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Kより
目が覚めると、いつもの病室だった。
見慣れてきた白い天井。薄いピンクの壁。
部屋に備えつけられた洗面所で顔を洗う。ごしごし、と。何度も。
鏡をのぞきこむ。まだ、あまり見慣れているとは言いがたい、俺という人間の顔がそこに映っている。
俺は確認する。
昨日と今日、俺は同じ顔をしているだろうか。そこには、確実な連続性っていうのかな、つながりみたいなもんはあるんだろうか。
でもね、たとえ、毎朝、目覚めるたびに別の顔になっていたとしても、たいして困らなかったりして。
洗面所でたっぷり十分は過ごしたあと、ベッドに戻った。
すると、枕の横に、何か白いものがある。封筒じゃないの。さっき起きたときに気づかなかったのか、それとも、いま置かれたものなのか。
寝ている間だって、顔洗ってるときだって、誰かがはいってきたりした気配なんて感じなかったんだけどなあ。
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高橋進 様
あなたが事故にあったという知らせをうけたときの私の衝撃は、想像もつかないことと思います。私自身、実際に体験してみて初めて、そのたとえようもないくらいの大きさ、重さを知ったのですから。
命に別状はないと聞いて、ひとまず、安心しました。それで、どうなの、現在のあなたの体調は?
いつごろ退院できるのでしょう。あなたをあせらせるつもりはありません。きちんとした治療を受けてくれるほうがいいに決まっています。ただ、あなたが再びあの素晴らしい笑顔を見せてくれるのが待ち遠しくて、つい、問い質《ただ》すようなことがしたくなってしまうのです。
こんな手紙を渡されて、あなたは不思議に思っていることでしょうね。なぜ、直接、会いに来ないのかって。それは、実は、あなたの病院が面会を拒否しているからなのです。あなたが安定した状態ではないからと言って。
これは、どのように考えても異例のことです。ドクターには注意してください。情報はたいへん限られていますが(私が医療関係に様々な人脈があるのは、あなたも知ってるわよね)、それは、彼らの側で、いよいよあなたの身柄の拘束に乗り出したということではないかと思うの。
現在の世界で、あなたの重要性は増すばかりだわ。あなたこそが真の選ばれた人なのだから。それはなにも、あなたが飛び級制度により小学生の年齢で大学への進学を推薦された、などという表面的な事実に基づくわけではありません。
数学と哲学と、そして、あらゆる科学の天才にして、同時にあなたはエル・サルバドール、すなわち救世主《メシア》でもあるのです。
人類に幸福をもたらす、まったく新しいプロジェクトのリーダーとなるべきあなた。だから、私と私たちの研究所は、本当にあなたを必要としているのです。
どうか、この手紙があなたのもとに届きますように。
安心してください。彼らがあなたに危害を加えることはないと思います。それは彼らの側にとってもメリットのないことだから。
この手紙の存在は、だれにも知られてはいけません。まだ、その時期ではないのです。私たちが動いていることを彼らに察知されたくない。
最後に付け加えておきます。あなたについているナースは、あなたの味方よ。ドクターの補助の仕事をしながら、あなたのために役立ってくれるはずです。
ああ、あなたに会いたい。私の心はその日を思うだけで、至上の喜びで天空を駆け巡ってしまいそうです。
そのときを心待ちにしています。
Kより
俺は、手紙を二度読んでから、元どおり、線に沿ってたたんだ。封筒に戻して、ベッドに放る。
それでね、洗面所のドアを開けた。
ウンコすることにしたの。
便器にすわりながら考えた。こいつは狂ってる、絶対。
俺、自信持って、そう言えるね。
だって、少なくとも俺が、そんな、あらゆる科学の天才とかのはずないじゃないの。手紙の字、読むだけで苦労したくらいなんだから。
まして、なんなのよ、そのエル・サルバドールって。
トイレットペーパーのロールが、からから回った。新しいののストック、どっかにあったかなあ。
彼らの側? 私たちの研究所? 新しいプロジェクト?
この前、見舞いに来てくれた(面会できるじゃねえか)コーチってやつも、プロジェクトとか言っていたはずだ。
世の中では、プロジェクトとかいうのがあふれているのかねえ。
俺は、ベッドに横になった。そしたら、頭の中心部が、だんだん痛んできた。やな感じ。
しっかし、このKってやつは、たぶん女なんだろうけど、狂っているにせよ、どんなやつで、なんのためにこんな手紙を俺によこしたんだ?