7 花嫁ごっこ
「何か、お役に立てることでもございますか?」
いかにもプロ[#「プロ」に傍点]という感じの、淀《よど》みない口調。
それは一年や二年の経験では、身につくものではなかった。
「ああ……。実はね、若い女性に似合うものをね」
と、その中年紳士が言った。
一緒に連れているのは、どう見ても、女子大生。——でも、親子じゃないわ、と池山香子は思った。
長くデパートに勤めて、色んな客を見て来ている。こういう勘は大体外れない。
しかし、もちろん、
「こちらの愛人の方のでございますね」
なんて訊《き》くわけにはいかない。
「こちらのお嬢様のでございますね」
と、池山香子は言った。「それでしたら——」
「いや、この人のじゃないんです」
と、中年男は首を振って、「それに、これは、娘じゃありません」
香子は、ちょっと面食らった。
「さようでございますか。では、どんな方のための……」
「まあ具体的に言えば——」
と、中年紳士はニヤリと笑って、「風間涼子さんに合うウェディングドレス、というところですな」
香子はサッと青ざめた。
「——やっぱり、ご存知ですな、風間涼子さんを」
「あの……何のお話でしょうか」
と、香子は必死で平静を装ったが、
「いやいや、誤解せんで下さい。決してあなたにご迷惑をかけるつもりじゃありませんから」
と、男は言って、「警察の者です。ぜひ、あなたの話をうかがいたくてね」
「警察……」
「ご存知でしょう、風間涼子さんを」
「ええ……。待って下さい」
と、香子は売場を素早く見回して、低い声で言った。「お願いです。少し待っていただけません? 今、あの幽霊騒ぎで、このデパート、大変なんです。私が風間先生の教え子だったと分ったら……」
「なるほど」
と、男は肯いた。「分りました。では、どこで?」
「あと……二十分したら短い休憩が。その時に、この五階の喫茶店に。必ず行きますから」
「お待ちしてますよ」
——香子は、息をついて、
「とうとう来たのね」
と、呟《つぶや》いた……。
「主任さん、すみません」
と、若い売り子が駆けて来る。
「はい。どうしたの?」
パッとプロの顔に戻って、香子は、そう言った。
「——さすがは塚川さんだ」
と、殿永は言った。「いい勘でしたね」
二人して、香子の言った「喫茶店」に入っている。
「別に私の考えってわけでも」
と、亜由美が珍しく控え目に、「あの恵子ちゃんが、女の子って、やっぱりウェディングドレスとかに憧《あこが》れるのかな、って言ったのを聞いて、ふっと思ったんです。もしかしたら、あの風間涼子にドレスを着せたのは、生徒たちだったんじゃないかって」
「そこで、特にあの女性が担任だったクラスの子を調べてみると、一人がこのデパートにいると分ったわけで……。やはり、あの様子からみても、ただごとじゃありませんな」
と、殿永は言って、「しかし、何だか、座っているのが辛くなる店ですな」
いちごの絵で統一された、可愛い店なのである。まず、男一人ではとても入れないだろう。
「もう二十分たちましたよ」
と、亜由美は言った。「まさか逃げたわけじゃ——」
「いや、そんなことはないでしょう」
と、殿永が言うと、ちょうど当の池山香子が入って来た。
「——お待たせしました」
と、香子は、心もち青ざめてはいたが、もう落ちついた様子。
「お仕事中に申し訳ない」
と、殿永は言った。「風間涼子さんの教え子、というわけですね、あなたは」
「はい」
と、香子は肯いた。
「あの事件について——風間涼子が着ていたウェディングドレスのことですが」
香子は、ちょっとためらってから、
「——これは、新聞とかTVに出るんでしょうか」
と、言った。
「必要がない限り、外へは出しません」
と、殿永は言った。
「そうですか……。私たち、風間先生を殺したりしてません」
「私たち[#「私たち」に傍点]?」
と、殿永は訊《き》いた。「すると、何人かのグループがあったんですね」
「ええ」
と、香子は肯いた。「私と、久代、宏美、和子。——この四人は、誓い合ってました。風間先生を、男たちの欲望から守るんだ、って」
「は?」
「少女趣味ですけど、そのころは真剣でしたわ」
と、香子は言った。「女子校にいて、男なんて、ただ汚ならしいものとしか思っていなかったんです。——風間先生は、私たちの理想でした。厳しく、それでいて美しく、優しくて」
「すると、結婚すると聞いた時はショックでしたか」
「もちろんです。——裏切られた、と……。勝手ですけど、そう感じました」
「するとなぜ、あのウェディングドレスを?」
「あれは、私たちの仕返し[#「仕返し」に傍点]だったんです」
と、香子は言った。
「仕返し?」
「ええ。——先生も、私たちが失望してるのを知っていて、気にしてました。私たち四人はあの日、おこづかいを出し合って買った安物のウェディングドレスを持って、放課後の学校に集まったんです。先生が残っていることは、予想してましたから」
「すると、風間涼子は、あなたたちが祝福しに来てくれた、と……」
「ええ。お祝いに、これを着てみて下さい、って、ドレスを——。先生は、嬉《うれ》しそうでした」
「それで?」
「先生は、応接室へ入って、着替えて来ました。私たちがワイワイ騒いで、先生を鏡のある所へ引張って行きます。その間に一人が——久代だったと思いますけど——先生の脱いだ服を、持ち出して、窓から外へ放り出したんです」
「まあ」
と、亜由美は目を丸くした。
「私たちは、先生に口々に、お幸せに、と言って、校舎を出ました。先生は、後で着替えようとして、きっとびっくりしたでしょう」
「じゃ、着るものがなかったわけですね」
「下着で帰るわけにはいかないでしょうから、先生は、ウェディングドレスのままで帰るしかなかったはずです。——それが私たちの仕返し[#「仕返し」に傍点]でした」
いかにも女の子らしいやり方だ、と亜由美は思った。
「すると、あなたたち四人は、風間先生一人を残して、学校を出た。——誰か、学校に残っていた人を見ませんでしたか」
「いいえ」
と、香子は首を振った。
「学校の周囲をうろつく人間とか……」
「見ていません。それに、学校を出た所で、四人とも別れたんです」
「すると——」
と、殿永はさりげなく、「四人の内の誰かが、また学校へ戻っても、他の人には分らなかったわけだ」
香子は少し顔をこわばらせた。
「でも——そんなこと[#「そんなこと」に傍点]、誰もしていません」
強い口調だった。
殿永と亜由美はチラッと目を見交わした。
「分りました。じゃ、あとの三人とも連絡を取りたいんですがね」
「ええ……。そうだろうと思って、メモして来ました。これが今の名前です。電話番号だけで……」
「もちろん結構。いや、助かりました。なぜ死体がウェディングドレスを着ていたのか、謎《なぞ》が一つ、とけたわけです」
香子は、ちょっと時間を気にして、
「あの——もう戻っていいでしょうか。大切なお客がみえることになっているので」
「どうぞどうぞ。お忙しいのに、すみませんでした」
池山香子が出て行くと、
「あの様子じゃ、何か隠してますね」
と、亜由美は言った。
「ええ。もうこの三人とも連絡を取り合ってますよ」
「じゃ——」
「当然、みんな話を合わせているでしょうね。前もって何人かいると分っていれば、それなりに手が打てたんだが……。残念でしたね」
「これから、どうします?」
「まず——」
と、殿永は立ち上った。「この可愛い店を出ましょう」
「——もしもし」
と、久代は言った。「私、久代よ。——そう。聞いたでしょ? 警察が、私たちのこと、かぎつけて来たのよ」
電話ボックスの中は、少し暑いくらいだった。
「——ええ。大丈夫よ、そう心配しなくても……。ねえ、実は相談なんだけど」
と、久代は言った。「うちの主人がね、ちょっと事業にしくじって、困ってんのよ」
向うの話に、しばらく耳を傾けていた久代は、ちょっと笑って、
「——そうね。でも、やっぱりお金は返さなきゃね。ね、いくらか借りられないかしら」
と、言った。「——そう。その内返すわよ。——そうね、一千万ほど。——本気よ。分るでしょ?——分らない? 私はね、見てるのよ、あなたが十五年前、あの学校へ入って行くのをね。——そう。それを警察へしゃべってもいいの?」
向うは、長い間、黙っていた。
久代は、受話器を持つ手ににじんだ汗を拭《ぬぐ》った。
やっと、向うが答えて、久代はホッとした。
「——そう。話が分る友だちを持って幸せだわ。一千万、どれくらいでできる?——あら、そんなこと言って。お宅はお金持じゃないの」
と、久代の声は、少し落ちついて、からかうような口調になった。「まあ、一週間ぐらいなら、こちらも待てるわ。じゃ、よろしくね」
久代は一方的に言って、電話を切った。
少し呼吸を鎮めるのに時間が必要だったのは、やはりいくらかは良心の呵責《かしやく》というやつのせいで……。
「でも——いいのよ」
と、自分へ言い聞かせるように、「刑務所へ行くことを考えりゃ、一千万円くらい安いもんだわ。そうよ」
と、肯く。
電話ボックスを出て歩き出した久代の足取りには、もう、不安の影は見られなかった……。