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俺たちね、そっと部屋を出たの。
叔母さんに知られたら、ひともんちゃく、あるわね。でも、たぶん、疲れて寝てたんじゃないかな。気づかれなかったと思う。
エレベーターで一階へ。壮大なエントランスを抜ける。正面の階段を下りると、そこには黒塗りのベンツが待っていた。
店長が後ろのドアを開けて、俺に乗るようにうながす。奥にはびしっとしたスーツを着たやつがすわってた。そいつは、こっちを見ようともしないのよ。
そんなわけで、俺は店長とその背広の男にはさまれる形になった。
「俺、どんなバイトをしてたの?」
クルマが動き出してから、左隣にいる店長に聞いた。
「本当に、覚えてないんですね」
あきれたという顔。
「ある日、店に来たんですよ。外の張紙見たって言って」
俺が黙っていると、
「そのときだって、なにの仕事するかわからないまま応募してきたですよね。それなのに、妙に張り切ってて。ニッポン人て変だって思いました」
「陳、なんでも全部、人種のせいにしたら、いかん」
そんなに大きくない声。背広の人よ。
でも、低くて迫力がある。
「はい、すみません、時田さん。中国人、いつもニッポンで差別されてるから、逆したくなるね」
「高原の親父さんに会うんだ。言葉には注意してな」
「はい。私、余計なこと、しゃべらない」
で、しばらくシーン。
緊張感がただようの。この右にいる時田とかいうオッサン、怖いわ。
それでも、俺、気になったままなの嫌だから、
「どんな店なの?」
やっぱり、聞いておかないと。
「説明するほどのものでもありません。客の男のひとがいい気分になって、いっぱいお金払うところ。ひと晩で中国人の年収分使うひともいます」
なんだか要領をえないんだけど、かなり怪しい店みたいね。ま、無理に聞き出そうとしてもしょうがない。
「高橋さん、才能ありました。何も知らない見習いから始まって、メキメキ腕あげました。事故の前は、副店長になる一歩手前でした」
ヘエー。自分のことなんだろうけど、初めて聞くんだもの、驚いちゃうよね。
でも、それって、どんな才能?
店長は、ハー、と小さく息をついた。めちゃくちゃ悲しそう。
「でも、こんなことになってしまいました、結局。高橋さんも私も運がないのです。中国人、運命というもの信じます」
それからは、誰も話さない。なんか、重苦しい雰囲気なのよ、ベンツの中は。
俺は外を見てた。
俺、運命なんて、どうでもいいって思った。だって、記憶喪失になるのが俺の運命だっていうんなら、そんなもん、いらない。
高速道路は、夜景が次々と流れてきれい。時々建物の間にぽっかりと黒いところがあって、あれは海なんだろうか。
三十分ぐらいは走ったのかな、クルマは高速を下りた。
それで坂道をぐんぐん上ってくの。そうするとまわりの様子が変わってきて、お店だとか小さな会社だとかが並んでたのがなくなって、住宅街にはいった。
で、坂を上り切ったところでクルマが止まった。
運転手が降りてインターフォンに何かしゃべると、大きな門の、やけに頑丈そうな扉がゆっくりと開いた。クルマは、しずしずと入っていく。
なんか、ヤバイぜ、絶対。
ここがその、高原の親父さんとかいうやつの家か。