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紙細工の花嫁02
日期:2018-09-29 20:06  点击:340
 1 死の予告
 
 
「あら」
 と、思わず声を上げたのは、神田聡子である。
 聡子は、同じ女子大生で親友の塚川亜由美の家へ行くところだった。あと数分というところまで来て、見知った顔を見かけたのである。
「殿永さん!」
 と、聡子は、コロコロ太った割には足の早い、その刑事に声をかけた。
 殿永は、振り向いて、
「や、これはどうも」
 と、会釈したが、いつもの愛想のいい笑顔は見せなかった。
「亜由美の所へ?」
「そうです」
 と答えるのも惜しい感じで、殿永は歩き出した。
 聡子も、あわてて一緒に歩き始める。
「でも——ねえ、殿永さん、どうしてそんなに急いでるんです?」
「一刻を争うかもしれないんですよ」
「一刻を? 亜由美が、また[#「また」に傍点]何かやらかしたんですか」
 当の亜由美が聞いたら怒るだろう。
 塚川亜由美は、決して殺し屋でもギャングでも大泥棒でもない。むしろ、何か事件にぶつかると、危険を承知で首を突っ込み、解決の手助けはするものの、下手《へた》をすれば命も落としかねないこと、しばしばで、仲のいい、この刑事を嘆かせているのである。
「神田さんは、何も聞いていないんですか」
 と、殿永が言った。
「ええ。ただ、昨日さぼった講義のノートを見せてもらおうと思って」
「きっと、塚川さんは、それどころじゃないと思いますね」
「どうしてですか?」
 殿永は、亜由美の家が見えて来ると、やっと少し安心した様子で、足取りをゆるめた。
「実は、さっき亜由美さんから電話がありまして」
 と、殿永は言った。「亜由美さんを殺すという予告の手紙が届いた、というんですよ」
「ええ?」
 聡子も仰天した。「亜由美ったら! 何をやらかしたのかしら?」
「いや、私も悪かったのです」
 と、殿永は反省している。「ついつい、あの人に、好きなようにさせてしまう。おかげで、いくつか事件が解決したのは確かですが、犯人たちから恨まれているのも間違いない」
「そりゃそうでしょうね」
 と、聡子は肯《うなず》いた。「じゃ、その中の誰かが亜由美を——」
「手遅れでなければいいんですがね」
 殿永がチャイムを鳴らすと、
「はあい」
 と、至って元気のいい、「被害者」当人の声が聞こえて来た。
「無事みたい」
 と、聡子は言った。
 そう。大体、亜由美みたいなタイプは、めったなことじゃ、死にゃしないのである。
「——あら、聡子も一緒?」
 と、ドアを開けた亜由美は、「さてはデートの最中だったのかな、二人で? ハハハ」
 明るい笑いは、とても「命を狙《ねら》われている人間」のものとは思えなかった。
「いいですか」
 と、殿永はため息をついて、「チャイムが鳴って、そんなにすぐパッと開けちゃいけません。もし、ここに立っているのが、私たちでなく、殺し屋だったら、どうするんですか?」
「まあまあ」
 と、亜由美はポンと殿永の肩を叩《たた》くと、「人間、いつかは死ぬんですよ、ねえ!」
 殿永と聡子は、思わず顔を見合わせてしまったのだった……。
 
「宛名が違ってる?」
 と、聡子は言った。
「そうなの。本当に人騒がせよねえ。うちに来た郵便物の中に、全然違う人宛てのが混じってたの」
「それが、例の殺人予告だったわけ?」
「そういうこと。配達する人も、気を付けてくれなきゃね」
「何言ってんのよ! 宛名も見ないで、開封して、中の手紙で大騒ぎした亜由美の方だって、相当なもんよ」
 と、聡子は言った。「呆《あき》れてものも言えない。——ねえ、ドン・ファン」
「ワン」
 珍しく(?)犬らしい第一声で登場したのは、亜由美の愛犬、ダックスフントのドン・ファンである。いつもは、亜由美の部屋で引っくり返っているのだが、今は、リビングルームのソファに、たっぷり場所を取って寝そべっていた。
 どっちにしても、あまり勤勉な態度とは言えない。
「いや、何もなくて良かった」
 と、殿永は言った。
「ご心配かけて、すみません」
 と、亜由美も一応は恐縮して見せた。
「いや、あなたの無事な顔を見れば、多少の迷惑なんか、どうってことはありませんよ」
「まあ、本当に良かったわねえ、亜由美」
 と、母親の清美が居間へ紅茶などを運んで来る。
「これで亜由美もまた[#「また」に傍点]留置場かと思ってたんですよ」
「お母さんは何だか私を追い払いたがってるみたいね」
 と、亜由美が皮肉を言ってやると、
「だって、なかなかお嫁に行ってくれないんですもの。せめて[#「せめて」に傍点]留置場にでも入っててくれないと」
 どういう親だ? 亜由美は頭に来たのだったが……。
「じゃ、ともかくその〈殺人予告〉の手紙を拝見しましょうか」
「ええ。これ……。あら? どこにいったのかしら」
 と、亜由美はキョロキョロ見回して、「ドン・ファン、あんたどこかにやらなかった?」
「ワン!」
 あらぬ疑いをかけられて、ドン・ファンは猛然と抗議(?)した。
「亜由美ったら、捨てちゃったんじゃないでしょうね」
 と、聡子が言った。「やりかねないものね、亜由美だったら」
「いくら何だって——。お母さん!」
 と、亜由美は飛び上りそうになって、「あの手紙、どこかにやらなかった?」
「ああ、宛名が違ってたってやつ? 間違ってたから、ポストへ放り込んで——」
「お母さん!」
 亜由美が目を丸くした。「まさか——」
「放り込もう、と思って、持ってたのよ」
 と、清美は封筒をポケットから取り出した。
 亜由美、殿永、聡子の三人は同時にホーッと息をついた。ドン・ファンは、代りに、
「クゥーン……」
 と、一声鳴いたのだった……。
 早速、中の手紙を出してみる。
「これは?」
 と、殿永が、手紙と一緒に出て来た物を見て、目を見開いた。
「ね、私もこれ見て、てっきり、結婚式場の宣伝かと思ったの」
「相手もいないのに宣伝が来る?」
 と、聡子が素朴な疑問を提出した。
「いなくて悪かったわね」
「誰も悪いなんて言ってないじゃない」
「まあまあ」
 と、殿永がなだめる。「紙細工の花嫁の人形か……。何のおまじないかな」
 ウェディングドレスを着た花嫁の形に、紙を折って人形が作ってある。
「手紙の方を見ましょう」
 と、殿永が手紙を開いた。
 まるで活字のような、特徴のない字で、文面は簡単だった。
〈女の恨みの深さを忘れるな。死がお前を訪れるだろう〉
「署名はなし、と」
 殿永は首を振って、「さて、どんなものかな」
「ただのいたずらだと思います?」
「どうかな。それは当人[#「当人」に傍点]に訊《き》いてみないと、分らないでしょうね」
 殿永は封筒の宛名を見た。「——梶原真一か。この人をご存知ですか」
「いいえ」
 と、亜由美は首を振った。「住所がね、うちと、ほら、何番何号っていうのが逆になってるの。それで、配達の人が間違えたんだと思います」
「なるほど。すると、あなたが全然知らない人ですか。いや、良かった!」
 と、殿永は息をついた。「では、後は私にお任せを。——今回はあなたを巻き込まずにすみそうです」
「あら。でも——」
 と、亜由美は心外という様子で、「間違って手紙を開けてしまった人間として、これを届けて、お詫《わ》びしなきゃ」
「そうよ」
 と、聡子も肯いて、「私も亜由美の友人として、付き添って行く義務があります」
「ドン・ファンはどうする?」
 それを聞いて、ドン・ファンはソファからポンと降りると、トコトコ玄関の方へと歩いて行った。
 殿永は、ため息をついて、
「責任は持ちませんよ、私は」
 と、言った……。
 
「松井さん」
 と、声がして、松井見帆はびっくりして顔を上げた。
「あら、結木君。まだ残ってたの?」
「コーヒー、飲みませんか?」
 と、結木健児は、ポットを持ち上げて見せた。
「あら、どうしたの?」
「夜の会議用に頼んだのが、二人分余ってるんです」
「じゃいただくわ」
 松井見帆は、仕事の手を休めた。
 オフィスには、もう人影がなかった。——夜も九時を回っている。
「まだ帰らないんですか」
 と、結木健児はカップにコーヒーを注いで言った。
「どうせ帰っても一人暮しだしね。仕事を残しとくのも却《かえ》って気になるから」
 と、見帆はコーヒーを一口飲んだ。「おいしいわ」
「そうですね。自動販売機のコーヒーより、ずっとましだ」
「結木君、何の仕事だったの?」
 と、見帆は訊いた。
「会議の手伝いです」
「まあ。それじゃ、田崎課長に言われて? いやだって言えばいいのに」
「でも、僕もどうせ帰っても、することないし」
 と、結木健児は笑った。
「田崎さんも、勝手ね」
 と、見帆は眉をひそめた。「あなたはアルバイトなんだから、そんなに残ってまで働くことないのよ」
 結木は、見帆の言葉に、ただ笑っただけだった。
 見帆は結木のことを気に入っている。——もう、アルバイトとして、三年近く働いていて、しかも真面目で熱心なので、なまじの大学出より、よほど役に立つ。
 アルバイトは残業しても手当が出ないので、遠慮なく五時で帰ってもいいのだが、結木はその点、頼まれるとたいてい快く残っている。
 課長の田崎などは、重宝なので、よく結木を残らせているのだった。
 結木は二十三歳。高校卒だが、よく勉強していて、年齢よりもずっと大人びた落ちつきを感じさせるところがあった。
「明日、梶原さんと小田さんの結婚式でしたね」
 と、結木は言った。
「ええ。田崎さんは出るんでしょ?」
「ブツブツ言ってました。この忙しいのに、って」
「自分だって、結婚した時は周囲に色々、迷惑かけてるでしょう?」
「あの人は、そういう風に考えませんよ」
 と、結木は肯いて見せる。
 確かにそうだ。自分の借金はすぐに忘れ、他人に貸した金はいつまでも憶えているというタイプなのだ。
「松井さんは、出席するんですか?」
 と、結木が訊いた。
「ええ。こんな年齢になると、きれいな服を着て、人の結婚式に出る、っていうのが、結構楽しみなの」
 と、見帆は微笑《ほほえ》んで言った。「——さ、私もこの仕事をやって帰るわ」
「あ、僕、片付けますよ、カップ」
「そう? 悪いわね。ごちそうさま」
 と、見帆は言った。
「じゃ、お先に」
 と、結木はカップとポットを盆にのせて、オフィスを出て行った。
 見帆は、また机に向うと、仕事にかかる。——オフィスの中は、ひっそりと静まり返ってしまった。
 五、六分して、見帆は、ふと足音に顔を上げた。
「——結木君?」
 と、声をかけると……。
「精が出るね」
 と、ドアを開けて入って来たのは、課長の田崎だった。
「まだいらしたんですか」
 見帆は、少し素気なく言った。
「結木が帰るのを待っていたのさ」
 赤ら顔で、いつも少し酔っているように見える。
「なかなか帰らんで、ぐずぐずしてやがって。苛々《いらいら》したよ」
「勝手なことを。——残業させたのはご自分でしょう」
 と、見帆は言った。
「人件費の節約さ。何しろ細かいからな、今の専務は」
 と、田崎は肩をすくめた。
「お帰りにならないんですか」
 見帆は仕事に戻った。
「今日は遅くなると言って来てあるし……」
 田崎は近寄って来ると、見帆の肩に手をかけた。
「やめて下さい」
「今夜は君も寂しいだろ。何しろ梶原が明日は結婚する」
「関係ありません」
「強がるなよ。——なあ、久しぶりで、どうだ?」
 田崎の手が、見帆の首筋を、そっとなでた。
 見帆は、一瞬身を震《ふる》わせたが、田崎の手を払いのけようとはしなかった……。

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