69
日曜日、午後四時を回った。
今日は練習なし。試合がない日曜は、だいたい休みになってることが多い。そういう時は土曜のトレーニングのあと寮から帰れる。
それで昨日は急いでもどってきたんだけど、べつに何も起きない。ひと晩家にいてお昼も過ぎたら飽きてきちゃった。
で、伊田も練習はないはずだから電話してみたんだけど、いないのよねえ。友だちと遊びに行ってるって。
ここんとこ家がドタバタしてたでしょ。全然会ってないし、声だって、ほとんど聞いてないの。
だって、たとえ俺が何の役にもたたないとしたって、こんな状態で女のとこに電話かけてるわけにはいかない。いまだって、わざわざ外の公衆電話。それもあまりうちに近いとだれかに見られたとき変だから、久し振りに中学の前まで来ちゃった。苦労してんだから。
この前、寮から伊田にかけたときは、つながるにはつながったんだけど、なんか冷たかった。
いや、もともとね、伊田は冷たくって、そこがまたいいんだけど、その時はひどかったのよ、すぐに切りたがってて。変だなって思った。
夏休みの間は、メッチャうまくいってた。広瀬のとこ泳ぎに行ったりして、長い時間一緒にいて、楽しくやってた。ようやく、ちゃんとした俺の彼女って感じになってきてたのにねえ。
ま、いないんならしょうがねえや、家帰ろうかって思って、どぶ川に沿って歩きながら、俺、伊田の家、押しかけることに決めた。
だって、本当に気になるんだもの。昔から、俺、気になることがあったら悩んでないで行動しちまえって方針。あ、言ったばかりね、これ。
で、いったんうちに顔出して、台所にいたおふくろに、
「ダチんとこ行ってくる」
って言った。
そう言ってから、おれ、少しぐずぐずしてた。
たぶん、まだ、迷いがあったのよね。こんな、親父がいないときに女と会うんで家あけるなんて不謹慎。もし、おふくろが妙な顔でもするようならやめようかな、って。
でも、おふくろ、包丁持って俺に背向けたまま、
「ああ、行っといで。龍二はいない方が安心してられるよ。危なくってねえ」
なんてぬかすのよ。
ひっこみがつかないから、
「じゃ、行くぜえ。メシは食ってくるかもしんない」
って出てきて、電車乗った。
家族連れが多くて、ガキがぎゃあぎゃあ騒ぐ。日曜日だもんね。
ドアのとこ立ってんだけど外見たって、ほら、俺、背が高いでしょ。窓から見えるのって線路だとか、その脇の道ばっか。空なんてすごくかがまないとだめ。
で、赤茶けた石っころと線路がダッダッダッて続くの見てて、俺、わかっちゃった。
俺が、おふくろに止めてもらいたいって感じてたのは、家のことじゃなくて、伊田に会いにいくことの方でだったんだって。
ここまで女を追いかけるなんてカッコ悪いこと、中沢龍二の歴史にない。
そう思ったら、情けなくてやめたくなった。このまま電車乗って、多摩《たま》川渡って、渋谷にでも出ようかって。女なんてさあ、自分の方から俺のこと待ってるように仕向けなくっちゃ、ねえ。
でも、伊田って、死んだってそんなしおらしいことするようなやつじゃないわね。なんてったってあの辺の女王様なんだから。
結局、俺、伊田の駅で電車降りてしまった。ドアが開いて、踏み出すときまで迷ってたんだけど。
改札口を出ると、自転車が何台も、ぐちゃぐちゃになってた。駅の壁に向かって投げつけられたようなやつもある。夜に酔っ払いがやって、それを片づけようとするやつもいない。
片づけたって、同じことなんだろうね、どうせ。
立ってるのだって、チェーンが錆《さ》び付いてたり、前カゴがつぶれてたり。どう見たってもう持ち主がいないようなのもある。そのカゴに、コーラの空き罐やワンカップ大関のビンや競馬の予想紙みたいなのが突っ込んである。
相変わらず、きったねえ街だぜ。
俺、伊田のこと何回も送ってて、このあたり、よーく覚えちゃった。例の親衛隊の諸君に会ったって、もう道はバッチリわかる。
表口の方にはパチンコ屋だとか商店もあるんだけど、こっちは裏に当たるから、ちっぽけな飲み屋にラーメン屋があるくらいで、すぐにアパートみたいなのが立ち並んでる。
伊田の家は、そこの細い道を抜けて、いつもトラックが渋滞している道路を越える。
今日は、日曜なんで、少しマシだった。でも、俺は、歩道橋に上ってみた。なんかズルズル時間延ばししてるみたい。
灰色の街が平らに続いてた。二階の物干しに洗濯物がかかってる。ところどころに工場。その先は海になってるはずなのだけれど、ガスタンクの大きな丸いのがふたつ見えるだけだった。