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800-36
日期:2018-09-29 20:55  点击:247
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 ぼくは、他人のことはあまり気にならない。というか、関心がない。
 個人主義とかなにか立派なことばで呼ぶようなことじゃなくて、結局、ひとのことはどうでもいいのだと思う。もっと単純にエゴイズムって言ってくれたらいい。
 他人に関心を持ったところで、どうせ、その人のことがわかるはずがないっていう気がする。だったら、そんな、ひとを気にすることなんて無駄、っていうか、もともと無意味。
 と言っても、まあ、山口の場合は少し別なのかな。それにしたって彼女のことがすべてわかるようになるなんて、到底考えられない。たぶん、わかりたいと思ってはいるんだろうけど。
 だからね、合同トレーニングに参加しても、他のランナーのことは基本的にどうでもよかった。
 気になるのは自分のからだのことだけだ。自分にとって必要な練習とか、いまの自分がするべきこととか、そんなのしか考えない。開会のミーティングで陸連のコーチが言うように「お互いに励ましあって」とか「切磋琢磨《せつさたくま》」なんて感じにはなれないなあ。
 まして、「合宿を機会に友情が芽生え」なんていうのは、なんかわざとらしくて、ばかばかしい話だと思ったし、まだ思ってるんだけど、中沢。
 こいつが妙になれなれしくしてくる。あの、中沢焼きとうもろこし龍二。
 だいたい、ウォーミング・アップのときから並んで走ろうとしてきた。ストレッチングをしてても視線をバチバチ感じる。
 専門が同じ八〇〇メートルだからいつも一緒の組で走ることになるんだけど、あれはやっぱりぼくに対抗心を燃やしてるんだろうなあ。うん、ちょっとおもしろいと言えないこともない。
 今日のトレーニングは変形のインタヴァルで、(一〇〇+二〇〇+三〇〇+四〇〇+六〇〇)×二だった。
 それをね、一本ごとにいちいち勝とうとするわけ。一回目の二〇〇メートルを走ってみたときに、はっきりわかった。明らかにぼくのことを意識してる。中沢のフォームっていうのは、体型のせい(かなりいかり肩だ)もあるんだけど、肩に力がはいってる感じ。それが、今日、隣で走ってて、ぼくに向かってつっかかってくるみたい。
 それで、中沢は、胸ひとつでもぼくより前に出てゴールする。そして、なんか、フンフンッ、と嬉しそうにしている。インタヴァルのジョッグしてるときに振り向いてぼくを見る。その目つきがね。
 こういうトレーニングでは順位なんてまったく意味がない。練習というのはそういうものではないのだ。勝つのはレースで、それこそ年に一回勝てば、あるいは一生で一回勝てばそれでいい。そのレースから逆算して設定したタイムで、ぼくたちは練習の距離を走り続ける。
 そんなとこで中沢みたいなことしてたら、練習そのものの効果があやしくなる。オーバー・ペースで翌日以降に疲労を残したら、合宿の四日間のトータルの結果が悪くなる。ケガの危険性だって高まる。
 ぼくは人前でしゃべるのが苦手だし、そんなことしたくないけど、これだけは、弁論大会に出たって言いたい。
 スポーツの練習は、いつでも全力でやればいいというものではない。そういう日本の精神主義っていうのは(前に言ったけど)最低。目的意識がない。ただ、がんばりましょう、新学期の小学生の挨拶みたい。
 でも、中沢は絶対に負けるまいって感じで張り合う。
 そして、こんなの軽いぜって顔をしている。なんか、場を圧するように見回してね。ひとセット終わって休憩しているときには、それこそ小学生のようにはしゃいで水道の蛇口の下に頭を突っ込んで水を浴びていた。
 クーリング・ダウンの原則は、あくまでも徐々にだ。
 そんなことも知らないでばかなやつだと思ったけれど、あれは限界まで、もしかしたら熱射病の手前まで自分を追い込んでいるのだろうか。後頭部から首筋を冷やしてる。体温調節中枢の間脳があるあたり。
 ぼくはそれまでセーブして、目標タイムの範囲内で走ってたのだけど、最後の六〇〇メートルはついレースしてしまった。全力走。
 ぼくが勝った。中沢はぼくを見ないようにしているのだけど、すごく悔しそうだ。
 うーん。
 これはもしかしたら「切磋琢磨」しているのかな。
 

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