20 裏切り
「これね」
と、敦子が言った。「病院らしく見えないわ」
「見かけもそうだが、きっと中は全然違うんだ」
と、大内は言った。
「どうするの? 中へ忍び込む?」
「おい、007じゃないんだぜ」
と、大内は呆《あき》れて、「ここで待つのさ、ひたすらね」
「つまらないの」
と、敦子は口を尖《とが》らした。
車を借りて、大内と敦子、二人で見張っているところである。
ここが、咲江がうまく抜け出した病院である。確かに、病院ということにはなっているが、造りからいって、普通の病院には見えない。
大体、正面の門が、しっかりと閉じていて、警戒している様子だ。もしかすると、咲江に逃げられて、閉めたのかもしれないが。
「いつも、こんな風なの、刑事の仕事って」
と、助手席で、敦子が言った。
「まあ、九割方は、歩くか待つか、だね」
「私じゃつとまらないわ」
と、敦子はため息をついた。
「君は戻ってろよ」
「いや」
敦子がどうしても行くって言って、ついて来たのである。
「しかしね——」
「ね、見て!」
と、敦子が言った。「あの車……」
大きな外車がその病院の前に停った。少しすると、門が開く。
大内は、双眼鏡を出して、車を見た。
「見える?」
「今、入って行った」
「そりゃ分ってるけど……。中に乗ってる人、見えた?」
「いや、ガラスが色つきだしね。その代り、車のナンバーは見た」
大内は、番号をメモした。「これで持主が分るだろう」
「でも、いい気分ね」
と、敦子が言った。「ずっと追いかけられてたのに、今度はこっちが追いつめる番だわ」
「全くだ。——しかし、背景が大きいと、戦うのは難しい」
「あの町の人、みんな知ってたのかしら?」
「いや、みんなってことはないさ。署長を始め、何人かの人だろうな。たぶん、あの〈永井かね子〉って名で金が送られていたのは、あの秘密を守る代償だったんだろうね」
「あ、そうか」
と、敦子は肯《うなず》いた。「ふざけてる! あの署長の奴《やつ》!」
「怖いな君は」
と、大内は笑った。
「でも、良かったわ。——あなたと知り会えたんだもの」
「まあね」
と、大内は素早く、敦子にキスした。
「ね、車が出て来た」
敦子が言った。「——誰か乗ってない?」
「うん……。ぼんやりと見えるな。三人ぐらい、後ろに乗ってる」
「どうする?」
「よし」
と、大内はエンジンをかけた。「あの車を尾《つ》けてやろう」
「万歳! 町の中のカーチェイス!」
と、敦子が喜んでいる。
「おい、ただ尾行するだけだよ」
「でも、じっとしてるよりは、ずっといいわよ」
と、敦子は言った……。
「入江さん」
その男は、立ち止って、チラッと左右を見回した。
「入江さん——、どこです?」
「大きな声を出すな」
急に後ろで声がした。男はびっくりした。
「入江さん……。いつの間に——」
「商売だよ」
と、入江は笑った。「どうだ?」
「いや、びっくりしましたよ」
と、男は肩をすくめて「——警察の方に当ってみました。入江さんたちのことは、必死で伏せようとしているらしいです」
「そうか」
入江は肯いた。
「何事です、一体?」
その男は、もう入江とは長い付合いの記者である。
単に仕事の上だけでなく、個人的にも親しいし、家族ぐるみの付合いだった。
「うむ……。座れ」
公園のベンチにかけて、入江は息をついた。——公園の中は静かだった。
「ひどい目に遭ったよ」
と、入江は言った。「仲間の警察に狙《ねら》われて、危うく殺されかけた」
「信じられませんね。——しかし、面白い」
「他《ひ》人《と》のことだと思って、あんまり面白がるなよ」
と、入江は苦笑した。「俺《おれ》は——」
その時、人の姿が、公園の入口に覗《のぞ》いた。
入江は言葉を切った。記者が立ち上ると、
「すみません!」
と、怒鳴るように言って、駆け出した。
警官だ! 入江は思った。
囲まれているに違いない。——逃げられるだろうか?
警官たちが数十人も駆けて来る。逃げ道はなかった。
——その時、けたたましくクラクションが鳴った。
入江は目をみはった。ルミの車が、猛然と公園の中を突っ走って来た。
歩道をガタゴト揺れながら、車は、警官を左右へ分けて、走って来た。
「乗って!」
と、ルミが叫ぶ。
「すまん!」
入江は、ドアを開けて飛び込んだ。
「しっかりつかまって!」
と、ルミが叫んだ。車が芝生の中を突っ切って走って行く。
あわてて逃げる警官が、池の中へ落っこちた。
車は正面の階段をガタガタ揺れながら、跳びはねるように下りて行った。
車は、一方通行の道を逆に突っ込んで行く。クラクションは鳴りっ放しだ。
——高速道路へ入ると、やっと入江は息をついた。
「すまん」
と、首を振って、「あいつが裏切るとは……」
「人間、誰しも弱いもんですよ」
と、ルミが言った。
「よく助けに来てくれた」
「私、次は機関銃をもらうことにしようかしら」
と、ルミが笑って言った。
「——ショックだったわね」
と、咲江が言った。
「いや、俺が甘かった」
と、入江は言った。「もっと、用心するべきだった」
「でも……。これからどうする」
「そうだなあ」
と、入江は息をすって「よく考える」
咲江は居間に父を置いて、台所へ行った。
「ルミさん。本当にありがとう」
「いいえ」
と、ルミは言った。「お父さん、どう?」
「ショックみたい」
「でしょうね」
と、ルミは肯《うなず》くと、「私が今夜、慰めてあげてもいいけど」
咲江は微笑んで、
「きっと元気になるわ」
と、言った。
「寝室がもっと必要ね」
「——おい」
と、松本が顔を出した。
「どうしたの?」
「誰か玄関の所にいるよ」
「本当?」
「人の足音とか話し声がしてる」
「出るか」
ルミがパッとバッグを取って、「これ、使ってみたかったの!」
と、拳《けん》銃《じゆう》を取り出す。
「おい。危ないよ。隠しとけ」
と、松本は言った。「君は出るなよ」
咲江が肯く。
ルミと松本は、そっと玄関の方へ行って、様子をうかがった。
ひそひそと話す声。そして足音。
「二人か三人よ」
と、ルミが言った。「やっつけちゃおう」
「落ちつけよ」
と、松本は言った。「よし、ドアを開けるぞ」
松本がパッとドアを開けた。
目の前に、二人の男が立っていた。