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冷たい3・6協同組合牛乳は、大きめのグラスに、たっぷんたっぷんしている。
ぼくは、食塩無添加トマトジュースかミルクを愛飲している。炭酸飲料や甘いジュースは飲まない。スポーツドリンクもあまり好きじゃない。
生協のトマトジュースは、200mlあたり、30キロカロリー。たんぱく質が1・4g、カリウムが520mg、ナトリウムは4mg、ビタミンCは一日の必要量の61%がとれる。
特にトマトジュースの偉いところは、カリウムが多いところだと思う。神経の興奮の伝導はナトリウムとカリウムのバランスで成り立っている。ナトリウムは食塩として食事で摂取しすぎるくらいとれるから、積極的にカリウムをとるのはいいこと。
八〇〇メートルを走りながら、瞬間に緩急をつけなきゃいけないときに、脳からの指令が筋肉に届くのが遅れたら、レースでは命とりになりかねない。
だから、朝、起きたら必ずトマトジュース。そして、のどの渇いたいまは、ミルク。
芝生の庭に面した窓は開け放たれ、時折レースのカーテンが大きく舞い上がっていた。のぞくのは雲ひとつない青空だ。
午前十一時。暑がりの父親がいるときを除いて、うちではめったにエアコンを使わない。窓さえ開けていれば、海からの強い風が部屋中を吹き抜ける。時には涼しすぎて閉めにいくこともあるくらい。
階段を降りてくる足音は妹の。いま起きたのだ。半分眠っている不規則な足どりでバス・ルームに向かう。
夏休みで大切なのは、規則正しい生活をすることです。
なんて言うと、小学生が一学期の終わりにもらう注意事項みたい。けれども、これはランナーとしては本当に大事。
毎日学校へ行っていれば、いやおうなしに起きる時間とかは決まってくる。それが夏休みになって不規則な生活になると、てきめんに練習にひびいてくるわけ。だるくて走る気がしなくなったり、設定した本来は可能なペース、たとえば四〇〇メートルを60秒で六本とかいうのがキープできなくなる。
だいたい、一週間練習を休むと、それを取り戻すには二週間はかかるって言われてる。それくらい、スポーツにとっては持続が必要で、コンディションを狂わせるとリカヴァリーがたいへん。もちろん、だらだらトレーニングすればいいっていうんじゃなくて、休養は休養で積極的にとる。週に二日は休む。ただし計画的にね。
さて、陸上競技は基本的には春と秋がシーズンになっている。高校生の場合は学校との都合で夏に全国大会がある。前にも言ったけど、ぼくは南関東ブロックの決勝が限界だったから今年は残念ながら全国には出られない。それで、夏期は次の公式戦である秋の新人戦を一応の短期目標とした練習になる。
ここで重要なのは、その練習に対する考え方だと思う。夏の日中の30度を越えるようなときに強度の大きいトレーニングをするのは、どう見たってばかげてるでしょう? 丸刈りの野球部じゃあるまいし、炎天下でLSDなんてしたらね。
あ、LSDっていうのは、Long Slow Distanceのこと。時間を決めて、ゆっくりと走る。たとえば60分間の持続走とか。文字通り本当にトリップしちゃうよ、真夏にこんなことしたら。
夏は午前中の早い時間とか夕方に、短時間にやるべきことをやればいい、というのがぼくの考え。LSDみたいなのは、精神主義でやるんじゃなければ、冬の錬成期には週に一回ぐらいならしてもいいって思ってる。実はそのへんで今から少し気にしているのは、駅伝のことだ。
ぼくはやっぱり短距離から抜けきれていないのかなあ、ロードレースはやる気になれない。アスファルトやコンクリートの上で試合するなんてね。きっちり規格の定まった第一種陸上競技場の、ラバーやウレタンで成型された全天候トラックで一秒の一〇〇分の一まで争いたい。
それに駅伝に出るとなると、そのための練習がはいってきて、オフ・シーズンがほとんどなくなってしまう。二年の春に好スタートを切りたいものね。ぼくは、あくまで四〇〇、八〇〇を専門のスピード練習に重点をもっていくつもりでいる。
長距離の選手はいまでも人数的には足りてて、でも、三キロや五キロの区間なら、ぼくが走った方が速いっていうことになってしまって、圧力がかかる可能性は充分にある。相原さんだって駅伝に出てたし、そのときに断りきれるかなあ。
というような先の心配もあるのだけれど、ともかく、ぼくは夏休みになっても七時起床を守り、海岸の七キロを春休みと同じように朝練習として続けている。
妹にはそんなぼくの生活が修行僧のように見えるらしい。
「ついでに町内会のラジオ体操も参加したら」
なんて言う。
「うーん。あれは無駄な動作が多いし、ストレッチングが不十分だから嫌だな」
と答えて、ぼくは具体的に関節と筋肉の動きを説明した。
妹は半分ぐらいまで聞いてから、
「降参」
と頭を下げた。
あっ、妹だ。
食堂のテーブルに向かってすわってるぼくの背後に、妹の立つ気配がする。黙ったまま、肩越しに腕を伸ばし、グラスをつかむ。
シャンプーのかおり。ぼくの背に押しつけられた妹のからだには、バス・タオルもバス・ローブもないのではないか、と突然にぼくは気づく。妹の髪から垂れた水滴が、ひんやりとぼくのTシャツににじむ。
風が海のにおいを運んできた。
ぼくにからだをくっつけるようにして、おそらくは裸の妹は、喉《のど》をこくこくと音をさせ、ぼくの白いミルクを飲み込んでいる。