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全力で走るというのは、動物にとっては、そんなに普通のことではないらしい。外敵に襲われて逃げるとき、あるいはどうしても必要な食料を確保するときに限られる行為。
もちろん、ぼくたちが八〇〇メートルを走るのは、そのどちらの理由でもない。だれにも襲われていないし、生きのびるために、プロとして、職業としてのランナーでいるわけでもない。それはただ、ひとより速く走ることが快感だからだ。
その快感、気持ちのよさというのは、ほら穴に住んでいた原始人の狩猟の生活に基づくのだろうか。いや、はるかそれ以前、進化の手前の両生類や爬虫類《はちゆうるい》といった動物たちが、敵に襲われて逃げ切っては安堵《あんど》し、獲物を捕まえては喜び、DNAに蓄積してきたものが、ぼくたちに伝わってきているのだ。
どんな場合であれ、ある集団を特別視するばかばかしさはわかっているけれど、陸上競技場のトラックに立とうとする人間たちは、たぶん、もの覚えのいい遺伝子をもって生まれついてしまったものたちなのだ。そう、自分がトカゲだったころからの記憶。それは、相原さんも同じだ。
予選のコールが終わって見上げると、スタンドにいる山口と目が合った。山口は何回もレースを見に来ているから、陸上競技の全体の流れがよくわかっているのだろう。
太陽は真上にこようとしていた。強い陽射しを浴びながら、膝《ひざ》の屈伸をくりかえす。
ぼくは、中学二年の春に左膝の内側の腱《けん》を痛めていた。当時の専門だった二〇〇メートルのコーナリングのせいだったのだと思う。レントゲンでははっきりしないのでCTスキャンをかけた。角度によって、骨が腱に当たっていた。そのときの断裂のはいった腱の映像は、悪夢のように頭から離れない。
実際に夢に見たこともあった。寝つきかけたときや、朝方の、眠りの浅い時間。
最初に、左膝の腱の映像が浮かび上がる。そして、小さな、ほとんど眼に見えない傷のようだったその断裂が広がり出す。叫ぼうと思うのだけれど声が出ない。
不思議なのは、夢の中では、恐ろしくてしょうがないのに、傷が大きくなるのを自分の意思で望んでいるかのようだったことだ。どこまでいくのか確かめたい欲望。腱に刻まれた断裂が、徐々に深くなる。やがて、ぼくの左膝の内側の腱は音もなくちぎれる。そして、そのままの勢いで振り子のように振れた左足自体が膝からもげる。
そこで夢はさめた。
ぼくは、汗をかいたパジャマを替え、腱の上からヒルドイドのクリーム剤をくりかえし塗りこんだ。
最近は、そんな夢を見ることもなくなってきていたけれど、膝の不安は頭から離れない。
もうすぐ、スタートだ。
八〇〇メートルの予選は三組ある。ぼくは一組。ここで二着にはいっておけば、決勝に進出できる。一組にエントリーしているメンバーの地区予選でのタイムから判断して、それは確実だ。
スタンディング・スタートの姿勢を、こころもち浅めにセットする。このレースでは、ぼくは自分のペースで走りさえすればいい。
ピストルとともに、軽く飛び出した。
第二コーナーが終わるまではセパレート。ぼくは三コースなので外側の五人を見ながら走ることができる。バック・ストレートの入口のオープンになる地点では少し遅らせるようにして三番手についた。
直線を抑え気味に走る。スパイクが全天候のラバーのトラックをとらえ、突き刺し、後ろへと蹴《け》り、ぼくのからだを前に運ぶ。これは、おそらく、陸上競技をやったことのないひとにはわからない感覚だ。
彼もまた、何回もこれを経験してきたはずだ。ぼくよりも数多く。
相原さんというのは、ぼくの高校の陸上部にいたひとだ。こういうひとというのは、誰でもそうなのだろうか、すでに伝説化が始まっている。
中等部の生徒たちの間では、それは当然かもしれない、まったく会ったことがないか、せいぜい見かけた程度なのだろうから。直接にまともな接触があったと言えるのは、おそらく、ぼくの学年までだろう。
ぼくが、中学の三年になったとき、相原さんは高校の三年だった。二年ですでにインターハイに出場していた。そして、三年では上位入賞が期待されていた。その学年で一番活躍していた選手だった。
ぼくが去年の春、中距離に転向した理由はいろいろとつけられる。でも、結局は、彼に憧《あこが》れたから、というのが正しいのかも知れない。
相原さんは、速かった。本当に速かった。
時に中・高一緒の練習があると、ぼくが六〇〇を走っているときに、八〇〇のゴールにはいっていた。ぼくが口からよだれをたらして乱れた呼吸に苦しんでいるときに、すでに木陰で雑談をしていた。彼こそが、ぼくの知っている最強のTWO LAP RUNNERだった。
あなたの名前は聞いていたのよ、相原さんから、と昨日、山口は言った。泣きやんで、海岸から上がってきてからだ。左脚を、いつもより、もっとゆっくりとひきずっていた。山口がどういうつもりで言ったのかはわからない。ただ、それを聞いたときに、ぼくは一瞬|嬉《うれ》しかった。どのような言及のしかたであれ、その時、彼の意識の中にぼくがいたことが。
一周目のラップは62秒。少し遅い。バックの直線で加速してトップにたつ。向かい風を受けると、からだが重く感じられた。
コーナーを回りながら、ぼくは、スタンドに目がいくのを抑えられない。そして、中央の役員席の上にいる山口の赤い服を見つける。山口がぼくを見ているのだとわかる。
ぼくは、いつが最後に相原さんに会ったときだったのかが思い出せないでいた。でも、いまになってみて、それは、練習が終わってみんなで歩いていたときのことだと思う。そこで、彼を待っている女の子がいたのだ。冷やかすようなことではなく、高校生たちの間では当たり前のことのようだった。あれが山口だったのだろうか。ぼくの記憶では、女の子の姿は完全なブランクになっている。
直線の途中で息を吐いた。一歩一歩のストライドを大きくとり、フローティングに移る。スピードをほぼ維持したまま、ゴールへと向かう。
まだ、からだが重かった。睡眠不足のせいだとは認めたくなかった。試合前に眠れなかったなどというのは、言い訳にもならない。そんなことは陸上を始めた中学の一年以来のことだった。
五割ほどの力で、ぼくは流していた。ぼくの右隣では、オレンジのユニフォームのやつが同じようにフローティングにはいっていた。
ゴール前で、外側、オレンジのもうひとつ大きく向こうを黒のランニングの選手が差してきたのは、隣のオレンジも気づかなかったのだと思う。
ぼくたちはあらためてスピードをあげる間もなく、ゴールだった。けれども、あきらかに、胸ひとつ、ぼくが遅れていた。
三着になっていたのだ。