11 爆 発
ヘリコプターの音は、入江たちの方へと近付いて来ているようだった。
このままでは、丸見えだろう。
「どこかへ隠れよう」
と、入江が言った。
「でも、どこへ?」
と、大内が左右を見回す。
どちら側も、地蔵の並ぶ急な斜面だ。
「上るしかありませんわ」
と、依子が言った。「大内さん!」
「うん」
「係長を押してあげて」
「分った。じゃ、警部——」
「こら! 自分で上れる! 馬鹿にするな!」
と、入江はムッとしたように言って、「ついて来られなくても知らんぞ!」
一気に斜面をかけ上る。依子と大内も、あわてて入江の後を追った。
見ろ、この足の若さを! 入江は調子に乗って、斜面を半分以上も駆け上ったが、そこからは急に足も重くなって、よろけてしまった。大内があわてて入江の背中を支えて、
「大丈夫ですか!」
「当り前だ、放っといてくれ!」
と、わめいたものの、大内と依子が構わずにぐいぐいと入江を押し上げる。
何とか間に合った!——斜面を上り切った木立ちの間に三人が転がり込むと、谷の上、かなり低空をヘリコプターが一機、轟《ごう》音《おん》と共に駆け抜けて行った。
三人はしばらく激しく息をして、言葉も出なかった。——大内が汗を拭《ぬぐ》って、
「どこへ向ってるんだろう、あのヘリは」
と、言った。
「たぶんあの子のいる家だわ」
と、依子が言った。「こうしちゃいられない。急がないと」
「そうだな。警部、ここで休んでて下さい」
「何を言うか!」
入江も、立ち上って怒鳴るだけの余裕が出て来た。
「お前たちだけじゃ、頼りなくてやれるか」
「じゃ、急ぎましょう」
と、依子が促し、また斜面を駆け下り始めた。
急な斜面を下りるのは、むしろ上る以上に難しかった。失礼(?)など気にせずに、途中の地蔵につかまり、バランスを取りながら、やっと三人は下の道に下りた。
「こっちです」
依子が先に立って、三人は肩で息をつきながら、道を急いだ。
方向感覚のいい依子でなかったら、林の中の道を、あの笠矢祥子のいる家まで辿《たど》ることは難しかったろう。
「もう少しです」
「ヘリの音が聞こえないな」
と、大内が言った。「関係なかったのかな?」
「でも、こんな山の中に何の用事だ?」
と、入江は言った。「たぶん、様子を見ているんだ、周辺の」
入江の言葉が正しかったことは、すぐにあの音が頭上に近付いて来たことで、証明された。今度は隠れる場所を見付けるのに苦労はしなかった。
「——何をするつもりなんでしょう?」
と、依子は言った。
「分らんな。この辺に、ヘリが下りられるような広い場所があるのか?」
「分りません。ここへあの子たちが連れられて来た時は、大分遠くに下りたはずです」
「そうだったな」
と、入江は依子の話を思い出して、肯《うなず》いた。「——行ったか」
ヘリコプターの音は、遠ざかって行った。
「でも、警部、ヘリは、空中に静止できますよ。下りる場所がなくても」
「それぐらい知っとる」
と、入江はぶっきらぼうに言った。
気に入らない。——あんな女の子一人を、どうしようというのだろう?
「ともかく、行こう。ここまで来たんだからな」
三人は、足を早めた。
「もう少しです」
と、依子が言った。
「こりゃ凄い」
その家を目の前にして、大内がヒューッと口笛を鳴らした。
「こりゃ大したもんだ。山小屋みたいなもんかと思ったが」
入江は足を止めたので、汗がふき出て来て、ハンカチで顔を拭った。「例の娘はいるかな?」
「どうでしょう。当然あのヘリの音を聞いてるでしょうし」
と、依子が足を踏み出そうとした時、突然ヘリコプターの爆音が迫って来た。
「隠れろ!」
と、入江が依子の腕をつかむ。「畜生! どこにいたんだ!」
三人は、林の中へ飛び込んで、転がるように身を伏せた。
しかし、ヘリコプターは、入江たちを見付けて近付いて来たのではないようだった。
笠矢祥子の家の真上に、ヘリコプターが静止した。
三人のいる所まで、ローターの巻き起こす風が吹き付けて来る。
「下りて来るつもりかな」
と、入江が言った。
依子がそっと顔を木々の間から覗《のぞ》かせて、
「いえ、人が出て来る様子はありませんけど……。ヘリの窓が開いてます。——何か投げ落としたわ」
「何を?」
「分りません。箱みたいな物です。——ヘリが上昇して行きます」
爆音は急速に頭上高く、離れて行った。
「別に何も——」
と、覗いていた依子が言いかけた時だった。
一瞬、空気が裂けた。風圧と激しい爆発音で、三人は本当に体を殴りつけられるショックを感じた。
入江は反射的に頭をかかえ、地面に小さくなった。森の中へ、布や木ぎれやガラスや、あらゆる破片が飛び込んで来て、木々の幹に当って、さらに砕ける。
耳がジーンと鳴って、何も聞こえない。
——少し間を置いて、バラバラと小石とも土とも知れないものが降って来た。入江は何か叫んだが、自分でもよく分っていなかった。
たぶん、
「頭を上げずにじっとしてろ!」
と、怒鳴ったのだろう。
ひとしきり、落下物が降りつづけて、それが止んだ後は、沈黙が来た。こげくさい匂《にお》いがあたりに満ちて、少しむせた。
入江はそっと体を起こし、雨に濡れた犬みたいに、頭を激しく振った。バラバラと、体に降りかかっていた破片が落ちていく。
「——何だ、一体」
と、入江は呟《つぶや》いた。
「ひでえなあ……」
大内も、やっと起き上る。「何です、警部、今のは?」
「——見ろよ」
と、入江は言った。
木立ちの間から、あの家が——いや、家の残《ざん》骸《がい》が見えた。
二階建の、あのしっかりした一軒家が、完全に吹っ飛んで、跡形もない。——一階部分の隅の辺りに、やっと半分ほど壁が残っていたが、その他は、土台だけと言ってもいいほどだった。
あちこちに火が燃えていた。たぶん、プロパンのガスなども、使っていたはずだ。
「爆弾ですか」
と、大内は、やっと口を開いた。「じゃ、あの女の子は一緒に——」
「抹殺するつもりだったんだな」
と、入江は首を振った。
やっと耳が聞こえるようになっていた。
「もし中にいたら、とても助かるまい。おい——」
入江は依子の方を振り向いて、目を見開いた。「どうした!」
依子は、家を見ていたのだ。爆発の瞬間まで。
仰向けに、木立ちの間に倒れて、身動きしていなかった。大内と入江は同時に駆け寄った。
「脈は?」
入江は依子の手首を取った。
「——大丈夫。しっかりしている。気を失っただけだろう。けがはしてるか?」
「スカートが裂けてますが」
「めくって見ろ。遠慮してる場合じゃない」
太《ふと》腿《もも》に、何かガラスの破片らしいものが突き刺さっていたが、簡単に抜けた。血は出たが、そう深い傷ではないらしい。
「耳が心配だな。鼓膜をやられたかもしれん」
と、入江は言った。「ともかく医者へ連れて行かないと……」
「僕が背負います。乗せて下さい」
「よし」
入江が、かかえ上げると、依子が低い呻《うめ》き声を上げて、大きく呼吸した。
目が開く。——早い瞬きをくり返している。
「気が付いたか」
「係長……。大内さんは?」
「ここだよ」
「良かった! 二人とも大丈夫ですか?」
「ああ。君もかなり傷だらけだ。ひどい目に遭ったな。医者へ連れて行こう」
「いえ……。あの子は?」
「さあな。家があのありさまじゃ」
と、入江が、爆破された家の方を見やる。
「家はどうなったんです?」
と、依子が訊《き》いた。
「どうって——」
入江は息をのんだ。依子の目は開いているが、何も見ていない!
「どうした? 見えないのか?」
「今……夜ですか?」
入江と大内は顔を見合わせた。
「明るいんですね、まだ」
と、依子が言った。
少し声が震えている。
「爆発をまともに見てしまったからですわ、きっと。——何も見えません」
「何てことだ!」
入江は思わず目を閉じた。「——すまん! 俺《おれ》がついていながら」
「いや、警部、きっと一時的なもんですよ、ショックで。大丈夫! 見えるようになりますよ!」
大内がほとんど怒鳴るような声で言った。入江も、何とか気を取り直すと、
「そうだな、別に目が傷ついてるわけでもない。——ともかく医者だ」
「ええ。僕がおぶって行く」
大内が、背中に依子をのせると、
「悪いわね、重くて」
「何言ってるんだ。君なんか風で吹き飛ばされないようにおもしでも置いとかなきゃ」
「まあひどい」
と、依子は少し笑った。
「よし、急いで戻ろう」
三人は、来た道を戻って行った。
地蔵の谷へ出て、谷間の道を歩いていると、依子が、
「待って」
と、言った。
「どうした? どこか痛むのかい?」
「いいえ。——係長」
「何だ?」
「医者はだめです」
「どうして?」
「こんな状態で医者へ行って、どうしたのか説明できます?」
入江は詰った。——確かに、あの爆発を目の前で見たことを話さなくてはなるまい。
「旅館へ戻りましょう」
と、依子は言った。「お二人とも、ひどい格好でしょ? 何とか普通のなりに見える程度にきれいにして。私一人が、どこかから落ちたことにでもしないと」
「しかし……」
「考えて下さい。あの子はたぶん殺されたんです。咲江さんも命を狙《ねら》われたんですよ。私たちが、あの爆発を見たことが知れたら、きっと私たちも殺されます」
大内は入江を見た。入江としても、依子の言葉が正しいことは分っている。
「だが、君の目が——」
「水で冷やしてもらえば大丈夫です。傷ついてるわけじゃないんですから、医者へ行っても同じです」
入江は、少し考えていたが、
「いや、君を医者にもかけずに放っとくわけにはいかん」
と、首を振った。
「そうさ。なあに、僕たちなら、そう簡単に殺されやしないよ」
「いや、用心には用心だ。ここは何とかうまく切り抜けよう。まず、あの町を出ることだ」
「でも係長……。突然そんなことを——」
「まあ、任せろ」
と、入江は言った。「年の功だ。少しは俺だって頭が回ることがある」
そして、大内の方へ、
「この大内の色気が頼りだな」
と言った。
大内はキョトンとして、入江を見つめていた。
「突然のことで申し訳ありません」
と、入江は言った。
「いやいや、こちらこそ、お世話になりながら、お礼をする機会もなくて」
署長の水島は、いやに愛想が良かった。「まあ、こんな所ですから、特にご挨《あい》拶《さつ》しませんので、柴田さんによろしくお伝え下さい」
「ありがとうございます。じゃ、車を拝借して行きます」
「ええ、どうぞ。ご便利のいい所で、近くの署へお返し下さい」
入江は、立ち上った。——もう外は大分暗くなっている。
「では失礼します」
と、入江はもう一度頭を下げて、署を出た。
軽く息をつく。——表に停った車に、乗り込む。助手席に乗って、
「よし、出かけよう」
と、ハンドルを握る大内に言った。
「はい」
車が走り出す。
柴田依子は後ろの席で、ハンカチを顔に押し当てて、涙をこらえている。——父親が事故に遭って重体という連絡が旅館に入ったのである。
「町を出るまで、そのままで」
と、入江が言うと、依子が、
「はい」
と、答えた。
いや、依子ではない。あの、郵便局をクビになった木下敦子なのである。
敦子が、東京から、と言って旅館に電話を入れ、こうして依子の身替りをつとめているのだ。
車はたちまち町を出て、山道へ入った。
「よし、停めろ」
と、入江は言った。「——おい、もう大丈夫だ」
後部座席の床に毛布にくるまって、身を縮めていた依子が、敦子に助けられて、起き上った。
「ありがとう……。迷惑かけたわね」
依子が座席に座ると、言った。
「いいえ。こんなこと、お安いご用です」
と、敦子は言った。「どうですか、気分は?」
「ええ。目の辺りの熱が、大分さめたみたいだわ」
依子は、冷たく濡らした布を目に当てていた。
「ともかく、大きな病院へ急いで行くんだ」
と、入江は言ってから、「敦子君。君、すまんが、ここから歩いて戻ってくれるか?」
「戻らなきゃいけませんか」
敦子の言葉に、入江は面喰らって、
「しかし……」
「私、身よりってないんです。今いるのも、おばさんの所で、邪魔にされてるし。よかったら、連れてって下さい」
入江は大内の顔を見て、
「そういうことになってたのか?」
と、訊《き》いた。
「いえ、別に……」
「嘘《うそ》つき!」
と、敦子がプーッとふくれて、「手伝ってくれたら、連れてってやる、って言ったじゃないの、キスしながら」
入江は苦笑いして、
「それじゃ仕方ないな。言ったことの責任は取れよ」
と、大内の肩をポンと叩《たた》いた。「よし、出発だ」