だよ」
 私にも意地というものがある。
 電話が鳴った。私は急いで受話器を上げた。
 「もしもし——」
 「あ、平田さん……」
 一美の声だった。「会いたいの。出て来られる?」
 「今どこに?」
 私はメモを取った。アパートから、せいぜい十分ほどの店だ。
 「すぐに行くよ」
 と私は言って電話を切った。
 「——彼女?」
 と妙子が訊く。
 「うん。出かけて来るよ」
 「最初は一人のほうがいいかもね。このアパートへ連れてらっしゃいよ」
 大場妙子は調子良く言った。
 「向うが来る気になれば、ね」
 と、私は言って、アパートを出た。
 一美が電話をかけて来たので、ホッとしたような、それでいて、彼女の話を聞くのが怖いような、微《び》妙《みよう》な心持ちであった。
 一美の言った店へ着いて捜したが、彼女の姿《すがた》はなかった。
 おかしいな、とは思ったが、ともかく待ってみることにして席に着く。——十五分、二十分と時間は過ぎて行くが、一美はやって来ない。
 どうしたのだろう。何かあったのか、と気が気ではなかった。——三十分たって、私はアパートへ戻ってみることにした。もしかすると、彼女のほうが勘《かん》違《ちが》いして、アパートへ行っているのかもしれないと思ったからである。
 「——あら、どうしたの?」
 ドアを開けて入って行くと、妙子が顔を向けた。
 「いないんだよ、彼女」
 「まあ……。でも、待ってると言ったんでしょう?」
 「そうなんだけど、結局来ずじまいさ」
 「そう。残念ね」
 と妙子は言って、「それから……」
 「何だい?」
 「あのね、変な電話がかかって来たの」
 「変な電話?」
 「女の人。——私が出ると、『あなたは誰?』って怖い声で訊いたわ」
 あの女だ、と思った。大体ここへ電話して来る女性といえば、一美か、それともあの女ぐらいしかいない。
 「向うは名乗らなかった?」
 「ええ。訊いたけど、言わなかった。私は平田さんのお友だちです、とだけ言ったんだけど。——心当りある?」
 「さあ分らないね。——他にも何か言ってたかい?」
 「何も。そのまま切れちゃった。でも何だか気味の悪い電話だった」
 今度は一体何のつもりでかけて来たのだろう。——一美がいなかったことと、何か関係があるのだろうか?
 私は不安な気持で、今は沈《ちん》黙《もく》している電話を見ていた。
 「今夜はもう来ないのかしら」
 と妙子が言った。
 「そうだな。おそらく来ないだろう。気が変ったか何かで……」
 「じゃ、泊って行こうかな」
 と妙子が言い出して、私はあわてて、
 「こ、こんなボロアパートじゃ……」
 「冗《じよう》談《だん》よ。今夜は一応帰らないとね」
 妙子は微《ほほ》笑《え》んで、「今すぐでなくてもいいんだけど……」
 と付け加えた。
 全く、この娘は何を考えているのだろう。私はため息をつきながら、結局、抱《だ》きついて来る妙子を拒《こば》まなかったのである……。
 
 「シャワーだけ使わせて」
 妙子の裸《ら》身《しん》が浴《よく》室《しつ》へ消えると、シャワーの音がした。
 ちょうど電話が鳴り出して、私は、ためらいながら受話器を上げ、そっと耳に押し当てた。
 「——聞いてるの?」
 あの女だった。
 「うん」
 「可愛い恋人ができたようで、結構ね」
 「君に関係ないだろう」
 と私は言った。
 「そう?」
 「そうじゃないっていうのか」
 「私はね、あなたのために人を殺して来たのよ」
 「何だって?」
 「桜田も、山口も……。ああ、昨日の事件は私じゃない。どこかの馬鹿が真《ま》似《ね》をしただけなのよ」
 「待ってくれ! 僕のために殺したって、それはどういう意味だ」
 「その通りの意味よ。あなたは桜田と山口を許せない、殺してやりたいと思ったんでしょう。だから私が代りに手を下してあげたんじゃないの」
 「やめてくれ! 僕が頼《たの》んだわけじゃないぞ!」
 「何を怒ってるの」
 女の声は急に冷ややかになった。「あなただって切り裂きジャックに憧《あこが》れているくせに」
 「僕は——」
 「でも、あなたは私を裏《うら》切《ぎ》ったわね」
 「裏切った?」
 「女を作って。——女を憎《にく》んでいたはずのあなたが。裏切ったことを、後《こう》悔《かい》させてあげる」
 「何だって?」
 「可愛い彼女に気を付けるように言っとくのね」
 「何をする気だ! おい!——もしもし!」
 電話は切れていた。
 あの女は、妙子を殺す気なのだ。私は、震《ふる》える手で、受話器を戻した……。
 「——どうかしたの?」
 浴室から出て来た妙子が、バスタオル一つの裸で、歩いて来る。
 「いや……何でもないよ」
 と私は言った。「もう帰るんだろう。送って行くよ」
 「いいわよ。一人で帰れるわ」
 と、妙子は笑った。
 私は窓のほうへ行くと、カーテンをからげて外を見た。
 「そうだな。大丈夫かもしれない。——霧《きり》が出てないから」
 「え? 何て言ったの?」
 「ただの独り言さ」
 と、私は呟いた。

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