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消えた男の日記10
日期:2018-09-28 19:31  点击:289
 10 空からの音
 
「どうかしたんですか」
 と、入江は、署長の水島の顔を見るなり、言った。
「や、どうも」
 と、水島は渋い顔で、「ちょっと面倒なことになりましてね」
 いつもの通り、朝十時に署へ出向いて行った入江だが、中がいやにざわついているのである。
「実は——この間、首を吊《つ》って死んだ、花田あやという女なんですが」
 と、水島は言った。
「ああ、郵便局の手伝いに来ていたとかいう……」
「そうです。——まあ、一人住いだし、寂しさがつのって自殺したとしても、不思議じゃない。今日、葬式なんですがね」
「その花田あやが、どうかしたんですか?」
「誰か、県警へ電話した者がいるらしいんです。それは自殺じゃない。殺されたんだとね」
「ほう」
「で、朝早くから、県警のお偉方に呼び出されましてね。一応、検死の手続きを取れ、と……。問題はない、と言ったんですが」
 と、水島はふくれている。
「まあ、上の方の人は、言うだけだから、楽なもんですよ」
 と、入江は肯いた。
「全くです!」
 と、水島はため息をついて、「お寺さんにも、迷惑をかけてしまって……。そういうことを、さっぱり分ってくれない」
 文句を言ってから、水島は、いささか照れた様子で、
「いや、すみません。入江さんに文句を言っても仕方ないのに」
 と、頭をかいた。
「いやいや。よく分りますよ。すると、当然、現場の証拠保全の問題も出て来ますね」
「そうなんです。朝からそれで、てんてこまいでしてね。申し訳ありませんが、今日は——」
「ああ、分りました。いや、警官には、何といっても、現場を踏ませるのが一番ですからな」
「しかし、吹田なんか、入江さんにすっかり参ってますよ」
「あの若いのですか? なかなかよく働いてますな」
「有望です。昔と違って、骨惜しみせずに仕事に打ち込む者は少なくなりましたよ」
 と、水島は自分で肯いて、「——では、失礼して、県警の相手をしなくてはならんもので」
「どうぞ。気にせんで下さい」
 と、入江は言って、行きかけた水島へ、「誰が県警に電話したか、分ったんですか?」
 と、声をかけた。
 水島は振り向くと、
「分ってるんですよ、敦《あつ》子《こ》のやつですよ」
「敦子?」
「ほら、郵便局で働いてる若い子です」
「ああ、あの娘ですか」
「生意気なんです。ろくに何も分らんくせに……。局長に言っときましたから、クビでしょうな」
 ——水島が行ってしまうと、入江は、署から外へ出た。
 大分、町にも慣れて来た。
 町の人たちも、入江や大内、柴田依子を見ると、ニッコリ笑って会釈するようになっている。
 入江が、盗まれた現金書留の入った袋の隠し場所を言い当てた、という話を、あの吹田が大げさにしゃべって回ったせいもあるのだ。入江はすっかり、「名探偵」にまつり上げられてしまっていた。
 もちろん、あの事件そのものは、至ってすっきりしない。例の花田あやとかいう女の自殺にしても、そうだ。
 旅館へ戻る前に、入江は郵便局の方へと歩いて行った。すると——郵便局から、勢いよく出て来たのは、水島の言っていた、「敦子のやつ」だ。
「——やあ、君」
 と、声をかけると、今にも爆発しそうなほど、不機嫌な顔をしていた娘は、
「何ですか!」
 と、かみつきそうな声を出した。
「おい、そうおっかない声を出すなよ」
「あ——。入江さん、でしたっけ」
「うん。どうしたんだい?」
 その娘は、息をついて、
「クビになったんです」
 と、言った。
 どうやら、水島の言った通りになったらしい。
「そりゃ気の毒に。——何かあったのかね?」
「私が、守秘義務を守らなかった、って」
「それは、もしかして、我々のせいかな」
「いいえ」
 と、娘は首を振った。「誰だかの所へ届いた手紙が開封されてた、と言うんです。私が中を読んだ、って苦情が来てるって」
 それは明らかに言いがかりだろう。
「私、そんなこと、絶対にしません!」
 と、娘はむくれている。
「ま、その内、分ってくれるよ」
 と、入江は慰めて、「どうだい、我々の旅館へ来ないか。お茶でも飲んで、少し気分を直したら?」
「ええ……」
 と、娘は入江を見て、「でも——」
「何だい?」
「私、年上の人って、あんまり好《この》みじゃないんです」
 入江は、こんな小さな町の娘も、都会並みになってるなと痛感したのだった。
 
「——さ、お菓子でも」
 と、柴田依子が、お茶とお菓子を娘に出した。「敦子さん、っていうの?」
「はい。木下敦子です」
 と、娘はペコンと頭を下げた。
「ま、君がクビになったのは、そういうわけだよ」
 と、入江が言った。「しかし、君、県警へ電話したのかい?」
「いいえ。まさか! 大体、県警って、何番にかけりゃいいんですか?」
 と、敦子が菓子を頬《ほお》ばる。
「でも、検死があるって、いいことじゃないでしょうか」
 と、依子が言った。
「そうだ。少しでも怪しい点は残さないようにしないとね」
「おばさん、殺されたのかなあ」
 と、敦子は、眉《まゆ》を寄せて、「でも、人に恨まれるような人じゃなかったんですよ」
「恨まれなくても殺されることはあるよ。ある人にとってまずいことを知ってしまった、とかね」
「そうですね。——じゃ、あの泥棒と、何か関係が?」
「あり得るね。泥棒の、すぐ次の日、っていうのも妙だよ」
 襖《ふすま》が開いて、大内が入って来た。
「あれ。警部、今日の講義は?」
「中止だ。——おい、木下敦子君だ」
「やあ、郵便局の」
「元、です」
「え?」
 依子が、入江の腕をつついて、
「係長。ちょっとお話が」
 と言った。
「うん」
 入江と依子は、隣の部屋へ移った。
「——咲江さんから連絡があったんです」
「そうか。何か分ったのか?」
「それどころか、命を狙《ねら》われたそうです」
「何だと?」
 入江が、青くなった。「それで——」
「無事です、ご安心下さい」
「そうか……」
 入江は、息をついた。「詳しく話してくれよ」
 ——依子が、咲江から聞いた話を、入江にくり返すと、
「——すると、何か? その松本って奴《やつ》と、キスした? 何て奴だ! その男を暴行未遂で逮捕してやる!」
「係長。もう咲江さんは二十一ですよ」
「まだ子供だ」
「しっかりしてますよ、咲江さんは」
 と依子は苦笑して、「それより、あの日記帳の中身、気になりますね」
「全くだ。あんな物、咲江の所へ送るんじゃなかったな」
 と、入江は渋い顔で言った。
「問題は、東京にいる誰かが、私たちのことを知っただろう、ってことです」
 と、依子は言った。
「うむ」
「咲江さんが危い目にあった、ってことは、私たち、それに、あの笠矢祥子って子も、同じように危いかもしれない、ということですわ」
「俺たちは、まあ用心すればすむが……」
「あの子に警告する必要がありますね」
 入江は肯《うなず》いて、
「いい機会だ。三人で、その娘の家へ行ってみよう。今日は水島署長も忙しい」
「結構ですね」
 と、依子は肯いた。「——大内さんも、一緒に?」
「もちろんだ」
「でも、あの木下敦子と、楽しくやってるようですし」
「何だと?」
 入江は目を丸くした。
 
「あの子、なかなかしっかりしてますよ、ねえ、警部」
 と、大内が言った。
「そうか?」
 入江は、依子の目にはっきり分ることが、どうして俺《おれ》には分らないのか、と首をかしげていた。
「——こりゃ凄《すご》い」
 と、大内が言った。
 地蔵の谷へ、三人は入って来た。
 両側の斜面から、何百という地蔵が、三人を見下ろしている。
「ね、なかなか壮観でしょ」
 と、依子が言った。
「何だか、じっと見張られてるみたいで、いやだね」
 と、大内は言った。
「おい」
 と、入江は言った。「尾《つ》けられてないか?」
「大丈夫です。気を付けてますよ」
 大内が肯く。
 そこはプロである、尾けられていれば、必ず気付いている。
「足下に気を付けて下さい」
 と、依子が言った。
「あの娘、家にいるのか?」
「昨日、今日と見てませんから。——たぶん、いると思います」
「しっ」
 と、大内が言った。
「どうしたの?」
「音が……」
 大内は足を止め、耳を澄ました。
 かすかに、唸《うな》りのような音が、遠く空のかなたから、近付いて来る。
「ヘリコプターだ」
 と、大内が言った。

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