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昨日は台風だった。
通り過ぎて、今日は最高のコンディション。空気がピン、ってなってる。神様まで俺に気をつかってくれてるぜえ。
陸上競技場の芝生は青々としちゃって、俺、八〇〇メートルやっててよかったって思う。
新人戦だ。
秋の一番大きなレース。俺の目標は、ズバリ、優勝あるのみ。
だってね、春の七位になった県大会から、三年が抜ける。で、俺より速かった一、二年は、二位の広瀬と六位のやつのふたりだけだから、そいつらに勝ちゃいい。単純なこと。
広瀬には、今朝、サブ・トラックで会った。ジョッグしてるのを見つけた。
俺の方から走ってって、
「よっ、調子どう?」
って言った。
広瀬に先に見つけられて、それで、勝ったっていうような顔されて、そうじゃなくても同情っぽいような顔されて、声かけられたりしたらたまらない。
絶対に、俺から話しかけたいって、何日も前から思ってた。
そしたら、
「まあまあ」
って。
ご立派な答え。
こいつの表情は、そう前と変わっているようには見えない。きっと、何も考えないで育って、ボーッとしてるところがいいんだろう。
俺はすごく速くなってるぜ、今日は見てろよ、とか言ってプレッシャーかけてやろうと思った。
そしたら、先に、
「妹が寂しがってるから、ときどき電話してやってくれないかなあ」
って頼まれちゃった。
やめてよ、その話。力が抜けるじゃない。俺に勝つ自信がないからって卑怯《ひきよう》な手を使ったらいけない。
お兄ちゃんたら、知らないんだ。奈央ちゃんが、俺にせまってること。
奈央ちゃんは、とってもかわいい。でも、なんか手を出す気になれない。会って、また今度って逃げるのもねえ。
俺は、陸上競技に生きるんだぜい。
それでさ、俺は、午前中の予選は、予定通り一位で帰ってきた。広瀬は、当然なんだけど、生意気なことに第一シードで、プログラムの一組の一番に名前が出てた。
で、最後に流しに流して、二着でゴール・イン。なんで、いつも、ああいうレースするんだろう。
いよいよ、決勝。
広瀬との勝負だ。俺、燃えてきた。
サブ・トラックから続くスタジアムの入口、一〇〇メートルのスタート地点のところにはいっていったら、
「龍二」
って、でかい声。
ぶったまげたねえ。
スタンドが、そこだけ野球場みたいな感じなのよ。だって、これまで陸上競技場で大洋ホエールズの帽子かぶったおっさんなんて見たことないもの。
安さんたら、メガホンまで持ってる。
いかついからだで目立ってんのは、兄貴。
「龍二、八百長すんなよ」
おいおい、ひとのこと応援すんのに、用語が間違ってるぜ、用語が。競輪じゃないんだから。
で、さあ、ふたりの間に親父とおふくろがいる。
親父は保釈されて、いまは家にいるんだけど、ずいぶん、ふけこんじゃってる。年とっての取り調べはキツイらしい。
俺が、今度の大会は絶対に優勝だって、いつもより気合い入れてたせいなのかな。みんなで来てくれるなんて、小学校の運動会みたいだけど、嬉《うれ》しかった。とても。
俺、高々と右手を上げて、声援に応えた。
やってやるぜ。
「龍二ちゃん、がんば」
あれあれ、メッチャ通る声。
広美に、亜也子のママも。呼んだの、安さん?
しっかし、ここまで来ると何なんだって思うね。お花見気分で盛り上がってるじゃないの。覚醒剤《かくせいざい》でも打ってんのかよ。
「一番になんなきゃ、デートしたげないよ」
スタンドのあちこちから、
「オーッ」
って、喚声があがって、広美ったら受けてんの。
デートなんか、いいよ。デートなんか。俺は、もう、そういうことはしばらく考えたくもない。
それより、これから、八〇〇メートルだ。