60
高校のグラウンドにいても夏が終わっていくのはわかる。
それは三〇〇メートルを三本走り、トラックの隅でシャツを着替えようとして樹々の間から見上げた空のまぶしい青さだったり、練習から上がるときの意外な夕闇の濃さだったりする。
もうすぐ二学期だ。
また、毎朝同じ時間に同じ電車に乗って通学する日々が始まるのだ。そこに戻ることが出来るのだろうか。なんて平凡でおおげさで感傷的な疑問は、ぼくは感じないよ。
出来るに決まってる。
毎日同じことを繰り返すのは、むしろ楽なくらいだ。することをあらかじめ外から与えておいてくれるんだから。
たぶん、生きてることは、すべてそんなふうな繰り返しの組み合わせで構成されているはずだ。学校だとか会社、あるいは農業。家事だって。
そば屋の仕事なんて、毎日|完璧《かんぺき》に同じ作業だよね。だしをとって麺《めん》をゆでる。そのつど新しい味になったりしたらいけないんだから。
日常からの脱出とかルーティン・ワークがどうのって言うけど、それはあくまでその「日常」の方がしっかりしているからだ。何も決まってなくて、朝起きたところから新しい選択をせまられたりしたら、人は気が狂う。
たしかにこの夏の後半、ぼくはかなり練習を休んでしまった。個人のトレーニングも、陸上部全体での練習も合わせて。
参加してるときもね、みんなが遠くにいた。風邪をひいて熱があるときみたい。
そんな感じのときも多かったし、自分がそこにいないみたいで、ぼんやりとまわりを見まわしていたときもあった。ぼく自身が走っているのに、なんかひとごとのよう。
記録を出すシーズンではないとはいえ、タイムも低調だった。陸上部員たちは、ぼくの体調のことを本当に心配してくれてるようだった。中学一年からの熱心な練習振りを知っているから。
結局、not as usual、っていうやつ。
でもね、校門から駅へと続く道をだらだら歩きながら、ぼくは、これまでのいつもの練習のあととまったく同じだって気がする。陸上部員たちだって、もうぼくに気をつかってたりしない。
夏に何があったのかっていったら、合同トレーニングで中沢や伊田さんと知り合い、そのあと何回か一緒に泳いだ。山口と少し遠くまで出かけたこともあったし、いくつかクラブに行ってみた。
あるいは、何もしていなかった。
夏休みの前と後で、ぼくのどこかが変わったって言える?
八〇〇メートルを走ることに対する熱意っていうか、そればっかりだったのが、ちょっとボルテージが下がってただけのことだよね。
だから、また、ぼくは、もとの生活にもどる。
高校に通い、速く走れるように練習をし、山口に会う。
山口とは結局、寝ていない。「もう一回、試して」いない。
けれど、なりゆきでどうにかなるんだって思う。つまりは、「日常」だ。人生では小説やドラマみたいに、そんなあっと驚くようなことは起こらないのだ。
駅の改札口から少し離れたところに人がいた。壁によりかかっていたのが、ぼくを見て近づく。
ぼくのまわりの陸上部員のことなど、全然、気にもしていないようす。
伊田さんだった。
驚いた。
とっても。